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【『どうする家康』感想あらすじレビュー第47回「乱世の亡霊」】
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もうどうしようもない家康の偽善!
「秀頼くんを生かしてこそ母だよ」
と、したり顔で淀殿に手紙を送った家康。
本丸にカルバリン砲をバンバン撃ち込んでおいて、よくこんな書状を書けますね。
BGMはニコライ・バーグマンのフラワーボックスが似合いそうな、ぺろぺろしたお涙頂戴ストリングス。
脳が割れそうです。
戦場で命を燃やし尽くすとか言い出しおった
あまりにも突然、好戦的な性格に豹変した豊臣秀頼。
家康と淀殿の恋バナを無理やりねじこんだせいで、秀頼が戦バカだという設定にされてしまいました。
乱世の夢を見た秀頼のせいだったんだね! これが乱世の亡霊か!……って、なんじゃそりゃ!
それで茶々は納得しているし、大野治長も止めるどころかおかしい。千姫まで洗脳されているかのよう。
具体的な描写は何ひとつなく、やる気だけでどうにかなると思っているように見える。
第47話にして、秀頼教が始まってしまった。
籠城してどうやって徳川を倒すのでしょう?
このドラマってつくづく兵法が嫌いですよね。
物資の確保は? 堀のない城での戦術は? 武器はありますか? 兵糧は?
具体的な描写は何ひとつなく、やる気だけでどうにかなると思っているように見える。
現実感が何もない。
最初から最後まで、黄巾党しか出てこない『三国志』もののようですね。黄巾党は兵法を学んだ朝廷軍の曹操たちが本気を出したら、戦略的には鎧袖一触されましたよ。
本作を『三國無双』シリーズにたとえるならば、チュートリアル「黄巾党の乱」で終わっています。そんなものは製品版でなくて体験版でしょうよ。
このドラマが嫌われる理由は、史実に反するからではありません。
幼稚で陳腐、センスが古い。
エイエイオーと叫ぶとピアノがピロピロ響くとか、意味不明です。
映画『ナポレオン』は一途なのに……
映画『ナポレオン』が話題です。
迫力ある映像に対し、ストーリーはナポレオンとジョゼフィーヌの愛を中心としているため、賛否両論だとか。
こうした世界的な映画でも、恋愛中心となると歴史劇はそういうトレンドなのかと思いますよね。
しかし、考えてみてください。この『ナポレオン』の場合、一途にジョゼフィーヌを愛しています。
元カノのデジレ。愛人のマリア・ヴァレフスカ。このあたりは出てこない。
再婚相手のマリア・ルイーザは出てきますが、ジョゼフィーヌの不妊が重要ならばそうなるでしょう。
元彼はナポレオン♪フランス娘デジレ・クラリーがスウェーデン王妃に
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では『どうする家康』を比較するとどうでしょう?
マザーセナが生きている頃から「側室オーディション」。
死んだら補給されてくるレーシックお愛。
それも死んだらまた生えてくる自称男勝りの阿茶局。
これだけではない。
市とも愛し合っているかのような設定。
しかもその娘の茶々も家康に惚れていた!
もう純愛でも何でもないでしょうよ。
晩年の家康は孫のような年齢の女性に子を産ませていました。彼なりの健康法かもしれません。
そのことを踏まえると、本作のキモすぎるお手紙を送る家康が、心底嫌になります。ここまで気色悪いシナリオを作れるのは、ある意味鬼才ですよね……。
母と娘同時に恋愛感情展開は気持ち悪いと気付かず、どうする!
このドラマではセリフ処理で終わった、豊臣秀次の自刃と、その後の妻子大量処刑は惨たらしいものでした。
秀次の悪虐ぶりは捏造や誇張も多いとみなされます。
このとき、処刑される中に母娘がおりました。
両者ともに秀次の愛妾だったのか?
それとも片方が巻き込まれただけなのか?
もしも両者ともに愛妾だとすれば、母と娘を同時に愛するとはあまりに酷い、そんな印象を抱かれるでしょう。
時代を超えても気持ち悪い、母と娘の二代にわたり恋心を抱くという設定。
こんなしょーもない妄想を、いかにもすごいことを思いついちゃったと出してくる、このドラマ制作者は一体何を考えているのでしょう。
コンビニで成人雑誌を選び、わざわざ女性店員のいるレジにニヤつきながら差し出す。
温泉地の土産におっぱいチョコレートを買ってきて、女性社員に「キミは何色なのかな〜」と言いながら渡してくる。
宴会で用意された「気の利いたイベント」が、お色気コンパニオンだった……そんなおぞましいセンスを連想させます。
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