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【清須城が紫禁城のようだ?】
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信長がマント姿であるのは「脱亜入欧」路線
それにしても、なぜ中国宮殿風にしたのでしょう。
マントを身にまとっている信長。清須城には椅子とテーブルもありました。
ここまでやるなら、むしろ城も西洋風に仕立て上げれば整合性が取れたような気がしなくもないですが、まだ桶狭間直後の時代に南蛮というのもなかなか厳しいものがありますね。
確かに信長といえば南蛮マントと南蛮甲冑、ワインを飲むイメージがあります。
ゲームでもおなじみですが、その表現の源流を辿っていくと司馬遼太郎あたりに行き着きます。
司馬遼太郎は脱亜入欧思想が濃く、気に入った人物は西洋の影響を受けていたとすることがしばしば。
例えば幕末ですと、土方歳三がその一例で、西洋軍服を身につけた写真が拡大解釈されたように思えます。
戦国時代の脱亜入欧ですと織田信長が代表ですね。
信長は斬新だからこそ、漢籍教養なんて否定して一足飛びに西洋かぶれになる――そんなイメージが好まれます。
『どうする家康』と同じ脚本家で、同時公開の映画『レジェンド&バタフライ』も、そんな信長像が意識されているようです。
ただ、信長の南蛮イメージもあくまで後世のこじつけです。
信長が名付けた「岐阜」という地名に注目してみましょう。
「岐」にせよ「阜」にせよ、日本では他に使用例が少なく、書きにくいと感じたことはありませんか?
そもそもは禅僧の沢彦宗恩(たくげんそうおん)が、中国由来の地名である岐山(きさん)、岐陽(きよう)、曲阜(きょくふ)を挙げ、組み合わせて作られた地名だとか。
岐山は西周の中心地であり、曲阜は孔子の生まれ故郷。
孔子は西周こそ理想としました。
これを組み合わせると、孔子が理想とした西周を己の本拠地とする――そんな沢彦と信長の理想像が見えてきます。
戦国時代の禅僧は漢籍教養を最も身につけている階層です。禅僧の提案を受け入れた信長が、漢籍教養を軽視したとは思えません。
また、信長の花押は「麒麟」の「麟」とされています。
岐阜という地名を選び、「麟」を花押とする――『麒麟がくる』の光秀がワクワクと仕えた意味は、そんな史実からも読み解けるでしょう。
『麒麟がくる』では、信長の台詞からも彼の教養が伺えました。
彼は天下を取ることを「万乗之君」(ばんじょうのきみ)と表現しました。
これは戦車一万台を操る君子という意味で、騎兵ではなく戦車戦を行っていた中国古代ならではの言い回しです。
その一方で、宣教師からもらった南蛮服は光秀に譲り、彼が着る場面がありました。
あのドラマには、なぜか根付いてしまった信長の南蛮かぶれを訂正する意図も感じられたものです。フィクションながら史実に沿って独自の表現をしている、非常に面白い取組でした。
『麒麟がくる』で「来ない」と話題になった――そもそも「麒麟」とは何か問題
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『どうする家康』に話を戻します。
本作の信長像は、従来の南蛮かぶれ路線です。
しかし、なぜか清須城は中国風。
フィクションだから史実に沿う必要はない!と言われても、さすがに支離滅裂としている感は否めないでしょう。
さすがにそれは過剰な喩えだと承知しておりますが、本作でも似たような描写があり、以下の記事で問題視されていました。
◆『どうする家康』第2話で早くも“脱落”する視聴者続出「このノリについて行けない」「時代考証雑すぎないか」(→link)
火縄銃で“連射”をしてしまうシーンについて、おかしくないか?と記されています。
以下の部分です。
「第2話で、松平の軍勢が敵の奇襲に応戦する際、火縄銃を連射しているシーンがありました。当時の火縄銃が単発式だったのは、中学生でも知っているはずです。
ほかにも、信長が桶狭間の時点で西洋のマントを着用していたり、今川義元の首をぶら下げた槍を馬上から投げるなど、思わず首をかしげるシーンがいくつもありました。槍を投げるのは、台本にはなく、監督のアイデアだったようですが……。いくらエンタテイメントとはいえ、あまりにやりすぎな感は否めません」(テレビウオッチャー)
作り手が火縄銃の基本的な仕組みを知らなかったとはさすがに思えません。
それでも連射をするようなシーンを描いたのは、それがカッコイイという判断からなのでしょうか。
信長や家康のセリフや性格は、フィクションでいくらでも好きなように描けますが、その時代における科学技術の描写をめちゃくちゃにしたら、それはもう歴史ドラマではなくSFでしょう。
「闇鍋」は食べる人を選ぶもの
しかし、同時に思いました。
『どうする家康』の持ち味は、この闇鍋感なのかもしれません。
