ドラマ大奥幕末編 感想レビュー第20回

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ドラマ大奥幕末編 感想レビュー第20回 和宮の思いは家茂ありてこそ

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自分が賢いと思っているものが一番のバカだ

そのころ京都では、三条実美孝明天皇に決断を迫っていました。

公家たちが「小攘夷」を求めて突き上げてきたのです。背後には長州藩士はじめとする「志士」も蠢いています。

しかし「大攘夷」に目覚めた孝明天皇は気が重い。

もはや辟易として、島津久光に相談を持ちかけました。

孝明天皇の叡慮を察した久光は早速動きます。攘夷派公家と長州藩士を都から追い落としたのです(【八月十八日の政変】)。

すると慶喜がニタニタした得意顔で出てきました。

「結句、京に残ったのは徳川の唱える公武合体に納得する大名ばかりとなりまして。まぁバカどもは時の流れにのまれていなくなったというわけですな」

出てくるだけで視聴者を苛立たせ、カーッと頭に血が上る、この不快さ! 大東駿介さんの憎たらしい表情が適役すぎるぞ!

慶喜は【参預会議】で政治を動かすことになったと告げています。

合議制であり、近代的で優れた政治制度と言えます。この体制では世襲の大名や公卿により回すことにしておりますが、ゆくゆくは実力なり、選挙で代表者を選べばよい。

それでこそ阿部正弘の夢に近づき、家茂も喜んでいます。

かくして慶喜が参預会議に入り、かつ上洛することとなりました。しかも家茂にもう一度上洛するように告げます。なんでも孝明天皇の望みだとか。

「上様はおかわいらしうて、私もやりやすうございます」

またもやニタニタと笑う慶喜の不快感が凄まじい。もう、生きてそこにいるだけでマウンティングしてきよる、コイツは。

温厚な家茂も不快だったのでしょう。その流れを聞いた親子はピシッと言います。

「腹立つことしか言わんのか、その慶喜いうんは!」

家茂が孝明天皇を説得したからこそ政局が動いた。孝明天皇が家茂を求めるのは、慶喜を信頼していないから。それがわからんのか、アホなのか、と親子がズバリ言い切ります。

これぞまさしく、慶喜という男の卑劣さが詰まった素晴らしい台詞ですね。

慶喜は好意を盗みます。

孝明天皇が家茂に寄せる心をかすめとり、自分こそ信頼されていると吹聴する。

ファンは推しのアイドルを慕っているというのに、横からプロデューサーが出てきて「どうもどうも、私が彼女を育てましたよ」と目立つような話です。

経緯はどうあれ、こうして孝明天皇の前に集い、開かれた国に向かって進んでいけると家茂は言います。

しかし、ここで気づきませんか。

それは明治維新が成し遂げたことだと、学校の授業で習ってきませんでしたか?

天皇を国の頂点とする合議制と開国――実は江戸幕府の時点でそこを目指していたことが示されています。

親子は、それでは徳川が他の大名と横並びになると疑念を呈しますが、家茂は内戦だけは回避せねばならないと言い切る。

 


慶喜、盛大なオウンゴール

親子は、家茂とのやりとりを天璋院に話しています。

実は家定の生前も同じことを語っていた。徳川がこの世の初めから国を治めていたわけではない。その時々にふさわしい者が治めればよい。

天璋院がそう答えると、慶喜はそれでええんかと親子が気にしています。

帝の血筋が入っていることを誇りに思っているような男――これは史実でもそうで、幼い頃からその血筋を使ったマウンティングを繰り返していました。

そんなマウンティング男が横並びなんて耐えられるのか?

