清州城(清須城)

創建当時には無かった清州城の模擬天守

どうする家康感想あらすじ

清須城が紫禁城のようだ?大河『どうする家康』の描写は過剰か否か

国民的な歴史番組の宿命でしょう。

大河ドラマには毎年のように湧き上がる議論があります。

こんなのは歴史的にありえない!

いやいや、フィクションなんだからオッケーでしょ!

個人的には、史実通りである必要は全くないと思いますし、そもそもどれだけ寄せたって完全な再現など不可能です。

ただし、歴史ドラマという以上、一定の制約は必要とも感じます。

例えば作り手が「創作なんだから自由だよね」という理由で、鎌倉時代火縄銃を登場させたり、戦国時代の日本に中国のような城を作ってしまったら、いったい我々は何を見せられているのか?となる。

「さすがにそれは屁理屈が過ぎるわwww」と、つっこまれるようなことを申し上げるにも、理由があります。

最終回を迎える前、時代考証を担当する柴裕之先生のインタビューが公開されました。

◆『どうする家康』ついに最終回…最新の研究成果はどこまで生かされたか 時代考証に聞く<下>(→link

この記事の中で「紫禁城みたいな清須城に驚いた」という心情をポロリと打ち明けているのです。

SNSでも批判の声がありましたが、ドラマに登場した中国の紫禁城みたいな清須城には私も驚きました

台本には「家康は清須城の壮大さに驚いた」というくだりしかなく、「当時はまだ天守はありませんよ」という話はしましたが、ああいう城になるとは思いませんでした。

SNSで批判されたというのは『どうする家康』の第4回放送「清須でどうする!」に登場した清須城。

その描き方が「中国の宮殿かよ!これは紫禁城か?」と悪い意味で話題になっていたことを振り返っています。

いったい何事だったのか?

果たして城の描写はいかなるものだったか?

ドラマや他の作品を振り返りながら、考察してみたいと思います。

なお、付け加えますと2023年11月公開の映画『首』には、“紫禁城もどき”は一切登場しておりません。

北野武監督の映画『首』は本当に面白いのか?見どころは?忖度なしの徹底レビュー

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中国産戦国ソシャゲ広告のやらかすミス

同放送をご覧になられた方はまだ覚えていらっしゃるでしょうか。

徳川家康(松平元康)の主従が清須城の城門を抜けた瞬間、目の前に広がる、なんだか薄気味悪い城内。

暗雲うごめくような空に影響されたのか、城は全体的に黒ずんだ色合いをしていて、家康が中に入ると、黒色の衣装に身をまとった信長の部下たちがズラリと並んで出迎える。

その状況に注目してでしょう。大手メディアでも、以下のような記事が出されました。

◆大河「家康」次回、清洲城がヤバい まるで中国宮殿 ネット沸く「紫禁城?」「二度見した」「キングダム!」(→link

『どうする家康』の清須城を見て視聴者が感じたのは映画の『ラストエンペラー』とか『キングダム』だったようです。

以下、記事から引用させていただきます。

ネット上も「清洲城が平安京かラストエンペラー」「あの紫禁城みたいなのが清洲城なのか…?」「紫禁城みたいな清洲城出てきたな…」「中国の城のようで二度見してた。あれ、清洲城?」「ワタシの知ってる清洲城って来週予告の映像とかなり異なる気がするw」「清洲城ってこんな感じだった?」「どこのキングダムよ!?」「阿房宮が写ってなかった?うちのテレビだけ?」と驚きの投稿が相次いでいる。

話題になったのは城だけではありません。

◆『どうする家康』でド肝を抜いた「まるで平城京」清須城の規模に発掘中の研究者からも疑問が「今年の大河はファンタジー」の声も(→link

清須城の規模や姿だけでなく、その周囲に広がる濃尾平野についても言及されました。

《何度見ても、これが濃尾平野とは思えんわ… それにこの時期の清須城はこんな大規模じゃないし》《(清須城が)まるで平城宮の第一次大極殿院のようだ。おそらくモデルは秦の阿房宮か漢の長安城ってとこだろう》と、考古学研究者の嘆きツイートは続いている。

