多々良浜の戦い

足利尊氏/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

多々良浜の戦いで尊氏が失意からの再起!戦前の不利を覆して室町幕府を築く

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多々良浜の戦い
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そして返り咲く

1336年3月2日、両軍は九州の多々良浜(現在の福岡県福岡市東区)で激突しました。

戦が勃発すると、風向きの関係で菊池軍に砂ぼこりが舞い、戦況は尊氏軍優位となります。尊氏軍のとった作戦は、「先に直義が敵を攻め、直義が苦戦したタイミングで尊氏が攻め込む」という連携攻撃でした。

菊池軍と直義が一進一退の攻防を繰り広げる中、「ここぞ!」 という場面で尊氏も出撃。

このことで全軍が勢いづき、菊池軍はじりじりと追い込まれていきます。

この背景には、「菊池軍で裏切り者の大量発生」があったようです。これはつまり、戦いの前に尊氏が行った仕掛けや工作にはまり、戦わずして寝返った軍が相当数いたのでした。

そうなると戦場は当然混乱し、菊池軍は数の有利をまったく活かせませんでした。

菊池軍は追い込まれ退却、尊氏たちは奇跡的な大勝利を収めました。

この一戦で「やっぱ尊氏は強ええ!」と九州武士たちの心を一気につかみ、彼らを含む西側勢力の後ろ盾を得て、一大勢力へと返り咲きます。そして態勢を整え、 万全の状態で京都に攻め込み、今度こそ京都を完全に制圧してみせたのです。

こうして尊氏は室町幕府の初代将軍となり、新たな武士の世の礎を築いていきます。

◆補足解説 その後の尊氏と九州

室町幕府の初代将軍に就任した尊氏は、 直義と共同で政権を運営していたことが明らかになっている。

軍事面では尊氏が、 行政・司法面では直義が権力を掌握した。

仲のよかった尊氏と直義だったが、 ここから家臣たちとの不和や政策的な不一致などさまざまな不運が重なり、 両者は 「観応の擾乱 (1350~1352年)」と呼ばれる壮絶な兄弟げんかを強いられる。 最終的に、直義は敗れて亡くなった。

この観応の擾乱の起きた時期も、 九州の存在は非常に重要だった。

たとえば尊氏の息子・足利直冬は父と敵対し、 九州へ渡ると現地武士たちの支持を獲得し、大きな勢力を築いていた(ただし最終的には父・尊氏に追われ、九州から逃げる)。

また、尊氏に敗れた後醍醐天皇の息子・懐良親王も九州で活躍した1人である。

幼かった懐良は後醍醐の命令で九州へ下り、南朝方の将として九州攻略を進めた。懐良は順調に攻略を成功させ、九州の中心地だった大宰府へ入る活躍を見せた。

しかし、最終的には幕府から派遣された今川了俊という人物に敗れたことで支配が終わる。ちなみに、今川了俊は桶狭間の戦いで討たれた今川義元の遠い先祖にあたる。

なお、 多々良浜の戦いの詳細は 『梅松論』 『太平記』 などの文献で語られるが、誇張やねつ造も多いと指摘され、信ぴょう性の高い史料だけを使うと実は戦いの実情に不明な部分も多い。

 


戦略的結論

人の心はゆれやすいもの。

ブランディングも工作活動も、上手に活かすとチームの士気は高まる。

 

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『胸アツ戦略図鑑』の目次

◆それぞれの戦略

01.奇行に次ぐ奇行の理由とは? 信長が勝ち目ゼロの戦いで選んだ戦略
桶狭間の戦い [1560年]

02.「あえて全力は出さない」という戦い方
第四次川中島の戦い [1561年]

03.裏切りを繰り返し、それでも天下人に愛され続けた男
第一次上田城の戦い [1585年]

◆第一部 日本の戦い

04.いい話の奥に隠されているかもしれない不都合な真実
乙巳の変 [645年]

05.海賊を撃退せよ! 日本を救った知られざる英雄たち
刀伊の入寇[1019年]

06.20年ニート生活だった頼朝がなぜ幕府を開けたのか
源頼朝の鎌倉入り[1180年]

07.日本で初めて天皇を倒した男たち
承久の乱 [1221年]

08.希望、失意、そして再起。 足利尊氏が室町幕府を築くまで
多々良浜の戦い [1336年]

09.流れは一瞬。置かれた条件で勝つ大バクチの打ち方
厳島の戦い [1555年]

10.返り咲きを懸けた戦国武将たちの最期
大坂の陣 [1614年〜1615年]

11.補欠の補欠候補から将軍になった徳川吉宗
徳川吉宗の将軍就任 [1684年〜1716年]

12.日本全体を敵にまわした長州という強すぎた藩
第一次・第二次長州征伐 [1864年〜1866年]

13.歴史を変えた英断、政治家としての徳川慶喜
大政奉還 [1867年]

14.新しい時代の中で反乱を起こした最強の志士たち
西南戦争 [1877年]

15.世界最強の艦隊を迎え撃った日本の作戦
日本海海戦[1905年]

16.生き残った敵兵をどうする? 命がけで人を助けた軍人たち
スラバヤ沖海戦 [1942年]

◆第二部 世界の戦い

17.本当の計画は誰にも知られてはいけない
トロイア戦争 [紀元前1300年頃]

18.300対20万にどう挑む? スパルタ王レオニダスの覚悟
テルモピュライの戦い [紀元前480年]

19.奇策には奇策を 天才と天才の対決
ハンニバル戦争 [紀元前218年〜紀元前201年]

20.元ヤンが中国を統一するまでの話
楚漢戦争 [紀元前206年〜紀元前202年]

21.天下は1日にしてならず。 歴史に名を残した3人のリーダー
赤壁の戦い [208年]

22.「エモ」は力なり
初期十字軍の戦い [1096年〜1192年]

23.安全策が万全策とはならない理由
アルマダの海戦[1588年]

24.ウクライナ問題はここから始まった? 反乱の先にあるもの
フリニッキーの乱[1648年〜1657年]

25.生まれたての国アメリカがなぜ最強のイギリスから独立できたのか
アメリカ独立戦争 [1775年〜1783年]

26.本土上陸を阻止せよ! ナポレオンの野望を阻止したイギリスの英雄
トラファルガーの海戦[1805年]

27. ヨーロッパ中に恐れられ、嫌われたナポレオンの戦い方
アウステルリッツの戦い [1805年]

28.ヨーロッパの侵略から身を守ったアフリカの国
アドゥワの戦い[1896年]

29.因縁を超えられるか? 第一次世界大戦、ドイツの戦い
タンネンベルクの戦い [1914年]

30.100万人の兵士を動員した史上最大の作戦
ノルマンディー上陸作戦 [1944年]

『胸アツ戦略図鑑 逆転の戦いから学ぶビジネス教養』(→amazon

著者:齊藤颯人
監修:本郷和人・本村凌二
表紙:長野剛

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