大河ドラマ『べらぼう』の年間視聴率が発表されました。
◆『べらぼう・蔦重栄華乃夢噺』期間平均9.5% ビデオリサーチ
2019年大河ドラマ『いだてん』の8.2%に続く、ワースト二位です。
しかし地上波の視聴率は低下傾向にあり、配信視聴回数と合算した基準で測ることが重要でしょう。
テーマや時代設定、そして吉原といったマイナス要因もあります。

大河ドラマ『べらぼう』(→amazon)
ただ、そうした結果を考慮しても、そこまで高い数字とは言い切れず、文化大河であった2024年『光る君へ』と比較しても、なかなか苦しい結果でした。
「しゃらくせえ! タイムシフトは伸びてるぜぇい!」
NHKプラス(現在はNHK ONE)のサービス開始以来、こうした擁護も確かにあります。
今年は、そのタイムシフトも伸びておらず、配信再生数がリアルタイム視聴率を補っていないという結果です。
「でも私は面白かった! 最高だった! 数字なんて関係ない、私は好きだった」
こう言いたい方がいることも重々理解しております。
ただ、そう言い切れるのは、ご自身の価値観に絶対的な自信があるという前提で、ですよね。あっしにゃー、ンな自信満々のムーブ、とてもとても……。
むしろ私が数字以上に気になっているのは、その精神状態です。
※総評前編については以下の記事をご覧ください
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江戸の文化を描いた『べらぼう』がどれだけ有意義だったか 深堀り考察 大河レビュー総評前編
続きを見る
ここは白州だと心得い!
面をあげぇい!
ここは白州と心得よ、『べらぼう』を見たおぬしが知らぬとは言わせぬぞ! 瀬以も、蔦重も引っ立てられておったからのう。
ここで大河奉行(※あくまで自称)たる武者が問いたい罪とは、おぬしがいわば「負け」を認めることができるか否か……そこである。
わしがどうしても気になったのは、どうにも『べらぼう』視聴者には武士のこの心得がないということでござる。
よき敗者たる資質に欠ける。ムッとしても罵倒するのは胸の内に止めるなりできるであろう。
それがSNSでは、この数字を発表しただけのポストに噛み付くようなことを言い散らし、聞かれてもおらぬのになぜかワースト一位の『いだてん』の話を延々とする。
武士ならば武士らしく、腹を召すべきだとまでは申さぬ。
しかし、士道不覚悟ではないか?
負けたならばその理由を吟味し、次に活かすことが武士ではあるまいか?
新選組気取りか? 何を局中諸法度じみたことを言い出した? いつものことながら狂ったか?
そう申すかのう……いや、わしの気分は奉行モードである。
わしはなんとしても、この不埒千万な『べらぼう』。並びにそれを愛する「屁踊り衆」断罪に挑まねばならぬと思っておったところだ。
今さら「屁踊り衆」と呼ばれたくないなぞ申すでないわ!
わしの聞き及んでいるところでは……
・『平清盛』ファンは「海の底の都の民」
・『おんな城主 直虎』ファンは「井戸の底の民」
・『鎌倉殿の13人』ファンは「武衛」
そう自称しておるそうではないか?
ならば『べらぼう』はさしずめ「忘八」か、「屁踊り衆」がふさわしいのではないかのう。
いや、下品であることは承知しておる。実際の江戸の民は「吾妻」といった呼ばれ方を好む。実在した狂歌連にせよ、絵師集団にせよ、なかなか雅な名をつけたものよ。
しかし、思い出すがよい。『べらぼう』最終回感想をざっとみたところ、みな「屁!」「屁!」「屁!」の連発である。
まるで他者の屁は臭いが、己の屁はまるで白檀の香りでもすると言わんばかりの喜色満面ぶりではないか?
今更「屁は流石に……」などという言い訳が通じると思うでないぞ。
そしてわしは、奉行らしく、「屁踊り衆」を罰せねばならぬ。
その罰とは「歌川責め」。概要を説明しよう。実在した「石責め」よろしく、ここで一枚一枚、歌川派の絵を出してゆく。
そのうち知っているもの。よいもの。いずれかが出てきたら、おとなしく罪を認めぇい!
何の罪か? それは歌川豊国を勝手に消し去ったという大罪……そんなふてぇことをやらかしておいて、ただで済むなぞ思うでないわ!

