大奥に帰りたい――そう願いつつ、若い命を散らした徳川家茂。
彼女は次の将軍として田安亀之助を指名していたものの、あまりにも幼いため、徳川慶喜が将軍に任じられます。
京都の二条城にて、慶喜は就任。
そしてこの歳の暮れ、孝明天皇も崩御したのでした。
先帝の御宸翰
土御門がある文を手にして、偽和宮こと親子(ちかこ)のもとにやってきます。
親子の実家である橋本家に届いたとのことで、土御門は自分宛ではないと持ってきます。
「和宮江」
呼び捨てで記された宛名。天皇の妹に対し、そんなことをできる人間は限られています。
親子が恐る恐る中身を確認すると……。
「謀反人は岩倉と薩摩」
中には衝撃的なことが記されていました。
表向きは、土御門宛を装って送られてきたこの書状。すぐさま天璋院に見せると、ただの文ではないと気づいたのか、天璋院はうやうやしく敬意をこめて扱っています。
身分制度の厳格な時代劇では呼び方、衣装、そしてこうした所作が大事です。
親子が差し出したもう一通の御宸翰と比較し、筆跡が同じだと確認する天璋院。単なる書状ではなく御宸翰であると天璋院も納得しています。
その上で親子は「ここに書かれていることはまことか」と問い詰めます。
天璋院ですら、孝明天皇の崩御には不信感を抱いていた。毒殺疑惑があることは認めざるを得ない。
親子は驚き、これは先帝の訴えではないか! 皆に言うべきではないか! と声を荒げます。
しかし、この文が真のものか証拠がないと天璋院は苦しい表情。
我慢ならぬ親子は、「和宮」と呼び捨てにし、筆跡まで一致するのに真偽も何もない!と言い募ります。
京ことばでの詰問を早口でこなす。岸井ゆきのさんの演技が見事ですね。
それでも天璋院は、新帝を握り、意のままに操っているのは岩倉と薩摩だと返すしかありません。
倒幕を目指す志士は、天皇のことを平然と「玉」(ぎょく)と呼んでいました。所詮は道具ということです。
「はっ? 死人は口無してこと? 面倒は起こすな、黙っとけてこと?」
容赦せず問い詰める親子。
そのうえで、天璋院は薩摩のお人やったな、と追い詰めると、さすがに瀧山もたしなめます。
親子は御宸翰を手にしてどこかへ歩み去ってゆきました。
謎多き幕末史
孝明天皇は毒殺されたのかどうか?
はっきりと肯定も否定もされません。
疑われるだけの不審な状況が残されていて、かつ繋ぎ合わせてゆくと岩倉具視に疑念が及ぶこともその通り。
幕末明治の歴史は隠蔽されて真相がわからないことが多いものです。
例えば明治天皇の恩人である田中河内介。
彼は薩摩藩により謀殺され、死体遺棄されました。それを明かせば薩摩が不敬とみなされるため、長く秘されてきました。
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あるいは会津藩。「朝敵」の筆頭だと見なされてきました。
しかし、どうにもおかしな点がある。
孝明天皇の皇后は、旧会津藩主・松平容保が体調を崩したと聞くと、見舞いの品を内密に届けさせています。
その謎は、容保の死後、遺品から孝明天皇の御宸翰が見つかったことにより、解明されました。
会津は朝敵どころか、孝明天皇から信頼されていたのです。
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こうして解明された謎もあれば、未解明の謎もまた多し。
ある人物の書状がネットオークションに出されていた。誰も見向きもせず、落札されない。そこで出品者が研究者に見てもらったところ、今まで知られていなかった史実が判明した――こういうことがザラに起きるのが幕末史です。
私もつい先日、大河ドラマにも出ていたある人物の死に至る状況が未解明だと知り、改めて驚いたものです。
孝明天皇崩御の謎も、今後、明かされる日が来るのかもしれません。
それにしても、幕末史最大のタブーとも言える「孝明天皇崩御の疑惑」までNHKが扱うとは思いませんでした。
『大奥』は何か分厚いベールを剥ぐような力を持っている。これも時代の流れでしょうか。
新帝の叡慮とは何なのか
慶応3年(1867年)10月、大政奉還――徳川も朝廷のもと、巨大な一大名として政に参画する腹積りでした。
しかし、うまくいかない。
新政権から排除され、王政復古の大号令では官位と領地返上を命じられます。
これはいくつもの誤算が生じています。
慶喜は頭が切れすぎて、周囲が馬鹿に見えて仕方ないと指摘されるところ。それだけでなく、己の考えに過信があるせいか、人の意識を見誤って失敗することも多い。
徳川に対する厳しい命令に慌てている。
まだ歳若い、角髪(みずら)の新帝がチラリと見えます。
傍に控えるのは西郷隆盛――この絵だけでも、既に疑念を抱かせる作りが素晴らしいですね。
まだ幼い帝の意思とやらがどこにあるのか?
この西郷は、まるで猛獣が身を伏せ、相手にどうやって飛びかかろうか考えているような風情だ。
大政奉還には土佐藩も深く関与しています。それだけに山内容堂は、この一連の流れに愕然としました。
まだ幼い帝を思うままに操っていないか?
そう抗議したところ、不敬であると岩倉具視に反論され、黙るしかなくなっています。
日本人を縛り付ける天皇への敬意が芽生えてきているんですね。
「昔からあったものだろ?」
いいえ、そうでもありません。
前述の通り志士は「玉」と道具扱いしていましたし、大河ドラマ『麒麟がくる』では、織田 信長がだんだんと正親町天皇との間に齟齬が生じていたシーンも流された。
『鎌倉殿の13人』の最終回では、後鳥羽院が手荒に捕縛され、そして本作『大奥』では孝明天皇の毒殺疑惑まで出てきます。
歴史ドラマで天皇はどう扱われているか。そこに注目することで見えてくるものもあります。
西郷の描く倒幕へ
すっかりあてが外れてしまった慶喜。
こんな馬鹿な話があるのか!と焦燥しているものの、薩長が新帝を操っていると聞かされ、動揺が見えます。
思えば慶喜は、孝明天皇が徳川家茂や松平容保に寄せる信頼を糧にして政局を渡ってきました。
所詮、自身の信頼や実績ではなかった、虎の威を借る狐に過ぎなかった。ようやく事態の深刻さを理解し始めています。
そして、幕府最後の年となる慶応4年(1968年)1月――旧幕府軍と新政府軍が激突する【鳥羽・伏見の戦い】が勃発!
