べらぼう感想あらすじレビュー

背景は喜多川歌麿『ポッピンを吹く娘』/wikipediaより引用

べらぼう感想あらすじ

『べらぼう』感想あらすじレビュー第31回我が名は天~家治と治済そして新之助

2025/08/21

天明6年(1784年)――利根川が決壊し、天明の洪水が発生しました。

浅間山噴火による火山灰や、河川に流れ込んだ火砕流が起こしたともされております。

いずれにせよ将軍様のお膝元までもが、天災に襲われてしまった。

江戸の市中では、主だった橋が流され、人も家も濁流に流される大惨事。

そんな中、この男は生き生きとした目で歩いております。

「待たせたな、市中!」

長谷川平蔵宣以です。

颯爽と再登場したあの「カモ平」も、今や不惑を超え、脂の乗り切った有能な幕臣となっていました。

さて、この洪水ですが、そもそも江戸は河川が多く、都市化を進める上では“治水”が大きな課題でした。

秀吉にしても「関東平野の統治は楽ではない」と見込んだからこそ、家康の領地としたといえなくもありません。

『どうする家康』では治水に関する苦労も描かれるのかと期待していましたが、そうした描写はありませんでした。

終わったことを蒸し返しても仕方ないことですが、内政の手腕も見たかったものです。

 


大洪水が江戸を襲った

耕書堂では、当時の江戸っ子の防災対策が行われていました。

蔦重は裕福な商家であり、人員も確保できるので随分マシ。

江戸は地震や火事が多く、時代を問わず常に儲けが出るのは、大工はじめとする建築業でした。

それだけ家が台無しになってしまい、建て替える頻度が高かったということです。

幕末の来日外国人は木と紙でできた家屋に驚いたものですが、天災が頻発する江戸ならではの事情がありました。

そのことを踏まえると、東京近郊の不動産に高値がつくってェなァ、あっしにゃ、どうにも異常なことに思えんでさ。

江戸時代は日本の本質が見えてくる――そこを学んでいかねえと歴史を教訓にできねえんじゃねえですか。

さて、雨が降り止み、水は引いたものの、家を失った江戸っ子は多かった。

田沼意次は「お救小屋」の設置を家治に報告しています。

田沼意次/wikipediaより引用

握り飯、ろうそく、塩、飲み水の手配、仮小屋普請も指図したとのことです。

家治は米価はじめとする物価高騰を気にかけています。

米価だけでなく、材木、船賃等の値上げも禁じる触れを出したと、先回りした配慮を報告する意次。とはいえ効果がどれほどあるか、心配な様子です。

「ともかく、市中の暮らしを第一に」

家治はそう力強く言い切り、同時に、よろめいてしまいます。なんでも長雨で風邪でも引いたのか、体が重いそうです。

 


醍醐作りを知保に勧める大崎

知保も家治を気遣い、大崎に滋養のあるものを贈りたいと相談しています。

大崎は、一瞬考え込むと微笑みながら提案します。

「醍醐(だいご)などはいかがでしょうか?」

醍醐とは、牛乳を加工した菓子です。

そんなものが江戸時代にあるのか?……というと、ないわけではありません。

日本とは中国はじめ海外からの影響を絶えず受け、歴史が成立しております。

醍醐がはじめに伝わったころのロールモデルは、唐でした。唐は遊牧民の影響が強い文化であり、乳製品も広く摂取していたのですね。

しかし、このあと日本では遣唐使も廃止され、仏教が隆盛。

牛乳はおろか卵までもが禁忌とされることになります。

江戸と違って魚も取れない京都では、栄養バランスが崩壊し、平安貴族の寿命は極端に短くなったものでした。『光る君へ』でも夭折する登場人物が多かったものです。

そんな日本の食文化に、なぜ醍醐が再登場するのか?

8代将軍・徳川吉宗は栄養補給の一環として、乳牛飼育を実施し、醍醐も口にするようになりました。

吉宗の孫である家治にとっては、偉大なる祖父への敬愛がこもった菓子となるわけです。

しかし、食の安全という観点からすると……これは後ほど触れましょう。

 

