「尼将軍」と呼ばれ、夫亡き後の鎌倉幕府を支えたことで知られる北条政子。
彼女は同時に嫉妬深いことでも有名で、極めつけのエピソードがこちらです。
夫の浮気相手と家を丸ごとぶっ潰す!
初めて聞かれた方は『ウソでしょ……?』と思われるかもしれませんが、先妻が後妻の家を襲う風習を後妻打ち(うわなりうち)と言い、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも描かれたのを覚えていらっしゃるでしょうか。
これが史実でして、寿永元年(1182年)11月10日、頼朝の愛妾・亀の前と住まいを亡き者にしようと政子が牧宗親に襲わせたのです。
『鎌倉殿の13人』では江口のり子さんが演じた亀の前。
源頼朝と懇ろになっていましたが、なぜそこまで政子を激怒させたのか?
亀の前の生涯を振り返ってみましょう。
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政子が妊娠中の不倫相手・亀の前
治承4年(1180年)冬――源頼朝は鎌倉に居を定めました。
妻の北条政子もめでたく懐妊し、寿永元年(1182年)8月12日には嫡男が誕生します。
万寿と名づけられた子は、後の源頼家。
鎌倉幕府の二代将軍ですね。
時計の針を少し戻しまして、出産に際し政子は比企谷殿に移っていました。
流人時代からの頼朝を支援していた比企氏(比企能員や比企尼)の本拠地です。
頼朝は安産祈願に心を配り、御家人一同も源氏の嫡流誕生に備えていました。
しかし頼朝は、その裏で政子以外の女性と睦み合っていたのです。
その相手が亀の前であり、二人は治承5年(1181年)春頃から関係を深めていました。鎌倉に移ったのが1180年の冬ですから、割とすぐ後のことですね。
当時は頼朝も「政子の目があるし……」と思っていたのでしょう。
亀の前を鎌倉に呼び寄せるにしても、少し距離を取っていて、海に近い小坪の小中太光家邸に住まわせています。
そこへ訪れた妻の出産というチャンス。
政子が比企谷に移ると「今だ!」とばかりに、亀の前を飯島の伏見広綱邸にまで移したのです。
政子「その女を邸ごとぶっ潰せ!!」
そんな亀の前とはどんな女性だったのか?
顔立ちが穏やかで、心根もやわらかい――どうやら妻の北条政子とは対照的な女性であったようです。
まぁ、どんなタイプの女性であろうと、政子にとっては許し難いことでしょう。
なんせ自らが命を賭して夫の子を産んでいるのに、その夫はコソコソと別の女性を呼び寄せ、逢瀬を重ねているのですから。
政子は、夫の行為を知ることなく、前述の通り、頼家を出産します。
では、なぜ浮気のことが耳に入ったのか?
ここで登場するのが、別の女性。
と言っても次なる頼朝の愛妾ではなく、北条時政の後妻である牧の方(ドラマでは宮沢りえさん演じる「りく」)でした。
※以下は牧の方の関連記事となります
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彼女は政子にこう告げてしまいます。
頼朝が、妊娠出産に乗じ、他の女を寵愛していますよ――。
牧の方の話を聞いた政子は烈火のごとく激怒し、牧の方の兄(ドラマでは兄だが、父説もある)牧宗親を呼びつけ、命じました。
「あの女を邸ごとぶっ潰せ!!」
牧宗親は命じられるまま、亀の前のいる伏見広綱邸へ進み、実際にその邸を破壊します。
同時に亀の前も殺されてしまったのでしょうか?
いいえ。すんでのところで邸の主人・広綱に救われ、鐙摺(あぶみずり)にある大多和義久邸に逃げ込むことができました。
そして今度は、事件のあらましを知った頼朝が激怒します。
「いくらなんでもそこまですることないだろ!!」
ドラマで大泉洋さんが慌てふためきながら嘆いていましたが、史実の頼朝も政子が怖かったのか、怒りの矛先を別のところへ向けます。
亀の前を襲った牧宗親を大多和義久の邸宅に呼びつけると、広綱らの前で髻(もとどり・烏帽子の下で結っている髪の毛)を切り捨ててしまったのです。
これは非常にマズいことでした。というのも……。
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