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【山内首藤経俊】
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山内首藤経俊は斬首
かくして迎えた石橋山の戦いで、経俊は矢を放ちます。
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しかし、です。
緒戦で頼朝は大敗したというのに、関東における源平の形勢はどんどん源氏有利に流れていきます。
理由としては、京都から出立したはずの追討使が到着に遅れたり、甲斐源氏・武田信義らが蜂起したり。
平家方が足踏みをする一方、頼朝は上総広常などの周辺戦力を味方に引き入れ、どんどん勢力を伸ばしてゆきました。
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そして、ついには経俊も頼りにしていた大庭景親が頼朝に降伏し、自身も捕われてしまうのでした。
山内荘は没収となり、山内首藤経俊は斬首――そう決められた後に、ある女性が頼朝の元を訪れます。
母・山内尼の命乞い
彼女は頼朝の乳母である山内尼でした。
源氏代々に仕え、夫と我が子が【平治の乱】で討死したこと。そうした縁を涙ながらに訴える乳母に対し、頼朝は何も言いません。
唐櫃(からびつ)の中から鎧を出して見せました。
石橋山で受けた矢が刺さったままで、矢にはこう書かれていました。
滝口三郎藤原経俊――。
山内首藤経俊のものです。
こうなるともう母の山内尼は絶句し、顔色を変え、引き下がるしかありません。
乳兄弟でありながら情け無用で逆らう。
助力を求め、頼朝が遣わした安達盛長に対し、暴言を吐く。
さらには、あろうことか大庭景親に味方するだけでなく、放った矢が頼朝に命中していた!
ここまで酷いことをして、打首も仕方ない……。
と思いきや、結局、頼朝はその罪を許すのです。
後に血を分けた源義経や源範頼らに対して苛烈な処分を行ったのと比べるとあまりに緩い決断。
それどころか、二カ国の守護職まで与えるのだからワケがわかりません。
頼朝に何があったのでしょう?
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