予算も限られている中、このドラマが実写ロケの重要性を理解しているのがわかりますね。
映像のフレームは狭くて、その狭いところにギュッと兵士を詰めることで、エキストラの人数はかなり絞っている。
それでも火薬の煙や発砲音があるし、大砲もちゃんと反動で後ろへ下がる。この反動を受ける大砲の動きは見逃せません。
ナレーションも的確で、当初の戦況は互角であるとしています。
この戦いは言われているほど火力の差はありませんでした。
それを一変させたのが【錦の御旗】です。
堂々と掲げられた旗の前で、西郷隆盛の獅子吼が響き渡る。これぞ帝の御しるし、我らこそが官軍。徳川こそが朝敵、何も恐れず戦え。
「チェースト!」
そう叫ぶところも素晴らしく、薩摩隼人の極みといえる。
「チェスト」は誤解されがちですが、ジゲン流による攻撃時の掛け声ではありません。あれは「キエー」と叫ぶ「猿叫」です。
薩摩には薩摩琵琶があります。
和式琵琶は横に倒しギターのように持つことが一般的。しかし薩摩琵琶は、中国琵琶のように縦に持つ。
薩摩隼人は薩摩琵琶の語りを精神修養として聞き、物語がクライマックスに到達すると「チェスト」と叫んだ。
自分が描いてきた物語が最高潮に達し、堪え切れずに叫んだのでしょう。
この西郷隆盛を見るだけでも、本作を楽しんできた価値があったと思える、そんな至福の瞬間です。
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とはいえ、敵に西郷隆盛がいるというのはおそろしい。
原田泰造さんの西郷は、ここ数作の西郷隆盛像をあっという間に追い抜き、まるで巨大な像のように立ち塞がりました。
これが巨人の姿なのかとぶるっと震えそうになりました。
全てを投げ出した“豚一”が目の前に!
勝海舟の前に、驚愕の光景が広がります。
勝の、心底うんざり、げんなりして呆れ果てた表情が雄弁ではありませんか。
ありとあらゆる職を罷免されていた勝は、自宅で寝正月を過ごしていました。
で、呼び出されたらコレだよ!
慶喜が大坂城を抜け出して飯を食ってんじゃねえか!
涼しげな顔をして飯を食う慶喜が、心の底から腹立たしい。
大坂城で指揮を執っていたんじゃないのか!
勝が呆れ果てています。
勝でなくても、そう呆れるしかありません。慶喜は本来、大坂で自軍を鼓舞して戦うべきでした。
それを、まだ若い会津藩家老・山川大蔵に指揮権をぶん投げ、松平容保らを半ば騙すようにして連れ去り、軍艦でここまで逃げてきたのです。しかも、愛妾のお芳まで連れて。
天運に見放されたと錯乱寸前に陥った山川は、後年そのことを苦々しく振り返っております。
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勝はここで、最悪の想定を口にします。
兵を見捨てたのか?
すると慶喜は奇策だのなんだの誤魔化しながら、いけしゃあしゃあとこう言い放つのです。
「総大将が城におらぬことになれば戦は終わるではないか」
はぁ? 何言ってんだこの野郎! 兵が残ってたらそうはならねえじゃねえか! 勝に代わってぶん殴ってやらぁ!
と腸煮えくり返っていると、勝が反論してくれます。
「そ……そりゃ詭弁ていうものでございましょう! 現に今だって戦いは続いているじゃあ、ありませんか!」
慶喜の何が極悪か?って、大坂から逃げ出す前に「薩摩を倒すべし!」と命令を下している点なんですね。
それを撤回しない限り事態が収まるわけもない。
しかし、逆ギレで押し切るつもりなのか、勝に対して血統マウントを取ってきます。
「これ以上、戦えば、私は朝敵になってしまうではないか! 私には宮家の血が半分流れておるのだぞ!」
あまりにもくだらない人間過ぎて、何も言葉が出なくなりますね。
脇にいる板倉勝静が軽蔑の眼差しを向けるところがいい。目線だけで、もう何もかもが嫌だと伝わってきます。
実際、このときの江戸城には「いっそ慶喜の首を差し出そう!」と錯乱して言い出した幕臣もいたそうです。
「私が賊軍の将に成り下がったと語り継がれるなど、承服できるか!」
何言ってんだオメエという勝の表情が生々しい。慶喜は目線がうろたえているし、勝はまばたきが増えています。
「では、何故戦をお始めなすったんで」
「その時は勝てると思った」
この馬鹿将軍が……そう言いたい。当時、庄内藩の酒井玄蕃はそう書状に書き残していたとか。
鳥羽・伏見の戦いの敗北は、慶喜に責任があります。兵力があるから、それを率いて上洛すれば鎧袖一触だと余裕をこいてたんですよ。
最大の敗因は、どう考えても慶喜なのです。
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それに大坂城に籠もっていれば、まだまだ行方はわからない状況でした。
なにせ幕府には海軍が無傷で残っていて、十分に戦えたのです。
江戸幕府の成立時、諸大名の水軍は押さえつけられました。
水軍大名は内地へ移封。大型船舶の建造および所有は禁止となっています。当然ながら予め脅威を奪っておいたわけです。
そして黒船の来航時、船に乗り込んでキョロキョロと船内を見回す幕臣たちがいた。
勝手に測量まで始めたほどでしたが、まさか日本がそれからわずか数年で海軍の形を整えるとは、黒船のアメリカ人も予想できなかったことでしょう。
その奇跡を成し遂げたのは、実は江戸幕府でした。
海軍を産み育てた一人が勝海舟。
そんな勝にしてみれば、そりゃ慶喜に向かって「無傷の海軍が残ってんじゃねえか!」と叫びたい気持ちでしょう。
実際この海軍は強かった。
蝦夷地まで落ち延びた幕府海軍に、新政府軍はアメリカ艦を買い付けるまで歯が立たなかったのです。
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勝はうつむき、震え、慶喜を突き放します。
「では、私は今、お役にもございませんので」
その場から去ろうとすると、慶喜はこうきた。
「勝。そなたを海軍奉行ならびに陸軍総裁に任ずる! 以後、停戦の交渉はそなたに任せる」
驚愕しながら振り向く勝。
「これをうまくおさめれば、亡き家茂公もさぞお喜びになろう」
袴を握る勝。この手が雄弁ですね。
和装を身につけているとなれば、それならではの動きが欲しい。
歯を食いしばり、袴を握る勝からは憤りが生々しく伝わってきました。どうしようもない無念が凝縮されています。
勝が慕っている家茂のことをダシにする慶喜は、とことん下劣でした。
なぜ慶喜の命乞いをせねばならぬのか?
