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『どうする家康』感想あらすじレビュー第47回「乱世の亡霊」

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『どうする家康』感想あらすじレビュー第47回「乱世の亡霊」
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なぜ、この大河は失敗したのか?

この大河のよいところは、来週終わることです。

しかし、終わるからって安堵するだけでは不十分。なぜ失敗したのか考えねばならないでしょう。

まず、歴史劇を丁寧に作ることのできる脚本家を起用しなかったことがあげられます。

◆ドラマ10「大奥」“放送尺ちょうど”を目指す、筋肉質な脚本作り/脚本家・森下佳子(→link

家光から慶喜まで、大奥の成立から終焉までを描く『大奥』。

長い原作をどう再構築するか。

森下佳子さんがいかに丁寧に取り組んできたことか。

こういう尺作りが大事です。

一方、『どうする家康』の場合、こうなります。

小豆袋の逸話は後世の創作だって

なら、創作してもいいってコト?

小豆袋を擬人化して走らちゃえ!

この発想のどこがまずいのか?

小豆袋という創作を元にしたからだと、脚本家は思っているようです。

小豆袋
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違います。箇条書きにしましょう。

・あの距離、あの状況を、あの年齢の女性が走り切れると思っているのか?

・「阿月」という名前からしてセンスがない

・元ネタとして鳥居強右衛門を使い回していると思える。そのせいで鳥居強右衛門の話がつまらなくなった

・若い娘を出して死なせたら盛り上がるという発想を何度も使い回すセンスがともかく古い上に、気色悪い

・話としてつまらない、ともかくつまらない

・こんなつまらない話に一話を使ったら、尺が不足すると計算すらできないのか?

最後のひとつ、尺の構成を無視した愚かさが、呆れられているのです。

森下佳子さんにそのあたりを相談してみたらいがかですか?

夏休みの宿題を最終日に詰め込んでいた。そんな幼少期から何一つとして進歩せずに生きてきたかのようです。

一年の長丁場が無理だとわかっていれば、断ることもできたはずでしょう。

そこを反省もせず、にこやかにインタビューに応じるなど、その感性に呆れ果てます。

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民放『大奥』にも注目を

ドラマ10『大奥』だけでなく、フジテレビ版でも放送を控えている、『大奥』の衣装写真が公開されました。

◆小芝風花が“お姫さま”、亀梨和也が“将軍”に 『大奥』メインキャストの豪華役衣装が公開(→link

文春砲で松本潤さんが拒んだという、宮舘涼太さんの扮装が見られます。よくお似合いですね。

立ち姿だけでもある程度、和装に慣れているかどうか判断できます。

彼は松平定信らしい生真面目さが伝わってきて、放送時の仕上がりも良さそうだ。

思えば今年はポスターとロゴを見た時点で嫌な予感がしたものです。

どちらも時代劇に思い入れがない、要は無茶な自己流センスを押し付けられる印象でした。

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それでもこの『鎌倉殿の13人』オマージュならば見たい

最終回のあらすじでは、なぜか天海だけがキャスト未発表です。

長谷川博己さんか、小栗旬さんか。そんなサプライズではないか?という予測も出回っています。

心の底から勘弁して欲しい。

仮に、小栗旬さんだとして、その展開を妄想してみましょう。

鷹狩りから戻った家康に、鯛を油であげて、ニンニクをたっぷりかけた料理を振る舞う。実際に作ったのは茶屋四郎次郎だけど、そこは改変で。

運動後の空腹のためか、うまそうに食べる家康。しかし気づく。

これはもしや、毒ではないか?

そう呻きながら、這いずり回る家康。胃によい薬がないかとのたうちまわり、まだやるべきことがあると苦しむ。

しかし天海は涙ながらに胃薬を飲ませようとせず、家康は嘔吐しながら息絶える。

啜り泣く天海の声と共にこの物語は終わり――。

要するに『鎌倉殿の13人』のオマージュですね。

去年は薬を飲めずに息絶えた小栗さんが、今年は薬を飲ませずに相手を死なせる。そんな逆転現象にする。

それならば評価できると思います!

 

徳川家康が主役なのに? だからか?

このドラマは「あの徳川家康が主役なのに、どうしてつまらないんだ!」と指摘されます。

私もそう思っていました。

しかし、むしろ逆ではないかと最近思い始めました。

直近の大河ドラマにおいて、徳川家康はおもちゃにされています。『青天を衝け』も酷い扱いでした。

あの家康が好きだという方に、じっくりと意見を聞いてみたいところです。

徳川15代将軍の中で、初代と最後を比較することは適切でしょうか?

徳川慶喜が家康以来の英傑だという評価は、時代がくだってからアリバイ的に持ち出されたものです。

元幕臣の福地桜痴がその代表格。

幕臣の子である夏目漱石は「福地桜痴なんて忘れられる」と辛辣な評価を下しておりますが、そういう態度が嫌だったのかもしれませんね。

なにせ、勝海舟はじめ、当時の幕臣、そして江戸っ子にとって敬愛すべき最後の公方様は14代徳川家茂です。

慶喜は「なんか知らねえうちに京都で徳川の世を勝手に終わらせた豚一(一橋の豚野郎・豚を食う一橋家当主)」でしかありません。

そういう慶喜を持ち上げるために、あんなふざけた家康を持ち出すことそのものが、侮辱に思えます。

あんなおちょくった扱いをしてよく抗議がなかったものだと思うほど。

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もしもあのとき、強く苦言を呈する偉い誰かがいたら、今年の徳川家康だってもっとマシだったかもしれない。そう思うのです。

もう大河にとって徳川家康とは、フリー素材になったのではありませんか?

『青天を衝け』では辞めジャニが徳川慶喜を演じ、話題をさらった。

ならば臍を曲げたジャニーズ事務所の御機嫌取りのために、主演大河を作ればいいじゃん!

主役は徳川家康でいっか? あいつはフリー素材みたいなもんだし、どんな描き方しても抗議はないし。なんだかんだで知名度は高いからな……。

なんて誰かが思ったのではありませんかね?

この十年を見ていますと、大河ドラマで取扱注意なのは幕末長州あたりのようです。

『花燃ゆ』では異例の脚本家交代が相次ぎました。

『西郷どん』では、薩長同盟がまるで「光の騎士である長州がついに薩摩に味方してくれた!」という描き方で違和感を覚えたものです。

実際には追い詰められた長州に、薩摩が手を差し伸べたようなものでしょう。

『青天を衝け』では、伊藤博文井上馨がすっかりロンダリングされて出てきました。

一体どういうことなのか。この謎が解かれる日も、そう遠くないと私は思いますが。

2023年末は、プロパガンダのからくりが明かされています。大河ドラマがらみなんて、まさしく文化人の領域ではありませんか?

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