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【小豆袋は史実なのか?】
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「マラトンの戦い」神話にならう時代錯誤
阿月が走った距離は、小谷から敦賀までおよそ40キロとされています。
この距離となれば、マラソンの語源を思い出すことでしょう。
紀元前490年、ギリシャ軍のとある兵士が、宿敵ペルシアの大軍との戦ったと報告するべく、マラトンから約40km離れたアテナイまで走り、そのまま息たえたという逸話です。
これだけ古い時代ですと“史実”認定は難しい。
確かに有名な話ではありますが、この古代ギリシャ神話を日本に当てはめるセンスも2020年代の作品としては疑念を感じます。
マラソン競技は、1896年にアテネで開催された第1回オリンピックに採用されました。
この近代オリンピックそのものが、近年では疑念を抱かれるものとされています。
金銭的な汚職だけでなく、そもそも始まりからして差別や帝国主義が内包されていたのではないか? と、みなされているのです。
そもそも、古代オリンピックは当時の人々からも好みが分かれ、ギリシャ人以外からはこう呆れられてもいました。
「殴り合いのボクシングを見て歓声を送る。野蛮ですねえ」
娯楽を兼ねたローカル神事であり、あんなものにハマるってどうなのよ、と突っ込まれる行事でもありました。
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それをパッケージングし、賑々しく開催したところから歴史は始まる。
この大会は、フランス貴族ピエール・ド・クーベルタン男爵が呼びかけ人でした。
フランスでは、【フランス革命】でカトリックを否定したためアイデンティティクライシスに陥りました。そこで革命政府は、古代ギリシャとローマモチーフを利用するようになります。ナポレオン以降もこの路線は踏襲されてゆきます。
これはフランスだけにとどまらず、帝国主義に向かう西洋諸国で拡大。
発達する科学と相まって、キリスト教というアイデンティティに代わり、人種主義が台頭するのです。
「我々肌が白い白色人種こそ高等である。そのルーツである古代ギリシャ・ローマルーツを広めよう」
そういう露骨な人種優位イベントが近代オリンピックの始まりですね。
ついでに言えば、これまた【フランス革命】以降、近代国家が取り入れた徴兵制にも適していた。
兵士およびその母たる肉体を鍛えることは急務であり、オリンピックはそんな啓蒙にうってつけだったのです。
日本は、初期からいじましく五輪参加を目指してきましたが、むろんその背景には、白人国家たる西洋列強の末席に加わりたいという思いがあったことは否定できません。
クーベルタンは人種差別および女性差別でも悪名高い人物です。
そんな差別が根底にあるイベントの理念は、今後ますます厳しく問われることでしょう。
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そんな胡散臭く“オワコン”と化しつつあるオリンピック。そしてそこに絡んだ古代ギリシャ伝説に、日本の戦国時代の逸話を結びつけるのセンスはあまりにも古い。
2019年大河ドラマは『いだてん』という、異色かつ五輪をテーマとした作品でした。
今となっては、散々疑惑の目を向けられているイベントをテーマにして、その反省すら進んでいない作品に近づけるというのは、NHK大河ドラマの自浄作用のなさを証明しているようにも感じます。
◆ 【どうする家康】疾走死「阿月」が一夜明けてもネットで話題「いだてん」連想する声多数(→link)
大手スポーツ紙では、こんな風に触れています。
マラソンの由来であるマラトンの戦いにまつわる故事のような話。SNSでは17日も「マラトンの伝令の戦国時代版でした」などと振り返るツイートが続いた。「マラソンの父」金栗四三(中村勘九郎)らを描いた4年前の大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」への言及も少なくない。
「今回は『いだてん』回だった」「いだてんリスペクト?」「いだてんを思い出してる勢がいっぱいいて嬉しい」…。
阿月は男児と競走しても相手を寄せつけなかったが、女性を理由に蔑視される。「いだてん」では、女中から女子体育の先駆者になったシマ(杉咲花)が、ひそかに走り始める場面があった。阿月の姿に「シマちゃんを思い出していた」とのツイートもあった。
こんなツイートを拾った記事が出て、ドラマの制作サイドとしては狙い通りということでしょうか。
「冷蔵庫の女」と言われかねない設定
そんな阿月は、小谷から金ケ崎まで全力疾走の果に亡くなりました。
まだあどけなさの残る女優が死ぬ様を見れば、それまでの経緯がチグハグしていても、感情移入して涙する視聴者もいたことでしょう。
『どうする家康』は、こうした若い女性の死に注目するシーンが妙に多くありませんか?