無責任で狡猾な慶喜の尻拭い。
そんな屈辱的な役割を押し付けられたのは勝海舟だけではありませんでした。
天璋院の愕然とした顔が映ります。
一瞬なのに、呆れ果てたと伝わってくる表情がすごい。仲野も軽蔑を全身で表しているようだ。
時代劇の醍醐味はこういうところにあるのでしょう。
貴人の周りにはおつきの者が多い。言葉ひとつ言えぬ状況の中、目線や仕草で演技をするのです。
この勝、天璋院、仲野の背後には、似たような反応の人々が大勢いた。城の中から、江戸の街まで、それはもうズラリ。
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しかし慶喜には反省の念など一切ありません。
家臣のために恭順しているのに、薩長軍が箱根の山を越えて江戸に攻め込んでくるとは何なんだ?と困ったような顔を浮かべている。
まるで自分は1ミリも悪くないんだと言わんばかりに、キビキビとした所作で天璋院に近づき、薩摩に攻撃中止を頼んでいます。
それだけでなく和宮様まで持ち出そうとする。
ドラマでは最小限の描写ですが、これは史実通りです。だからこそ慶喜は、天璋院と和宮の月命日には墓参を欠かさなかったとか。
天璋院は懐中時計を手にして迷っています。
思えば懸念は当たってしまった。自分が嫁いできた先にこの結果がある。どれほどそのことが辛かったことか。
天璋院が親子に事の次第を告げると、彼女はキッパリと断ります。
「いやや! 何で私が実家に慶喜の命乞いをせなあかんの! 上さんはあの男に殺されたようなもんなんやで!」
「私だって嫌です」
天璋院も断言しています。視聴者も納得ですし、幕臣たちも江戸っ子も「ちげぇねぇ!」と同じ気持ちでしょう。
天璋院はまだ悩んでいました。家定に毒を盛ったのは、徳川かもしれぬし、薩摩かもしれない。そのような奴らに何故振り回されねばならぬのか。
しかし、だからと言って、江戸が火の海になることを家定は喜ばないはず。薩長が攻め込めば、多くの民が命を落とす。
これは前回、親子が嘆いた言葉の対比にも思えます。
綺麗な服を着て、カステラを食べてお茶でも飲んでいたいのに、それができない。
あの能天気にも無責任にも思える台詞は、実際には責任を背負っているからこそ成立する嘆きでした。
そう言われ、親子にも家茂の言葉が脳裏に蘇ります。
戦は多くの民にとって傍迷惑でしかない――。
そして天璋院は薩摩、西郷へ働きかけ、親子は、有栖川宮親王や公家に手紙を書きました。
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このあたりを少し補足しますと、ややこしいことに朝廷側にも幕府側につく人がいました。
幕府側についた朝廷の人というのは、孝明天皇に近かったことも押さえておきたいところです。
江戸放火作戦 真の狙いは
手紙が書かれている中、馬に乗って近づいてくる西郷の姿が見えます。
禍々しい獣のようだ。恐ろしい敵であるはずなのに、ひれ伏すしかないような威厳もある。
この西郷は、上野寛永寺で謹慎している慶喜の首をなんとしても取りたいのだとか。
そして複雑極まりない過程を経て、西郷は直談判に応じることにします。
勝が、捕えていた薩摩藩士を返し、恭順の意を示したと天璋院に説明。西郷とも面識がありました。
江戸城の無血開城については、色々と“伝説”の類が多すぎると指摘されます。
史実で最初に西郷と交渉したのは山岡鉄舟ですが、当人はさておき、山岡の弟子たちは「勝ばっかりが無血開城したと言い回ってやがらァ!」と苛立っていた。
ドラマでは省略されていますが、西郷との談判前に、大勢が関わった複雑怪奇な工作があったのです。
問題は、幕府へつきつけられた条件でした。
・江戸城の明け渡し
・兵器軍艦の没収
・徳川家臣の処分
・慶喜の備前預かり
外様の預かりとは死罪にするつもりか!と驚く天璋院。この条件を呑まねば総攻めするとのことです。
恭順しても譲らぬ態度に、徳川家臣は黙っていないのではないか?と懸念する天璋院に対し、勝もおさまりはしないだろう……と頷きます。
そこで勝は、ある仕掛けを用意していました。
江戸放火作戦です。
ナポレオンのロシア遠征におけるロシア側の戦術を参考にし、江戸を焼き払うというものです。
勝は江戸っ子に顔が利く。火消しの新門辰五郎らに声を掛けていました。
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避難のために船と船頭の手配をポケットマネーでしているほどで、そのせいか、勝は御一新の後、金銭的に苦しくなります。
ただしこの焦土作戦が通じるのは、国土が広く、気候が寒冷なロシアだからこそ。手段は同じでも、勝には別の狙いがありました。
江戸放火作戦の“噂”を薩摩に届けようとしたのです。
薩摩の背後にはイギリスがいる。ロンドンやパリとも並ぶ、百万都市・江戸が焼けたら、イギリスとしては困ります。
横浜で貿易していて、目玉商品の生糸も買えなくなったら一大事。この生糸がなかなか重要でして、幕府はフランスにのみ、優先的に販売していました。
イギリスはそんな状況を崩したい。実際それが叶いつつあるのに、江戸を焼かれたら計画が台無しだ。
生麦事件の時点で、イギリスは江戸攻撃案まで練っていましたが、その時点で放棄しています。それが台無しになるとあっては、断固として薩摩に抗議するでしょう。
