北条政子と言えば悪女――亡き夫・源頼朝に代わり権力を振りかざし、鎌倉幕府の御家人たちを動かした。
そんなイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。
実際、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が始まってから、八重との確執シーンを取り上げたあるネットニュースでは「怖い女」とやたら強調されていました。
◆ 鎌倉殿の13人:“続・女の戦い” 八重を「あの女」呼ばわりした政子 「何をするか分かりませんから」 (→link)
果たして……それは正しい見方なのか。
歴史とは、過去のことであり、起きた出来事は確かに不変。
しかし、北条政子がどういう人物で、その生涯をどう捉えられるか?というのは見る人や時代によって大きく変わり、典型的な「悪女」像が広まった時もありました。
つまり彼女は、偉大で稀有な存在だからこそ、注目度も高く、時代が反映されやすいとも言えます。
1225年8月16日(嘉禄元年7月11日)は、そんな彼女の命日。
本稿では、鎌倉時代から平成まで、北条政子が日本人にとってどんな存在であったか――そんな歴史を辿ってみたいと思います。

北条政子イメージ(絵・小久ヒロ)
鎌倉:女人入眼の日本国
まずは鎌倉時代に成立した『吾妻鏡』から「政子の訃報」を見てみましょう。
一体どんな風に描かれているのか?というと
前漢の呂后に同じく、天下を執行せしめ給う。
もしくはまた、神功皇后再生せしめ、我が国の皇基を擁護せしめ給うか、と云々。
つまりは
「前漢・呂后のように天下を治め、神功皇后の再来である」
と評されています。
では呂后とは?
夫の寵姫を惨殺し、その過程において我が子・恵帝劉盈の精神状態を悪化させ、政治的混乱を招いたため、中国史でも屈指の悪女とされます。
『吾妻鏡』では、そうしたマイナス評価には触れず、政子の政治手腕を並べています。
神功皇后の再来というのも、もちろん褒め言葉です。

月岡芳年筆『日本史略図会 第十五代神功皇后』/wikipediaより引用
ただし『吾妻鏡』は鎌倉サイドの見解ですから、京都側からの目線も確認しておきましょう。
政子と同年代の慈円は『愚管抄』で彼女をこう評しています。
女人入眼ノ日本国イヨイヨマコト也ケリト云ベキニヤ。
「女人入眼」とはどういうことか。
入眼とは仏像を作ったとき、最後の仕上げとして開眼すること。ものごとの締めくくり意味する言葉です。
つまり日本という国家は
「女性が総仕上げをするものである」
と慈円は納得していたのですね。

慈円/Wikipediaより引用
慈円は『愚管抄』でこの言葉をしばしば使い、理論として出産の重要性と苦痛を書き記しています。
長いこと胎内に子を宿し、陣痛の苦しみを超えて母は子を産む。
原始的な母性礼賛のようですが、それでは独身女性はどうなのかという疑念は湧いてきます。
慈円が藤原摂関家の出自であることや、当時の政治情勢も含めて考えてみましょう。
彼の理論は【垂簾聴政】(すいれんちょうせい)を肯定し、擁護しているとも言えます。
君主が幼いうちは、御簾を垂らした内側で母后が情勢を聞き、政治的判断を下す――
そんな意味ですが、同時にそれは「外戚」、すなわち君主の母方の家系が力を持ち過ぎるという欠点も有しています。
政子がなぞらえた呂后とその一族は、悪しき外戚の筆頭に挙げられる存在。
つまり『吾妻鏡』での呂后にせよ、慈円の「女人入眼」にせよ、女性が政治を行うことだけでなく、外戚が政治を担う状況も肯定的に捉えていることになります。
室町戦国:日本国をば姫氏国といい
この時代に成立した『曽我物語』には、政子の「夢買い」の逸話が収録されています。
妹が夢の内容を政子に語ったところ、政子が「それは悪夢! お姉ちゃんが買い取ってあげる」と、吉凶を騙し取ったという逸話です。
政子が野心家であることを強調する創作だとされていて、この逸話からは、当時の人々が政子をどう受け止めていたのかが窺えます。
浮かんでくるのは「強欲・狡猾・聡明・幸運」という女性像。
大河ドラマで大きく取り上げられた女性といえば1994年『花の乱』日野富子がいます。
彼女もまた悪女とされながら、近年は「そうとも言えないのでは?」という再評価が進みつつあります。そんな富子のロールモデルは誰あろう政子。
富子が我が子・足利義尚に政治の心得を説くべく、一条兼良に書かせた書物に『樵談治要(しょうだんちよう)』があり、そこにはこう記されています。
此日本国をば姫氏国といひ、また倭王国と名付て、女のおさむべき国といへり。
「日本とは、女性が統治する国である」と始め、天照大神、神功皇后、推古天皇から皇極・持統・元明・元正・孝謙という五代の女帝を挙げている。
中国からは呂后、武則天、さらには北条政子も挙げ、その事績を例示しながら顕彰してゆくのです。
ご注目していただきたいのは中国の例も引いていること。
儒教は女性を低く評価しているため、政治参加もなかったとされますが、中国、朝鮮半島、日本において、女性が政治参加をした事例はあります。
どの文明圏だって男尊女卑の傾向はあります。
【応仁の乱】によって燃え上がった乱世は、女性が政治や合戦に参加する時代になりました。
2017年大河ドラマ『おんな城主 直虎』では、主人公・井伊直虎のみならず、今川家からは寿桂尼の功績も多く取り上げられました。

