ドラマ大奥幕末編 感想レビュー第21回

ドラマ10大奥公式サイトより引用

ドラマ10大奥感想あらすじ

ドラマ大奥幕末編 感想レビュー第21回 女将軍と女たちが育てた江戸の町を守る

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ドラマ大奥幕末編 感想レビュー第21回
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明治維新とジェンダー

男女逆転のSFドラマなのに、ここ数作の大河ドラマの近代作品より、はるかに勉強になる。

まったくの架空の設定のようでいて、このドラマの根底には見逃せぬ史実と問題提起が潜んでいます。

明治維新の結果、女性の活躍が消えてしまった。これは確かにあったことです。

・宮中女官の廃止

大奥だけではなく、実は朝廷もそうでした。

朝廷には必ず通さねばならぬ力を持つ女官がいた。それを明治新政府が全廃し、すっきりしたと回想しているほどです。

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・女性の権利縮小

江戸時代まで、女性が商売の先頭に立つようなことは、多くはなくともありました。

幕末に来日した外国人は、女性商人のたくましい姿や女性の芸事師匠に感心しています。

しかし明治以降、女性は無能力者とされ、契約締結といったこともできなくなった。

実業家として有名であり、朝ドラ『あさが来た』のモデルでもある広岡浅子も、書類上では契約を締結できず、夫の名義でそうするしかありませんでした。

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・良妻賢母しかない女性の生き方

実は近代まで、多くの男女が結婚しない人生を選んでいました。

選ばざるを得ない人もいましたし、未婚のまま芸事を究めるような生き方も男女双方でありました。

それが明治以降「産めよ殖やせよ」のスローガンのもと結婚することが当然とされる、良妻賢母のみが女性唯一の道とされたのです。

女性を家庭に押し込め、家事育児を任せる。

その圧力は、明治以降強化された。夫婦同姓はその象徴です。

女性の道は狭くなりました。

たとえば江戸時代まで、女医は存在しました。特に産婦人科は女医の領域。

それが明治以降、女子は医学校への入学が許されなくなり、女医になる道が閉ざされました。

結果、男性医師に患部を見せることを恥じらった女性患者が診察を受けられなくなり、命の危機を迎えるという最悪の事態までもが起きています。

・女工の搾取

工業化が進まない時代、働く女性の稼ぎはそこまで現金化に直結しません。

しかし、工場で働く労働者が大量に必要となると状況は一変。

安い賃金で買い叩ける女工こそ、近代資本主義にとっては大事な労働力となります。

農村から騙されるようにして連れてこられた女工たちは、劣悪な環境で働かされ、時に命を落としてゆく。

近代化が生み出した女性の苦境でした。

・娼婦がさらに追い詰められる

江戸時代まで、遊女は家を養うためにやむなく身を売るという同情的な見方もされました。

それが明治以降、西洋列強を意識したアリバイ的な措置をなされた結果、「娼婦は好きで身を売っている」という建前となります。

待遇は変わりません。

待遇据え置きのまま、蔑視強化という最悪の事態が起こったのです。

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・政府高官の性的モラルが堕落し、蔓延る料亭政治

福沢諭吉は嘆きました。

「女遊びなんて西洋列強でもするものだが、それでも一応は取り繕って隠すだろう。それが日本では正々堂々と女遊びだ! 恥ずかしい!」

これには誇り返せとは言えませんよね。

江戸時代の男がそこまで真面目だったとも言い切れませんが、それでも幕閣や大名が女遊びを堂々とするのは恥ずかしいものでした。瓦版や浮世絵格好のネタにもされます。一応は、それなりの慎みがあったものです。