ちなみに勝は、パークスと直談判してより確実に圧力をかけています。
イギリスはフランス革命を散々批判している。君主の青い血を流すような残酷な革命を実行されたら困る。
どうしても薩摩が折れないなら、イギリスの軍艦で慶喜を亡命させてもよいとまで話がまとまっていたそうです。
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奥の手として天璋院と和宮を人質にとって、談判するまでは考えていないとサラッと言ってのける勝。
すると天璋院は、むしろ自分を使うように、と言い出します。談判にも同席したいと、力強い目で頼みこむ。
猫を抱いた親子が、この一連のやりとりを、外でじっと聞いています。
亀之助は何かの絵を描いていました。なんでも錦の御旗だとか。
「どういう意匠(デザイン)なのか?」と能登に聞かれ、親子は見たことも聞いたこともないと答えます。
土御門も、そんな旗なんてあったんか?とキョトンとしている。
つまりは誰も見たことのない帝の旗にひれ伏したのか、偽物かもしれぬのに……と不思議がる能登。
親子は何か閃きました。
西郷との直談判
かくして勝と西郷の談判が始まりました。
天璋院と瀧山の後を追い、親子もやってきて、できることがあるならば何でもすると言い切る。
薩摩藩邸にて、勝と向き合う西郷。
隣の間では、天璋院、瀧山、そして親子が待機していました。
行軍中に馬を潰したと語る西郷。
勝は馬のためにも東征をやめて欲しいと言います。
「慶喜公の首を差し出して頂ければすぐにでも。馬のためにもぜひ」
頑なな西郷に対し、恭順の意を示しているのに、慶喜の首を取って潰すのはよろしくないと勝が言います。
徳川家臣が蜂起するだろう。それでは江戸は火の海。
すると西郷が、パークスからも江戸の攻撃はやめろ、慶喜の首を求めるなと言われたとして、こう切り返してきました。
「じゃっで、切腹にしてもらおうかち思っちょいもす」
なんとも恐ろしい西郷の迫力。切腹なら慶喜の名誉は保たれると凄むと、勝はなぜそこまで慶喜の首を求めるのかと問いかけます。
徳川の当主であるから――。
徳川は女の将軍を奉じ、国を閉ざし、世界から遅れた恥ずかしい国にしてしまった。そんな徳川は許せない。当主を殺して生まれ変わったとしたいのだと。
勝がなお食い下がっても、西郷は世界の国々、西洋は男が元首であると告げます。
イギリス・ヴィクトリア女王を挙げても、あれは神輿であり、補佐をして政務を行なっているのは男だとして取り付く島もありません。
対するこの国では担ぎ手までが女。本来、政治を行う力のない女が国を取り仕切ってしまってきた。
赤面が流行していた時代は仕方ない。それなのに収束した後の13代、14代まで女が将軍だった。そのせいでこの国は、世界から遅れた恥ずかしい国にしてしまった。
代々女の当主であったと海外に知られたら、日本は未開の蛮族の国だと蔑まされる。
「よって、徳川にこの世から消えてもらうことで、この国は生まれ変わったと示さねばなりもはん」
滔々と語る西郷。
なかなか踏み込んできましたね。このやりとりからは、西郷にとっては帝もただの神輿とも取れます。
するとここで親子が隣の間から入ってきました。
「蔑まされたら誇り返したらええやろ! どれだけ我が国がすばらしいか言いくるめたらええやろ! 薩摩隼人はそんなこともできひんのか!」
「女?」
小柄な女に怒鳴られ驚く西郷。
なんてあっぱれなのだろう!
これぞこの作品の真骨頂でしょう。西郷は天璋院に気づき、かしこまります。
しかし天璋院は「久闊(きゅうかつ)を叙する暇はない」とキッパリ。「久しぶりの挨拶をする」という意味ですが、時代ものらしい言葉遣いが実によいですね。
親子は西郷に包みを突き出します。
先帝の御宸翰であると聞かされ、うやうやしく手にとる西郷。
捧げ持つ手つきの美しさが、彼の知性と礼儀正しさとしてあらわれています。この美を誰が否定できるというのか。
相手が和宮だと知り、西郷が丁寧な態度に改めると、親子はもう一通の御宸翰を見せました。
まず、本物であると確認させる。次に中を読ませる。
目が合う親子と西郷。
親子は先帝毒殺の噂を持ち出し、さらに反応をうかがいます。
その上で公表すれば、薩摩と岩倉が帝を弑したうえで王政復古を語っているとあかされてしまう。大義名分が失われます。
しかし西郷はぬけぬけと、先帝の真筆という証はないと言い、“文”を投げ捨てます。
それは親子の想定内でした。
誰も見たことのない錦の御旗で徳川を逆賊にして大勝ちしたのは誰なのか。人の心はそんなものだと知っているだろうと自信満々の親子。
「これは私らの錦の御旗や。どうする? こんなもん表に出たら、それこそが徳川に寝返る人間がなだれを打って出てくるんとちゃう? それともここで私らに毒でも盛るか?」
挑発する親子ですが、ここは薩摩藩邸です。隣室では刀を持った薩摩隼人が待ち構え、何かあればなだれ込むため、息を潜めている。
勝は焦り、親子をとどめようとする。そして勝はさらに、慶喜は恭順を崩さぬはず……と言いかけたところで、西郷が片手をあげ、押し留め、腕組みをする。
何か考えている西郷。
部屋の外には、解き放たれる時を待つ猟犬じみた薩摩隼人が潜んでいます。もしここで西郷が「斬れ」と一言合図したらどうなるのか?
