山内首藤経俊

源範頼・源義経の平家追討軍出陣の錦絵に100名近い家臣が描かれているが経俊の名は無し/国立国会図書館蔵

源平・鎌倉・室町

頼朝に矢を放ちながら助命された山内首藤経俊 89歳の長寿を全うする

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事情とは?

頼朝の挙兵に先立ち、兄弟にあたる俊秀が【以仁王の挙兵】に参加し、討死にしていたのです。

圧倒的な平清盛の権力を前にして、もし次に源氏に敗れたら、家ごと潰されるのは必定。

そのため経俊は、頼朝からの使者・安達盛長に対し暴言を吐き、助力を拒みます。

ドラマでも「犬の糞!」と頼朝のことを罵っていましたが、『吾妻鏡』に基づいた発言だったんですね。

ただ、錯綜した状況の中で、これも仕方ないことかもしれません。

なんせ大庭景親は相模でも最大級の武士ですから、逆らえばあとがない。

 

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山内首藤経俊は斬首

かくして迎えた石橋山の戦いで、経俊は矢を放ちます。

源氏は大敗し、散り散りになって逃走。

北条時政の嫡男・北条宗時もこの戦いで討死を遂げていました。

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しかし、です。

緒戦で頼朝は大敗したというのに、関東における源平の形勢はどんどん源氏有利に流れていきます。

理由としては、京都から出立したはずの追討使が到着に遅れたり、甲斐源氏・武田信義らが蜂起したり。

平家方が足踏みをする一方、頼朝は上総広常などの周辺戦力を味方に引き入れ、どんどん勢力を伸ばしてゆきました。

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そして、ついには経俊も頼りにしていた大庭景親が頼朝に降伏し、自身も捕われてしまうのでした。

山内荘は没収し、山内首藤経俊は斬首――そう決められた後、ある女性が頼朝の元を訪れます。

 

母・山内尼の命乞い

彼女は頼朝の乳母である山内尼でした。

源氏代々に仕え、夫と我が子が【平治の乱】で討死したこと。そうした縁を涙ながらに訴える乳母に対し、頼朝は何も言いません。

唐櫃(からびつ)の中から鎧を出して見せました。

石橋山で受けた矢が刺さったままで、矢にはこう書かれていました。

滝口三郎藤原経俊――。

山内首藤経俊のものです。

こうなるともう母の山内尼は絶句し、顔色を変え、引き下がるしかありません。

乳兄弟でありながら情け無用で逆らう。

助力を求め、頼朝が遣わした安達盛長に対し、暴言を吐く。

さらには、あろうことか大庭景親に味方するだけでなく、放った矢が頼朝に命中していた!

ここまで酷いことをして、打首も仕方ない……。

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