と、親子の懸念は的中します。

京都の参預会議であった酒席で慶喜は泥酔し、島津久光にこう吐き捨てたのです。

「おぬしのような無能と将軍後見職である私を同じにするな!」

ここで怒りに震える久光が理想通りだ。威厳と鋭さを備えた顔立ちが実に素晴らしい。

「分からぬか? 己のことを賢いと思うておるバカ者ほど始末に追えぬバカはおらぬ!」

まるで慶喜自身に吐いた自己批判のようにも思えますが、そんなつもりは毛頭ないでしょうね。

慶喜はさらにこう煽ります。

「何をしておる? バカは参預会議より出て行け」

ここまで言われて、さすがの久光も激怒します。

彼は薩摩隼人らしい藩士たちより忍耐強い。しかし怒るときは怒ります。

この慶喜の暴言は、幕末最大のオウンゴール――その瞬間が迫力ある映像で見られて最高です。周囲が慌てている様子も実にいい。

本当にこのときの慶喜は下劣の極みでした。

そもそも慶喜の失脚を救って世に出したのは久光ですが、慶喜からすればそれも鬱陶しかったのでしょう。恩着せがましいとでも思ったのかもしれません。

ここには慶喜に望みをかけていた松平春嶽も同席しています。春嶽は、慶喜の卑劣さに散々振り回され、担ぎ上げてしまったことを後悔したと語り残しています。

家茂の人間性は、接した人はだいたいが褒める。

慶喜の人間性は、接した人はだいたいが苦い顔になって振り返る。

さらにドラマでは描ききれなかったことを付け足しますと……。

久光たちは孝明天皇の意を汲みつつ、開国を進めようとしていました。

しかし、慶喜はそういう大事なことを決めるうえで、自分抜きにされるのが気に食わない。そこで酒の席でわざと久光を貶し、スッキリしたのだとか。

大河ドラマ『青天を衝け』では、この場面の後あろうことか「快なり!」と慶喜に笑顔で喜ばせていました。

盛大なオウンゴールだし、周囲に迷惑をかけまくっているのに、ああも喜ぶとはどういうことか。そういう証言があるにせよ、もうちょっと描き方はあるでしょう。

家茂も腹に据えかねたのでしょう。

なぜ開国を止めるのかと慶喜に詰め寄っています。開国を進めてきたは徳川なのに何事かと。

慶喜はいやらしい口調で言い訳します。

そもそもこの会議を作るように上申したのが薩摩だとわかった。徳川としてあり得ない、と。

確かにこれは薩摩の狙い通りです。斉彬時代からそうでした。

薩摩は斉昭・慶喜父子を尊敬していたのではなく、あくまで島津も加わる合議制を実現したかったのです。

「薩摩の芋の下に徳川が列するなど! ならば攘夷に転じると申し上げたまで」

差別をむき出しにして語る慶喜。

これも日本史では重要でしょう。五穀という呼び方の通り、米以外でも穀物はあります。伝来して以降、芋だって大事な食料です。

しかし米が最上位にされ、そうでないものを主食とするものを貶める。

薩摩は、気候や火山灰の影響もあって芋を食べている。それだけでこの言い様です。慶喜はそんなくだらないことでぶち壊しにした。どこまで卑劣なのでしょうか。

「まことに左様につまらぬことで!」

「つまらぬ? は……今はどの藩も隙あらば徳川を出し抜こうとしておるのですぞ!」

「ほかの大名らの力を借りねば、今の徳川に天下を束ねる力はない!」

「だからこそ、徳川の地位を守ろうとしておるのではないですか! さようなこともお分かりになられぬとは……驚きにございます」

そう慇懃無礼な態度を見せ、頭を下げる慶喜。所作は丁寧なのに、小馬鹿にしきっている顔が見ていて苛立つ~!

家茂を見ていると心が晴れる。

慶喜を見ていると苛立ちで体が熱くなる。

これぞ幕臣の気分を追体験しているということかもしれません。

家茂が阿部正弘の夢見た世界へと進もうとしているのに、マウンティング大好き男・慶喜がそれを台無しにしてしまう。

家茂の掲げた理想は、明治以降の雛形となるものです。

これも明治維新を理解するうえで重要なこと。新政府は新しいことをしたようで、実はそうではない。幕府が進みかけていた方向へ舵を切っただけのことです。

イデオロギーとしては、どちらもそこまで対立していません。

尊王思想は全国的に広まっていたし、開国しかないという方向で結局は一致していた。

ではなぜ対立したのか?

一言で表すなら“マウンティング”でしょう。誰が政治を主導するか。ここをめぐって争った。

慶喜はそこで上に立ちたいだけで国づくりを引っ掻きまわし、足を引っ張り、都合が悪くなったら逃げ出した。

日本史上、最低のリーダー候補でしょう。それを再現するこの作品は素晴らしい。

孝明天皇は家茂に伝えます。

誰のおかげで将軍後見職になれたのか、忘れていないか。久光はそう怒り心頭であったと。

家茂も、薩摩からすればそうなると納得しています。

「家茂、慶喜はあかん。あれは人のついてこぬ男や」

孝明天皇がはっきりと懸念を口にします。

 


病に蝕まれる家茂

家茂が江戸に戻ると、親子が思わぬことを言い出します。

家茂に側室を持たせ、親子との子ということにする。

家茂が困惑していると、親子は次の上様はあの「すかんタコ」でええと思っているのかと言い出します。

孝明天皇に続き、その妹まで慶喜にダメ出しをしてきました。天璋院も瀧山も、上様がいいなら考えてみてもよいのではと言ったとのこと。

家茂は親子の心遣いに感謝しつつ、「この一年、月のものがない」と告げます。だから側室を持ったところで子は望めぬ……。

もはや子供のことより体調のほうが懸念事項。休めば元に戻ると家茂は言い、他の者には告げぬよう口止めします。

「それより私たちの子は養子ではいかがですか?」

こうして板倉勝静経由で、田安家から養子を迎えることになりました。

田安亀之助です。

公武合体がなったとは言い難いものの、慶喜への牽制にはなる。そう天璋院と瀧山は語り合っています。

家茂は縁側で菓子を食べつつ、孝明天皇の言葉を思い出しています。

「慶喜はあかん、あれは人のついてこぬ男や。ひょっとしたら慶喜こそが戦の火種となるやもしれん! 参預会議に出とった大名たちは皆力のある者たちや。このままやったらそのもんだちが一斉に徳川に矛先を向けるいうことも考えられるんと違うか?」

