大河ドラマ『べらぼう』は明和9年(1772年)に江戸を襲った「メイワク火事」から始まりました。
吉原を襲う猛火の中、蔦屋重三郎は呆然と佇む少年を救い、逃げ出す。
彼は一体何者なのか?
何も思い出せない、親も名前もわからないという少年を、蔦重は同じ茶屋で働かせ、自身の幼い頃の名前と音が同じ「唐丸」(からまる)と名付けました。
この唐丸が特異な才能を見せたのは第4話でのこと。
礒田湖龍斎の絵を克明に模写したのです。

『雛形若菜の初模様 金屋内うきふね』礒田湖龍斎/wikipediaより引用
驚いた蔦重は「いつか一流の絵師にする!」と誓うのですが、第5話で浪人に脅迫された唐丸は周囲に塁が及ぶのを恐れ、浪人と共に川へ入水してしまいます。
しかし土左衛門となって浮かび上がったのは浪人だけで、唐丸は一体どこへ……。
再会できるのか?
その正体は何なんだ?
と、彼の存在についてはドラマ視聴者たちの興味をいたく刺激し、ネット上では「あの子は一体どの絵師なんだ?◯◯か!」という憶測が飛び交い、第17回放送が終わった今、再び盛り上がっております。
本記事で、その答えを考察してみましょう!
※本記事は2月13日で公開した記事となります(記事末を一部加筆して公開)
名があがるのはあの有名絵師
唐丸の正体については、第4話の時点で推測する名前が挙がっていました。
その中で有力視されているのが以下の3名です。
喜多川歌麿
葛飾北斎
東洲斎写楽
彼らの作品をモチーフとした映像は、オープニングでも登場。
特に歌麿と写楽は、蔦屋重三郎の業績の中で必ず名前が挙がる絵師であり、関連イベントでも彼らの作品はほぼ用いられています。

ライバル・鳥文斎栄之の描いた喜多川歌麿/wikipediaより引用
まずは三人の生年を見ていきましょう。
年齢は?
史実の蔦屋重三郎が寛延3年(1750年)生まれであるのに対し、3名は以下の通り。
喜多川歌麿:不明のため没年からの逆算で宝暦3年(1753年)
葛飾北斎:宝暦10年(1760年)
東洲斎写楽:斎藤十郎兵衛説を採用するのであれば、宝暦13年(1763年)
この生年を基準に「メイワク火事」時点での年齢を計算してみましょう。
蔦重は22歳であり、次のように続きます。
喜多川歌麿:19歳
葛飾北斎:12歳
東洲斎写楽:9歳
こうして見ると19歳の歌麿は蔦重と同年代となり、唐丸には該当しないように思えます。
しかし、彼は前半生の経歴が不明であり、19歳というのは没年からの逆算により生年を推察したものです。
没したときに実年齢とは異なった見た目の場合、生年があてにならないこともしばしばあります。
生年説が複数あるうえに、10年以上ずれているようなことも起きるのがこの時代。
ドラマであればどうとでも描けることになります。

葛飾北斎82才の頃の自画像/Wikipediaより引用
絵師となるまでの経歴は?
江戸時代中期の人物となると、好条件が揃っていないとどんな幼少期であるのか判別できません。
歌川広重のように武士の出身である。
歌川国芳にように大勢の弟子がいて、師匠の伝記を残している。
こういった条件が揃わない限り、大物絵師でも若い頃に何をしていたのか、不明なことが多いものです。
例えば写楽の場合、完全に謎の人物という説をとるのであれば、自由に創作できるでしょう。
歌麿は鳥山石燕の元で学ぶ。北斎の場合、天明元年(1781年)頃には勝川春章に弟子入りしていることになります。
幼少期は不明でも、キャリアが始まる頃からぼつぼつとその人生は明らかになってくる。
蔦重が本の刊行に関わり始めたのはこのころのことであり、こうした状況を踏まえると写楽が有力ということになります。
絵師としての作風は?
絵師としての作風も重要です。
喜多川歌麿は【美人画】の名人とされます。
第4回では、礒田湖龍斎の描く伸びやかな肢体の吉原花魁が、華麗な呉服を身につける絵を描く過程が描かれました。
以来、このスタイルが定番となり、八頭身のスレンダー美女が豪華な衣装を身につけ、絶景の前に立つ絵が江戸で大流行するのです。
これを変えたのが歌麿でした。
バストアップを持ち味とする【大首絵】を得意とした歌麿。
着物のコーディネートはわかりにくくなったぶん、歌麿の絵はモデルの持つ個性や表情が描かれました。リアルな美人の絵が、江戸を席巻したのです。

