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【後白河法皇のぶっ飛んだ遊び】
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火打角合(ひうちつのあわせ)
だんだん、シーシェパードからクレームが来そうですが、治承二年(1178年)6月19日に行われた「火打角合」は、牛の角を集めてその優劣を競うというものです。
これには普段から遊んでいる近臣や公卿・殿上人といったお偉いさんばかりではなく、僧侶や北面下郎(警備員の武士)までも集められました。
貴族たちは銀で作った砂の海に、銀細工の船を浮かべ、また北面下郎は厨子(両開きの仏壇みたいなもの)に銀の手箱をおいて、それぞれに牛の角を収めたと『山槐記』に見えます。
豪華極まりない趣向ですが、これを用意するための資金や時間をとられた人々はえらい迷惑です。
全国の荘園から集められた無数の角から「下品」なものは打ち捨てられたといいます。
生きた牛から角を切り落とすという行為は、当時でも強い抵抗があったらしく、こんなことをして「罪業の因縁だ」という批判もありました。
が、後白河院にとってはそんなことはどうでもよいこと。
周りの批判なんてお構いなしです。
他にもいろいろありますが、ここらへんにしておきますので参考文献をご確認いただければと存じます。
強い反発をうけても「他人のことは知ったこっちゃない」がモットーの後白河にとっては、面白ければなんでもいいんだよ! てな感じだったのかもしれません。
得てして、そういう人が歴史に名を残すのですね。
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【参考文献】
遠藤基郎『日本史リブレット 後白河上皇 中世を招いた奇妙な「暗主」』(→amazon)
棚橋光男『後白河法皇』(→amazon)