石抱の様子/wikipediaより引用
それでは一枚目の「歌川」を持てぇい!

歌川芳艶『為朝誉十傑』「白縫姫 崇德院」/wikipediaより引用
くくく、おぬしが知らぬのも道理よのぅ。
歌川芳艶は実力十分なれど、早くに没したためマイナーである。
しかし実力は十分。歌川国芳一門単位の展覧会や画集では見る機会があるものよ。この迫力、力強い筆遣い。実によいであろう、歌川は! のう?
奉行モードは歌川責めの時だけにしまして、疑問点について考え続けます。
書いて側としても嫌になる程長い。嫌になったら休みでも適宜入れつつおつきあいください。合間合間に歌川派の絵も入りますので。
蔦屋重三郎は主役にふさわしかったのか?
これは散々言われてきました。
実は森下佳子先生も、オファーが来たとき相当驚いたとのこと。私としては時代設定が先にあったのかとも推察します。

蔦屋重三郎/wikipediaより引用
では、同時代で他に相応しい人物がいるか?というと、これがなかなか難しい。
まず真っ先にあげられるのは、将軍か、老中か。
この時代となると、初代家康や、八代吉宗と異なり、将軍はそこまで政治に関わっておりません。ゆえに適していない。
田沼意次と松平定信は重要です。
しかしこの二人は片方だけでなく、できればまとめて取り扱いたい。かつ二人とも失脚以降をどう描くのか、そこが問題です。定信の場合は、特に一線を退いてからが長いので難しい。
そこを踏まえますと、田沼時代と寛政の改革を扱える蔦屋重三郎というのはなかなかよい選択に思えます。あるいは長谷川平蔵宣以か。
政治史や時代性からすると確かにそう。なんてうまい人選だと私は舌を巻く思いをしていたことは確かです。
文化大河ドラマであるならが、プロデューサーである蔦重よりも、クリエイターの絵師や戯作者ではどうか。
実はこれはなかなか難しい。この時代は喜多川歌麿クラスですら、史料残存状況が少なく、たどるとなると難しいのです。
この枠であれば、平賀源内か、曲亭馬琴ならばよいかと思います。蔦重が通用するのであれば、この二人は十分大河主役になれるでしょう。

平賀源内/wikipediaより引用
江戸文化を幅広く扱うのであれば、プロデューサーとしての蔦重は大いにあり得る。ネックはあれど、そこをふまえればありだと思いました。
ただ、一年見終わっての感想としては、果たして蔦重は主役にふさわしかったのか。人選の時点でよろしくなかったのではないか。そんな気持ちも湧いてきます。
それは吉原出身ということではありません。そういう発想は出自による差別に思えて私は好きではありませんので。
ではどのあたりがというと、長所と短所は紙一重ということ。
蔦重は関わったこと、そして手がけた範囲が広すぎた。
後半、日本橋に移ってから面白さが減じたという意見がありました。
吉原にいた頃は、吉原を救うという大義が第一でした。実際の蔦重はさておき、劇中ではその目標があった。
それが日本橋に移ると、黄表紙だ、浮世絵だ、吉原救済だ、ふんどしに一泡吹かせてやる……そう風呂敷を広げすぎて焦点がぼやけたように思えます。
この時代の版元にせよ、蔦屋重三郎を脇役にして、別人にした方がよかったのではないか。そう思えてしまったことも確か。
特に後半についていえば、浮世絵関連の描写が疎かになってしまいました。これについては後述しますが、むしろ浮世絵に強い西村屋二代主役にした方が良かったのではないかと、見終えてから思ったものです。西村屋は廃業に追い込まれてしまう点が難点といえばそうなのですが。
それではここで二枚目の「歌川」を持てぇい!