「ほうじゃ。確か先代家茂公も男にございもしたな」
何かを思いついたかのように、淡々と語り始める西郷。
だからこそ和宮は皇女である。考えてみれば文書に記してある将軍も皆男名。だったら事実はきっとそうだった。
そう考えれば、徳川の歴史も恥ずべきことではない。ならば慶喜を殺すまでもない。
慶喜は備前ではなく、生家のある水戸へ預ける。軍艦や武器は一度預かったのち、徳川相当分を戻す。江戸城城内から速やかに家臣を立ち退かせたのち、明け渡しをする。
それでどうか?と西郷が提案します。
江戸の総攻めもせぬか?と天璋院が念押しすると、そうだと答える。
「西郷……これだけは忘れんといて欲しけどなぁ。この江戸は、列強の街にも劣らへんこの街は、あんたが恥ずかしい言うた女将軍のお膝元で、その町の女らが育ててきたんやで。日々の営みの中で、別に歴史なんてどうでもええわ。あんたらのええように歪めたらええ。けど江戸の町には傷ひとつつけんといて!」
最後まで力強い声で言い切る親子。
「しかとお約束いたしもす。御台様」
瀧山の目には涙が滲んでいます。
こうして江戸城の無血開城が決定しました。
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大奥よ、ありがとう、さようなら
大奥の明け渡しは4月11日。
前日の10日までに片付けをして退去すると瀧山が告げると、天璋院が「最後の宴を催す」と宣言します。
啜り泣く声が響く中、宴が始まります。
鶯の声、美しい花。大奥とはなんと美しい世界であったのか。改めてそう思えます。
瀧山はあの封印していた流水紋を身につけています。
天璋院も身につけたらどうかと中澤が言うと、あれは家定公に見せるものだと彼は返します。
瀧山が挨拶を済ませると、和宮から静寛院宮様と改めた親子がしずしずと京の装束で歩んできました。
家茂の死後、落飾後の名です。土御門も女房装束。能登も女の姿となっています。
みなの言い草になると思い、この姿だと告げる親子。
天璋院はそれがまことのあなた様なのかと感慨深げにしています。
「何言うてはんの。私はいつだって私です」
そう微笑む親子。
彼女はいつもきつい言い回しもずばりとして、思うままに振る舞っているようではありました。
そんな親子が皆に御礼を告げ、上さんもきっとお空の上で同じ思いであると付け加えます。
楽器を奏で、酒を飲み、最後の時を過ごす大奥の人びと。
楽器の音に重なる音楽も素敵です。この美しさをずっと見ていたいような、穏やかな時が過ぎてゆきます。
「これでよかった? 上さん」
そう空に語りかける親子。彼女にもようやく、綺麗な服を着て、茶を飲み、カステラを食べる日々が訪れたのでしょう。
宴の翌日からは、怒涛の大掃除が始まりました。
土足で踏み込むことをためらうほど念入りに仕上げられてゆく大奥。
大奥からも、武家屋敷からも、立派な調度品がかくして二束三文で手放され、流れに流れて今は博物館にあります。
今後こうした品を見る機会があれば、ぜひ何処のものか? にもご注目ください。
天璋院はここでの調度品は残していくと言いながら、懐中時計は懐にしまいます。
中澤が、今後はどうするのかと仲野に尋ねます。
なんでも養子に入った先で実子が生まれ、居場所をなくしての大奥入りだったとか。それが養子先が決まったようで。
夜、天璋院が書庫に向かうと、そこには『没日録』を記す瀧山がいました。係の者がいないため彼が書いているそうです。
「改めてお読みに?」
「せめて留めておきたいではないか。私たちの心の中に。これは我々のような男たちがここにいたという証なのだから」
そう読みだす天璋院。瀧山は天璋院が『没日録』を読了したと記します。
今日より大奥は、ここで過ごした各人の心を住処とす――。
それが最後の一行でした。
この上ない喜びも、出口の見えぬ悲しみもあった
流水紋の裃を見つめる二人。
天璋院は、瀧山が仲野を養子にしたそうだと声をかけます。瀧山にはそれなりの蓄えがあるということ。実在した瀧山も家を立てています。
学問はしないのかとも問いかけます。
阿部正弘にそう希望を語っていましたね。瀧山は阿部を思い出し、因果な話だとふりかえっています。
「さような私が、大奥をみとることになるとは」
天璋院はお万好みの流水紋を見つめ、大奥がなくなることをどう思うか?と思いを馳せています。
存外お喜びかもしれないと瀧山。
大奥のような悲しい場所がなくなることを誰よりも望んでいたのはお万の方かもしれぬ。
天璋院は瀧山に、大奥とは悲しみばかりであったのかと尋ねます。
「いえ、この上ない喜びも、出口の見えぬ悲しみも」
「私もだ」
そう語りあう二人。
思えば、特に幕末編は、毎回、心が抉られるような悲しみがありました。
しかし決して、それだけでもなかった。
仲野は天璋院にそろそろ時間だと告げます。
頭を下げる瀧山は天璋院にこれまでの礼を告げつつ、見送りは控えたいと願いでます。涙を堪えられぬから。
「ではまた、どこかでな」
そう別れを告げ、去って行く天璋院。
鈴の廊下に立ち、歩いていく瀧山。
思えば将軍たちがここを歩きました。
心優しき14代・家茂。
大奥に守られた13代・家定。
赤面を撲滅した11代・家斉。
偉大なる母に引け目を感じつつも全うした9代・家重。
威風堂々たる中興の祖、8代・吉宗。
父の重圧に縛られて、最後にそれから解き放たれた5代・綱吉。
そして大奥に閉じ込められた3代・家光。
家光がお万の方こと有功と歩いたとき、この大奥がどうなるのか、誰が知っていたでしょう。
家光を縛り付け、苦しめたこの場所。その場所は、死を前にした家茂がなんとしても帰りたい、光溢れる癒しの場となっていました。
その鍵を外す瀧山。胸中にあるのは何なのか。
大奥を出て、駕籠に乗ろうとした天璋院が懐中時計で時間を見て、止まっていることに気づきます。
巻いたばかりなのになぜ?
