源内の死から三年目、冬の夜――田沼意知は蝦夷上知計画の仲間に蔦屋重三郎を引き込もうと誘いをかけてきます。
「お断りします。手前のことで手いっぱいなんで」
蔦重はキッパリと断ります。
九郎助稲荷が映りますが、あの饒舌な狐も沈黙したまま……。
「そうか。気が変わったら言ってくれ。それからこの話は他言無用で頼む。花魁のためにもな」
そう言い残して去ってゆく意知。
蔦重は「花魁のため」という言葉に引っかかっているようです。
この冒頭の場面は実に美しい。
傘の紙と骨の透き通った質感。蔦重と意知の横顔を照らす光。まるで絵が動いているような美がそこにはあるのでした。
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抜荷で企む大文字屋の二人
蔦重は思い出しています。誰袖が抜荷のことを聞いていたことを。
しかし、本人に確認しても、ぬけぬけと「手すさびに青本を」というばかりです。
蔦重は「田沼意知様と何をしているのか?」と言い出そうとして、慌てて「花雲助」と言い換えます。
蔦重がヤベエと気づいたのは、相手の身元を知っているってこともあるんですね。誰袖は「ここですることなんて一つしかありんせんよ」とすっとぼけておりやすが。
「カボチャに言う!」
誰袖に話しても埒が明かないと悟ったのか。蔦重は大文字屋に話を打ち明けようとすると、そのカボチャが「花魁!」と叫びながら走ってきました。
「“ぬクけケにキ”のカラクリ考えてみたんだがよ!」
何やら暗号で語る大文字屋ですが、蔦重のように答えがわかっていればすぐに見抜けるものですね。
呑気に「抜荷」なんて言っている場合かと、さすがに呆れ返る蔦重。
相当きな臭い話で、下手すりゃ血も流れると大文字屋を諭すのですが……。
「どんだけうまい話だと思ってんだよ! 花魁があのお方に身請けされりゃ、おめえどんだけ金入って、どんだけ名があがるか!」
おぉ~、いかにもボンボンぽかった二代目が、初代のようながめつさを見せつけて来やがりました。

『近世商賈尽狂歌合』に描かれた大文字屋/国立国会図書館蔵
こりゃ先代の、誰袖を蔦重に見受けされる遺言状なんざ、ケツ拭いて捨てちまったんじゃねえの。親孝行の概念すらすっとばしてこその忘八だもんな。
すると本人もハッとして、穏やかな笑みを浮かべて言います。
「こんなうまい話、逃せるかってんだよ……」
取らぬ狸の皮算用をする誰袖と大文字屋に呆れつつ、蔦重は去ってゆきます。
どうにも危ねえな。駿河屋なんてむしろ揉め事にゃあ慎重で、唐丸だった男を吉原に引き取ることすら嫌がっていたじゃねえすか。
初代だったらこんな危ねえ船に乗らなかった気がするけどね。武士と吉原が揉めると色々面倒ですからねえ。
蝦夷地とオロシャに行ってみてえもんだ
蔦重は須原屋に向かい、四方赤良『万連狂歌集』100部を受け取っています。
なんでも横流しなんだそうで、「抜荷」みてえなもんだから、店先では捌けないそうです。
あの人格者である須原屋も、危ねえことをしてるとわかりますわな。
「抜荷」という言葉に反応したのか、蔦重は須原屋に「蝦夷地のことを知ってます?」と尋ねます。
驚きつつ、どうしてそんなことを尋ねるのか?と聞き返す須原屋に、「青本のネタでさぁ」と誰袖と同じ言い訳をする蔦重。
須原屋は暇かどうか?と確認しながら、何やら地図を取り出してきました。
かなりざっくりしていた三浦庄司のものよりはマシではあるものの、こちらも相当なものですな。しかもこの地図には「オロシャ」まである。
「どんな所か行ってみてえよなぁ」
そう笑い合っていると、蔦重は“印”に気付きます。これは一体なんなんだ?と尋ねると、須原屋はコソコソと耳打ちしてきます。