喜多川歌麿『寛政三美人』/wikipediaより引用
葛飾北斎は、個性的な絵を得意とします。
しかし、その独自性が発揮されるのは、彼の長い画業人生でもかなり後になってからのこと。
蔦屋重三郎の人生では、勝川春章の弟子の一人という位置付けとなります。
蔦重の最晩年になると「宗理時代」という個性の確立期へ入ってゆきました。
北斎が自由自在に個性を発揮できたのは、売れてからのこと。まだ青年期である蔦重生前は、そこまで目立つわけでもありません。
「勝川派に面白い奴がいる。あれは売れる」
そう見出す程度の存在ではないか?と思えるのです。
北斎の特徴として、対象をダイナミックに、神秘的に描くことがあげられます。
真っ赤に染まる富士山。
船を翻弄する大きな波。

葛飾北斎『富嶽三十六景神奈川沖浪裏』/wikipediaより引用
大変魅力的でしょう。
しかし、あまりに誇張するその作風は、第4話で見せた対象をそのまま写しとる個性とは異なるようにも思えます。
東洲斎写楽の作品には、蔦屋の印が押してあります。
蔦屋重三郎が期待の新人として売り出したのですから、当然のこと。
写楽は革新的な【役者絵】の新人として売り出されました。写実的で迫るような、斬新な絵です。

東洲斎写楽『三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛』/wikipediaより引用
ものを見通す抜群の観察眼がある唐丸。彼の目と手を生かした作風といえます。
蔦重との関係は?
蔦重は唐丸を「相方」と大事に呼んでいます。
それほどまでに深い関係ということですね。
こうしたドラマの描写から見ていくとすれば、史実における「蔦重と絵師の関係」も重要となってくるでしょう。
喜多川歌麿は、蔦重が手塩にかけて売り出した絵師です。
絵師は師匠の姓を名乗ることが多いものですが、歌麿は違いました。蔦屋重三郎の本姓である「喜多川」を名乗っているのです。
この時点で蔦重との深い関係が見えてくる。

蔦屋重三郎/wikipediaより引用
なにせ才能を見込まれた歌麿は、それまでの住まいを引き払い、蔦重のもとで同居するほど。
ドラマでは蔦屋で布団を並べていた二人ですので、もしもこの光景が再現されるとなれば、見ている側としては感無量でしょう。
同居したのは単に仲が良いとかそういう話ではなく、別の大きな理由があります。蔦屋に出入りする文人や狂歌師たちに、歌麿を期待の新人として売り込んだのです。
時間をかけて地ならしをするように、徐々に彼の存在を馴染ませていったのですね。
実は、江戸の文人はこうしたネットワークが非常に重要視されます。
歌麿を華々しい絵師にするため、蔦重が気遣っていたことがそうした状況からも浮かんでくる。
そして、いざ寛政年間に売り出された歌麿の斬新な【美人画】は、江戸を席巻!
歌麿は、彼一人のアイデアだけで作品を手がけたわけではありません。
これはどの絵師についても言えることで、浮世絵が金を生み出すとわかれば、版元が題材や作風をある程度指定しました。
蔦重は、風を読む版元の代表格です。歌麿の斬新な美人画は、蔦重の発想あってのものでしょう。
歌麿が本格的に売れ出したのは、幕府が規制を強めてゆく松平定信以降の時代です。