ふと何かを察する天璋院があわてて駆け出し、大奥へと戻ってゆきます。
するとそこには自刃した瀧山の姿がありました。
主人を失った大奥に、土足で乗り込んでくる新政府軍の兵士たち。
家財道具に、流水紋の裃に、『没日録』に、火が放たれてゆきます。
こうして大奥は、各人の心の中にしか存在しなくなってゆくのです。
御一新後の道をゆく
明治4年(1871年)――天璋院から胤篤に戻った彼は船の上にいました。
手にしているのは能登の写真。
西郷の歴史捏造計画により、彼女の写真が「天璋院篤姫」として残ることになったようです。
おかげで威厳があるように見えるといたずらっぽく同意を求めると、中澤は「はい」とそっけない。
すると、シルクハットをかぶった瀧山が、いい加減、部屋に戻るよう告げてきます。サンフランシスコはまだ20日ほどかかるとか。
すっかり素に戻り、どこかお気楽な胤篤に対し、瀧山は西郷参議に頼まれたお目付け役として気を揉んでいるようです。
仲野は眼鏡に髭の姿となっている。
なんでも瀧山は、商売で儲けているとか。
日本から西洋へ浮世絵や着物を売り、西洋の洋服や装飾品を買って、今度は日本で売りつける。
往復で二度美味しい商売ですね。学者ではなく、商才を発揮しているようだ。
そこで胤篤は、英語が得意だとアピール。なんでも長崎や横浜で身につけたとかで、実際の福士蒼汰さんも得意ですよね。
ただ、胤篤はそのせいですっからかんになってしまった。
実家には頼らないポリシーのようでして、瀧山にくっついていきたい、雇って欲しいと言うわけです。
瀧山は、自分も英語はできると断るものの、ここで旧主にその態度はいかがなものかと中澤に言われます。
卑劣なようで、明治にはよくあった話だ。中澤は強気な瀧山に、胤篤に大恩があると言います。
実は、瀧山が自刃した時、薩摩藩邸へ運び、救ったのは彼でした。
仲野が兄である蘭方医を呼び、天璋院は馬で薩摩藩邸へ駆けつけていた。福士蒼汰さんの乗馬シーンも描かれました。
仲野の兄・黒木源一郎によると、瀧山は十日ほどで回復すると判断。
この兄弟はあの黒木の子孫ですね。
瀧山が自刃したとき、懐中時計に切っ先が当たり、重傷には至りませんでした。
胤篤から家定に贈られ、二人で手にしていた懐中時計。家定の死後、それを受け取った天璋院が投げ捨てたものを、瀧山は拾い懐に入れていた。
家定の懐中時計が瀧山を守り、天璋院の懐中時計は巻いたはずなのに止まり、異変を知らせるようであった。
二人は同じ時を刻んでいたのかもしれません。
瀧山が、かような形で返すことになるとは一生の不覚だと呟く。まるで家定が救ったような瀧山の命。その不思議な縁に二人は感じ入っています。
瀧山は大奥に殉じようとしました。
鳥籠の中で生きた男として、広い世界で生きることはできないと思いつめてもいた。
「それはみな、同じものではないか」
天璋院も、どう生きればいいのかわからない。徳川の家臣も、大奥の者もそうだった。
それは皆で立ち向かっていかねばならぬのではないかと天璋院は告げます。
仲野は、瀧山が助かったことに、天璋院へ御礼を言います。そのうえで家定の最期を看取った兄と話す場を設けたと言います。
家定の死はどのようなものだったのか?源一郎から聞く天璋院。毒は盛られていないと源一郎は返します。
彼ははっきりと病死であると言います。
家定の顔は黄色くなっていました。
妊婦にみられる黄疸であり、当時の医療では助かりません。
家定はそれを察し、帝王切開はできないかと尋ねますが、とても生きてはいけないと源一郎が返します。
家定は全てを悟りました。
御台に我が子の顔を見せられぬことを詫び、共に冥土へ旅立つ子は優しいと、腹を撫で、慈しむのでした。
「きっと冥土の旅も楽しかろうて。私ばかり、なんだかすまぬの。御台……」
その様子を聞かされる天璋院。
「差し出口ではございますが、どうか、己をお責めにはならないでくださいませ。家定公はあなた様に詫びこそすれ、恨みなどみじんもなかったのですから。願わくばお二人の分まで今生を楽しんでください」
かつて家定も、天璋院にそう告げました。
「そうですね、御一新ですしね」
やっと恨みから解き放たれ、天璋院は泣き笑うのでした。
黒木源一郎役は宮野真守さん。
まさにサプライズ。アニメ版『大奥』で有功を演じています。優しい声音で心を癒す演技がさすがです。
大きなことをなさるのは、きっとあなた自身
新たな人生を生きる胤篤は、船の上にいます。
仲野と中澤から軽口を叩かれる瀧山。
一行は日本初の女子学生一行に目を留め、これからは女性も洋装をする時代がくると見通しが語られます。

月岡芳年『遊歩がしたさう 明治年間妻君之風俗』/wikipediaより引用
すると胤篤が「女性の扱いは得意だ」と胸を張り、瀧山がしぶしぶ胤篤を雇うことを認めました。
恩にきると浮かれていると、瀧山のシルクハットが飛ばされてしまいます。
追いかけて拾いに行く胤篤。
寒気がすると困惑する瀧山。
シルクハットは、まだ幼い女子留学生が拾っていました。
歳に似合わずしっかりした彼女を褒めると、せつせつと相手は語り出します。
お姉様方はかわいそうだと言う。まだ6つなのに外国へやられるなんて父はひどいと。
それでも彼女は英語を身につけるなら早い方が良いと聞き、この梅という少女は父に行きたいとせがんだのだとか。
胤篤はまだ6つの方の言葉とは思えぬとニッコリ。きっと将来国を動かすと見込んだのだと励まします。
梅が、父は殿方の妻になるためだと返すと、胤篤は諭すように答えます。
「いいえ! 大きなことをなさるのはきっとあなたご自身かと。きっとそうなります」
「女なのに?」
「梅様。これは誰にも内緒なのですが、あなたにだけはこっそり教えてさしあげましょう。私は将軍の御台所であった男なのです。この国はかつて、代々、女が将軍の座についておったのですよ」
女将軍の御台であった男がそう語り、物語は幕を閉じるのでした。
明治維新とジェンダー
男女逆転のSFドラマなのに、ここ数作の大河ドラマの近代作品より、はるかに勉強になる。