長屋も洪水に襲われた

耕書堂には北尾政演と唐来三和がやってきて、飯を食いながら馬鹿話をしています。

政演曰く、「姐さんと仲良くしけ込んでましたら、そこに流された船がど〜んと!」とのこと。

川の多い江戸では猪牙舟を浮かべて遊ぶことがあるものです。ありえる笑い話ってなことでしょう。

三和曰く「うちなんか生き別れた女房が流れてきてよ! 俺の顔見たら、ものすごい速さで泳いで逃げやがった!」とのこと。

こうやっておもしろおかしく笑い飛ばすことが、戯作者のセンスってヤツなんでしょうな。

歌麿も蔦重に助けを借りにきています。鳥山石燕の家は平屋で大損害を受けたそうです。幸い人的被害はなかったとか。

吉原は床上に少し水が入った程度で、皆無事でした。

ただ、志水燕十が顔を見せないと心配する蔦重。歌麿はどこかの賭場に入り浸っているだけだろうと軽く返します。

何もないのであれば、名前を出さなくともよい気がしますが、今後どうなるのか……。

蔦重は、深川の新之助の元に行くと歌麿に告げます。と、ていが夫を呼び止め、ふくのためのものを手渡す。

そんな蔦重とていの夫婦を、歌麿はじっと見ております。

今までは、てい相手に何か劣等感や敗北感がかすかにあったようですが、夫婦というものの価値を品定めしているように思えます。

新之助とふくは、長屋の片付けをしていました。比較的被害が少ない長屋には、他の場所からのものや流民も流れこみ、身を寄せ合っています。

「新さん! おふくさんも、ご機嫌どうで有馬の大入道」

そう蔦重が入ってきました。家にあがると、まず、ていが縫った子ども服をふくに渡しています。夫妻の子である“とよ坊”が気になってならないそうです。

さらに蔦重は、袋に入れた米を「気休めにしかならねえけど」と渡します。驚く新之助。

「新さんにじゃねえよ、おふくさんに。おふくさんが食わねえととよ坊が干上がっちまうだろ」

「ほんに、まぁ、ありがたいよ」

「まこと、かたじけない」

そう礼を言う妻と夫。新さんは武家育ちが抜けてねえな。

ただ、皆に配るほどはないため「お口巾着で」と念押しする蔦重に、「決まり巾着」と新之助も返します。

蔦重はこのあと、新之助に「筆耕」(清書)の仕事も渡しています。

新之助は原稿を見て、往来物ならば今出さずともよいのではないかと不思議がっている。

蔦重は往来物はいつでも出せる、板を作れると言います。そんな契約を結んでましたもんね。流行り廃りがない定番ものを、困窮する新さんに回す蔦重は優しい。

すると、長七という男が、山本町の旦那衆がタダで味噌を下さる、寺で配ると呼びにきました。

 


市中を見回る長谷川平蔵

配布所では「米がねえのか!」「この子に死ねってのか!」という江戸っ子の怒号が聞こえてきます。

ものを配られておきながらガラが悪いと思うかもしんねえけど、江戸っ子なんてこんなもんよ。

蔦重は門前に佇む笠を被った武士に気付きます。

長谷川平蔵じゃねえか!

蔦重に「文無しになったのか?」と気にかけているところが、いいヤツですね。そうではなく届け物の帰りだと返す蔦重。

近況を聞かれた平蔵は「御先手弓頭」になったと顎をあげ、得意げに言います。

これがなかなか重要でして。御先手弓頭とは番方(武官)の要職で、火付盗賊改方に就任する上で必要なルートなんですな。

一足飛びで「次はいよいよ奉行か、ってことでな」と得意がっておりますね。

ちなみにこの長谷川平蔵は、火付盗賊改として大人気となり、奉行になって欲しいと江戸っ子たちも願ったモンですが、そうなる前に急死しちまいます。随分と先の話ですが。

さて、平蔵はどこまで出世を意識しているのか。それとも市中大好きなのかは知りやせんが、連日見回りを欠かせねえそうです。

「ところで、日本橋は大丈夫か? 盗みや押し込みも増えておるゆえ、何かあったらすぐ申せよ」

ちゃんと職業意識を見せ、防犯警告をする平蔵。

これを聞き、蔦重はご公儀のお救い米がもう出せないのかと気付き、驚いています。

「とりあえず、出せるものは出してしまったのではないかの。大水の手当てで不振もあるし、物入りでもあるし」

そう返すしかない平蔵。さらにはこうきたぜ。

「もはや、裕福な町方の助けが頼りだ」

確かにそれが江戸統治の本質でさ。

町方は年貢はないぶん、街の治安や統治に協力します。火消しがそのわかりやすい一例ですね。

味噌を配っているという「山本町の旦那衆」も、そうした裕福な町方による助けとなります。

こういう民間による援助に頼り切らず、医療、福祉、防災、通信を国家が担うことが近現代の国家であることを頭の隅にでも入れておきやしょう。なんでも民営化ってぇナァ、時代に逆行することでもあんのさ。

さて、ここで平蔵の仲間である磯八と仙太が、向こうで喧嘩だと訴えてきます。平蔵は爽やかな笑顔を見せ、スタスタと駆け去ってゆく。

何気ない場面だし、平蔵が実によい味を出しておりやすが、当時の社会構造をコンパクトに説明する秀逸な場面だと思います。

 