松平定信/wikipediaより引用
規制を潜り抜けるため、様々な知恵や工夫を蔦重と共に考え抜いたのでしょう。
時に規制という枷により、それを潜り抜けることでかえって才能を発揮する絵師や物書きというのは存在するのもので、その点、歌麿は運良く時代にハマったとも言える。
葛飾北斎も画業初期の頃は、版元や師匠の意向には背けませんでした。
北斎独自の意向が強くなるのは、晩年の代表作などであり、蔦重のプロデュースありきのものとは異なります。
東洲斎写楽はどうか?
彼は蔦重が見出し、売り出した絵師という点では歌麿と一致します。
そこで思い出していただきたいのが『べらぼう』第5話です。
あの回では蔦重が「唐丸を謎の絵師として売り出す」と語りました。そのため「写楽であるフラグではないか?」という意見がSNSなどでも見られたものです。
ここでもう一度考えたいことがあります。
歌麿はそうではなく、なぜ、写楽は「謎の絵師」として知られるのか?
これが単純に「売れなかったから」です。
デビューまでの経緯は、二人とも共通点があります。
蔦重が見出し、知名度が低かったにも関わらず、華やかなデビューを飾った。
そこから先が大きく異なった。
喜多川歌麿が【美人画】を代表する絵師として名を残したのに対し、東洲斎写楽は一年足らずの活動期間で消えてゆくのです。
蔦重という名プロデューサーの元でデビューを飾りながら、すぐに消えてしまったからこそ、写楽は「謎の絵師」とされる。
これほど素晴らしい傑作を残しながら消えてしまうなんて謎だ――そう思ってしまうのは、現代人ゆえの視点です。
ではなぜ、写楽は消えたのか?
それは前述の通り「売れなかった」からです。
新規で【役者絵】を売り出すとなったとき、蔦重のライバルが売り出した歌川豊国は圧倒的なまでに売れた。

義経千本桜(江戸市村座・初代歌川豊国画)/wikipediaより引用
この豊国の作風は、写楽と共通点があります。
役者の特徴を捉え、躍動感があり、迫るような勢いがある。
江戸っ子がこよなく愛する役者をとびきり格好良く描く。ここまでは同じでも、そこから先が違ってきます。
写楽の絵は欠点を誇張しており、そこが役者から嫌われてしまいます。
しかし、豊国はそうではなかった。むしろ長所が際立っていたのです。
両者を比べると、特に立ち姿の絵の違いがわかります。
写楽の作品は【大首絵】が有名で、目にする機会も圧倒的に多いものの立ち姿ではやや落ちるとされます。
江戸っ子の目からすれば新機軸の【役者絵】は豊国の方が上でした。
歌川派は豊国以降、押しも押されぬ人気となり、いつしか江戸ではこう言われるようになりました。
歌川派にあらずんば、絵師にあらず――。
歌川派は弟子も多く、浮世絵の一大流派を形成。
当時の江戸っ子からすれば、東洲斎写楽は失敗した一発屋であり、その後のことなど特に知りたいとも思わない。
「あァ、そういやそんなのいたっけな」程度で終わる存在だったのです。
それが後世、再発見され、名人として評価されただけのことであり、写楽の謎とは「消えてしまった」ことではありません。
なぜ、江戸っ子は買わなかったのか?
そして蔦重を主役とするドラマからすれば、どうして蔦重が手がけたにもかかわらず売れなかったのか?
彼のプロデュース力の衰えなのか。何を間違えたのか。そこを問いかけることが重要となってきます。
そうした状況を考えた場合、もしも唐丸の正体が写楽だったら、どうでしょう?
写楽の売り出し失敗は、蔦重晩年の黒星といえます。
そんな憂鬱な展開を唐丸と繰り広げるというのは、なんとも切ないことになってしまう。
私としては、あまり見たくない展開です。
個人的な願望であることは認めます。しかし、唐丸=写楽説は否定したいところです。
森下佳子さんの脚本は、非情な展開でも抜群に魅力的ではあるのですが、それでもあまりに辛いと思えます。
彼の絵には求められていた答えがある
『べらぼう』の序盤は吉原を舞台とします。