既に格闘シーンではプロレス技が炸裂していて、こちらも話題にされています。
まずは元康と氏真の戦いについて、こちらではSTFという技が注目されています。
物語の中盤では、どちらが瀬名との祝言を挙げるかを巡り、元康と今川義元の嫡男・今川氏真(溝端淳平)が武芸対決。過去の稽古ではへたれだった元康が棍棒を打ち捨てると一瞬の固め技・STFをさく裂させ、“一本勝ち”。元新日本プロレスの蝶野正洋がフィニッシュホールドに使用した足を固めた上でのフェイスロックでの勝利にネット上は「STFさく裂!」、「まさかのプロレス技じゃん。熱い!」、「松潤、(織田信長役の)岡田准一に格闘技、習ったのかな?」などの声で沸騰した。
記事を読んでいると、格闘技を習っている芸能人がバラエティ番組で語っていたかのようで、もはや大河ドラマの話題とは思えません。
しかもプロレス技は一つではありませんでした。
信長が元康に稽古をつけるようにバトルをするシーンですね。
次回予告。一般的な相撲のイメージとは異なり、2人は観衆が持つ竹垣(竹柵)に囲われた“土俵”で格闘。むしろプロレスの金網デスマッチのようだ。信長は右かち上げ→右ラリアットと連続して元康の左アゴ付近を強打。元康は幼少期のように“寅”として立ち向かえるのか?
「金網デスマッチ」とか「ラリアット」とか、まるで邪道レスラーとして有名な大仁田厚さんのような……。
これは本当に何の記事なのでしょう。真面目な歴史ファンでしたら怒りが湧いてくるかもしれません。
それともフィクションだからアリ?
武術も歴史の変遷を経て成熟するものであり、時代を超えて技が繰り出されれば、それは本質的にはSFに近いと思います。
仮面をかぶり、薙刀を携えて登場したお市もそうです。
◆<どうする家康>乗馬シーンも登場 北川景子“市”誇り高き引き際に「カッコいい!」の声あふれる(→link)
北川景子さんの登場でお茶の間的には話題となりましたね。
問題は薙刀です。
柴田勝家(吉原光夫)や木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉、ムロツヨシ)ら織田勢の家臣たちも本格登場したこの回。久しぶりに信長と相撲稽古をした後、元康は面をつけ薙刀を手にした小柄な武者と槍でやり合うことに。元康が追い詰めたその相手が、市だった。
薙刀が女性の武器として定番になるのは江戸時代以降です。
それを非常に慣れた手付きで、凄まじいスピードで振り回していた。
薙刀自体は存在はしていたので問題はないということですかね?
ちなみに、謎の人物が仮面をかぶって登場するという「お約束」は華流ドラマあるあるです。人気作品『陳情令』でもあります。
魏無羨と藍忘機のルーツ~陳情令と魔道祖師は「武侠」で読み解く
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実はこのような「ごちゃ混ぜ時代劇」は本作が最初でもなく、主に2000年代から2010年代にも制作されました。
リメイク版『魔界転生』、『SHINOBI』、『GOEMON』、『ICHI』といった作品が代表例でしょう。登場人物は月代を剃らず、服装も無国籍風でよくわからないものもありました。
なぜ、そんなテイストにしたのか?
というと、古臭い時代劇では若者にウケないし、日本文化や歴史を知らない海外の観客も取り込みたいから、あえてそうしていると指摘されたものです。
しかし、その手の映画は大してヒットはしていません。
むしろタランティーノが絶賛した『柳生一族の陰謀』や『魔界転生』は、日本の歴史を知らなければ通じないようなネタをどんどん取り込みながら、圧倒的なパワーで多くの視聴者を魅了しました。
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『どうする家康』はどうか。
歴史に対する情念のようなパワーが足りず、なんだか小手先で誤魔化されているような印象を受けます。
原作や原典を侮辱しているようにすら思えてくる。
時代考証がおかしいとの指摘が多い『どうする家康』は、敢えてそうした枠組みを壊しているのかもしれません。
しかし、それは中高生がファミリーレストランのドリンクバーで、複数のジュースを無茶苦茶に混ぜて飲んでいるような感覚ではありませんか? あるいは闇鍋とか。
真面目に作った料理を食べたいと思う者が「お堅い連中だなw」と笑われてしまうような状況にも見えます。
『どうする家康』の主要人物は、言わずもがな家康や信長です。
彼らのような稀代の人物を描くのに、奇妙な城やプロレス技などの、奇をてらった描写は不要でしょう。
真正面から正攻法で戦国の非情さ、武将の凛々しい姿を描いて欲しい。
ただ、そう願うばかりです。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)