歌川芳藤『新版主従心得壽語禄』/wikipediaより引用
歌川芳藤だ。まぁ、マイナーではあるな。
別名「おもちゃ絵芳藤」という。子供向けのおもちゃにつける絵を手がけることが多かったのよ。おもちゃは廃棄前提であるし、美術品として値がつきにくいゆえに忘れられておった。
しかし、近年の猫ブームの中、カワイイ猫絵を手がけた絵師として再注目。愛くるしい絵柄で人気が上がっておるぞ。
太田記念美術館、およびコラボ先のフェリシモミュージアム部では、グッズも揃えておるぞ。
文化大河の残した課題
『べらぼう』は、初回から問題点がありました。
吉原云々ではなく、蔦重が田沼意次と面会する場面がありえないとされたのです。
ただ、状況的に「ありえない」というのとは、やや異なるのではないかと思っておりまして。偶然出会うにせよもっとありえないシチュエーションは、他の大河ドラマにもありました。
断言できるのは、二人が同時代に、同じ場所にいないことが明白であるような状況でしょう。
こういう工夫は時代ものの醍醐味なので、私は反対しません。
『光る君へ』の初回におけるまひろ(紫式部)と三郎(藤原道長)との出会い。まひろの母が藤原道兼により殺害される。最終盤の太宰府行きと刀伊の入寇に巻き込まれる展開。
こちらの方が強引といえなくもないかとは思います。ただし、私は『光る君へ』の方が政治パートとの兼ね合いが巧みであったとは思います。
政治パートが文化パートを圧迫する。主役の人生から逸脱しすぎる。
この批判は二年続いた文化大河の課題として確立した感があります。
私は善し悪しあると思っておりまして、前編で上げた本作の長所である「歴史総合」要素の効果を踏まえれば、政治パートはむしろ必要であったと考えます。
田沼時代についていえば、そこまで問題とも思えません。蔦重の刊行物は田沼時代あってのもの。いわば時代の子であり、両者の近接はそこまで気になりませんでした。
問題は、松平定信との関係です。
確かに寛政の改革では娯楽出版が規制され、そのなかで恋川春町が落命するという痛ましい結果になりました。
蔦重は身上半減となり、山東京伝も手鎖を受けてしまいます。
ただ、定信も娯楽出版にそこまで血道を上げている場合ではない。出版規制についていえば、須原屋市兵衛がロシア関連書籍を出版したことを禁じられた方が、歴史的にははるかに重要です。
浮世絵にせよ、規制を繰り広げるために、蔦重と歌麿が知恵を絞った「判じ絵」攻防をカットしてしまった。浮世絵の歴史を踏まえると本当に勿体無いことでした。
曲亭馬琴は、寛政の改革後の世相にマッチした文武奨励路線が彼の作風にあっていたもの。
しかし、劇中の滝沢瑣吉はデリカシーのないうるさい男にとどまり、どうにもそういう要素を感じさせませんでした。知性や教養を感じさせない馬琴って、出す必要があったんでしょうかね。
まとめましょう。
田沼時代までの政治との関わりはよい。しかし、定信以降は崩れてしまったのです。

松平定信(左)と田沼意次/wikipediaより引用
前年の『光る君へ』は、この点で上回っていることを説明させていただきます。
まひろと道長のカップリングは賛否両論。好きな人は多いものの、ありえないという拒否感がある人も相当いたことでしょう。
ただし、まひろは冷徹な性格でもあった。
道長が自分を政治利用するからこそ、あれほどの大長編を書けるのだから乗っかってやるというふてぶてしさがありました。
その一方で、権力を得るためには道長が自分の娘を政治の駒にする様に、どこか透徹した冷たい目を向けている。道長よりも主君で彰子に理解を示すまひろは公私混同をしない聡明さがあります。
そしてそのうえで、若い頃抱いていた志も道長は失ったと悟る。恋心は別として、道長に寄せていた政治改革の願いは雲散霧消したことを彼女は理解する。
それが『源氏物語』の苦い結末にも反映されているのではないか。そんな読み解きもできるのです。
だからこそ、最終回のラストシーンで、まひろが道長の政治はいずれ武士によって行き詰まると確信したことが伝わってきた。
今思い返しても、大河の歴史に残るであろう、凄まじい結末でした。
逸脱しているように思えながら、最終回まで政治と文化の兼ね合いでバランスをうまく取っていた『光る君へ』。
まるで藤原行成の筆跡のような、流麗でありながら流されない。そんなしなやかさがあった作品だと改めて思います。