「貸金会所令」は最悪のタイミングで出てしまった

平蔵の言葉に感銘を受けたのか。

蔦重は彼を見送ると何か合点のいったような顔になります。

そして地本問屋の集まりで「お救いをしよう」と提案しました。

が、通油町は厳しいとそっけなく返されます。

自分たちだけで手一杯。町の普請(インフラ整備)もやらねばならないとぼやかれる始末です。

なんでも材木も、普請(工事)の手間賃(人件費)も跳ね上がって大変なんだとか。

蔦重が、値上げ禁止のお触れが出たはずだと不思議がりますが、実質的に効き目はないそうで。米、紙、墨、板、絵の具も値上げラッシュがくると予測されています。

「どっかから、金降ってきませんかね?」

そうぼやく蔦重。

「どうやらお上もそう思ってるようですよ」

そう返す鶴屋喜右衛門は淡々とした口調ながら、怒りと軽蔑が込められています。

懐から出してきたのは田沼意次の経済政策「貸金会所令」、タイミング悪く、このときに出されてしまいました。

復興増税にしか見えませんわな。

お救い米もろくに出さねえくせに増税か――江戸っ子の怒りは膨れがあってゆく。

お上には血も涙もない。その金でてめえらの屋敷でも直すって話……と、流言飛語は広まるばかり。

「お上ってのは私たちも生きてるとは考えないのかね」

ふくもそうこぼしています。

貸金会所令はあらゆるところで誤解を呼び、田沼意次にとって致命的な逆風となってしまいました。

ちなみにこれを提案したのは三浦庄司です。

彼が一橋治済のスパイという説もSNSでは飛び交っているようですが、私としては意図してではなく、結果的に失敗となり、田沼意次の失脚を加速させてしまっただけだと思います。

これを受け、松平定信が田沼意次に諫言をするために向かってゆきます。

背後には「黒ごまむすびの会」の連中。

定信は「溜間(たまりのま)、帝鑑間(ていかんのま)よりお願い申し上げる」と言います。江戸城の特定大名が詰める場所であり、諸大名を代表して幕政に物申すということです。

意見とは、貸金会所令の取り消しでした。意次が歯切れ悪く説明をしようとするも、それに被せて定信はこう言います。

「以前にも申したが、諸国の民は飢饉を乗り越えたばかり。市中も此度の大水で困り果てておる。その者らより取り立てた金で我が身を凌ぐなど、末代までの恥さらし! 武士の風上にも置けぬ。将軍家にお仕えする身とし、取り下げとするまで一歩も引かぬ覚悟」

きっぱりと、長いセリフを言いきる井上祐貴さんが素晴らしい。

さしもの意次もこう返すしかありません。

「然様な無分別なお振る舞い、とても越中守様のなさることとは思われませぬが……是が非かの御裁可を下さるのは上様。決められたのは上様にございますぞ!」

「窮すれば上様を持ち出す。虎の威を借る狐とはそなたのことだ」

反論の余地のないことを言い返す定信。これは理詰めで返せない意次も悪い。

窮した結果、「月次御礼(つきなみおんれい)」の席で上様に直にご意向を伺うのはどうかと返すしかありません。結局、虎の威を借るとみなされても致し方ない態度ですね。

「ならぬ。甘言を弄し、上様を籠絡するつもりであろう。今、ここで返事をせよ」

「……上様のご意向なき我らの返答など、何の値打ちもござらん」

「今ここで返事をせよ」

定信は何度も迫ってきます。

意次はもう終わったかもしれません。もしもここで、虎の威ではないものを持ち出せたら話は違います。以前は意次に味方したはずの松平康福も、水野忠友も、黙ったままではありませんか。

ただし、その場は、意次の粘り勝ちだったのか。定信は、月次御礼で決定になったと一橋治済に報告しています。

定信は意気軒昂で「あたう限りの大名から取りやめの嘆願を集め、上様に申し上げる次第」と言い切ります。そのためには一橋様から一筆いただきたいのだとか。

「然様なことはせずとも、天は見ておられようぞ。正しき者は誰か」

定信に対し、治済は背を向けて庭を見ながらそう言い、ニッと快心の笑みを浮かべます。

治済は、知保が作ったという醍醐を差し出されて、驚いています。

滋養のつくものと思ったものの、随分回復したため無用ですねと逡巡している知保。それでも家治は素直に喜んでいます。

「醍醐……父上もよく食しておられた」

前述した通り、吉宗、家重、そして家治へ繋がれた味ということです。

その頃は田安家が作り納めていたので、越中守(田安家出身の松平定信)から作り方をお教え願ったと知保は告げています。

家治は迷い、こう言います。

「ああ……しかし、食べつけぬものは体に障ってしまうこともあるからのう。そうなればまた医師を案じさせることにもなるだろうし」

すると、すかさず大崎が、家治の優しさにつけこんだことを言い出します。

「田安は取り潰しが決まっております。何卒一口でも、お召し上がりいただければと越中守様も仰せにございました」

「そうであったな。では、毒味を……」

家治がそう答えると、大崎が毒味のため醍醐を持ち去るのでした。

 

地べたから見た浮世とは

蔦重は深川の長屋で、新之助に「貸金会所令」の意図を説明しています。

実はよくできた仕組みだというわけですが、新之助は懐疑的。

仕組みはよくとも、金が戻ってくるかどうかわからないと新之助は反論します。

蔦重も、その怒りはもっともだと前置きして続けます。取られるのは家主だけで、新さんたちは取られない。そう言われて新之助は驚いている。

「その辺もちゃんと考えられてる」

笑顔になる蔦重に、冷や水を浴びせるような言葉が、縁側に座り背を向けているふくの口から出ます。

「蔦重は相変わらず田沼贔屓だね。考えているふりをしてるだけさ。だって家主は金を出せと言われたら店賃を上げるさ。米屋は米の値を上げるし。油屋は油の値を上げる。庄屋は水呑百姓(みずのみひゃくしょう、土地や年貢賦役を持たぬ貧農)からもっと米を取る。吉原は女郎からの取り分を増やすだろうね。つまるところツケを回されるのは、私らみたいな地べたを這いつくばってるやつ。世話になってる身で偉そうで悪いけど、それが私が見てきた浮世ってやつなんだよ、蔦重」

