阿野全成

阿野全成/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

史実の阿野全成は激しい権力闘争に巻き込まれ鎌倉殿の13人新納慎也

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阿野全成
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景時が頼家に讒言!?

正治元年(1199年)正月――頼朝が急死しました。

二代目の鎌倉殿として、将軍職を継いだのが源頼家。これにより外戚同士の激しい対立が生じます。

初代・頼朝の外戚である北条氏は、頼朝の二男・千幡(後の源実朝)を庇護していました。

これに対し、二代・頼家の外戚となる比企氏。

外戚両家の争いに阿野全成も巻き込まれてゆくのです。

段階を追って見て参りましょう。

鎌倉幕府では、トラブルを未然に解消するため、ドラマのタイトルにもなった【十三人の合議制】が敷かれました。頼朝が死ぬと御家人たちの不祥事が増え、その対応に追われたからです。

この十三人のメンバーには梶原景時もいます。

梶原景時
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彼は頼家の乳母夫(めのとお)とされ、後見人でもある。つまり頼家の重要な側近として、睨みを利かせる立場にありました。

しかし、この景時を滅亡に追いやる陰謀が起こります。

あるとき、頼朝時代を懐かしむ結城朝光が、こんなことを口にしました。

「忠臣は二君に仕えずという。私も頼朝様が亡くなったからには、出家しようと思ったのだが、ご遺言によりそうもできなかった。今となっては残念でならん」

そんな朝光に対し、阿波局がこう進言します。

「あなたの発言が不忠だとして、梶原景時が頼家様に讒言したそうよ。このままでは危険です……」

情勢は極めて不安定で、何があってもおかしくない時代。焦った朝光は三浦義村に相談しました。

すると「これぞ好機!」と感じたのでしょう。

義村は、景時を排除するため、御家人66人分の弾劾署名を集めました。

いざ景時へ弾劾状が届けられると、彼は一切の弁明をせず、一族と共に本拠の相模国一宮へ退去します。

そして正治2年(1200年)正月、上洛の途上、駿河国狐ヶ崎で景時一族は討ち果たされたのでした。

 

全成と阿波局にも権力闘争の矛先が

なぜ景時はここまで追い込まれたのか?

理由として考えられるのが彼の性格と、「汚い仕事」とみなされても仕方がない秘密警察のような職務でしょう。

そもそも権力構造にも問題がありました。

源頼家の側近である比企側にとって、景時の存在は目障りであり、頼家の弟・千幡を担いでいる北条にとっても厄介だったのです。

要は、二大勢力から邪魔扱いされている。

しかし慈円は『愚管抄』に、この景時弾劾の一件が、頼家最大の失敗であると記しています。

忠実な側近を失った頼家は自暴自棄となり、孤立を深めてゆくのです。

そしてそんな状況は、多くの御家人を苦しめ、北条と比企の対立が深まると、鎌倉武士たちは我が身をすり潰されるような日々を迎えました。

矛先は、阿野全成と阿波局にも向かいます。

建仁3年(1203年)5月19日、子の刻(深夜0時頃)――謀反の疑いがあるとして、全成は捕縛され、御所に押し込まれたのです。

そして25日、常陸国に配流されると、翌6月23日、頼家の命を受けた八田知家により誅殺されました。

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享年51。

約3週間後の7月16日には、京都にいた全成の三男・播磨坊頼全も源仲章によって殺されてしまいます。

さらには阿波局も引き渡しを求められましたが、姉である北条政子の抵抗により、どうにか事なきを得ました。

そして北条時政が千幡の乳母夫となったのです。

 

血で血を洗う権力争い

夫の罪に巻き込まれた、千幡の乳母・阿波局。

この一件により、千幡(実朝)の地位まで低下してしまい、北条としては何がなんでも頼家を排除すべく、さらなるパワーゲームに挑むしかなくなりました。

北条と比企の対立は激化。

結果、北条は【比企能員の変】に持ち込み、比企氏を滅ぼします。

病に倒れた頼家は出家するほかなく、最終的には暗殺されてしまいました。

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比企との対立では、北条も血と涙を流しています。

義時は、比企から嫁いできた妻・姫の前(劇中では比奈)と離縁する羽目になり、前述の通り、阿波局は夫の阿野全成と三男を殺されました。

血で血を洗う権力争いに巻き込まれ、残っていた頼朝の弟は、全員が命を落としたことになります。

阿野全成役の新納慎也さんは『真田丸』で豊臣秀次を演じました。

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罪がないのに非業の死を迎えた秀次。

今回の全成も、同様の末路を辿る人物と言えます。

しかし悲劇だけではなく、明るい笑顔を見せることもできるのが新納慎也さんであり、三谷さんの脚本もその魅力を引き出しているように思えます。

風を呼ぼうとして失敗し、実衣には赤い色が似合うと勧めながら、ちゃっかり彼女に告白する――なんとも面白みもある人物像ではないですか。

対称的なのが大江広元かもしれません。

広元はパワーゲームに巻き込まれながら、のらりくらりと言い逃れをして生き延びます。

よく言えば聡明、悪く言えば狡猾な駆け引きができ、それが阿野全成には不可能だった。

しかし彼は、悲しいだけの存在ではありません。

子孫は残り、後村上天皇の生母・阿野廉子がその一人と伝えられています。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
福田豊彦/関幸彦『源平合戦事典』(→amazon
永井晋『鎌倉源氏三代記』(→amazon
坂井孝一『源頼朝と鎌倉』(→amazon

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