後世の逸話にそって亡くなった田鶴。
本田正信の初恋相手。
そして阿月。
むろん男性も亡くなっていますが、若い女性の死にクローズアップしている時間の方が長く重い気がします。
『どうする家康』は女性の活躍をねじ込むと指摘されています。
しかしその割には死亡率が高く、知能ではなく、情だけで動いている。
田鶴は瀬名への友愛。
阿月もお市への愛情に似た忠義。
家康にとっては、彼女らよりはるかに重要な立場だったはずの寿桂尼はろくに出さず、女っていうのは若いうちが華とでも言わんばかりの散り方でした。
◆まさかの「あづき」つながり、女版メロスは歴史動かす庶民の象徴【どうする家康】(→link)
同じ女性オリキャラでも、『麒麟がくる』の駒や伊呂波太夫には知性と行動力がありました。
『鎌倉殿の13人』のトウは、女性の刺客です。
そういう、行動力や、時に男性をも仕留めかねない爪と牙は抜かれ、出てきたと思ったら死んでばかり。
視聴者の心を動かすためだけに出てきて、死ぬキャラクターは「冷蔵庫の女」と呼ばれます。
この言葉はアメリカンコミックのあるある展開として分析されていて、今ではそうした要素があるだけで作品評価が下がりかねない、陳腐なものです。
これでよいのでしょうか?
あの名作『独眼竜政宗』ですら、江戸時代以降の創作説が有力である毒殺未遂事件を扱った点が評価されていません。
ましてや『どうする家康』は、作り話で面白いわけでもなく、かえって不愉快というパターンです。
どこがアップデートされたのか?
本ドラマの制作統括は、
◆悩むトップ像で大河ドラマに風穴 制作統括が語る『どうする家康』の潜在力(→link)
記事の中で、アップデートについて語っています。
磯 大河ドラマには、年表に沿って物語を作っていく歴史ドラマの側面がありますが、そこをあまり深堀りすると、歴史ファンにしか届かなくなってしまうのではないか、そんな危惧を近年抱いていました。
そんな中で、今の日本のテレビ・映画業界で、優れたストーリーテリング力に定評のある古沢さんが思い浮かんだんです。例えば「リーガル・ハイ」は “法廷もの”という非常にかしこまったものであったジャンルを人間臭くユーモラスに描き、僕自身「こんな方法もあるんだ!」と、ものの見方を広げることができました。
その古沢さんが大河ドラマを手がけたら、歴史をあまり知らない人たちも楽しめるものにアップデートしてくれるのではないか、そんな期待をもってお願いしました。
いったい「アップデート」とは、何を指しているのか?
『麒麟がくる』ならばわかります。
あのドラマでは帰蝶が夫・信長にかわり、織田家の鉄砲調達を実質的に行っているという設定がありました。
文書の署名や名義が男性であるため、女性の活躍が過小評価されやすい。そんな歴史特有の事情も、研究者たちの成果によって変わりつつある。
まさにアップデートさせた描写でした。
『鎌倉殿の13人』もそうです。
北条政子が実質的に4代目鎌倉殿であったことを踏まえ、46回は「将軍になった女」というタイトルと描写でした。
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一方『どうする家康』はどうか?
江戸時代後期の逸話を“史実”だと断定するばかりか、恋愛至上主義にオリンピック、加えて「冷蔵庫の女」という一昔前の価値観で上塗りしている。
作る側は前進と言い張りながら、実際には後退している――そんな作品としか思えません。
このアップデートは結局バグだらけだったのです。
来年以降、きっちりパッチを当てることを期待するしかありません。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
黒田基樹『お市の方の生涯』(→amazon)
大塚ひかり『ジェンダーレスの日本史-古典で知る驚きの性』(→amazon)
清水晶子『フェミニズムってなんですか?』(→amazon)
『新書版 性差の日本史』(→amazon)
北村紗衣『批評の教室』(→amazon)
北村紗衣『お嬢さんと嘘と男たちのデス・ロード ジェンダー・フェミニズム批評入門』(→amazon)
他