抱いたとよ坊をあやしながらそう言うふくに、蔦重は言葉を失うしかありません。

するとそこへ泣く赤ん坊を抱えた二組の母子がきます。彼女は、実の子だけでなく、近隣の子にも乳を与えていたのです。

「くたびれねえんですかね、あっちこっちに乳やって」

蔦重は、よし坊を抱いた新之助と外に出てそうつぶやきます。

「うちは蔦重のおかげで少しばかりいい目を見させてもらっているからと言っていた。私は人に身を出し出すのには慣れているから、とも」

「……何も言えねえです、俺」

「俺もだ」

ふくの身の上をふまえた言葉を知り、男二人は言葉を失っております。

困った時はお互い様――ふくは周囲に慈悲を分け与えているのでした。

吉原の遊女は歌舞音曲に秀でた天女にたとえられます。その天女であったうつせみは、貧乏長屋のふくとして観音菩薩になったように思えます。

月岡芳年『月百姿 南海月』/wikipediaより引用

 

家治の身に異変が

江戸城では、家治が月次御礼に欠席するという異常状態が発生していました。

松平定信に与する者たちはこれでは訴えられぬと失望しています。

「もしや謀ったか?」

定信は意次へ疑いの目を向ける。

史実の松平定信も、江戸時代の政治家ではワーストクラスの猜疑心を持っていました。一足飛びにこうなるところが、実に彼らしい。

松平定信/wikipediaより引用

しかし意次も冴えない顔色をしていました。松平康福が「何か聞いているか?」と確認するも、意次も大水の件にかかりきりで把握していない様子。

するとようやく定信は、意次にとっても想定外だと確認できたようです。

一橋治済は水を打ったような静かな顔をしている。

稲葉正明が、意次をそっと廊下へ連れ出しました。

なんでも昨日夜半から家治は腹痛とのこと。食あたりではなく、毒味役は無事とのこと。

医師の診断では、体調不良のためいつもならば大丈夫なものに当たったのだろうとのことです。

するとそこへ医師が出てきて、家治のお召しだと告げます。

「醍醐を食された?」

驚いて返す意次。

家治は脇息に寄りかかり、黒ずんだ顔色をしています。

事件をまとめましょう。

・越中(松平定信)の指南

・知保が、大奥で手作りした

知保は、家基を殺したのは意次だと疑ったことがある。

定信は、意次を「虎の威を借る狐」と罵倒した。狐を倒すため、虎である家治を倒そうとしたということか……と、動機はある。

醍醐と聞いて意次は驚いたことも、腑に落ちます。

毒殺は、臭いや癖が強く、かつ食べ慣れないものに混ぜた方が気づかれにくい。往年のミステリでは毒殺といえばカレーあたりに入れることが定番でしたね。

こうした条件を考慮しながら「家治は毒を盛られた」と疑っています。しかし、それを表に出せないことが“その者”の狙いだと意次は察しております。

“その者”とは……涼しい顔でいる一橋治済ですね。

意次は、さすがに怒りを隠せません。

「何故かような無益なことを繰り返すのか!」

「あやつは……天になりたいのよ。あやつは人の命運を操り、将軍の座を決する、天になりたいのだ……そうすることで、将軍などさほどのものではないと、あざ笑いたいのであろう。将軍の控えに生まれついた、あの者なりの復讐であるのかもしれぬな……」

そう苦しげに語る家治です。

しかし優しい彼は、知保が絡んでいるからには奥医師に真相を告げられません。そこで毒おろし(解毒)が得意な医師の手配を意次に依頼します。

史実でも、家治が病床に就いた際、意次は御殿医以外の者をつけました。それを織り込んだ展開ですね。

一方、知保は、家治の具合が悪いことを大崎から聞いて動揺しています。

自らが手がけた醍醐のせいか?

思わずそう口走ると、大崎が強く嗜めます。もしもそうなれば、醍醐作りに関わった者の首がいくつ飛ぶかわからぬ。そうキッパリと断言します。

大奥で作ったということも重要です。

江戸時代を通してみると大奥で怪事件がなかったわけでもありませんが、曖昧なまま葬られています。権力ゆえにそうできたのでしょう。

そう言われると、ずっと大奥にいた知保も何もいえぬと理解してしまいます。

ただ震えるしかない知保を力づける大崎。

「大事のうございます。私がお守りいたしますゆえ」

そう優しく微笑みつつ、目がすっと冷たくなる大崎。

これは浮世絵で見た顔だ。そう毎回思わされる、それがこのドラマです。

月岡芳年『新形三十六怪撰 那須野原殺生石之図』/wikipediaより引用

まさしくこの秋の霜のような冷たい眼光を持つ美女が、妖怪画等で描かれてきたものです。妖女の眼差しがそこにはありました。

 

