ドラマ大奥幕末編 感想レビュー第21回

ドラマ10大奥公式サイトより引用

ドラマ10大奥感想あらすじ

ドラマ大奥幕末編 感想レビュー第21回 女将軍と女たちが育てた江戸の町を守る

大奥に帰りたい――そう願いつつ、若い命を散らした徳川家茂

彼女は次の将軍として田安亀之助を指名していたものの、あまりにも幼いため、徳川慶喜が将軍に任じられます。

京都の二条城にて、慶喜は就任。

そしてこの歳の暮れ、孝明天皇も崩御したのでした。

 

先帝の御宸翰

土御門がある文を手にして、偽和宮こと親子(ちかこ)のもとにやってきます。

親子の実家である橋本家に届いたとのことで、土御門は自分宛ではないと持ってきます。

「和宮江」

呼び捨てで記された宛名。天皇の妹に対し、そんなことをできる人間は限られています。

親子が恐る恐る中身を確認すると……。

「謀反人は岩倉と薩摩」

中には衝撃的なことが記されていました。

表向きは、土御門宛を装って送られてきたこの書状。すぐさま天璋院に見せると、ただの文ではないと気づいたのか、天璋院はうやうやしく敬意をこめて扱っています。

身分制度の厳格な時代劇では呼び方、衣装、そしてこうした所作が大事です。

親子が差し出したもう一通の御宸翰と比較し、筆跡が同じだと確認する天璋院。単なる書状ではなく御宸翰であると天璋院も納得しています。

その上で親子は「ここに書かれていることはまことか」と問い詰めます。

天璋院ですら、孝明天皇の崩御には不信感を抱いていた。毒殺疑惑があることは認めざるを得ない。

親子は驚き、これは先帝の訴えではないか! 皆に言うべきではないか! と声を荒げます。

しかし、この文が真のものか証拠がないと天璋院は苦しい表情。

我慢ならぬ親子は、「和宮」と呼び捨てにし、筆跡まで一致するのに真偽も何もない!と言い募ります。

京ことばでの詰問を早口でこなす。岸井ゆきのさんの演技が見事ですね。

それでも天璋院は、新帝を握り、意のままに操っているのは岩倉と薩摩だと返すしかありません。

倒幕を目指す志士は、天皇のことを平然と「玉」(ぎょく)と呼んでいました。所詮は道具ということです。

「はっ? 死人は口無してこと? 面倒は起こすな、黙っとけてこと?」

容赦せず問い詰める親子。

そのうえで、天璋院は薩摩のお人やったな、と追い詰めると、さすがに瀧山もたしなめます。

親子は御宸翰を手にしてどこかへ歩み去ってゆきました。

 

謎多き幕末史

孝明天皇は毒殺されたのかどうか?

はっきりと肯定も否定もされません。

疑われるだけの不審な状況が残されていて、かつ繋ぎ合わせてゆくと岩倉具視に疑念が及ぶこともその通り。

幕末明治の歴史は隠蔽されて真相がわからないことが多いものです。

例えば明治天皇の恩人である田中河内介

彼は薩摩藩により謀殺され、死体遺棄されました。それを明かせば薩摩が不敬とみなされるため、長く秘されてきました。

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あるいは会津藩。「朝敵」の筆頭だと見なされてきました。

しかし、どうにもおかしな点がある。

孝明天皇の皇后は、旧会津藩主・松平容保が体調を崩したと聞くと、見舞いの品を内密に届けさせています。

その謎は、容保の死後、遺品から孝明天皇の御宸翰が見つかったことにより、解明されました。

会津は朝敵どころか、孝明天皇から信頼されていたのです。

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こうして解明された謎もあれば、未解明の謎もまた多し。

ある人物の書状がネットオークションに出されていた。誰も見向きもせず、落札されない。そこで出品者が研究者に見てもらったところ、今まで知られていなかった史実が判明した――こういうことがザラに起きるのが幕末史です。

私もつい先日、大河ドラマにも出ていたある人物の死に至る状況が未解明だと知り、改めて驚いたものです。

孝明天皇崩御の謎も、今後、明かされる日が来るのかもしれません。

それにしても、幕末史最大のタブーとも言える「孝明天皇崩御の疑惑」までNHKが扱うとは思いませんでした。

『大奥』は何か分厚いベールを剥ぐような力を持っている。これも時代の流れでしょうか。

 

新帝の叡慮とは何なのか

慶応3年(1867年)10月、大政奉還――徳川も朝廷のもと、巨大な一大名として政に参画する腹積りでした。

しかし、うまくいかない。

新政権から排除され、王政復古の大号令では官位と領地返上を命じられます。

これはいくつもの誤算が生じています。

慶喜は頭が切れすぎて、周囲が馬鹿に見えて仕方ないと指摘されるところ。それだけでなく、己の考えに過信があるせいか、人の意識を見誤って失敗することも多い。

徳川に対する厳しい命令に慌てている。

まだ歳若い、角髪(みずら)の新帝がチラリと見えます。

傍に控えるのは西郷隆盛――この絵だけでも、既に疑念を抱かせる作りが素晴らしいですね。

まだ幼い帝の意思とやらがどこにあるのか?

この西郷は、まるで猛獣が身を伏せ、相手にどうやって飛びかかろうか考えているような風情だ。

大政奉還には土佐藩も深く関与しています。それだけに山内容堂は、この一連の流れに愕然としました。

まだ幼い帝を思うままに操っていないか?

そう抗議したところ、不敬であると岩倉具視に反論され、黙るしかなくなっています。

日本人を縛り付ける天皇への敬意が芽生えてきているんですね。

「昔からあったものだろ?」

いいえ、そうでもありません。

前述の通り志士は「玉」と道具扱いしていましたし、大河ドラマ『麒麟がくる』では、織田信長がだんだんと正親町天皇との間に齟齬が生じていたシーンも流された。

『鎌倉殿の13人』の最終回では、後鳥羽院が手荒に捕縛され、そして本作『大奥』では孝明天皇の毒殺疑惑まで出てきます。

歴史ドラマで天皇はどう扱われているか。そこに注目することで見えてくるものもあります。

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