まったくの架空の設定のようでいて、このドラマの根底には見逃せぬ史実と問題提起が潜んでいます。
明治維新の結果、女性の活躍が消えてしまった。これは確かにあったことです。
・宮中女官の廃止
大奥だけではなく、実は朝廷もそうでした。
朝廷には必ず通さねばならぬ力を持つ女官がいた。それを明治新政府が全廃し、すっきりしたと回想しているほどです。
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・女性の権利縮小
江戸時代まで、女性が商売の先頭に立つようなことは、多くはなくともありました。
幕末に来日した外国人は、女性商人のたくましい姿や女性の芸事師匠に感心しています。
しかし明治以降、女性は無能力者とされ、契約締結といったこともできなくなった。
実業家として有名であり、朝ドラ『あさが来た』のモデルでもある広岡浅子も、書類上では契約を締結できず、夫の名義でそうするしかありませんでした。
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・良妻賢母しかない女性の生き方
実は近代まで、多くの男女が結婚しない人生を選んでいました。
選ばざるを得ない人もいましたし、未婚のまま芸事を究めるような生き方も男女双方でありました。
それが明治以降「産めよ殖やせよ」のスローガンのもと結婚することが当然とされる、良妻賢母のみが女性唯一の道とされたのです。
女性を家庭に押し込め、家事育児を任せる。
その圧力は、明治以降強化された。夫婦同姓はその象徴です。
女性の道は狭くなりました。
たとえば江戸時代まで、女医は存在しました。特に産婦人科は女医の領域。
それが明治以降、女子は医学校への入学が許されなくなり、女医になる道が閉ざされました。
結果、男性医師に患部を見せることを恥じらった女性患者が診察を受けられなくなり、命の危機を迎えるという最悪の事態までもが起きています。
・女工の搾取
工業化が進まない時代、働く女性の稼ぎはそこまで現金化に直結しません。
しかし、工場で働く労働者が大量に必要となると状況は一変。
安い賃金で買い叩ける女工こそ、近代資本主義にとっては大事な労働力となります。
農村から騙されるようにして連れてこられた女工たちは、劣悪な環境で働かされ、時に命を落としてゆく。
近代化が生み出した女性の苦境でした。
・娼婦がさらに追い詰められる
江戸時代まで、遊女は家を養うためにやむなく身を売るという同情的な見方もされました。
それが明治以降、西洋列強を意識したアリバイ的な措置をなされた結果、「娼婦は好きで身を売っている」という建前となります。
待遇は変わりません。
待遇据え置きのまま、蔑視強化という最悪の事態が起こったのです。
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・政府高官の性的モラルが堕落し、蔓延る料亭政治
福沢諭吉は嘆きました。
「女遊びなんて西洋列強でもするものだが、それでも一応は取り繕って隠すだろう。それが日本では正々堂々と女遊びだ! 恥ずかしい!」
これには誇り返せとは言えませんよね。
江戸時代の男がそこまで真面目だったとも言い切れませんが、それでも幕閣や大名が女遊びを堂々とするのは恥ずかしいものでした。瓦版や浮世絵格好のネタにもされます。一応は、それなりの慎みがあったものです。
それが明治維新以降、むしろタガが外れてしまう。たとえば『大奥』で幕閣が料亭で打ち合わせをする場面などありませんでしたよね。
綱吉と柳沢吉保が結託して悪事を為したとはいえ、あくまで仕事の後にしております。
それが明治政府高官は違う。
幕末の京都で、志士たちは料亭で大騒ぎしながら、密謀の打ち合わせをしました。
堂々とできるわけもないので、カモフラージュをしたのです。お金を落とすものだから、これには京雀もウハウハ。
新政府を作り上げたからには、そんな料亭政治とは決別すべきでした。
しかし、そうはなりません。
なにせ30そこそこ、テロで一致団結したお兄ちゃんたちが作り上げた政府ですからね。
大学のウェイウェイサークルのようなノリがいつまでたっても抜けない。
明治になると下の世代からは「天保老人(天保生まれ・明治維新期に青年だった世代)はこれだから嫌だ」と煙たがられ、批判されました。
しかし、その鬱陶しさは次第に忘れられ、美化された像が小説や大河ドラマで喧伝されます。
そしてこの料亭政治という、悪い仕組みは今になっても抜けていない。
「政治家は高級店で飲食するもんだ。パーティも定期的にしないといけないんだぞ!」
こんな意味のわからん擁護が令和になっても通じますから。
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・女性為政者への蔑視
儒教社会では、男が龍ならば女は鳳凰。女性にも政治力はあるものでした。
それを明治政府は破壊し、これで西洋列強に誇れると浮かれていたのです。
そうなると、儒教的な女性政治家がいる国を野蛮と見下すようになる。
清をコケにして見下す理由として、西太后があげられます。
もっと強烈な蔑視を投げかけられたのが、朝鮮の明成皇后です。
というと、一瞬こう思いませんでしたか? いったい誰だ?
日本では「閔妃」という表記が一般的です。
しかし正式な呼び名ではなく、通っているのは日本だけ。他国の皇后を敬称抜きにしてこう呼ぶあたりから、蔑視はどうしても透けて見えます。
日本に対し反抗的だからと彼女を貶める目線の背景には、女性蔑視が滲んでいます。
そして神輿と呼ばれたヴィクトリア女王について。
本作の西郷は担ぎ手が男ならばよいと語ったものの、それが気に入らない人はいました。
女に頭を下げられるか!とばかりに、女性天皇と女系天皇を廃止。これは日本の伝統でもなんでもなく、明治以降のミソジニーのあらわれです。
女を国の頂点に頂いたら、臣民は弱くなるぞ!