保身をはかる田沼派老中たち

家治はそんな冷たい悪意により、苦しみ抜くしかなく、知保は祈るしかない。

一方、松平康福と水野忠友はまだ立ち回らねばなりません。

康福は今回の件を、大奥からの訴えとして、「主殿頭が医師を変えたため」ということにしようとしております。

忠友は反論するどころか、替えた医師に毒を盛らせたという噂を言いだす始末。

風向きはもう変わったと踏まえ、康福も含みを持たせて言います。

「……もはや我らも、“土産”は考えた方がよいかもしれぬな」

「土産?」

「土産がなくば、我らも一蓮托生となろう」

要するに、次の権力者が喜びそうなことを考え、それを差し出しつつ保身を図るということですね。

なかなか高度で難易度の高い脚本になってきました。同じチームの『麒麟がくる』でも感じたことですが、作り手は難易度を上げることをおそれていない。良い傾向ではないでしょうか。

再来年『逆賊の幕臣』の予習にもなりますが、この“土産”のことでも。

主人公である小栗忠順はじめ、明治維新の犠牲者は往々にしてこの“土産”により命を落とすなり、失脚したものもいました。

武士は忠義だのなんだの言われる一方、寄らば大樹の陰とばかりに、保身を図る連中も少なくない。幕末から維新への流れなぞ、そうそう綺麗事ではありません。

討幕を志しながら保身のため一橋慶喜に仕えた渋沢栄一のことを、小栗忠順はきっちり見抜いて毒を吐いていました。

かくして意次は罪を背負わされ、目通りすら禁じられました。

康福が、意次推挙の医師のせいで具合が悪くなったと告げると、意次は愕然とします。

すでに康福の中で筋書きは決まっていて、意次を冷遇すればするほど得点はあがるわけで、医師が悪いの一点張り。もう登城させられないと言い切ります。

意次はなおも食い下がり、家治の具合を聞き出そうとします。

「のう、主殿頭。ここはひとつ、自ら退くことを考えてはどうじゃ? その方がまだそなたの負う傷も浅く済もう。自ら退く覚悟を見せれば毒を盛った疑いも晴れようというもの」

「上様に毒を盛る理由が、この私のどこに! 上様だけが頼りのこの私のどこに!」

意次は怒りを滲ませてそう反論します。確かに家治を排除する理由など一切ありません。

「そなたのために言うておる! 自ら退いた方が家も禄も守れよう。このままでは全てを失いかねないぞ」

康福は老獪、分福茶釜じみた顔でそう噛んで含めるように言います。

月岡芳年画『新形三十六怪撰 茂林寺の文福茶釜』/wikipediaより引用

確かに田沼家はこの後も存続しています。水野忠友の娘を妻とした意次四男・田沼意正の代には相良藩主に復帰し、側用人にも取り立てられました。

実は田沼氏の没落はそこまで酷いといえなくもない。意次の政治方針が覆されたことは大きな痛手ですが、これも完全否定できたとも言い切れません。

そんな先のことはさておき、ドラマに戻りまして。

 

田沼意次は去るほかない

意次が自邸に戻ると、水野忠友が来訪し、政策の頓挫を伝えてきます。

御貸付金会所と印旛沼干拓は中止。遠からず蝦夷についてもそうなるであろうとのことです。

平秩東作が命懸けで守ったものは何だったのか?そう思われる方も多いでしょうが、まったくその通りでして、蝦夷地報告書の受領すら拒否される事態に陥ります。

意次は静かに、家治の具合を聞きます。忠友は変わりなく息災だと返します。

意次は立ち上がると、もう一度「上様のお加減は?」と聞き直します。黙したままの忠友の前に、意次は老中の職を退く書状を置きます。

「老中の職、上様にお返し致す」

そう告げると、意次は去ってゆくのでした。

なぜこの忠友は将軍の具合を言わないか?

当時は、将軍や幕府要職の死は公表せず、準備が済むまで重病扱いにすることが慣習としてありました。

実際には亡くなりそう、あるいは亡くなっていても、側にいなければ伝わらないのです。

といっても、それを察知して茶化すのが江戸っ子の密かな楽しみではあるのですが……。

幕末大河でもおなじみの桜田門外の変は、配達中の仕出し屋・嶋村も事件に巻き込まれ、あっという間に噂になりました。

「桜田門外の変」/Wikipediaより引用

首と胴が離れているのに病死扱いとされるシュールさを、江戸っ子がネタにしないわけにはいかない。

今回も洪水ネタで戯作者がふざけておりましたが、井伊大老暗殺も狂歌のネタとしては旬で最高であり、ふざけた狂歌がバンバン出回ったものです。

ちなみに小栗忠順ら万延遣米使節団は、帰路で「タイクーン(将軍)が暗殺された」という不確かな情報を耳にして焦っています。

実際はタイクーンでなく井伊大老であったわけですが、帰国したら自分の上司が殺されていた小栗忠順は本当に大変なことになりました。再来年の放送を待ちましょう。

そして小栗こそ、田沼意次の貸付金会所頓挫に対して最も眉を顰めていてもおかしくはない人物です。

彼は近代化のために金策、金策、金策の日々でした。

「カネがない……」

小栗はそう頭を悩ませてばかりであったとか。

金融重視の田沼政策が実現できていたら、彼はどれほど助かったのか。今年の大河は再来年と接続する部分が実に多い。

『3ヶ月でマスターする江戸時代』の再放送も期待したいですね。

そしてもうひとつ、田沼意次の行政手腕について。

江戸の災害対策や全国規模での政策は失敗していますが、相模の自領では洪水対策がきめ細やかで領民は安堵していました。

後に幕領とされるとなると、領民は駕籠訴までして田沼による政治を望んだのだとか。

田沼意次にせよ、松平定信にせよ、基本的な行政能力は高かったのですね。

 