藤原行成『白氏詩巻』/wikipediaより引用
スタッフも、過剰に道長を理想化しない。彼の悪筆や教養の甘さまでもバッチリ再現していたのは驚かされたものです。
やりすぎという批判もあった太宰府行きと刀伊の入寇にせよ、あのラストシーンのまひろの眼差しにつながるのであれば、それはそれとして実によい出来であったと思います。
一方で蔦重はどうか?
「屁!」「屁!」「屁!」と踊るばかりで何も考えちゃいませんね。
定信にせよ、途中からはオタクアピールしかしていなかった。挫折したロシア政策はどうでもよいのでしょうか?
そして私の胸には疑念が湧いてきました。
散々指摘してきましたが、江戸時代の外交は黒船来航よりもはるか前に、ロシアによって転換点を迎えております。
それを示したことが『べらぼう』の意義の一つだと私は主張したいのですが、果たして視聴者は覚えているのかどうか?
2027年『逆賊の幕臣』が放映され、こんなレビューが出てくるとあっしは予想できて暗い気分になりやすが。
私たち日本人は、黒船来航によるアメリカによって歴史が変わったと思ってきたはずだ。しかし、小栗忠順はロシアと向き合うーー。
ま、歴史総合を習った世代は「そこはロシアでは?」となると思うんですけれどもね。
どうしてそうなるかって?
最終回で国学者の本居宣長が出てきました。そうしたらこんな論調が出てきたんですね。
これからは儒学より国学だと示した『べらぼう』――。
数年前の大河ドラマは『青天を衝け』でした。
渋沢栄一はわざとらしく『論語』を懐に入れてアピールしていましたね。
幕末に向けて、国学が儒学を凌駕するなんて現象は起きておりません。「むしろ渋沢のような豪農層上位まで儒学、特に陽明学が浸透した」が正解でしょう。
『逆賊の幕臣』では、小栗はじめ幕臣たちが卒業した最高学府として昌平黌が登場します。
これも松平定信と柴野栗山が勧めた政策の結果ですが、そういうことはどうでもよいのでしょうか?
『べらぼう』はなぁ……途中で写楽二期以降並にバランスがガタガタになったとしか思えんのですが。

東洲斎写楽『大童山土俵入』/wikipediaより引用
えぇい、写楽なぞいらぬ!
三枚目の「歌川」を持てぇい!

歌川豊国『早の勘平 尾上栄三郎』/wikipediaより引用
歌川豊国である。当時は東洲斎写楽に完勝したにもかかわらず、不可解な流れで今では知名度が低い。なぜだ!
機会があれば是非とも現物を見ていいただきたい。今風にいえば「レベチ」だ。写楽は能役者の斎藤十郎兵衛が定説でこれ以外ありえない。写楽は専業絵師でないため、デッサン力はどうしても落ちる。全身像や手を見比べるとはっきりとわかるであろう。
大河ドラマの考証問題
『べらぼう』は文化大河らしく、その分野での考証が多数つきました。ああも見事な出来はその成果なのだろうと思えたものです。
ただ、考証をどこまで使うかどうか、そこは匙加減次第でして。
近年では『どうする家康』が考証よりもやりたいことを重視したことがはっきりわかってしまい、辛いものがありました。
真面目に考証の意見を取り入れていたら、あんな清洲城にはならないでしょうし、ニコライ・バーグマンもどきのフラワーボックスが出てきたはずがありません。
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と、ここで四枚目の「歌川」を持てぇい!