果たして、これは歴史ドラマとしてありなのか。それとも過剰な演出なのか。

私の頭に浮かんできたのは、最近よく見かける「中国産の戦国ソーシャルゲーム広告」です。

例えば『信長の野望』など、コーエーテクモゲームスの作品は中国語圏でも非常に人気があります。

ソシャゲとなれば課金収益も見込める。ゆえに中国産の戦国ゲームも作られる。

そんな需要で生み出されていて、武将や甲冑の画像は、どこか既視感を覚えながらも、そこそこの出来に仕上がっています。

しかし、決定的におかしなところがある。

それは城攻めの場面で、高い城壁が立っていること。

中国語で「城」とは、城壁で囲まれた都市を指します。

『進撃の巨人』のような、ウォールで囲まれた状態をご想像いただければわかりやすいかと思います。

ゆえに城攻めとなると、雲梯車や衝車といった攻城兵器の出番となります。

しかし日本の城に、中国のような城壁はありません。

必然的に攻城兵器も規模が小さくなる。

ゲーム用のマップとなれば、たしかに城壁で囲んだほうが拠点がわかりやすいですし、攻城兵器があった方が戦術が複雑化して楽しくなる。ゲームならば“あり”の演出かもしれません。

では、大河ドラマ『どうする家康』の清須城はどうでしょう?

 


中国の宮殿のようだが

同ドラマの清須城に対して投稿された感想をピックアップしながら、なぜ視聴者の皆様が戸惑いを覚えたのか、考えてみました。

・『キングダム』で見た宮殿のようだ

『キングダム』と言うからには、始皇帝の阿房宮(あぼうきゅう)をイメージされているのでしょう。

日本の映画版でのロケ地は象山影視城です。

象山影視城

象山影視城/photo by Siyuwj wikipediaより引用

悲しいことに、象山影視城で撮影した宮殿の方がはるかに立派で、大河ドラマの清須城では、とても規模では追いつけません。

もともと国土の広さという違いがありますので仕方ないですね。

では次のご指摘はどうか。

・紫禁城のようだ

紫禁城は明の永楽帝が15世紀初頭から、元朝の宮殿を元にして建設したものです。

時代的には確かに近い。

しかし、当時の明人にしてみれば「あの清須城とどこが似てるのか言ってみなさい!」状態になるかと思われます。

紫禁城を見て、パッと目を引くのは、赤と黄――この二色を鮮やかに施した建築物こそ、中国北部を奪還した大明の権威をみせつける特徴でした。

全体的に黒っぽい清須城ではまるでイメージが異なるのです。

「我ら漢民族の威容を見せつけるとして、あんなちまちました色はない……五行説を意識しないとか、ありえないから!」

そんな風につっこまれそうです。

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・家臣たちがしょぼい!

紫禁城をイメージするならば、清須城で家康らを出迎えた「黒服の家臣たち」にもいささか問題があります。

圧倒的に数が少ないのです。

紫禁城と言えば、文武百官が勢揃いする場面。

文官と武官がそれぞれの制服を着てずらりと並び、その前に皇帝が座る――その威容を誇るわけです。

『どうする家康』の清須城を明の官僚たちが見たら

「もう少しエキストラを用意できなかったのですか……」

と困り顔になってしまうでしょう。

たしかに中国の皇帝と、日本の地方大名では国力に圧倒的な差がありますが、ドラマとして「信長の威容を見せつける」演出ならば、それだけで圧倒する人員を配置せねばならないのでは?

六本木のバーの黒服ではないのです。

だからこそ、あの清須城で信長の威光を強調するなら、もっと気勢を上げて欲しかった。

例えば、斎藤道三との面会に際して、朱槍五百・弓鉄砲五百の部隊を行進させたという『信長公記』の記述を踏まえ、それに準ずる仕掛けがあっても良かったのでは?

それなら一定の史実に配慮した、フィクションならではの場面となるでしょう。

『信長公記』の記述が全て正しいわけではないというツッコミもありますが、ドラマの演出に応用するなら問題ないはずです。

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