天は見ている

そして天明6年(1786年)8月――家治はとうとう今際の際を迎えていました。

枕頭には西の丸こと徳川家斉が控えています。前髪は落としているものの、まだ幼い少年です。

「西の丸……もう……時もなさそうじゃ。故に大事なことを一つだけ……田沼主殿頭は……まとうどの者である。臣下には正直な者を重用せよ。正直な者は……世のありのままを口にする……それが……たとえ我らにとり、不都合なことでも……政においてそれはひどく大事なことだ」

「はい、父上様」

そう答える西の丸は果たして理解できているのかどうか。

「長生き一つできぬ、不甲斐ない父ですまぬな……」

家斉の背後に、実父の一橋治済が映り込むのがなんとも皮肉なこと。

徳川治済(一橋治済)/wikipediaより引用

朝から魚や生卵などを口にし、とにかく身体頑健であった治済。そんな彼の子である家斉も長寿であり、かつなかなか政権を手放さず「大御所時代」と呼ばれる長い統治を行うこととなります。

「家基! うぅ……家基……」

突如、我が子の名を呼ぶ家治。

病床から這い出し、家斉を超えると、治済のもとへ這ってゆきます。

「家基……悪いのは父だ……全て、そなたの父だ……よいか……天は見ておるぞ! 天は、天の名を騙るおごりを許さぬ! これからは余も天の一部となる……余が見ておることをゆめゆめ忘るるな!」

治済に掴みかかりながらそう言うと、倒れ込み、動きが止まります。

「いまのは?」

そう問われた治済はこう返します。

「西の丸様と、家基様を間違えておられた。はあ……おいたわしや。もはや夢と現もお分かりにならぬように……」

こうして家治は命を終えました。

治済は我が子に向き合い、こう言います。

「西の丸様、上様には及びませぬが、これからはこの父が、西の丸様をお支え申し上げます。どうぞご案じなく」

家治の死を、意次は目にすることはありません。家で将棋盤に向かっています。

今後のことを踏まえますと、このシーンもなかなか示唆的でして。

涼しい顔をしつつ、治済は家治を教訓にした生き方を我が子に押し付けます。

滋養強壮に気をつけるまではよいにせよ、家治のように男子一人しか儲けられぬとなると問題。

そこで、ともかく子作りをせよと吹き込むのです。

家斉はそれこそ現代版枕絵のような映像作品にもしばしば登場させられたものですが、毒親による子作り促進というおそろしい目にあったからこそ、そうなってしまった一面がありました。

そして大勢の子ができた結果、幕府財政はますます逼迫。

将軍の子のために官位を与えようとしたものだから、結果的に天皇の地位も上昇するという事態を巻き起します。

その家斉は、家基の墓参りを欠かさず、祟りを恐れていたようでして。

ドラマとはいえ一橋治済をこうもあくどく描いて良いのか?そんな疑念を抱く方もいるでしょうが、このくらい猛毒でも適切なのかもしれません。

松平定信の言葉を思い出してみましょう。

田沼意次を、家治という虎の威を借る狐だと喝破しました。

これが家斉の代になると、虎の威を借る者は治済になります。しかも治済は狐どころか、妖怪の類です。そのせいで定信は返り討ちにされるといえなくもない。

治済は天意を気にかけるどころか、当時から「先憂後楽の逆」だと評されています。

よい為政者が「先憂後楽」、つまりは災いを先んじて憂い、禍が過ぎてから楽しむのだとすれば、治済はその逆。

人の苦しみなどどうでもよく、よき為政者たらんとする意思すらないということです。

そんな妖怪の詰まったつづらが開いちまったってことでさ。

月岡芳年『新形三十六怪撰 おもゐつゝら』/wikipediaより引用

そして治済たちにとっては都合の悪い「まとうどの者」が重要というのもその通りでしょう。

これは内政だけでなく外交の問題なのですが、幕府は西洋事情をオランダからのみ仕入れていました。

しかしオランダにしても自国の権益第一で、自身の立場を損ないかねない、都合の悪い情報はなるべく届けたくない。

ナポレオン戦争後の世界史では、オランダというチャンネルだけでは不足します。

これまた田沼意次から松平定信にかけて、ロシアとのチャンネルを確保するまでに至ることができていれば歴史はもっと違ったのでしょうが、そうはなりませんでした。

この妖怪を放ったツケは、くどいようですが小栗忠順らが直面させられることになります。

江戸幕府の引き返せない点は家斉時代にあると言えます。

その前の田沼時代にこそ、歴史を変えるターニングポイントがあったとみなすことは適切ではないでしょうか。

家治の死は、世の節目となるものであり、九郎助稲荷はこう語ります。

その一方、市中の片隅の小さな小さな死――。

 

