小豆袋

織田信長の妹で浅井長政の妻でもあるお市の方/wikipediaより引用

織田家

お市が信長に送った“小豆袋”は史実と断定していいの?どうする家康

2023年の大河ドラマ『どうする家康』は、放送直後から物議を醸すシーンが連続しています。

日本の城には見えない清州城。

清州城(清須城)
清須城が紫禁城のようだ?大河『どうする家康』の描写は過剰か否か

続きを見る

築山殿(瀬名)を遊女扱いする氏真。

家康に捨てられた瀬名が氏真に「遊女」扱いされるなどあり得るのか?

続きを見る

他にも例を挙げたらキリがありませんが、「ドラマはフィクションなんだから自由に描いてオッケー」と言われたら、確かにその通りなのでしょう。しかし……。

第14回放送「金ヶ崎でどうする」では、これまでとは異質な違和感がありました。

ドラマ脚本家の古沢氏も、公式ツイッターも、「小豆袋」のエピソードを「史実である」と断定して、ストーリー展開していたのです。

◆公式ツイッター(→link

◆NHK「どうする家康」あずき袋の〝史実〟を再現 伊東蒼、古沢良太氏から説明された阿月の役割明かす(→link

いったい「小豆袋」とは何なんだ? と、ご存知ない方に、一行で説明しておきますと、

夫・浅井長政の裏切りを知ったお市が、戦地の兄(織田信長)へ小豆袋を送り、夫の挙兵と兄の危機を伝えた――

という、兄妹の聡明さを描いた逸話です。

詳細は本文で触れますが、ともかくこのエピソードは「よくできた創作ゆえにフィクションでは定番扱いである」とされるのが共通理解であると思っていました。

それが、ドラマの制作陣は、前述の通り、堂々と「史実」だと語っているのです。

一体どういうことなのか?

いつからこの小豆袋エピソードは史実と認定されたんだろう?

おそらく私と同じように頭が混乱している方も少なくないはず。

疑問の元を少々深掘りしてみましょう。

 


お市の初恋が家康ということは恋愛はありえるか?

「小豆袋の話は史実」

そんな前提で物語が進んでゆく『どうする家康』の第14回放送――。

なぜ、お市が夫の裏切りを知らせるのか?という動機として、家康への想いが挙げられます。

◆「どうする家康」逸話・小豆袋失敗→阿月、川落ちも“恩返しの激走”ネット号泣「神回」伊東蒼に絶賛の声(→link

この前提からして、かなりの無理を感じます。

家康は天文11年(1543年)生まれ。

一方、お市は生年不詳ながら、通説では天文16年(1547年)です。あるいは天文19年(1550年)あたりまでと想定されています。

両者の年齢差は4歳から7歳なので、思春期の頃に出会っていたら、恋心を抱いたかもしれませんね。

しかし、戸田康光の計略によって、家康が尾張・織田信秀のもとへ送られたのは天文16年(1547年)のこと。

家康が数えで6歳。

お市も数えで1歳ないしは生まれていない頃の話なのです。

家康は、人質交換で駿府に移されるまでの2年を尾張で過ごしますが、それにしたって家康とお市の恋はあり得ないでしょう。

それだけではありません。

ドラマでの家康は、信長から「おい白兎! どうした、爪を立てよ!」と悪態をつかれながら、相撲でしごかれていました。

史実をふまえて大事な人質だと考えれば、そんな手荒な真似などしないはず。

2020年の大河『麒麟がくる』でも、尾張時代の家康が登場しましたが、信長とはせいぜい将棋盤越しに向き合う関係でした。

信長は天文3年(1534年)生まれで家康の9歳上ですから、二人は高校生と小学校低学年の関係。

将棋ならまだしも、いじめじみた白兎呼ばわりだの、相撲だの、バカバカしい話なんですね。

ともかく、家康が尾張にいたころ、お市は乳幼児あるいは生まれていません。

いくらなんでもそんな年齢で初恋の相手になるはずが無く、そうなるとドラマにおける「初恋の家康様のためにお知らせしなくちゃ」という動機そのものが成立しません。

こうした無茶苦茶な設定が多いからこそ、「阿月の話は史実に基づいている」と逆に喧伝したいのかもしれませんね。

しかし、彼らの言う史実とやらは、とても史実とは思えません。

小豆袋の本題へ入っていきましょう。

 


「小豆袋」を送る意義が消えているのでは?

ドラマ制作陣が史実だとする「小豆袋」のエピソード。

どこがおかしいのか?

あらためて

◆「どうする家康」逸話・小豆袋失敗→阿月、川落ちも“恩返しの激走”ネット号泣「神回」伊東蒼に絶賛の声(→link

こちらの記事から以下の部分を引用させていただきます。

 お市と阿月は小豆を袋に詰め「おひき候へ いち」の文を入れ、家康に届けるよう使いを出したが、長政の家臣に見つかり、失敗。

気になるのは「手紙の内容」です。

「おひき候へ いち」

「撤退してね 市」という手紙を入れているわけですが、こんなストレートに伝えたら、すぐさま発覚します。

隠すために小豆袋にメッセージをこめたという、本来の逸話の意味がなくなってしまいませんか? いわばネタバレした状態です。

そもそも、小豆袋の逸話というのは、

「袋の両端を縛っておいて、兄へ陣中のお菓子として渡した」

という本音の偽装をしたうえで、信長に渡されるところが重要です。

袋を見た信長は、どうにも違和感を覚えて、考え込む。

そういえば、お市の夫である長政がなかなか到着しない。そして届いたこの小豆袋……両端が縛られていて、まるで何かに挟まれているかのようだ。

「そうか、わかったぞ!」

信長は、“夫・長政の裏切りにより、織田が挟撃されそうです!”という妹の意図をついに察知した。

夫と兄に挟まれた中で、苦渋の決断をしたお市。なんと聡明であろうかと信長も感涙し――。

という話で、なかなかドラマチックな展開ですよね。

信長は長政の動きがおかしいと察知できる。

お市もストレートには伝えられないから、敢えて小豆袋を用いて伝える。

そんな制限のある中で知性をきかせた表現と比べ、ドラマにおける「撤退してね 市」という手紙の陳腐なことよ。

『どうする家康』は手紙の文面がどうにも嘘くさいと申しましょうか、今川氏真に捕らえられた瀬名が

「たすけて せな」

と血文字で書かれていた時もかなりの違和感でした。

家康に捨てられた瀬名が氏真に「遊女」扱いされるなどあり得るのか?

続きを見る

『信長の野望』における信長の知略は95、お市は74ですが、このドラマとなると、そこからマイナス50ぐらいが相応ですね。

そもそも、あれだけストレートに書いた文を忍ばせるなら、目立つ小豆袋に入れる必要があるんでしょうか。

他にもっとよい隠し場所があるのでは?

※続きは【次のページへ】をclick!


次のページへ >



-織田家
-

×