それが明治維新以降、むしろタガが外れてしまう。たとえば『大奥』で幕閣が料亭で打ち合わせをする場面などありませんでしたよね。

綱吉と柳沢吉保が結託して悪事を為したとはいえ、あくまで仕事の後にしております。

それが明治政府高官は違う。

幕末の京都で、志士たちは料亭で大騒ぎしながら、密謀の打ち合わせをしました。

堂々とできるわけもないので、カモフラージュをしたのです。お金を落とすものだから、これには京雀もウハウハ。

新政府を作り上げたからには、そんな料亭政治とは決別すべきでした。

しかし、そうはなりません。

なにせ30そこそこ、テロで一致団結したお兄ちゃんたちが作り上げた政府ですからね。

大学のウェイウェイサークルのようなノリがいつまでたっても抜けない。

明治になると下の世代からは「天保老人(天保生まれ・明治維新期に青年だった世代)はこれだから嫌だ」と煙たがられ、批判されました。

しかし、その鬱陶しさは次第に忘れられ、美化された像が小説や大河ドラマで喧伝されます。

そしてこの料亭政治という、悪い仕組みは今になっても抜けていない。

「政治家は高級店で飲食するもんだ。パーティも定期的にしないといけないんだぞ!」

こんな意味のわからん擁護が令和になっても通じますから。

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・女性為政者への蔑視

儒教社会では、男が龍ならば女は鳳凰。女性にも政治力はあるものでした。

それを明治政府は破壊し、これで西洋列強に誇れると浮かれていたのです。

そうなると、儒教的な女性政治家がいる国を野蛮と見下すようになる。

清をコケにして見下す理由として、西太后があげられます。

もっと強烈な蔑視を投げかけられたのが、朝鮮の明成皇后です。

というと、一瞬こう思いませんでしたか? いったい誰だ?

日本では「閔妃」という表記が一般的です。

しかし正式な呼び名ではなく、通っているのは日本だけ。他国の皇后を敬称抜きにしてこう呼ぶあたりから、蔑視はどうしても透けて見えます。

日本に対し反抗的だからと彼女を貶める目線の背景には、女性蔑視が滲んでいます。

そして神輿と呼ばれたヴィクトリア女王について。

本作の西郷は担ぎ手が男ならばよいと語ったものの、それが気に入らない人はいました。

女に頭を下げられるか!とばかりに、女性天皇と女系天皇を廃止。これは日本の伝統でもなんでもなく、明治以降のミソジニーのあらわれです。

女を国の頂点に頂いたら、臣民は弱くなるぞ!

そんな思いに突き動かされ、皇室典範まで変えられてしまいます。

当時から「日本の皇族は他国と通婚関係もないし、将来詰みますよ」と西洋から言われていたにもかかわらず、強引なことをやらかしたのが明治という時代です。

さらに政府は、天皇のありようにまでプロデュース力を発揮します。

今日出てきた明治天皇は、角髪(みずら)に白い肌をしておりました。伝統的に天皇は中性的であり、お歯黒をつけ、化粧もしていました。

そんな天皇を御簾の奥から引っ張り出し、軍服を着せ、馬に跨らせる。日本の伝統ではなく、ヨーロッパの君子を真似たのです。

マッチョな天皇の姿を臣民に示すことで、雄々しい帝国をアピールできるとしたのでした。

こういう明治時代を、あの少女・梅子は帰国後に生きねばなりません。

留学仲間のお姉様こと山川捨松らが挫折した道を、津田梅子は歩んでいきます。歴史は繋がっているのです。

SFだろうが今の私たちへとつながる、素晴らしい大傑作でした。

そしてついでに、怒りを煽るようなことでも。

梅子の留学生仲間のお姉様のうち、年長者は早々に帰国します。

状況的に、船内で性暴力にあったのではないか?と思えるような不可解な証言がある。

そんな苦しい意味でも、この世界に生きた人たちは、私たちと同じなのです。そう思うことで、あなたの胸の中にも大奥は生き続けます。

今はむしろ女性蔑視が海外から見て恥ずかしい。そう自覚し、変えていくことが大事だとこの作品は訴えているように思えます。

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見る者の歴史観を変えかねないドラマ

本作は、歴史総合に大変向いているドラマではないでしょうか。

楽しみながら学べる教材としても活用できそうだ。

和宮のセリフは、女の営みが江戸を作ったとありました。

まさにここが重要で、今まで、歴史といえば為政者の顔を覚えるものでした。

幕末ならば志士を数えるようなものですね。

しかし、民衆がなければ歴史はできません。

こういう「稗史(はいし)」目線の歴史が、これまでの日本は弱かった。大河ドラマの歴史を見てもそれが伝わってきます。

初期作品には架空主人公ものがありました。

それがやがて消え、政治を動かす為政者、男性中心、勝者目線に偏っていきます。

しかし、これは世界的に見ると時代遅れです。

民衆が作り上げた歴史。先住民や奴隷の目線から見る歴史。これが重視されています。

アメリカではもうコロンブスデーなんて時代遅れ。先住民の日です。

コロンブス・デーから先住民の日へ 欧州人の侵略により数千万人の犠牲者が出た

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それが日本ではどうか?というと、公然と先住民差別をする言動が罷り通る。