小さな命が消えた

新之助が「今日はついておったな」と満足げに買い出しをしつつ、家に戻ってきます。

すると啜り泣く声が聞こえてきます。

そこには菰を被せられた何かがあり、女が座り泣いています。

菰をめくった下にあったのは、変わり果てた姿のふくでした。

唇が紫色になり、額には血が滲んでいます。その横には布に包まれた赤子が。

「おふく……とよ坊……おい……ふく、坊! ふく! ふく、おい……ふく! 返事してくれよ、ふく! なあ、ふく! 返事してくれよ、おい、ふく、ふく!」

新之助がはらわたが千切れそうな声でそう呼び、さすっても、ふくは目を閉じたまま動きません。

耕書堂にも、ふくの死が告げられました。

請け人である蔦重が駆けつけると、奉行所の役人も来ています。

新之助が、菰を被せたふくの屍の横にいました。

奉行所の同心が事件の説明をします。空腹ゆえに盗みに入り、争った挙句殺されたのだろうという見立て。手にしているのは凶器と思われる丼です。

すると下手人らしき男が長七によって捕えられ、表に連れられてきます。

「お許しくだせえ! お、お許しくだ……」

そう泣きじゃくる男。新之助は目にカッと怒りの炎を燃やし、男に歩み寄ってゆきます。

「お許しくださいませ〜〜! ああ、あ……おら、あ、おら……」

「わ、わ、私が……あの家には米があるんじゃないかって言っちまったもんで……この人、魔が差しちまって!」

そう男の横で謝る女は、ふくが乳を与えていた赤子の母でした。赤子が、火がついたように泣いています。

「とんでもないことをいたしました!」

「申し訳ございません!」

新之助の顔から怒りは消え、代わりに困惑が滲んできます。

「……この者は俺ではないか。俺は……俺はどこの何に向かって怒ればいいのだ!」

蔦重は目を逸らし呆然とするしかありません。

長屋の者たちが皆、赤子の鳴き声の前で何も言えず黙りこくるしかありませんでした。

妻子を埋めた土饅頭――その前にいる新之助に向かって、蔦重がうちに来ないかと声を掛けています。

長屋にいたら気が塞ぐばかり、体もきついだろうと気遣っているのです。

「もうどこまで逃げても、逃げきれぬ気がする。いや……もはや逃げてはならぬ気もする。この場所から……」

そう決意を語る彼の前には、無数の土饅頭が並んでいるのでした。

 

MVP:天意を知る者

今回は複数名を指名できるのではないかと思います。

一人目は徳川家治です。

徳川家治/wikipediaより引用

田沼路線こそ必要だと勧めた家治は、彼なりに天の声を考え聞いていたと思えます。

死の間際にこれから自身が天の一部となると言いましたが、そんな彼の目に映るのはどんな時代なのか。

天意よりも私利私欲を重んじ、取り返しのつかぬところまで幕政を捻じ曲げてしまうのが一橋治済と徳川家斉の時代です。

そのことでかえって「余とその忠臣こそ、天意を知っていたのだ」と思うのかもしれませんが……。

二人目は、一橋治済です。

徳川治済(一橋治済)/wikipediaより引用

彼の知ってしまった天意は、幕府は滅びるというものかもしれませんが。

徳川家というのは妙な運命を背負っています。

将軍家の血を絶やさぬために設けた御三家と御三卿から取り返しのつかない“やらかし”をするものが出てきます。

前述の通り、家斉は治済の教えを受け、子作りに励みます。

結果、大名家に男子を送り込むことが増大。

なんと、男子なくして当主が夭折した御三家の水戸までその対象となりかけました。そこで亡くなった藩主の弟である徳川斉昭と藩士が大反対運動をして、家斉の子を退けたのです。

徳川斉昭/wikipediaより引用

この徳川斉昭は幕末大河の常連であり『青天を衝け』では竹中直人さんが演じました。

かつて将軍の子に、水戸藩主就任を阻まれかけた斉昭。そんな斉昭にとって、将軍家に我が子を送り込むことは最高の意趣返しといえる。

かくして斉昭も治済と通じる野心を激らせまして、13代将軍・徳川家定に男子ができぬとなったとき、一橋家を継がせていた我が子の慶喜を西の丸に据えようとします。

黒船来航で大変な時期に、一体何を考えていたのか。

斉昭の野心のせいで幕政は混乱に陥り、井伊直弼が凶刃に斃れた桜田門外の変の一因にもなります。しかもその事件は、幕府崩壊へ拍車をかけたものでした。

明治の世になると幕臣たちは「水戸の斉昭と慶喜父子のせいで幕府は滅びた」と苦々しく振り返ったものです。

個人単位で幕政に悪影響を落とした人物ランキングを作るとすれば、島津斉彬や毛利敬親以上に、一橋治済、徳川斉昭、徳川慶喜の上位ランクインは間違いないかと思えます。

斉昭に与した一派は「一橋派」と称され、島津斉彬らも含まれているためか英明な扱いをされていますが、大変な時に私利私欲をゴリ押ししたとんでもない連中と言えます。

再来年の斉昭や慶喜は、今年の治済級の妖怪感ある描写を期待しております。

そして最後は、新之助です。

新之助は田沼政策に理解を示す蔦重の話を、はじめは好意的に受け止めておりました。彼は田沼意次の庇護を受けていた平賀源内の助手を務めており、かつ武士の出身です。当然の反応といえました。

