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【亀の前】
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北条一族の支持を失う一大事へ発展?
激怒して、牧宗親の髻(もとどり)を切った頼朝。
『要は、髪を切っただけだよね? ナニソレ?』
と思われるかもしれませんが、当時の人にとっては非常な恥辱でした。
大河ドラマ『光る君へ』でも描かれましたように、髻を隠すことは大事な身だしなみであり、逆にそれを晒されるのは、現代で言えば「白いブリーフ一丁の姿にされ、職場の同僚などに笑われる」ようなものです。
しかも『吾妻鏡』に記載された、頼朝の言い分がこれまたしょうもない。
「そりゃ妻のことは大事に思うし、尊重するよ。けどさぁ、こういうことはそっと事前に教えておいてくれてもいいじゃない!」
ますます大泉洋さんの姿と重なりますが、つまりは「事前に教えないオマエ(牧宗親)が悪い!」ってことですね。一体、何を言っているのか……。
女性はおろか男性からも呆れられそうな頼朝ですが、ともかくこれが一大事に発展します。
夫婦喧嘩のとばっちりを受けた牧宗親が、どうにも納得できず北条時政に泣きついてしまったのです。
「なんで私がこんな目に遭わなければならないんですが! 命令に従っただけですよ!」
「まったくだ! けしからん!」
今度は時政が激怒。
鎌倉から伊豆へ引き払ってしまいました(むろん親族が辱められた牧の方も激怒だったでしょう)。
冷静さを取り戻した頼朝は、次第に恐ろしくなってきます。
義理の父を怒らせただけでは済まないかもしれない。
北条氏を丸ごと敵に回してしまったのではなかろうか?
そうなれば自身の屋台骨がぐらつくことになりますが、唯一の救いが義弟の北条義時でした。
北条一族の中で、義時は鎌倉に留まったのです。
むろん、内心は頼朝の女癖に呆れていたかもしれませんが、何と言っても源氏の貴種は坂東武者全体にとって重要な存在であり、女性問題で関係断絶にまで発展させたくなかったのでしょう。
では、肝心の亀の前はどうなったのか?
椿の御所に残る伝説
亀の前はおそろしくてたまりません。
当然でしょう。これだけ酷い目に遭ったのですから、伊豆に戻りたいと訴えます。
しかし頼朝はますます彼女を愛してしまい、小中太光家の家に預けます。
主君の愛妾を、危険と隣り合わせで預かる家臣も災難ですよね。
実際、怒りがおさまらぬ政子の意向により、伏見広綱は遠江国(静岡県西部)へ追放されていて、万が一バレたら同様の危険が待っています。
しかし、亀の前の、その後の足取りは消えてしまいます。残念ながら、彼女については伝承でしか残されていません。
変わらないのは頼朝です。
彼はこの後も別の愛妾を作っては、政子は激怒させ、巻き込まれた家臣が痛い目に遭うことが繰り返されます。
まったくもって懲りない方で……風雅を愛する頼朝は、三崎に花を愛でる三御所を建てています。
鎌倉の海と山を背に「桃、桜、椿の花」が咲く様はまさしく絶景。
その椿の御所のあとに、大椿寺(だいちんじ)という寺がありまして。
花のように美しい、妙悟尼という尼がいたのだとか。
その尼こそ、頼朝の死後、落飾した亀の前であると伝えられています。
知性で愛される亀の前像に注目
最後に、史実ではなく『鎌倉殿の13人』劇中での描写をあらためて考えてみましょう。
公式ツイッターで紹介されていた亀の前を要約しますと……。
源頼朝の愛妾で、政子や八重をライバル視。
出自は低くても知恵があり、頼朝がのめりこむ。
出自は低くとも知恵がある――ここがポイントですね。
史実の亀の前は、伊豆に関係があり、逃げ込んだ先から、関東豪族の縁者と推察されています。
ドラマでは豪族の縁者ではなく、漁師の妻となっており、想定よりかなり庶民的な設定でしたが、肝心の知恵はあった。
というか、怒鳴り込んできた夫を「討ち取って」と三浦義村に頼んでいたあたり、かなり男勝りな性格をしていましたね。
北条政子相手にも「みんな憧れの女性なんだから勉強しろ」と開き直るようにしていました。
一方、頼朝は貴公子として、幼少期を京都で過ごしており、朝廷にも近い位置におりました。劇中でも見事な筆跡を見せ、教養のほどを見せています。
そんな彼にとって、外見がキラキラ系とか絶世の美女とは違う、教養は足りずとも知性のある女性が魅力的だったのでしょう。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
関幸彦『ミネルヴァ評伝選 北条政子』(→amazon)
奥富敬之『源頼朝のすべて』(→amazon)
他