大河ドラマでの反応でいきますと『麒麟がくる』の駒叩きには強い懸念を覚えました。

駒を叩く意見の根底には、歴史とは強者、特に男性が動かすもので、駒のような女性は邪魔だという偏見がはっきりと見てとれたのです。

「『麒麟がくる』は駒に耐えきれなくて切ったが、おもしろかったんかw」

そんなふうに自慢げにネットに書き込む人からは、どうしたってミソジニーを感じませんか。

ドラマの是非以前に、そういうくだらない偏見でものを見ることがどれほどの損失であるかに気づくことなく、得意げにネットに書き込んでいることが見ていて辛い。

『大奥』はこの克服に挑んでいると思える。

遊女の子で異人の血を引く青沼

歴史のはざまに消えていくような彼らも歴史を動かしていたのではないか?と問題提起をしている。

江戸時代も折り返し地点を過ぎたら、民衆の力を否定できません。

民衆の力を借りた公共福祉の芽生えに、医療編は挑みました。

 


未来へ進むためミソジニーを克服しよう

女嫌い、女性嫌悪――ミソジニーがいかに無駄であるか。

幕末編のラストでは、ミソジニーを拗らせた結果、目の前の現実からすら目を逸らす人物が立て続けに出てきます。

毒となる男らしさが常に漂っている作りといえます。

ギャンギャン怒鳴り散らし、事態を悪化させ続ける徳川斉昭

男であることが自慢のようですが、言っていることは支離滅裂そのものです。

やっていることは正しい。しかし、協調性をナヨナヨした女のものと吐き捨て、攻撃的すぎる井伊直弼。もう少し周りと歩み寄れたらよかった。

女を露骨にバカにし、くだらぬマウントを繰り返すことで幕府すら破壊する慶喜。

そして西郷隆盛が、ミソジニーの大巨人となって、徳川を踏み潰すべく歩んできます。

あれほど聡明なのに、女性を排除したいがあまり無茶苦茶なことを言い出す。

結局、折れたのも、女を排除できるという確証を得ての妥協でした。

愚かで、非効率的で、事態を悪化させる。

そうまでして女性蔑視を断固として貫こうとする男たち。

そのエネルギーをもっと別の何かに注げませんか?

冷静になってそう言いたい気持ちとなりました。

しかし実際のところ、正々堂々とミソジニーによる自滅をしてしまう人はいます。

自滅するならばまだしも、慶喜のように周囲まで巻き込むとなれば迷惑でしかない。

毒となる男らしさ、その害悪を示しているのです。

女性を応援するドラマとは、鎧を着て戦う女が出てくればよいわけではありません。

ヒロインが慈愛の国だのなんだの言い出して、それに周囲がひれ伏せばいいわけでもありません。

イケメンが無駄に脱いで、ロマンチックで臭いセリフをいえばよいわけでもありません。

もっと緻密な構造で組み立てねばなりません。

本作『大奥』がその手本となることでしょう。

女も男も、自分本位ではなく、誰かのためにまっすぐな思いを貫き、よく考えて振る舞う。

そんな人々は美しい。そう『大奥』は描いています。

ロマンチックなラブストーリーばかりが見どころではなく、誰もが敬愛しあい、尊重しあうこと。それこそが素晴らしいと到達した素晴らしい境地です。

瀧山のために帽子を追いかけ、それを拾った梅子に希望を伝える――そんな胤篤の姿こそ、希望そのものに思えました。

あの優しさを受け継ぐのは梅子だけでなく、私たちもそうなのでしょう。


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文:武者震之助
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考・TOP画像】
ドラマ『大奥』/公式サイト(→link

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