月岡芳年『月百姿』きよみかた空にも関のあるならば 月をとゝめて三保の松原/wikipediaより引用
月岡芳年『月百姿』より、武田信玄の王道ともいえるイメージじゃのう。こういう像が歴史好きなら頭の中にあるもんじゃ。
『どうする家康』はそういうものを無視して造形したい欲求が全面に出ていた気がする。それにも限度がある。やりすぎはノイズが増えるだけなのじゃ。
大河ドラマの特質はくどいようですが、綿密な時代考証です。歴史をネタに遊びたいなら、民放でお馴染み『暴れん坊将軍』でよい。
『べらぼう』の場合、ああいう一目瞭然のミスではないものの、後半になってからこの「考証よりやりたいノリ」で暴走した結果が出てきております。
その悪影響が顕著であった二人をあげておきたいと思います。
ここで五枚目の「歌川」じゃ!

歌川国貞『八重織の霊』/wikipediaより引用
歌川国貞――師である豊国の特性を受け継ぎ、江戸っ子推し活のお供である役者絵を得意とし、若い頃から定番の売れっ子だ!
写楽よりこっちの方が好まれたわけだ。
豊国の次世代歌川派「三羽烏」において、現在では一人だけ知名度で劣るのが惜しまれるところじゃ。再評価を期待しよう。
考証から逸脱していた当時を代表する文人二人
屁踊りをしていて夢中になっていると、ドラマの欠点は見えにくいかもしれない。
しかし、完全無欠だなんてことがありえるのか?
すべてが「べらぼうだ!」と果たして言えるのか?
私の心にそんな暗い予感がスッと入り込んできたのは、秋のころ、江戸文化に詳しいとある先生が、太田南畝の描き方に疑念を呈したときのことでした。
確かにその道に詳しい人からすれば、苦笑したくなることもあるかもしれない。そしてその黒雲のような気持ちは、私の中でもこのあと湧いてくるようになるのです。
こういう自分よりも知識が豊富な方の意見というのは、実に参考になるもの。
果たしてこの少し後に出てきた二人の人物について、今にして思えば危うい点があったことがわかるのです。
まずは、勝川春朗こと後の葛飾北斎について。
彼はオノマトペを多用する変人として登場しました。
なぜそうなったのか。森下先生がトークショーで語ったところによると、春画『蛸と海女』の台詞におけるオノマトペが印象的だったからとのことです。
ただし、この時点でいくつか問題があります。
浮世絵は絵の部分は絵師。文章は別人が入れることが主流。
春画となれば文字を入れた作者があえてそれを伏せることは考えられますし、絵師も発表時は別名義を用います。
要するに、あの絵の背後の文章を北斎自身が考えたのか、疑念が生じるのです。
私は漫画『バジリスク』が好きです。
独特の台詞もあの作品の特徴ですが、それは原作者である山田風太郎のものであって、作画担当のせがわまさき先生のものではありません。
ゆえにファンとしては誰かが「あのせがわ先生の台詞のセンスがいいね」と褒めていたら苦い顔になると思います。そういうところの詰めが甘い。
春画を代表作とし、その人の本質扱いするのはいかがなものか。
例えばとある漫画家について、商業的代表作ではなく、別名義の18禁同人誌についてばかり語るとしたら、なんだか嫌だと思いませんか。
作家によっては嫌がる人もいますよね。北斎は故人で確認のしようがないとはいえ、失礼に思えます。
そして以下が、私が最も問題があると思うところ。
絵師は打ち合わせをしながら作品を仕上げます。自分の描いた絵を、版画にする過程で崩されたらたまったものではない。
あの彫師じゃなきゃオイラはやらねえぞ! 髪の部分は一筋一筋、描いたままに彫ってくんな! 色もああしてこうして……そう細かく指定します。
北斎ならば「ベロ藍じゃなきゃやらねえぞ!」とでも言っていたことでしょうね。
北斎は破天荒さが強調される人物ではあるのですが、西洋画技法や道教思想を作品に取り入れており、緻密な作家です。
そういう人物が、あんなわけのわからない、会話もろくにできないような人物というのは大変失礼であると思います。浮世絵をなんだと思っているのか。
はい、ここで六枚目の「歌川」じゃぞ。