葛飾応為『吉原格子先之図』/wikipediaより引用
そこで「遊郭という場を美化しているのではないか?」という批判もありますが、それに対するひとつの答えが歌麿の作品であると思えます。
歌麿は華やかな女郎の姿だけを描いたわけではありません。
蕎麦一杯分になるかならないかの値段で、線香が燃え尽きるまで体を売る――そんな女郎の姿を描いた作品もあります。
辛くともやめられない。
それしか生きる道がない。
そんな女の姿を、歌麿の筆は描き出したのですね。
女郎がどれほど辛い生活を送ってきたか。当時の人々はこれを黙殺できたのか。
その答えが歌麿の絵にあると言えるでしょう。
無視できたわけでもないが、だからといってこの「苦界」を破壊できるわけでもない。
涙が流れたあとを辿るように作品に残すことで、彼らはそのことを伝えようとしたからこそ、私たちは涙が流れていたことを知ることができています。
蔦重と次郎兵衛から話を聞き、幼い唐丸は言いました。
「女郎はまるで地獄だね」
地獄であることを見抜いていたからこそ、歌麿の作品はある。そうドラマを見ていて腑に落ちることに、大きな意義があるのでしょう。
歌麿の作品の意味を再発見し、そこにある悲しみや優しさを感じ取る――そんな機会を提供するとなれば『べらぼう』には大きな意義があるのではないでしょうか。
唐丸が歌麿だとすると、彼の存在そのものが、写楽が消えた謎を解く鍵となることも考えられます。
多くの人々にとって、写楽は消えた一発屋であり、実はそこまで語られることはありません。
しかし、歌麿は彼よりもはるかに売れずに消えた写楽に対し、悪意ある言葉を残しています。
歌麿は売れたことで、蔦重との関係も変わってしまいました。
出せば売れる。
そうなると、様々な版元が彼に声をかけ、次から次へと仕事が舞い込みんでくる。
次の売れ行きを探る蔦重も、歌麿と二人三脚でばかりもいられない。
そうして次第に距離が空いてゆく二人……。
それでも付かず離れずの関係を保っていたのに、写楽を売り出す時期となると途切れ、そして写楽が消えると歌麿もまた最晩年にあたる蔦重との仕事を再開するのです。
ドラマとしての作りにもヒントがある
ドラマの作り方としての論拠もあります。
2024年大河ドラマ『光る君へ』は、クリエイターであるまひろ(紫式部)と、彼女に大量の紙を提供し続け、作品発注者である藤原道長の関係が、“ソウルメイト”として描かれました。
2025年大河ドラマ『べらぼう』は、発注者である蔦屋重三郎と、クリエイターである喜多川歌麿の“相方”としての関係が描かれるとすればどうでしょうか。
『光る君へ』における藤原道長のキャスティングは、早々に発表されました。
幼少期の道長である三郎は、第1話から登場しています。
『べらぼう』の喜多川歌麿も、早々に発表されています。
そして幼少期の歌麿が第1話に登場しても不思議はないと思えます。
喜多川歌麿役の染谷将太さんは、『べらぼう』と同じチームが手がけた2020年大河ドラマ『麒麟がくる』において、主役の明智光秀と深い愛憎で結ばれる織田信長を演じていました。
その染谷さんが大々的に演じる喜多川歌麿です。
このチームであれば、主役の相方に染谷さんを抜擢することは、確信的であると思えます。
唐丸は喜多川歌麿である――一流の絵師となり、蔦重とまた同じ家で、布団を並べて眠る。顔を突き合わせて作品作りについて語り合う。
そんな展開に期待を込めて、喜多川歌麿説であると私は結論付けます。
では、唐丸の再登場はいつになるのか?
東京国立博物館で開催される「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」開催にあわせた、4月20日、16回頃と推察しました。
そして4月27日、17回の前に「ありがた山スペシャル」が放映されました。そのあと、17回以降の相関図が更新されております。紛争姿のキャストが解禁され、喜多川歌麿に扮した染谷将太さんの姿も公開されました。
この笑い方は、あの唐丸に似ているのではないか!――そう思わせるものがあります。

『蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児』公式サイト(→link)
この特別展では横浜流星さんと染谷将太さんが、揃って音声ガイドと広報アンバサダーを務めるのです。
ドラマの外でも“相方”を務める蔦重と歌麿(唐丸)――さあ、伸るか、反るか。
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【参考】
べらぼう/公式サイト