井伊直虎イメージ(絵・富永商太)
江戸:おっかねえぜ“尼将軍”
江戸時代になると、それまでの女大名は姿を消します。
大名家が先祖の顕彰に励む中、悪事を女性に責任転嫁する傾向も強まりました。
例えば1987年大河ドラマ『独眼竜政宗』では、義姫が我が子・政宗を疎み、毒殺を企てる描写があります。

伊達政宗/wikipediaより引用
これは仙台藩が藩祖・伊達政宗を顕彰し、弟・小次郎殺害の悪印象を薄めるため、最上家に責任を転嫁した創作です。
大河でもお馴染み「淀の方と北政所の対立」といった話も、江戸時代以降の創作が元になっています。
そしてこの江戸時代前期には、平安中期から続いていた政子と縁が深い伝統行事が消え去っていました。
後妻打ち(うわなりうち)です。
先妻が後妻や不倫相手を襲撃するというもので、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも注目されましたね。
武装した女性軍団を率いた先妻が、後妻の家財道具を破壊するという凄まじい行事です。
当初は生々しい復讐だったのが、ストレス解消とけじめをつける行事として定着、これを行った人物で最も有名なのが【亀の前騒動】を引き起こした北条政子というわけです。
-

なぜ亀の前は政子に襲撃されたのか?後妻打ちを喰らった頼朝の浮気相手
続きを見る
政子の場合は本気で襲撃をした事例で、それが徐々に儀式化され、そして消滅を迎えたのです。
江戸時代は印刷技術が発達し、教育が向上した時代でした。
武士の男性は昌平坂学問所を頂点にした藩校で儒教道徳を身につけ、それ以外の人々も寺子屋で教養を身につけました。

寺子屋と女性教師/wikipediaより引用
この時代、女性には女性なりのカリキュラムも成立。
東洋においては女性ならではの教育書が普及しました。
中国の清代で『女誡』『女論語』『内訓』『女範』の4種のテキストが成立すると、和訳され日本でも定着したのです。
こうしたテキストでは「女性は控えめに、良妻賢母として生きるべき」と説いています。
北条政子が愛読したとされる『貞観政要』は男性のものとされ、女性が読むことはなくなり、高等教育から遠ざけられ、家の中のことを守るべく育てられてゆきました。
-

家康も泰時も一条天皇も愛読していた『貞観政要』には一体何が書かれているのか
続きを見る
もっとも、そこからはみ出す女性もいたわけですが、江戸時代は女性が牙を抜かれてゆく時代でもあります。
そのような江戸期において、庶民に流布した創作物では、政子が格好のゴシップ種、ありえない女とされるようにり、頭の上がらない女房は「尼将軍」と呼ばれるようになっていく。
例えば『吾妻鏡』が頼朝の死をはっきり記載していないことから、想像たくましく、こんな妄想小咄まで存在したと言います。
ある日、頼朝が政子にこう尋ねました。
「なあ、御家人の中で誰が一番イケメンだと思う?」
「それはやっぱりなんといっても畠山重忠! 彼よりイケてる御家人はいないでしょ!」
これを聞いた頼朝は、政子が重忠を好きなのかと疑い、重忠に変装して政子の寝室に忍び込みました。
「この無礼者が!」
政子は激怒し、薙刀で頼朝を斬殺してしまいました。
これが源頼朝、死の真相です。