歌川広重『東海道五十三次』「日本橋」/wikipediaより引用
みんな流石に知っているよなあ? なんといってもあの歌川広重よ。
ちなみに広重は豊国ではなく、門生満員のため、豊国の弟弟子・豊広に師事しておる。こんな広重ですらブレイクまで苦労したというのだから、当時の浮世絵界は厳しい。
この広重の絵は、当時の世相や十返舎一九ともリンクしておる。
治安が安定し、庶民の生活にも余裕が出てくると、旅をするようになる。そんな旅需要のお供に十返舎一九の『膝栗毛』シリーズ。そして名所絵となったわけだ。
こうして考えてくると、やはり、歌川派の削除は不味かったんじゃ……そう素直に焦ったそなたは見どころがあるぞ。
そして次に曲亭馬琴。
私は馬琴の大ファンではあるのですが、彼の性格の悪さは認めます。むしろ最悪のひねくれ陰キャであってこそ馬琴です。善人にしろとは言っておりませんし、言うわけもない!
ただ、『べらぼう』とは性格の悪さの方向性が違うかな、と。
同じ森下先生の大河ドラマキャラクターなら『おんな城主直虎』における小野政次のような、不器用で無愛想であるがゆえに誤解を受けるタイプでしょうか。
『べらぼう』の陽キャであけっぴろげ、厚かましくてデリカシーのない人物像とは異なる気がします。
確かに馬琴は、同時代の文人相手に酷いことをさんざん書き記してはおります。
ただ、どうやら面と向かって言うのではなく、そのときは押し黙っているくせに、あとで暴露を出版する系の陰湿さですね。そこは史実および『光る君へ』の紫式部と似たタイプでしょう。
そういう性格の悪さだけでなく、明清白話小説を読解し取り入れることができるという、馬琴最大の強みが全く出てこなかったことが痛恨の極みです。
彼の最高傑作『南総里見八犬伝』は、蔦重の死からずっとのちに描かれます。最終回までにその片鱗が出てこないことは問題ありません。
ただし、白話小説に詳しいということは、出せたはず。
劇中ではていの願いもあり、書物問屋株を入手します。これにより漢籍の入手ができるようになりました。
店の仕事そっちのけで漢籍を読み漁り、みの吉を苛立たせる瑣吉という場面があれば、そういう説明になったと思えるんですね。
そういう馬琴の強みとなるところがまるでなく、ただ鬱陶しいだけの男になっていました。せっかくの津田健次郎さんが無駄使いされてしまったと思えます。
馬琴記念に七枚目の「歌川」じゃ。

月岡芳年『芳流閣両雄動』/wikipediaより引用
これが考証の範囲内のうまいアレンジ典型例じゃ。
定番の場面を描きつつ、縦二枚続きの横長レイアウトを採用。外枠はたどりつつもあっと驚くような工夫を見せるのが上手いやり方なのじゃぞ。
この二人のキャスティングについても、問題を感じないわけではありません。
くっきー!さんと津田健次郎さんは、演技ではなく、年齢が問題に思えるのです。主役である横浜流星さんより上過ぎませんか。
大河ドラマは人間の一生を描くからには、年齢差がおかしいことはあります。むしろ後半はそれが風物詩です。
ただ、本作の場合、馬琴や北斎といった人物が次世代という感覚が出せなくなってしまった。構造的欠陥を感じます。
彼らが「蔦重さんは確かにえらいっちゃそうだけど、センスが古臭いんだよな」と苦笑してもよかったとは思います。
『どうする家康』は、特に後半、主演が加齢演技を避けているのではないかと思えたものです。
しかし横浜流星さんの場合、むしろ積極的に加齢をしっかりとさせてきていました。
それなのに、どうにも最終盤は「俺は生涯現役!」と張り切る。
昭和平成エナジードリンク広告のような痛々しいおじさんじみた風情があって興醒めしたことは確か。くどいようですが、このことについては横浜さんに罪は全くない。
配役にせよ、制作側のノリというか趣味が全面に出過ぎたことが問題です。
くっきー!さんは芸人。津田健次郎さんは声優。本業が役者でないということは問題視しませんし、演技は問題ありません。
ただ、年齢も含めて適材適所かと言われると疑念が残らなくもない。
好きだからこそ、適材適所にいて欲しい。出せばいいってもんじゃないでしょう。
この二人の残念さは、本作後半の悪いところが凝縮しているといえる。キャラクター描写の問題でなく、ドラマ全体の質の低下が反映されているとも言えます。
政治と文化の組み合わせがうまくいかなくなったこと。
考証や文化特性の軽視。
幸か不幸か、馬琴と北斎は2024年公開映画『八犬伝』の主役コンビでもあります。
劇中時の年齢設定を差し引くとしましても、あの作品と比べてみると、本作はかなり劣るというのが偽りのない気持ちです。
はい、ここで八枚目の「歌川」だ〜。

