開国し、貿易し、異国の技術を習得し、己の手で作れるようにする――こうした考え方を「大攘夷」と呼びます。
阿部正弘が主張していたことでもあり、これこそが幕府の方針でした。
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「大攘夷」と「小攘夷」
幕府は協力相手としてフランスを選びます。
ロシアやイギリスは危険。南北戦争で落ち着かないアメリカは厳しい。オランダは、付き合いが長くても小国である。
ではフランスは?
ライバルであるイギリスと外交で争っていて、日本を味方につけたい。国内の蚕が伝染病のため絶滅寸前であり、これをどうにかしたいという思いもありました。
一方、幕府には、蝦夷地に左遷されていた栗本鋤雲という切れ物の幕臣がおりました。
メルメ・カションという宣教師と親しく、互いに交流を深めていて、こうした関係もあったことから、日仏は接近してゆきます。
幕閣はフランスに尋ねました。
「我が国は武器を買うべきか? それとも作れるようにすべきだろうか?」
「作れるようにするべきです!」
返ってきたのは明確な方針。こうしてフランスの助力のもと、工学系の才能においては幕閣随一、いや、当時の日本最高といえる頭脳の小栗忠順がテキパキと横須賀製鉄所はじめ様々な施設を作り上げるのです。
こうした前向きな動きに対して厄介だったのが「小攘夷」です。
劇中でも孝明天皇が「開国とは異国の言いなりではないか?」と家茂に質問を投げかけていました。
この発想がまさしく小攘夷といえる。
異人は殺す! 異人のことを真似する奴も殺す!
極めて排外主義的なレイシズム、ヘイトスピーチです。
「小攘夷」は百害あって一利なし。冷静に考えれば誰だってわかりそうなものなのですが、直情的で短絡的な人気取りにはピタリはまってしまう。
実際に徳川斉昭が「異人を斬る!」と騒ぎ立てると、志士たちは声援を送り、我も続けと考えていました。
幕末の外国人は侍にガクブル~銃でも勝てない日本刀がヤバけりゃ切腹も恐ろしや
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孝明天皇 考えを変える
孝明天皇もその愚に気づいたのでしょう。
「小攘夷」から「大攘夷」へ、一気に発想が進展。それも家茂の誠意あってこそだと、笑顔から伝わってきます。
孝明天皇の真意とは、実のところ大変わかりにくい。というよりも、いまだに真意が隠蔽されます。
劇中で描かれたほど、攘夷の考えを改めることができていたのか、なかなか判断がつきません。
本作はかなり厳密に考証をしておりますし、かつ、家茂が信頼されていたことは確か。ですので、この描き方は革新的で素晴らしいと思えます。
御簾の奥から出てきて、人間としての意思を持った孝明天皇。
髪を切り落とし、上洛した家茂の誠意が天皇をも動かしたのです。
さらに家茂は澄み切った目で、慈悲深き天皇にもうひとつお願いがあると頼み込みます。
それは親子様――女の身でありながら断髪し、京都から江戸まできた偽和宮のことでした。
それにしても志田彩良さんの家茂は透き通っていますね。
原作では可愛らしさが強い家茂。ドラマ版では聡明さと意志の強さも出ていて、これ以上はないと思うほどの適役です。
江戸にいる和宮は悩んでいました。
母・観行院は京都に残した本物の和宮を思うあまり、娘の贈った金魚鉢を割ってしまうほど錯乱している。
金魚はなんとか助かったものの、観行院は一人でも帰ると暴れるほどです。
なんでも和宮が夢枕に立ち、死にかけていると訴えたとかで……親子がなだめようとしても一切聞かず、それどころか「母子の仲を引き裂こうとしている!」と怒り出すではありませんか。
弟の和宮と入れ替わった偽和宮の親子は、そもそも母を独占するための大奥入りであった。それがわかっている彼女は、母に対して何も言えません。
すっかり錯乱した観行院は、猫を抱いた天璋院にまで京都に戻りたいと訴えます。
偽和宮としてはやむを得ず、真相を天璋院に打ち明けるしかありません。
中澤はもう観行院は京都に帰るしかないのではないか、と切り出します。確かにあんなに叫んだら秘密が暴露されますもんね。
すると偽和宮は、もう一つやり方があると切り出します。
素晴らしき、船に乗る公方様
家茂は勝海舟に「帝を説得できた」と報告しています。
「あっははははは!」と笑い飛ばし、膝をパチンと叩く勝がいいですね。江戸っ子らしい。
公方様を前に笑っていると気づいた勝が詫びると、家茂は恭しく一礼しこうきました。
「勝先生にお褒め頂き光栄です」
こんな素晴らしい公方様にそう言われて、勝は調子に乗ったことを詫びつつ、嬉しくてたまらない顔になっています。
もう理屈じゃねえ!