かつては源頼朝、近年では足利直義では?とされる神護寺三像の一つ(肖像画)/wikipediaより引用
いくらなんでも無茶苦茶ですが、政子はこんな流れで「おっかねえ女」ネタにされました。
幕末を生きた渋沢栄一の女性観には、政子から遠ざかった「大和撫子」像が反映されていて興味深いものがあります。
『青天を衝け』に登場した渋沢はじめ、伊藤博文ら志士の女性像とジェンダー観は、当時特有の感覚がある。
大河を通して比較してみてもよいでしょう。
明治:厳毅果断、丈夫の風あり
幕末動乱の最中、水戸藩は無惨な同士討ちを繰り返し、人材が枯渇しました。
そして、その思想にあった水戸学は、明治政府上層部に浸透。
水戸学のバイブルとも言える水戸光圀の『大日本史』では、

水戸光圀/Wikipediaより引用
政子がこう評されています。
政子、厳毅果断、丈夫の風あり。
一見、褒められているようでいて、「丈夫の風=男らしさ」がある例外的存在として扱われています。
明治前半期は、こうした『大日本史』に基づく政子像が教養として学ばれました。
ところが、そんな政子の姿が段々と消えてゆきます。
政子は「北条時政の娘」であり、「源頼朝の妻」であり、「北条義時の姉」である。

北条時政(左)/wikipediaより引用と北条義時/絵・小久ヒロ
こうした男性たちをつなぎ止める役割であり、源平合戦のヒーローの中へ埋没してしまうのです。
しかも【承久の乱】は語られない歴史となりました。
なぜなら明治政府には構造的な歪みがあったからです。
明治政府は、武士として天皇を崇めることで成立したとされています。
武士は、日本人は、天皇陛下の赤子である。ずっとそうしてきたはずだ。そう教えていた。
ところが【承久の乱】は武士が朝廷に勝利をおさめている。
ハッキリいえば都合が悪い――そんな事情から触れられなくなってしまうのです。
大正:武士の妻の鑑
大正時代は、皇国史観の影響もあり、政子は歴史の中に埋没してゆきます。
しかし、そんな彼女を見出す目線も出てくるのです。
20世紀になると女性参政権運動が広まり、職業婦人が誕生、日本でも女性の権利について議論が活発化しました。
そんな大正時代となると、政子の評価は高まります。
あの【亀の前騒動】すら、武士の家庭道徳を保つためのものだと見なされました。
背景にあったのが、明治政府初期の元勲たちにたいする反発でしょう。
伊藤博文、井上馨、渋沢栄一といった人物は、日本史上においても最低の部類に入ると思われるほどの好色でした。

渋沢栄一(左)と伊藤博文/wikipediaより引用
「当時はそんなもの」という擁護論もしばしば見かけますが、実際のところ、当時から「あまりに下劣だ」と批判されていたのです。
彼ら元勲たちは「天保老人」と下の世代から呆れられていました。
そんな彼らと比較すれば、政子は正義の執行者となるでしょう。
徴兵制が成立した時代は、日本人に武士としての気風が求められた時代でもあります。
夫や我が子を戦場へ送り出し、家庭を守る良妻賢母こそ、求められる女性像。
夫と我が子を失っても己の責務を全うする女性像として、政子はうってつけのロールモデルでした。
-

女好きがもはや異常レベルの伊藤博文|女を掃いて捨てる箒(ほうき)と呼ばれ
続きを見る
-

女遊びが強烈すぎる渋沢スキャンダル 大河ドラマで描かれなかったもう一つの顔
続きを見る
昭和:政治に巻き込まれた“かわいそうな女“
昭和20年(1945年)――アジア・太平洋戦争が終結しました。
日本はアメリカに憧れる西側の一員となり、第二次世界大戦は、女性の地位をも変えてゆきます。
東側最大のソビエト連邦は、女性兵士を大勢戦線に投入しています。
イギリスやアメリカではせいぜい後方支援であった女性兵士が、ソ連では女性の戦闘機パイロットや狙撃手もいた。
そんな男女平等を掲げる共産主義国家に対し、西側は資本主義の健やかな家庭像を打ち出しました。
快適なマイホーム、マイカー、そして機械化により家事から解放され、夫と我が子に惜しみない愛を注ぐ専業主婦がいる、そんな像です。
女性とは、働いて帰宅した男性を癒し、家事をこなす、愛くるしい存在であることが理想とされました。
敗戦から十年も経ていない、1950年から7年間連載された吉川英治『新・平家物語』は、こうした女性像を反映していると思える政子の描写があります。
『吾妻鏡』において、政子が山木兼隆の館から逃げ出し、頼朝の元へ向かっていったと回想される場面です。
この作品では、政子が発案しながら、男たちが政子を担いでゆく、姫の略奪のようなシチュエーションにされています。
※1972年の大河ドラマ原作にもなり政子は栗原小巻さんが演じた
これは吉川英治の好みの問題でもあるかもしれません。
『三国志』でも、元となった『三国志演義』から貂蟬の設定が変えられています。

