ドラマ大奥幕末編 感想レビュー第20回

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ドラマ大奥幕末編 感想レビュー第20回 和宮の思いは家茂ありてこそ

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この国の行く末を、どうか

そのころ家茂は、御所で孝明天皇の御前におりました。

なんでも兵が集まらないとのことで、孝明天皇が心配しています。家茂は詔勅をいただきながらこの不始末と詫びるしかない。

これも慶喜が悪い。

薩摩がろくに動かぬ一因として、久光が激怒したことがあげられます。

それまでも薩摩藩には尊皇攘夷を掲げるものたちはいました。しかし、久光が制御に成功していた。

その久光が怒り、失望し、もう倒幕へ向かっても良いとなってしまった。孝明天皇の懸念は当たっていたのです。そんな薩摩に長州征伐を命じたところでどうにもなりません。

さらには薩摩と接近していたイギリスが、幕府に向かって長州征伐の際には海上航行をせぬよう求めてきます。

これでどうやって勝てというのか?

幕府軍が強い弱い以前の問題です。手足を縛られながら走れと言われたようなもの。

手足を結束バンドで縛ったのが、すかんタコの慶喜です。

家茂はそんな絶望的な状況に耐えきれず、ついに病臥してしまいます。

そこへ勝海舟が慌ててやってきました。廊下を走る所作が素晴らしい。軽やかで和装ならではの足捌きです。

勝は、薩摩の動きを問いかける家茂に、薩摩は来ぬという見通しを伝えます。ここでの勝の焦りよ。

「何故?」

「薩摩は裏で長州と結んだという噂があります」

薩摩と長州は結びつきつつある。そのために手筈を整え、走り回ったのは教え子だったあの坂本龍馬だ――そんな勝の狼狽が顔にあらわれています。

このころの勝は任命と罷免を繰り返しています。その理由として、坂本龍馬のようなものとの付き合いを問題視されたということもあります。

「そうか。では薩摩抜きでこちらが勝てる見込みは?」

勝は何も言えません。

「慶喜公は! 慶喜公は何をしておいでなのじゃ?」

温厚な家茂も、さすがに声を荒らげています。

「退くことは考えぬ。このうえはフランスから借金し、武器を集め、長州、そして出兵を拒否する薩摩を一気にたたくと仰せで」

家茂の顔が歪みます。

「公は、一体、何を……」

家茂は力尽きようとしています。その前に重大なことを言います。

「勝! 徳川の持っておる大政を朝廷にお返しすることはできぬか? お上に大政を返し奉るのだ。さすればお上の名の下この戦を止めていただくことができぬか?」

「ああ……確かにそれならば!」

勝はそう返します。【大政奉還】のグランドデザインは家茂にあるということになります。

「急ぐのだ勝! このまま徳川が負けるなどなれば徳川の息の根が……戦が長引けば、民も……異国にも……」

「承知しました! 承知しましたゆえ、上様、これ以上はもう!」

「勝、頼む! 徳川とこの国の行く末を、どうか……」

勝は家茂にそう託されたのでした。

おめでとうございます。これで勝海舟も救われました。

勝は明治以降、幕臣から徹底的に嫌われます。

なぜか?

明治政府に仕えたから。

忠臣は二君に仕えず――そう誓った幕臣たちは、明治政府に出仕なんて考えるだけでゾッとしたのです。それが勝は明治政府に仕えるのだから、とんだ恥知らずであると。

勝が幕臣の会合に向かおうものなら「どのツラ下げてきた?」と凄まれるわ。

福沢諭吉にはアンチ文書『痩我慢の説』を刊行されるわ。

とことん嫌われましたが、この描写でその心情は浮かんでくる。

俺ァ家茂公にこの国を託されたんだ! 投げ出してたまるか!

史実でも勝は家茂公に忠誠を尽くすと語っていたとか。

本作はあくまでSFドラマですが、勝海舟の真意を切り取った感がある。これぞ作品の持つ力でしょう。

親子の子作り計画に巻き込まれた仲野は、閨まで来ながら土壇場で「そんなことはできぬ」と怖気づきます。

仲野は蘭方医の子であるため、小柄な親子では出産に耐え切れぬのではないかと心配している。

それに子が生まれたとして、嘘に嘘を重ねることになる。家茂はそんなことを望んでいないはずだからこその養子のはずだと仲野は訴えます。

親子は言われなくともわかっている。けれども何もできないのがつらい。家茂に優しくされて甘やかされて何一つ返せない。そのことが悔しくて無茶を言っていたのでした。

するとそこへ瀧山がやってきて、仲野はいるのではないかと尋ねると、親子は中に入るように告げます。

瀧山は告げます。

先の二十日、大坂城で、家茂が亡くなった――。

 


