どうする家康感想あらすじレビュー

どうする家康感想あらすじ

『どうする家康』感想あらすじレビュー第47回「乱世の亡霊」

今週は大坂冬の陣、城へ大筒を撃ち込む回想シーンからスタート。

本多正純のピカピカ兜に反映する“スタジオ天井の照明”が気になると同時に、結局、最初から最後まで戦場のVFXはすべて曇り空だったのでは?という不自然な描写にも目が奪われてしまいます。

かと思えば『鎌倉殿の13人』の父子描写を悪化させたかのような、秀忠と家康の衝突シーンが続く。

冷酷な父と優しい子にしたいのかもしれませんが、そもそも親子に見えてこないのはどうしてだろう。

いくら家康に老けメイクを施しても、せいぜい飛び込み営業をやらせる会社の先輩と後輩ぐらいに思えてきます。

「ご無事でありますように」と執拗に呟く幼い茶々は、他のセリフも用意できなかったのでしょうか。宗教考証はどうなっているのでしょう。

 

なぜ千姫に駆け寄るのか?

茶々が千姫を庇ったことを美談にしたいのはわかりました。

しかし、茶々にも、千姫にも、そばには侍女がいるのでは?

実際のところ冬の陣の砲撃で亡くなったのは茶々の侍女でしょう。

貴人をむざむざ死なせてしまったら、それは仕える者としては恥ずかしいこと。

しかし本作はそんな武士のメンタリティがありません。このドラマの作り手はいつだって「自分だけが大事」という精神性が気づかないうちに滲み出てしまっているのです。

 

どうした筆跡

先週の「お千」という文字と、あまりにレベルが違う家康の筆跡。

なぜこうも場面ごとに筆跡が変わるのか……って、考えるまでもないですよね。

まともな筆跡は書道家が書いている。

先週はどういうわけかそれをしなかった末の、ある意味、放送事故に近いのではありませんか。

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小道具班は今週も力尽きていた……

黒い土(砂?)の上に、その辺で拾ってきたかのような木片が並んだ――大坂城の布陣図があまりにも稚拙でため息すら出てきません。

もはや手抜きというレベルではなく、単に間に合わせただけに見える。作画崩壊したアニメレベルのやらかしが毎週続き、悲しくなるほど。

一体どうしてこうなるのか?

ニコライ・バーグマン押し花で小道具班の気力も尽きたんですかね。

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何が「知られざる」だ!

合戦シーンの収録については、こんな言い訳記事が出ていました。

◆知られざる「どうする家康」戦闘シーンの舞台裏 高コストなロケから「バーチャル・プロダクション」でスタジオ収録へ(→link

「知られざる」も何も、テカテカ兜に映り込むピカピカ照明で、スタジオ撮影だったのはあからさまだったじゃないですか。

ドラマ作品の出来は、完成品の中身だけが問われるのであり、コストだのなんだのは子供じみた言い訳にすぎません。

大河ドラマという貴重な枠で、最終盤まで何を言っているのでしょう。

戦闘シーンでロケをしていないことは、他の作品でもわかりました。

大奥』でもLEDスクリーンを背景にしていて、ロケを省いたと思われる場面はある。それでも最小限ですし、違和感なく見えている。

問題は技術ではなく、やる気です。

露骨に手抜きをして汚らしい絵ばかり見せられ、そのしょうもなさが批判されているのに、論点をずらす。

この“論点ずらし”こそ『どうする家康』の本質に思えます。

 

春日局がナレーターだと明かされたのだが

「神の君!」と素っ頓狂な声でナレーションをしているのは春日局だと明かされました。

そのナレーターが、茶々の妹・初を呼び捨てにしている。

大河のナレーションは別にそこまで細かくなくてもよいとは思いますが、春日局となればそうはいかないでしょう。この語り口調は、あまりにも無礼では?

主君である徳川家光の伯母である初を、なぜ小娘扱いするのか。倫理観が欠落している。

 

あまりにしつこい『鎌倉殿の13人』オマージュ

大竹しのぶさんを一瞬だけ出しておいて、セリフもないってどういうことですか。

なんでも松本潤さんに頼まれたとか。

コネで大女優を出しておいて、さすがにこの扱いは酷すぎるでしょうよ。

こうした強引とも思えるキャスティングは、文春砲の信憑性を増すばかり。主演俳優がここまでキャスティング権を行使するというのは、禁じ手ではありませんか。

ジャニーズ事務所に任せきりにした結果、局内で性犯罪が起きていたのに、またもこうも責任感を投げるようなことを繰り返しているのですか?

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◆喜多川氏が高校生にNHK局内で 性加害の証言を番組で報道(→link

 

最低最悪のミソジニードラマ

このドラマは「ポリコレでフェミに媚びたw」だのなんだの言わないで欲しい。

大蔵卿局ほどの女性重要人物でもセリフは一切なく、置物扱いだった。

思えば寿桂尼が出てこない時点で気づくべきでした。

このドラマの作り手にとって、女はどんな存在なのか?

・エロいことをさせてくれる

・自慢できるトロフィー

・小馬鹿にするBBA枠、実母だろうがうぜえw

・自分のモテモテファンタジーを満たしてくれる喜び組

・出てきたと思ったら死ぬ話題稼ぎ女、いわゆる「冷蔵庫の女」

・なんでも肯定してくれる便利な存在、いわゆる「マニックピクシードリームガール」

差別云々の話はこの際置いといて、どういうセンスをしているのか?と問いたくなります。

今はもう2023年です。「タランティーノまじやべえw」と思ったあたりでセンスが止まっていませんか?

『パルプ・フィクション』は1994年ですよ。

彼らは多様性のない、男だけのボーイズクラブで生きてきた。そのルールしか念頭に置いていません。

多様性のない集団は弱い。いわば船同士を繋いで宴会をしているようなもの。東南の風を呼びよせれば、一気に炎上しますよ。

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どうしたカメラワーク

このドラマのカメラワークは、撮り直しがなかなかできないと文春砲で暴露されました。

それも納得できます。阿茶局と初の和議は、わざとかと思うほど酷い。真正面からアップを切り取るだけで、なんなんでしょうか。

単調なカメラワークに、ぺろぺろと悪目立ちする劇伴。とても歴史作品とは思えません。

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