貂蝉イメージ/絵・小久ヒロ
『演義』では董卓死後も生存している貂蟬が自害する。どうにも女性をか弱くする傾向を感じてしまうのです。
むろん時代の空気もあったのでしょう。
1979年『草燃える』は、鎌倉幕府成立の物語であり、政子が物語の中心におり、岩下志麻さんが演じました。
この作品では頼朝の死後、義弟の北条義時が次第に冷酷な政治家になってゆく姿が描かれています。政子は歴史通り尼将軍と呼ばれるまでになりながら、野心家である周囲に振り回される存在でした。
例えば、この作品では頼朝との仲にせよ、野心を秘めた兄・北条宗時のお膳立てとされているのです。
昭和時代の政子は、大河にせよ通底する要素も感じられます。
女は本来、野心家ではない。良妻賢母であることこそが最も幸せなのである。
といった先入観による誤解から、はみ出してしまい、権力を持ち合わせてしまうと、ろくでもないことになるのだ。
北条政子とは、夫や家庭のために尽くした女だ。しかしなまじ権力に近づきすぎたから、悪女とされ、不幸に陥るのだ。
政子を思いやるようで、彼女の主体性や聡明さを軽視しているように思えます。
悪意をもってこうしたのではないにせよ、どうしたって時代の限界は感じてしまいます。
家庭という幸せな場所にいられない女はこうなるぞ!
――そう警告するように見えるのです。
平成:“男勝り”でエネルギッシュ
女性に、かわいらしい良妻賢母を求める傾向は、平成になっても続きました。
そんな平成大河の典型例として2002年『利家とまつ』が挙げられます。

『利家とまつ』DVD版(→amazon)
まつは夫・利家をたしなめる強烈な逸話もあり、気が強い。
それが大河では優しい癒し系にされ、味噌汁でなんでも解決する、平成の理想が反映されたヒロイン像でした。
2005年『義経』では、財前直見さんが政子を演じました。
主役が義経である以上、分別のある大人の女性という描き方です。
2012年『平清盛』は平清盛が主役であるものの、語り部は源頼朝でした。
杏さんが演じた政子は、平成らしい「男勝りで活発なボーイッシュヒロイン像」が反映されていたと思えます。
この作品は演出過剰気味であり、あまりに汚し方がわざとらしい衣装には賛否両論があった。
政子も例外ではなく、ボサボサのおかっぱ頭で顔が汚れたまま山で動物を狩り、猪を背負っていた。
成人してからは眉毛を剃り落とし、毛皮を巻くというワイルドな衣装でした。
パッと見た瞬間にワイルドなヒロインとわかる造形は、漫画やゲームキャラクターのようだと感じたものです。
ただし、活発さやジェンダー観は、ここまであからさまに出るものであるか疑念は感じました。
見るからにワイルドであることが、男勝りであるとすること。
そんな『平清盛』のにおける政子のアプローチは、残念ながら令和ともなると古臭くも思えてきます。
2014年『バッド・フェミニスト』というエッセイが話題をさらいます。
フェミニストはスカートを履いちゃダメ?
女らしい格好のままじゃダメなの?
そんな問題提起がされたのです。
どんな格好をしていようが、自分らしさは出せる。そんな時代で北条政子は、どんな像になるのでしょうか。
令和:中世初期に寄り添って
『鎌倉殿の13人』の政子は、2020年代らしさが反映されていると思える描写があります。
三谷幸喜さんの2016年大河ドラマ『真田丸』では、北政所と淀の方が対立する描写はありません。
この女同士のバトルが豊臣家を滅亡に導いたという話は、後世創作され、引き継がれてきただけのものであり、三谷さんは取り入れませんでした。
『鎌倉殿の13人』では、序盤の時点から、政子は自らの意思で行動しています。
父や兄の思惑ではなく、自らの意思で頼朝に対してアプローチ。
妹の実衣に対し「荒々しい坂東の男とは違う、そんな存在を求めていた」と己の野心を語る場面もありました。