勝海舟の憤り

慶喜が、長州との和睦交渉をしろと勝に投げています。

慶喜と勝は相性が悪い。というよりも、慶喜は自分のイエスマンしか重用しません。諫言する勝を疎んじていたのです。

それでも使える時だけは使うからタチが悪い。そんな二人の関係性を踏まえて見ると、歯ぎしりしたくなる場面ですね。

慶喜はえげつないことを言う。

徳川敗北必至の今、上様薨去は好機だ、と。勝が絶句していると、好機であろうと念押しする慶喜。

「実に新しい! 主の死を好機と呼ぶ侍には初めてお目にかかりましたよ!」

そうチクリと嫌味を言わずにはいられない勝。本当ならば、江戸っ子らしく蹴り飛ばしたいところでしょう。

「そうか? 戦国の昔にはそれこそが能のある侍であったと思うぞ」

下劣なことをさらに言い募る慶喜。

いや、戦国の倫理を貫くなら、あなたが切腹では? その前に久光をおちょくった時点で斬り殺されてもおかしくなかったはず。

いますよね、こういう都合のいい時だけ歴史を持ち出す、嫌なマウンティング野郎。

しかも、勝の人脈の広さをついてくる。

長州とも知り合いが多いだろうというのは、勝の腹を探っているということでもある。さらに孝明天皇まで持ち出す。

そして近づいて肩を叩き、こうだ。

「励むがよいぞ、勝安房」

「承知……つかまつり……」

引き攣った勝の顔が素晴らしい。

目にはカッと怒りの炎が見える。本当は切り捨てたいけどできねえ! 生粋の江戸っ子だから、はらわたが煮えくりかえっている。

でも俺ァ武士だ。やれと言われたらやる!――この勝の武士としての誇りが重要です。

勝は頼まれたらやる男だ。味方良介さんのこの顔がいい。所作もキビキビしている。

そして照明です。この明暗をうまく使った美しさ。まさにこれです。時代劇ならば、こういうものが見たい。

幕末の浮世絵師である月岡芳年の作品に『魁題百撰相』があります。これは背景が黒一色であることが実に多い。

月岡芳年『魁題百撰相』 /wikipediaより引用

穏やかな時代の浮世絵は、ここまで黒ばかりではありません。妖怪が出てくる夜の場面にはあうけれども、花見や旅路は黒一色ではありません。

それが幕末には、背景が黒一色の絵が売れる。世相を反映しているんですね。

慶喜と勝の場面は、別に昼間でも構わないでしょう。それを夜にして黒い背景に顔が浮かび上がる絵が、幕末らしくて圧倒されます。

ちなみに『魁題百撰相』には、慶喜や勝をモデルとしたと思われる作品があります。

慶喜は足利義輝、勝は片桐且元という名目ですが、彼らにそっくりな顔をしています。

 


家茂は大奥に帰りたかったが……

天璋院は瀧山から聞かされ、嘆いています。親子は魂が抜けたようなのだとか。

「生きるとは別れるだけのことなのか。大切な方たちをこうもお守りできず……」

そうしみじみと瀧山に訴える天璋院。

激動の時代を生きる嘆きがそこにはあります。これは何も彼一人だけのことではなく、同時代を生きる多くの人が嘆いたことでした。

親子は帰ってきた能登を出迎え、家茂の最期を訪ねます。

能登は、静かに亡くなったと伝えるよう家茂から託されていました。

「苦しまんと逝かはったん?」

そう問われ、能登は迷います。脳裏には家茂の姿が浮かんできます。

「悔しい。このひ弱な体が恨めしい。これからなすべきことが山ほどあるのに……徳川のためにも、この国にも……」

彼女は最後まで苦しんでいました。

息も絶え絶えで、胸を掻きむしり、それでも死にたくないと訴えていました。

「死にたくない! こんなところで! だって宮様と約束したんだもの。宮様にお土産買って帰るって。二人でかもじをつけて京と江戸のとりかえばやをするの。会いたい。宮様に会いたい。大奥に帰りたい……親子様に、会いたい!」

そう家茂最期の様子を聞かされ、親子の涙がこぼれます。能登は家茂の土産である袿と打ち掛けを差し出しました。

親子は立ち上がり、土産を手に取り、羽織ります。

「これでええ? ま、かもじはないけど。前から言おう言おうおもてたんけど、徳川とか、この国とか、そんなんどうでもようない? そんなんは争うことが大好きな腐れ男どもにやらして、私ら綺麗なもん着てお茶飲んで、カステラ食べてたらそれでようない? 上さんはほんま……おせっかいいうか。いつもいつも人のことばっかりで、とうとう命まで差し出してしもて……は……あほやろ。上さん、あほやろって」

そう涙を落とし、親子は泣きます。

「そやから言うたやない、行くなって! おればよかったやないの、私のそばに、おればよかったやないの……」

親子の慟哭が響くのでした。

 

君ありてこそ

今回のラストシーンは、和宮が詠んだ歌を元にしています。

空蝉の 唐織り衣 なにかせん 綾も錦も 君ありてこそ

どんな美しい衣を身につけたとて、何の意味があるのか。あなたあってこそのものなのに――そんな嘆きです。

これは和宮一人だけではなく、幕臣たちも似たようなことを語っています。それこそ勝海舟は、家茂薨去でもう何もかもが終わったと思った。

まるでこの世界から光が消えたような悲しみを、多くの人が味わいました。

今回を見て、魂が抜けていくほどの虚脱感に襲われたとすれば、それが物語の持つ力です。

悲しみの追体験が、歴史劇を見る意味でもあるのでしょう。

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