坂東武士の鑑

畠山重忠と和田義盛/国立国会図書館蔵

源平・鎌倉・室町

坂東武士の鑑とは一体どんな武士なのか?畠山重忠がなぜその代表とされたのか?

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イケボでハキハキと話す

『鎌倉殿の13人』の序盤に出てきた罵倒合戦を覚えていらっしゃいますか?

【石橋山の戦い】において、北条時政大庭景親が、戦う前に口頭でけなし合う……というもんですが、単なる口喧嘩ではありませんでした。

天が納得する声を出し、語ることができるかどうか。

そんな信仰的な意味合いもあった。

説得力のある声で、冷静に語る誰かがいる。それだけでもう、中世の人々はうっとりします。

「すげーぜ、これはきっと天に認められってことなんだな!」

そう思う傾向は坂東の方が強かったとも思えます。

源氏物語』の絵巻と、武士を描いた絵巻を見ると、写実性に違いがあります。

貴族を描いた絵が、様式美に沿ったもので没個性であるのに対し、武士の絵はディテールが細かく、息遣いも蘇ってくるような生々しさがあります。

身体が資本の武士だけに、執着の度合いが戦ったのでしょう。

鎌倉美術を代表する運慶の作品が、ああも写実的であることにも納得ができます。

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そんな坂東武士の世界で美しい肉体と声を持つ誰かがいれば、それだけで圧倒的に尊い。

演じる中川大志さんは鍛錬を重ね、発声も工夫し、重厚な声を出す工夫がみられます。素晴らしい役作りです。

 


教養があり 勉強熱心

『鎌倉殿の13人』では、「武衛」という言葉が注目を集めます。

三浦義村上総広常に対し、「武衛というのは唐(から)で親しい仲間を指す言葉である」と嘘を教えました。

これを信じた広常は、頼朝に親しみを込めて「武衛」と呼びかけるのです。

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義村が嘘を教えたとき、重忠は武衛本来の意味を知っているため、訝しんでいました。

この描写からは、義村と重忠に漢籍知識があることがわかります。

重忠は賢い人物でした。

京都から大江広元らを迎え、鎌倉に住む武士たちの知性は上がってゆきます。

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それに先んじて基礎的な教養があったのが、重忠という描き方であったと言えます。

 


信心深い

『鎌倉殿の13人』の【壇ノ浦の戦い】では、重忠は抱かれて水に飛び込む安徳天皇をみて、合掌していました。

全員が彼のように反応したわけではありません。

信心深さがみてとれました。

武士は暴力を為すものとされます。

しかし、平然と人を傷つけ、殺していけるわけでもない。

京都の貴族たちとは異なり、穢れや怨霊が怖いとだけ言っていればよいものではない。

だからといって、殺すことに馴染みきるわけでもありません。

戦乱の中、武士は深い憂鬱に沈んでゆきます。

そんな武士の心を救うものは、仏の教えでした。

手にかけた相手を供養し、せめてもの冥福を祈る。そのことで己の魂を救うこともできるはずだ。そう願い、武士は熱心に仏に手を合わせるようになります。

鎌倉には大仏をはじめ、仏教関連のものが実に多く残されています。

それまでは弓矢を持ち、武芸を競っていた坂東武士たちは、もはや武芸だけでは認められなくなっていったのです。

仏事をいかに行い、信仰を深めてゆくか。それが武士としての規範となりました。

重忠はそんな時代にふさわしい信仰心を見せています。

彼のような人物が合掌する姿をみれば、周囲はなんと立派なのかと感心したことでしょう。

 

時代を先んじつつ普遍的な智仁勇

坂東武士とは何を理想としていたのか?

これは難問です。

京都にいた王朝時代の人々とも違う。

「わびさび」のような日本人らしさもまだ芽生えていない。

殺人や暴力に対する感覚も異なる。

美女を求める心がないわけではないけれど、大っぴらにしたら軽んじられてしまう。

武士の集団という組織がまだ固まっているわけでもなく、学校すらない。

畠山重忠にせよ、後世からすると批判されるようなことをしています。

源頼朝が挙兵したとき、平家方についた。

おまけに祖父にあたる三浦義明を攻め滅ぼしている。

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忠義がない。祖先を敬う気持ちもない。この男がなぜ理想的な人物とされるのか?

わからないからこそ、探る過程が必要です。

戦うことを使命とし、だからこそ無駄な殺生は遠ざけたい。

どうしてもやむを得ない時にしか血を流したくない。

そんな坂東武士の姿は荒削りであるからこそ、独特の魅力があります。

演技で見せるとなると、水際だった美貌と美声、鍛錬、真剣に役に取り組む姿勢が重視されます。

大河ドラマは特別とされるドラマ枠です。

そんな中でもとびきり難しく、挑む価値のある役に、中川大志さんが選ばれました。

普遍的な魅力があるからこそ、『鎌倉殿の13人』の畠山重忠の魅力はそのまま受け止めてよいものだとも思えます。

きっと当時の人々も、美しく凛々しい坂東武士である重忠を讃えていたのでしょう。


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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
五味文彦『殺生と信仰――武士を探る』(→amazon
五味文彦『中世の身体』(→amazon
細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』(→amazon
細川重男『論考 日本中世史』(→amazon
蔵持重裕『声と顔の中世史: 戦さと訴訟の場景より』(→amazon
伊藤一美『鎌倉の謎を解く』(→amazon

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