北条政子イメージ(絵・小久ヒロ)
政子の聡明さも現れています。
頼朝がアジが嫌いだと知ると、その理由は小骨が多いことだと気づき、それを取り除いて食べるよう促す。彼女の機転が生きています。
人物を見抜く能力もあります。
父・時政と兄・宗時はどうにも能天気なところがある。そう頼朝相手に認めつつ、弟の義時は違うと語るのです。
そんな政子の像は、オープニングにおいても予見されています。
戦う武者たちを見下ろすようにそびえたつ巨大な尼将軍の姿――女人入眼を示す像がある。
女性らしさにふさわしい花も、柔らかい色彩もそこにはありません。厳然たる権力者の像です。
北条義時が主役でありながら、義時の妻ではなく、姉であり権力者である政子が堂々と二番手につけている。

北条義時イメージ(絵・小久ヒロ)
主役の義時に、野心はあまり感じられません。
むしろ頼朝に対し、姉の政子から遠ざかるようにと告げていたほど。
平家の支配のもとでも穏やかに暮らせているし、このままで構わない――そう思っていたにも関わらず、野望を抱いた兄や姉に翻弄され、巨大な渦に巻き込まれていった。
興味深いことに、これは『草燃える』とは反対の構図といえます。
かつては姉が、弟や周囲に巻き込まれたのに、今度は弟が、姉や周囲に巻き込まれてゆく。
三谷さんは『草燃える』を上書きしたいと語っています。塗り替える要素の中にジェンダー観があることも義時と政子の像から見えてきます。
時代考証を務める木下竜馬さんのコメントを見てみましょう。
北条義時らが生きた中世初期(平安末~鎌倉期)は、江戸時代や戦国時代からイメージされる伝統日本とはかなり異質な時代です。
暴力、名誉、国家、法、イエ、ジェンダー……などなどの面において、後代とはずいぶん違う価値観で時人は暮らしていました。
創作では、ややもすると、現代に引き寄せた言動を歴史上の人間にさせてしまう“擬人化”に陥りがちですが三谷さんや制作陣はなるべく中世初期という時代に寄り添おうとしています。
わたくしは、歴史学の成果をお伝えすることで、それをサポートしたいと思います。
ジェンダーも、後代とはずいぶん違う価値観にあげられています。
政子像は中世初期に寄り添って、女人入眼に原点回帰したのではないでしょうか。
歴史は女性を再発見する
時代が求める女性像は変わりました。
2010年代に女性たちから熱い支持を集めたディズニーヒロイン代表は『アナと雪の女王』シリーズのエルサでしょう。
「ありのままの姿を見せるのよ」
そう歌うエルサは王子を待つわけではない。結婚するかどうかも問題ではない。
一作目で解放されると、二作目では己を探求する旅へ向かいます。
そのときのエルサは、フルメイクと派手なドレスを着ています。
この時代に世界中で大ヒットしたドラマには『ゲーム・オブ・スローンズ』があります。
中世ヨーロッパを基にしたこの劇中では、女性であろうが政治や権力に関わり、「玉座をめぐる戦い」に参じる姿が描写されている。
男の影に隠れているだけではない女性像が提起されたのです。
こうしたエンタメだけでなく、さまざまな研究分野、歴史においても、その見方は大きく転換してゆきます。
2019年にキャロライン・クリアド=ペレス『存在しない女たち 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』(→amazon)が発表されました。
ありとあらゆる分野において、存在したはずの女性が排除され、ファクトそのものが歪んでいると指摘したのです。
これは歴史分野にもあてはまります。
発掘するなり文献を調べるなりしていれば出てくる女性の痕跡――それを極めて稀な例外であるとか、何かの間違いであるとか、排除することはしばしば発生していました。
そんな偏見を取り去って歴史をみてゆくと、女性の姿が見えてきます。
◆ 有名なバイキング戦士、実は女性だった(→link)
今から1000年以上前、現在のスウェーデン南東部にあたるビルカという都市で、裕福なバイキングの戦士が葬られた。
立派な墓には、剣と矢じりが添えられ、2頭の馬も一緒に埋葬されていた。
バイキングの男にとって理想的な墓である……たいていの考古学者はそう考えていた。
ところが、研究者が遺骨のDNAを解析したところ、予想外の事実が確認された。
墓の主は、女性だったのだ。
◆ 9000年前に女性ハンター、「男は狩り、女は採集」覆す発見(→link)
