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伊豆に流され 頼朝と接触
ともかくも遠藤盛遠は出家して文覚へ。
罪なき女性を殺してしまい、しおらしく反省はしたのか?
仁安3年(1168年)に文覚は、京都高雄山神護寺へ参詣しました。
空海ゆかりの寺だったのに、当時は衰退が著しかった神護寺。ここを再興しよう。勧進を進めよう。
と、思い込みが極端な性格は、出家後も変わらなかったようで……。
承安3年(1173年)、なんと後白河天皇の法住寺御所にまで参上して、神護寺への荘園寄進を強訴するのです。
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いくらなんでも度を越した行為は、当然ながら罪に問われ、渡辺党棟梁・源頼政(ドラマでは品川徹さん)の知行国であった伊豆国へ流罪となりました。
『鎌倉殿の13人』に登場するときの文覚は、そうして流刑にされた時の姿です。
頼朝に挙兵を勧めたとされ
再び人物関係を整理してみましょう。
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平家に対して不満が渦巻く伊豆の中に、文覚なんて投げ込んだらどうなるか?
まるで油の中に投げられたマッチのようにも思え、実際『平家物語』では、伊豆配流中の文覚が、頼朝に対し挙兵を勧めたとされます。
『吾妻鏡』でも、千葉常胤の子・千葉胤頼と共に、文覚が頼朝に挙兵を勧めたことが記述されています。
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いったい文覚は、どこまで関与していたのか?
ハッキリとはしないものの、頼朝と関係が深かったことは間違いないでしょう。
日本三大弁財天に数えられる神奈川県藤沢市の江島弁財天は文覚が勧進しています。
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