そこへ親子が来て、散歩に誘います。

家定も散歩で元気になった。きっと天璋院からそう聞いたのでしょう。

親子が家茂の履き物を差し出します。

史実でもこの履き物の話が残されています。実はかなり驚異的なことで、愛情の深さが表れている。そのためわざわざ記録されたのでしょう。

お礼を言いながら家茂が庭に踏み出そうとします。

と、その瞬間、力が抜けたように倒れてしまう。

脚気でした。別名「江戸患い」です。雑穀を食べるとよくなるとか。

現代人ならばビタミン不足とわかりますが、この脚気論争の決着まで長い歳月がかかったものです。軍医の森鴎外が、脚気の対策に失敗した話は有名ですね。

ならば白米以外を食べたらどうかと仲野が提案すると、瀧山が上様の食事にはいろいろ決まりがあると浮かない顔。

天璋院は豚肉を提案します。

薩摩では「歩く野菜」と呼ばれて昔から食べられ、幕末の薩摩藩士は他藩の人々より体格がよいとされます。脚気にかかる者もいないとか。

しきたりを気にする瀧山の懸念を「んなこと言うてる場合か!」と親子が押し切り、食事改革が始まりました。

家茂がきちんと豚を食べるか確認する親子。

幕末は、豚肉の効用に気づいた時代でもあります。

医者も導入を勧めたため、新選組屯所でも豚が飼育されていました。新選組屯所は何度か移転していますが、物騒というより、豚の飼育を嫌がられたこともあったとか。

そして忘れちゃならねえ「豚一」よ。

慶喜のことですね。彼も豚肉が好きでよく食べていて、ついたあだ名が「豚一」。豚を食う一橋家当主という意味で悪意が込められていますね。

「二心殿」という、身も蓋もないあだ名もあります。裏表野郎ということです。

 

行かんといて! ここにいてて!

江戸での家茂の平和な日々は長く続きません。

板倉が申し訳なさそうに、またもや上洛を訴えてきます。なんでも「豚一」慶喜が帝に約束したとか。

謝る家茂にそうしなくてよいと言う家茂。板倉は「良い知らせ」として、養子の件がまとまったことも告げてきました。

こうして迎えられたのが田安亀之助、のちの徳川家達です。

家茂が母、親子は父になります。

閨で親子は、えらいことをしてしもうた気がすると語っている。

親と子がどう振る舞えばよいかわからないとか。座敷牢に閉じ込められてきた彼女は、子供とどう接したら良いからわからないのです。

「簡単ですわ。宮様がして欲しかったことをして差し上げればよろしいのかと」

親子が納得すると、やっと出立できると言う家茂。それを聞いて親子が驚いています。長州征伐に向かわねばなりません。

第一次があっさりと終わり、再燃したのです。

孝明天皇はなんとしても長州を倒そうと考えていました。長州藩士のせいで【禁門の変】が起き、都が焼け、御所まで戦火が迫った。

世話役として能登を連れてゆきたいという家茂に対し、許さない、絶対に行くなと強く止める和宮

「行かんといて! お願い、頼むし、ここにいてて、な!」

そう訴えますが、家茂は土産も買ってくるという。親子はそれでも絶対に行かんといてと止めるのです。

家茂の決意は変わりません。

最愛の人に別れを告げ、上洛するのでした。

一人江戸に残された親子は、増上寺の仏を借り、御百度参りをしています。そして、いいことを思いついたと瀧山を呼びます。

家茂が懐妊したことにするとのこと。ならば家茂は帰ってくるしかない。

仰天の策を告げられた瀧山が、嘘偽りを言えないと戸惑うと、この策には続きがありました。

表向きは家茂が懐妊したことにして、実際は親子が本当に妊娠するというのです。

それでは正体が隠しきれないと瀧山が困惑すると、座敷牢で育ってきたと女やで、と平然としている。十月十日ぐらい意気を潜めて暮らすなどわけないとのことです。

中奥で出産のしきたりがあると瀧山が言っても、親子はここで産むと平然としている。

女の婿をもらっておいて今更しきたりも何もないとのこと。

そして最後に、家茂は、ここ一年、月のものがなくなっていると打ち明けてしまいます。到底長旅ができるような体ではないのです。

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