古代の狩猟採集社会における男女の役割については数十年にわたって議論が続いているが、今回の調査結果は、そこに新たな証拠をもたらすことになる。
先史時代には男性が狩りをし、女性は採集と育児をしていた、というのが広く知られている考え方だ。
だが一部の学者は、こうした「伝統的な」性別による役割分担は、19世紀以降の世界の狩猟採集民を調査してきた人類学者の記録に由来するもので、古代の人々にも当てはまるとは限らないと主張してきた。
考えてみれば、何も不思議なことではないのでしょう。
人は、男女ともに助け合い、父母両系を頼りにした方が、生存率が上がります。
女性を権力なり、資産から排除することが可能になったのは、文明がある程度進化してからのこと。
ヨーロッパのコルセットにせよ、中国の纏足にせよ、文明が進展してから女性を縛る装飾として登場しているのです。
飾りたて、男を喜ばせ、男が金を稼いでいる間に家を守る女――そんな都合のよい存在を作り上げて「これぞ女の本質である。女はそういう生き物だ」と言い続けてきたからこそ、その認識が刷り込まれていったのです。
私たちには北条政子がいる
人類の進化とともに女性像は変わります。
『鎌倉殿の13人』における政子は悪女であるか、はたまた聖女であるか、話題になっています。
そこで踏まえたいのは、悪女にせよ聖女にせよ、いわば2020年代の定義であるということです。
時代がもっと進化すれば『鎌倉殿の13人』の北条政子像は「当時ならではの限界がある。上書きしなければならない」となるかもしれません。
それはそれで、きっとよいことでしょう。
ドラマや演劇、エンタメの批評も変化してゆきます。
海外では既に定着していた「フェミニズム批評」の潮流は日本にも到達しています。
韓流ドラマはこの点において先行しており、それがブームを後押しする背景にあります。
そんなもん無視して日本の大河を追求すればいい!
そう強がったところで「じゃあ韓流時代劇でも見るね」と流れてしまったら、もう取り返しはつきません。
中国語圏の華流時代劇にせよ、「中国は伝統的に女性を抑圧してきた」という偏見を跳ね返すべく、ジェンダー面で挑戦的な作品が増えています。
ディズニーが『ムーラン』をテーマにしたこともあり、強い中国人女性像は世界に広まりつつあります。
韓流や華流ドラマは日本に入る過程で「ラブ史劇」というよくわからないキャッチフレーズがつけられることがしばしばあります。
しかし、じっくり見ると女性の活躍や男女観へ疑問を呈示する作品がしばしばあるのです。
東洋の国々は男尊女卑であり、女性が統治することはなかったのか?
こんな問いかけへの答えも、出されています。
韓国ならば善徳女王。
中国ならば武則天が代表枠です。
こんな状況で、日本だけ空白ではあまりにまずい。
イマドキ「日本の女性といえば芸者だね」と言われることは、ほぼありません。
そういうことを主張してくる方はアジア人女性に何か偏見とフェチがあると不信感を抱かれるのがオチです。そこで
「日本代表は北条政子!」
と言える状況にすることこそ急務ではないでしょうか。
大河はもはや日本人だけのものではありません。
北条政子を世界史上における素晴らしい女性として押し出す。
そんな責務も『鎌倉殿の13人』にはあったと考えたい。
私たちには北条政子がいる――そう堂々と言えることを願ってなりません。
あわせて読みたい関連記事
-

源頼朝はどんな生涯だった?武家の御曹司が伊豆に流され鎌倉政権を樹立
続きを見る
-

殺伐とした武家社会を乗り切った北条義時|どうやって鎌倉幕府を支えたか
続きを見る
-

なぜ北条時政は権力欲と牧の方に溺れてしまった?最後は子供達に見限られ
続きを見る
【参考文献】
野村育世『北条政子』(→amazon)
関幸彦『北条政子』(→amazon)
清水克行『室町は今日もハードボイルド―日本中世のアナーキーな世界―』(→amazon)
国立歴史民俗博物館『新書版 性差(ジェンダー)の日本史』(→amazon)
佐藤信弥『戦乱中国の英雄たち』(→amazon)
若桑みどり『皇后の肖像――昭憲皇太后の表象と女性の国民化』(→amazon)
北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』(→amazon)
北村紗衣『批評の教室』(→amazon)
他