それが地べたから世を見ている、そんな妻であるふくの意見を聞き、迷いが生じます。彼の視点は統治する側から、される側へと、移り変わってゆくのです。

そしてその妻と子を失うことで、彼は別の道へ歩み出す天意を聞いてしまったように思えます。

妻子を殺した相手の赤子が泣く声を聞き、彼は誰が悪いわけでもない――その境地に到達した。

ふくととよ坊の死は酷いことこの上ないものの、九郎助稲荷が言うように小さな死に過ぎません。

そんな忘れさられてゆくような小さな死が新之助という男を変え、民衆を導くとは、まさに歴史が変わる瞬間です。

フランス革命と田沼政治末期は、時期が重なります。

近世が近代へと変わりゆく天の声を、新之助は聞きました。歴史が変わる天の声が、涙とともに降り注ぐ瞬間を描くとは、まったく大したドラマではないですか。

 

総評

今回のふくととよ坊の死は「よくぞ死なせた」と私はむしろ言いたい。

むろん、辛い、酷いものです。

しかしふくという女性は、新之助と手に手を取り合って吉原から消えていったところで終わらせてはなりません。

吉原の天女が、長屋の菩薩となり、天の声を伝える存在として消えてゆく――それはそれでひとつの人生ではないでしょうか。

吉原にいたときの、人工的な姿のままふっと消えることは、そりゃ美しいかもしれません。

しかし、その先にだって彼女らは生きていた。

ならば、どれだけ悲しくとも、その先を辿ることには意義があると思えるのです。

彼女たちはその時代を生きた、血の通った人間です。その生涯を終わるまで描くことには大きな意義がある。

月岡芳年『風俗三十二相 かわゆらしさう』/wikipediaより引用

今回の展開は、森下佳子さんの意向だと捉える視聴者もいらっしゃると思います。

しかし、彼女だけではないスタッフの意向も当然のことながら反映されているのではないでしょうか。

特に歴史上の人物ではない、現在では「オリキャラ」と言われる存在は、その意向が反映されます。

このドラマは『麒麟がくる』のチームです。あの作品では駒、望月東庵、以呂波太夫といった人物が重要な役割を果たしていました。

オープニングでは名もなき民が座っている映像もあり、歴史を作るのは民衆たちもそうであると描くドラマだと感じさせられたものです。

民衆目線で歴史を語ることは、正史に対する稗史として軽視できないものとされてきました。

それがどういうわけか日本では、司馬遼太郎にせよ大河ドラマにせよ、英雄視点のものばかりが主流になってきた。

かつては「オリキャラ」が主役となる大河があったにも関わらず、それを目の敵にすることこそが歴史通の態度であるかのようにされ始めた。その弊害を『麒麟がくる』のオリキャラに対する反応を見て痛感させられたものです。

もしもウケ狙いだけを考えるのであれば、それこそ市井の庶民目線で描く大河など避けたでしょう。

しかし、本作では逆にそこを深めてきた、それが実に素晴らしいと感じます。

『麒麟がくる』の放映中、SNSで延々と駒に対する罵倒を繰り返し、不要だのなんだの言ってきた方も、さすがに今回のふくととよ坊に対してはそんなことは言えないと思いたい。

民衆も社会を構成する重要な要素であるということがさすがに感じられたはずです。

こういうことを言い出すと、マルクス史観だのなんだの突っ込まれるかもしれません。しかし、今ではマルクス史観が歴史を歪めてきたという認識そのものが時代錯誤です。私はそこに乗る気はございません。

『べらぼう』は、時代としても近世から近代への入り口に立った地点であり、民衆の時代に突入するターニングポイントです。

それを描くうえで、新之助の身に降りかかった悲劇は実に意義のあることだったと思います。

歴史総合の時代に相応しい革新的なドラマとして、紛れもなく記憶されることでしょう。

最後に苦言でも。

森下佳子さんに「人の心があるんか?」とSNSでネタ半分で言われていることに納得ができません。

視聴者の心を傷つけたいがために、このタイミングまで狙っていたように言われるのも腑に落ちません。

天明の打ち壊しという史実へ向けたタイミング選択ではありませんか。

そしてこう苦言を呈したい。

そう書き込んでいるあなたこそ、人の心を見失っておりませんか?

人の心がないと言う描写は、『どうする家康』においてマザーセナを救うためならその辺の女を身代わりにすると言い出したような場面でしょう。

あれは民草の命は使い捨てだと言わんばかりの傲慢極まりない態度でした。

タイミングにしたって、歴史劇はまず整合性やらなにやらあるので、ウケ狙いでそうホイホイ変えてはいけないものです。

小さな小さな命が失われることを、こうも重く意義があるものとして描くことこそ、人としての仁ある態度だと私はむしろ思います。

📘 『べらぼう』総合ガイド|登場人物・史実・浮世絵を網羅


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【参考】
べらぼう/公式サイト

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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