『忠臣蔵十一段目夜討之図』歌川国芳・作/wikipediaより引用
待たせたな! 歌川国芳だ!
最近では猫絵おじさんとして有名になっているようだ。武者絵の達人である。
この絵を覚えておいて欲しい。西洋画法がバッチリ使われておるじゃろ。
千丈の堤も螻蟻の穴を以て潰ゆ
前述した通り、北斎と馬琴は荒くなった制作体制が生み出した失敗といえる。この問題点は作品の出来まで侵食し出しました。
ていが『韓非子』を引用したことを覚えておられますか。
千丈(センジョウ)の堤(つつみ)も螻蟻(ロウギ)の穴を以て潰(つい)ゆ。
立派な堤も、蟻の穴から崩れることもある。
まさか『べらぼう』がそうなるとはこちらも予想だにできなかったことですね。この場合の蟻穴は、考証よりもノリと身内意識を重視した製作者の悪ノリです。
結果、蔦重の業績でも最も重要であったといえる、浮世絵関連の考証が崩れてしまいました。
まず、歌麿の美人大首絵。製作過程に本作品独自設定が反映されているのは、仕方のないこととはいえます。
歌麿が抱く蔦重への恋心を絵にしたというのは、ありといえばありです。森下先生は「歌麿の絵には女性の心情が含まれている」と聞き、練っていったそうです。
ここまでは私も理解できます。確かに歌麿の絵には、他の美人画にはない恋心が宿っているのはそう。そこが可憐です。
問題はそこから先!
歌麿の絵の特徴を際立たせるには、ライバルの美人画も必要だったのではないでしょうか。
清艶でスラリとした体型が際立つ。そんな鳥居清長や、ラグジュアリー路線の鳥文斎栄之と競って欲しかった。鳥居清長は美人画の定番ですから。
特に鳥文斎栄之は再評価枠の一人ですので、実に惜しまれることです。
鳥居清長と鳥文斎栄之は、蔦重歌麿路線に対して西村屋がぶつけてきた絵師でもある。
売れ筋ばかり考えていて邪念がある西与を、純愛で結ばれた蔦重歌麿カップルが打ち破るのだって、ブロマンスとしてはありだと思うんですね。

鳥居清長『美南見十二候 三月 御殿山の花見』/wikipediaより引用

鳥文斎栄之『青楼美人六花仙』「扇屋花扇」/wikipediaより引用
そして前述もしましたが、史実を見ていくと蔦重歌麿コンビが痛快なまでにやらかすのが、判じ絵攻防です。
名前がわかる実在の美人画を幕府が禁止すると、絵の中に描かれたモチーフで特定できるようにしてすり抜ける攻防です。
定信への抵抗としても、浮世絵の歴史としても、ここを省くのはちょっとないのではないか。
判じ絵は江戸時代の知恵の面白さの象徴です。大河ドラマ館でも特設展示がありましたからね。
どうしてそこを省くのか?
ペース配分を間違えていないかと首を捻ったものです。
ただ、それでもここまでは踏みとどまっていたともいえる。取捨選択の結果と思えなくもない。

歌川重宣『江戸名所はんじもの』/wikipediaより引用
はい、九枚目の「歌川」だぞ!

月岡芳年『板額御前』/wikipediaより引用
国芳の弟子である月岡芳年作。弓の名手である板額御前だ。あの『鎌倉殿の13人』で活躍していた巴御前と並ぶ女武者である。
この絵には際立った特徴がある。さて、どこだろう? 考えてみてくれ。答え合わせはあとで。
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