そんな思いに突き動かされ、皇室典範まで変えられてしまいます。
当時から「日本の皇族は他国と通婚関係もないし、将来詰みますよ」と西洋から言われていたにもかかわらず、強引なことをやらかしたのが明治という時代です。
さらに政府は、天皇のありようにまでプロデュース力を発揮します。
今日出てきた明治天皇は、角髪(みずら)に白い肌をしておりました。伝統的に天皇は中性的であり、お歯黒をつけ、化粧もしていました。
そんな天皇を御簾の奥から引っ張り出し、軍服を着せ、馬に跨らせる。日本の伝統ではなく、ヨーロッパの君子を真似たのです。
マッチョな天皇の姿を臣民に示すことで、雄々しい帝国をアピールできるとしたのでした。
こういう明治時代を、あの少女・梅子は帰国後に生きねばなりません。
留学仲間のお姉様こと山川捨松らが挫折した道を、津田梅子は歩んでいきます。歴史は繋がっているのです。
SFだろうが今の私たちへとつながる、素晴らしい大傑作でした。
そしてついでに、怒りを煽るようなことでも。
梅子の留学生仲間のお姉様のうち、年長者は早々に帰国します。
状況的に、船内で性暴力にあったのではないか?と思えるような不可解な証言がある。
そんな苦しい意味でも、この世界に生きた人たちは、私たちと同じなのです。そう思うことで、あなたの胸の中にも大奥は生き続けます。
今はむしろ女性蔑視が海外から見て恥ずかしい。そう自覚し、変えていくことが大事だとこの作品は訴えているように思えます。
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見る者の歴史観を変えかねないドラマ
本作は、歴史総合に大変向いているドラマではないでしょうか。
楽しみながら学べる教材としても活用できそうだ。
和宮のセリフは、女の営みが江戸を作ったとありました。
まさにここが重要で、今まで、歴史といえば為政者の顔を覚えるものでした。
幕末ならば志士を数えるようなものですね。
しかし、民衆がなければ歴史はできません。
こういう「稗史(はいし)」目線の歴史が、これまでの日本は弱かった。大河ドラマの歴史を見てもそれが伝わってきます。
初期作品には架空主人公ものがありました。
それがやがて消え、政治を動かす為政者、男性中心、勝者目線に偏っていきます。
しかし、これは世界的に見ると時代遅れです。
民衆が作り上げた歴史。先住民や奴隷の目線から見る歴史。これが重視されています。
アメリカではもうコロンブスデーなんて時代遅れ。先住民の日です。
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それが日本ではどうか?というと、公然と先住民差別をする言動が罷り通る。
大河ドラマでの反応でいきますと『麒麟がくる』の駒叩きには強い懸念を覚えました。
駒を叩く意見の根底には、歴史とは強者、特に男性が動かすもので、駒のような女性は邪魔だという偏見がはっきりと見てとれたのです。
「『麒麟がくる』は駒に耐えきれなくて切ったが、おもしろかったんかw」
そんなふうに自慢げにネットに書き込む人からは、どうしたってミソジニーを感じませんか。
ドラマの是非以前に、そういうくだらない偏見でものを見ることがどれほどの損失であるかに気づくことなく、得意げにネットに書き込んでいることが見ていて辛い。
『大奥』はこの克服に挑んでいると思える。
遊女の子で異人の血を引く青沼。
歴史のはざまに消えていくような彼らも歴史を動かしていたのではないか?と問題提起をしている。
江戸時代も折り返し地点を過ぎたら、民衆の力を否定できません。
民衆の力を借りた公共福祉の芽生えに、医療編は挑みました。
未来へ進むためミソジニーを克服しよう
女嫌い、女性嫌悪――ミソジニーがいかに無駄であるか。
幕末編のラストでは、ミソジニーを拗らせた結果、目の前の現実からすら目を逸らす人物が立て続けに出てきます。
毒となる男らしさが常に漂っている作りといえます。
ギャンギャン怒鳴り散らし、事態を悪化させ続ける徳川斉昭。
男であることが自慢のようですが、言っていることは支離滅裂そのものです。
やっていることは正しい。しかし、協調性をナヨナヨした女のものと吐き捨て、攻撃的すぎる井伊直弼。もう少し周りと歩み寄れたらよかった。
女を露骨にバカにし、くだらぬマウントを繰り返すことで幕府すら破壊する慶喜。
そして西郷隆盛が、ミソジニーの大巨人となって、徳川を踏み潰すべく歩んできます。
あれほど聡明なのに、女性を排除したいがあまり無茶苦茶なことを言い出す。
結局、折れたのも、女を排除できるという確証を得ての妥協でした。
愚かで、非効率的で、事態を悪化させる。
そうまでして女性蔑視を断固として貫こうとする男たち。
そのエネルギーをもっと別の何かに注げませんか?
冷静になってそう言いたい気持ちとなりました。
しかし実際のところ、正々堂々とミソジニーによる自滅をしてしまう人はいます。
自滅するならばまだしも、慶喜のように周囲まで巻き込むとなれば迷惑でしかない。
毒となる男らしさ、その害悪を示しているのです。
女性を応援するドラマとは、鎧を着て戦う女が出てくればよいわけではありません。
ヒロインが慈愛の国だのなんだの言い出して、それに周囲がひれ伏せばいいわけでもありません。
イケメンが無駄に脱いで、ロマンチックで臭いセリフをいえばよいわけでもありません。
もっと緻密な構造で組み立てねばなりません。
本作『大奥』がその手本となることでしょう。
女も男も、自分本位ではなく、誰かのためにまっすぐな思いを貫き、よく考えて振る舞う。
そんな人々は美しい。そう『大奥』は描いています。
ロマンチックなラブストーリーばかりが見どころではなく、誰もが敬愛しあい、尊重しあうこと。それこそが素晴らしいと到達した素晴らしい境地です。
瀧山のために帽子を追いかけ、それを拾った梅子に希望を伝える――そんな胤篤の姿こそ、希望そのものに思えました。
あの優しさを受け継ぐのは梅子だけでなく、私たちもそうなのでしょう。
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【参考・TOP画像】
ドラマ『大奥』/公式サイト(→link)

