勝は家茂のことを話すだけで目が潤んでしまったほど大好きですから、そうなるのもわかる。説得力がありますね。
家茂が外に目をやると、船が見えました。
江戸まで3日か?と尋ねる家茂。
勝はあの船は異国からの輸入品だけれども、そのうちすぐに作れるようになると自慢げに話しています。
確かに幕府海軍の強化ぶりは驚異的であり、「作れる」というのもあながち嘘ではありません。
戦国から江戸時代への移り変わりで、かつて猛威を振るった大型船は製造および所有が禁じられていました。
大型船舶である「御座船」は公方様だけの特権。
そうした造船停滞期を経て、日本の造船が再び動こうとしている。
そもそも上洛は陸路で行うもので、それを家茂は臆せず船に乗り込むのだから、海軍に力を入れてきた勝としては感無量でしょう。
まぁ、造船については、勝の功績というより、小栗忠順あたりの知性あってのような気もしますね。
大奥主体の本作ではクローズアップされませんが、その外ではフル回転で幕閣が国作りを進めていました。
ちなみに勝海舟は船酔い体質で、咸臨丸で渡米した際はろくに表に出てきませんでした。
同乗していた福沢諭吉は、何もしないくせに偉そうな勝をこれ以来嫌いになり、明治以降もしつこいアンチ活動を続けています。
そんな幕臣バトルはさておき、この家茂と勝の姿は目に焼き付けておきたい。
幕府にもこんな素晴らしい瞬間があった。
そしてその希望は、彼らだけのものでもありません。
『将軍天保山入港』という絵があります。
家茂二度目の上洛時、翔鶴丸で天保山沖に入港した様子が描かれたもので、非常に威風堂々と威厳に満ちた一枚。
文化遺産オンラインからご覧になれますが(→link)、その様子を彷彿とさせてくれる本作の素晴らしさよ。
そして、強い海軍を作るように、と家茂から言われ「はい!」と答える勝海舟の嬉しそうな姿よ。ぜひこのシーンを覚えておいて欲しい。
御宸翰を得ていた家茂
家茂が江戸に戻ると、帝とのことを聞かされた和宮も安心しています。
「あの装束がよかったようだ」と喜ぶ二人。装束には力があると和宮が言います。彼女の助言だったんですね。
すると家茂が、和宮も江戸風の装いをしてみないかと提案します。
そんなことしてどうするのか?と訝しむ和宮に対し、微笑む家茂。
和宮が江戸風のかいどりを着て、家茂が袿を着る。こっそりと着て、かもじをつけ、お茶を飲むと家茂が言えば、甘いものをぎょうさん食べると続ける和宮。
なんとも楽しげに微笑む二人です。
しかし和宮は寂しそうな表情を浮かべ、京へ戻ることを考えていると告げます。
本物の和宮に会いたい母のことを思えば仕方ない。この際自分が戻って、本物の和宮に来てもらうのはどうか。そうすれば母の気うつも治る。家茂も子作りができ、公武合体を天下に訴えられる――。
そう語る和宮に、家茂は書状をかざします。そして珍しく強く言い切る。
「いいから開けなさい!」
江戸にいる和宮は私の妹宮――。
孝明天皇直筆の書であり、和宮も「御宸翰(ごしんかん)やないの!」と驚いています。
木箱に入れず裸で持ち歩くことに慌てている様子から、いかに重大なものかわかるでしょう。
それにしても素晴らしい出来ではありませんか。
孝明天皇には御宸翰が実在します。松平容保が秘蔵していたもので、本物は滅多に公開されない貴重なものです。
それを参考にしながら、筆跡を近づけたのだと想像できますが、実際、ドラマで用意するとなると相当な重圧だったことでしょう。本作の小道具班は本当に素晴らしい!
家茂は、和宮と一緒にいたいからこそ、天皇からいただいてきました。
それなのに、そんな気持ちをわかってくれないのか……と、初めて家茂が怒りを見せています。
和宮も動揺しながら「考えてこそのことだ」と答えるのですが、家茂は宮様こそが光と申し上げたとさらに畳み掛けます。
私ではどうやってもほんまの夫婦にはなれないと目を逸らす和宮。
確かに家茂は公武合体の証となる子を生まなければならい。それでも子などどうにかするという家茂に対し、まだ迷う和宮。
「どうにかします!」
ついにきっぱりと言い切る家茂。それで後悔しないのか和宮が念押しすると、微笑みで答える。和宮の目も潤んでゆく。
家茂は、観行院が京へ戻る手筈を整えました。病を得たことにしていったん家茂の生家に下がり、そこから一人の公家の女人として京へ戻るようするとのこと。
江戸時代は「入り鉄砲に出女」ということで、女の移動には制限がかけられました。それを考え、上手に計らいましたね。
しかも、新たに親子(ちかこ)となった和宮に礼を言うようにと告げ、別れる日まで母と子として愛しんで欲しいと伝えるのでした。
こうしてようやく本物の母と娘として語り合えるようになった二人。
親子は、母が弟を愛していることを理解していると告げます。それに対し観行院は謝るだけ。
「うそでも親子さんのこともかわいいとは、言うてくれはらへんかったわ」
そう聞かされて悲しむ家茂。「大事ない」とそっけなく返す親子(ちかこ)からは、強がりのような、母ではなく家茂がいればいいというような、入り混じった感情が浮かんできます。
すると猫を抱きつつ天璋院がやってきて、大奥は不思議なところだとしみじみ語る。
血のつながりが誰一人としていないのに、何の縁か、肩を寄せあい、一つ屋根の下に暮らしている。
猫まで含めて居心地のよい不思議な場所です。サト姫を天璋院から受け取り、かわいがる親子。それを見て家茂も微笑んでいます。
そこへ瀧山から「人がきた」と告げられます。
観行院が減った分の増員、家茂乳母の娘である志摩でした。男装し、京都風の装束を身につけ、能登として仕えることに。
親子は「土御門一人でええ」と言うものの、新たに雇い入れるには意味もありました。
嫁ぎ先で子ができず追い出された彼女にとって、大奥は大事な就職先でもあったのです。
大奥は将軍の愛をめぐるバチバチバトルの場所だけでなく、女性のキャリア形成の場でもありました。
きっと家茂は、親子だけでなく、志摩のことも気遣って連れてきたのでしょう。親子もこれを承知します。
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