ゴローニン事件を描いた『俄羅斯人生捕之図』/wikipediaより引用
ヤベエ場面だぜ……こりゃ相当、すごいもんを出して来ちまったな……。
抜荷よりは安全かと思っているかもしれませんが、この地図は幕府からすれば全否定するしかない危険文書ですぜ。
これは日本人の海外認識に関係がある話でして。
当時の日本人は蝦夷地のことをぼんやりとしか認識しておらず、そこの蝦夷(アイヌ)と交易さえすればいいとみなしておりました。
本州の北にでかい島がある。その先のことは認識できていない。
それなのに、デケエ国が蝦夷地のすぐ隣にあるってなったら、どうするのか?という話です。
今からすると信じがたいかもしれませんが、ロシアの存在が意識になかったんですね。
日本人の意識の中に、ヨーロッパがいつ出てくるか?
ファーストインパクトとしては、織田信長のもとにやってきたフロイスらでおなじみのカトリック宣教師になります。
それが布教を禁止され、プロテスタント国であるイギリスとオランダとの交易が始まり、最終的にイギリスとの関係が途絶えてオランダのみとなりました。
オランダは小国ですので、そこまでインパクトはありません。
遠い国からきて、友好的な関係を構築する。相手も目的は東洋との交易を守ることですので、物騒な野心はないわけです。
いわば遠くて無害な存在としてのヨーロッパが日本人の意識の中にありました。
それが結構近くに、やたらとでかい国があって、何かを狙ってきたらどうか……洒落になっておりません。
しかもロシア人としては冒険感覚でもあるので、日本の房総沖あたりにきて「異国を探検したぞ!」というノリなのです。
ここでいったんドラマを振り返ってみましょう。
鳥山検校はじめ、盲人組織である当道座があくどい高利貸しをしていた話がありました。
あれだけ問題のあった金融業でも、神君家康公が認めたとなると迂闊に手出しができなかった。
蝦夷地問題もそうで、家康がなまじ「蝦夷地では松前藩に交易を任せておけばいい」と定義したものだから、なかなか変えることが難しくなっていたのです。
そうはいっても、ロシアからすればそんな事情はお構いなしで、南下してきます。
そこで幕府も対応策を取るわけですが、そんなオロシャについて好奇心旺盛な江戸っ子たちが知りたがったら色々とまずい。
知識は水のように流れまして、女帝による支配なんて興味津々で受け止められたりするわけですな。

ロシアの女帝・エカチェリーナ2世/wikipediaより引用
そういう極めつきの危険情報を、須原屋は扱っているわけでして、これも伏線でしょうか。
幕府も無策ではありませんでしたが、このあと江戸文人のネットワークは止まらなくなります。
その様を実感するべくおすすめしたいのが、幕末の浮世絵です。
京都方面の政治闘争を戯画にして描いているわけですが、どうしてここまで精緻な情勢を掴んでいたのか? それを江戸っ子も理解していたのか?ともかくたまげますぜ。
そういう情報が江戸に流れてゆく様子が可視化されるというのが、本作の凄さだとつくづく感じます。
狂歌本が売れに売れて、蔦重もすっかり有名に
四方赤良こと大田南畝が、扇を差し出すファンに囲まれております。
高き名の ひびきは四方に わき出て
赤良赤良と 子どもまで知る
稲荷が狂歌を詠んでいます。
すると、子どもの一人がこうツッコむ。
「あからなのに、あかくない!」
俺を見て 又うたを よみちらすかと
皆の思はん こともはづかし
即興でそう詠みながら、顔に朱を塗り、おどけてみせる。
天明3年(1783年)、大田南畝が狂歌師・四方赤良として大ブレークしていました。

大田南畝(四方赤良)/国立国会図書館蔵
そして、その勢いに乗ったのが敏腕編集である蔦重です。
熊野屋の宴に向かうと、そこには関取三名がおりました。
「おおっ、これが」
「蔦重!」
「俺も買ったよ!」
幕内力士の若元春関、遠藤関、錦木関が出演しています。嗚呼、なんてえ豪華なんだろう!
力士といやぁ和装で髷も結っているので、いつも通りっちゃそう思えるようで、何かが違いまさぁ。江戸時代のセットの中にいると、本来の彼らの姿があるようで感動します。

勝川春章の相撲絵/wikipediaより引用
力士は江戸っ子にモテる職業であり、皆が憧れる大スターでした。
そんな関取が三名も画面の中にいると実に鮮やかで華があり、これぞまさしく眼福です。
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