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【ドラマ大奥幕末編 感想レビュー第21回】
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江戸放火作戦 真の狙いは
手紙が書かれている中、馬に乗って近づいてくる西郷の姿が見えます。
禍々しい獣のようだ。恐ろしい敵であるはずなのに、ひれ伏すしかないような威厳もある。
この西郷は、上野寛永寺で謹慎している慶喜の首をなんとしても取りたいのだとか。
そして複雑極まりない過程を経て、西郷は直談判に応じることにします。
勝が、捕えていた薩摩藩士を返し、恭順の意を示したと天璋院に説明。西郷とも面識がありました。
江戸城の無血開城については、色々と“伝説”の類が多すぎると指摘されます。
史実で最初に西郷と交渉したのは山岡鉄舟ですが、当人はさておき、山岡の弟子たちは「勝ばっかりが無血開城したと言い回ってやがらァ!」と苛立っていた。
ドラマでは省略されていますが、西郷との談判前に、大勢が関わった複雑怪奇な工作があったのです。
問題は、幕府へつきつけられた条件でした。
・江戸城の明け渡し
・兵器軍艦の没収
・徳川家臣の処分
・慶喜の備前預かり
外様の預かりとは死罪にするつもりか!と驚く天璋院。この条件を呑まねば総攻めするとのことです。
恭順しても譲らぬ態度に、徳川家臣は黙っていないのではないか?と懸念する天璋院に対し、勝もおさまりはしないだろう……と頷きます。
そこで勝は、ある仕掛けを用意していました。
江戸放火作戦です。
ナポレオンのロシア遠征におけるロシア側の戦術を参考にし、江戸を焼き払うというものです。
勝は江戸っ子に顔が利く。火消しの新門辰五郎らに声を掛けていました。
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避難のために船と船頭の手配をポケットマネーでしているほどで、そのせいか、勝は御一新の後、金銭的に苦しくなります。
ただしこの焦土作戦が通じるのは、国土が広く、気候が寒冷なロシアだからこそ。手段は同じでも、勝には別の狙いがありました。
江戸放火作戦の“噂”を薩摩に届けようとしたのです。
薩摩の背後にはイギリスがいる。ロンドンやパリとも並ぶ、百万都市・江戸が焼けたら、イギリスとしては困ります。
横浜で貿易していて、目玉商品の生糸も買えなくなったら一大事。この生糸がなかなか重要でして、幕府はフランスにのみ、優先的に販売していました。
イギリスはそんな状況を崩したい。実際それが叶いつつあるのに、江戸を焼かれたら計画が台無しだ。
生麦事件の時点で、イギリスは江戸攻撃案まで練っていましたが、その時点で放棄しています。それが台無しになるとあっては、断固として薩摩に抗議するでしょう。
ちなみに勝は、パークスと直談判してより確実に圧力をかけています。
イギリスはフランス革命を散々批判している。君主の青い血を流すような残酷な革命を実行されたら困る。
どうしても薩摩が折れないなら、イギリスの軍艦で慶喜を亡命させてもよいとまで話がまとまっていたそうです。
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奥の手として天璋院と和宮を人質にとって、談判するまでは考えていないとサラッと言ってのける勝。
すると天璋院は、むしろ自分を使うように、と言い出します。談判にも同席したいと、力強い目で頼みこむ。
猫を抱いた親子が、この一連のやりとりを、外でじっと聞いています。
亀之助は何かの絵を描いていました。なんでも錦の御旗だとか。
「どういう意匠(デザイン)なのか?」と能登に聞かれ、親子は見たことも聞いたこともないと答えます。
土御門も、そんな旗なんてあったんか?とキョトンとしている。
つまりは誰も見たことのない帝の旗にひれ伏したのか、偽物かもしれぬのに……と不思議がる能登。
親子は何か閃きました。
西郷との直談判
かくして勝と西郷の談判が始まりました。
天璋院と瀧山の後を追い、親子もやってきて、できることがあるならば何でもすると言い切る。
薩摩藩邸にて、勝と向き合う西郷。
隣の間では、天璋院、瀧山、そして親子が待機していました。
行軍中に馬を潰したと語る西郷。
勝は馬のためにも東征をやめて欲しいと言います。
「慶喜公の首を差し出して頂ければすぐにでも。馬のためにもぜひ」
頑なな西郷に対し、恭順の意を示しているのに、慶喜の首を取って潰すのはよろしくないと勝が言います。
徳川家臣が蜂起するだろう。それでは江戸は火の海。
すると西郷が、パークスからも江戸の攻撃はやめろ、慶喜の首を求めるなと言われたとして、こう切り返してきました。
「じゃっで、切腹にしてもらおうかち思っちょいもす」
なんとも恐ろしい西郷の迫力。切腹なら慶喜の名誉は保たれると凄むと、勝はなぜそこまで慶喜の首を求めるのかと問いかけます。
徳川の当主であるから――。
徳川は女の将軍を奉じ、国を閉ざし、世界から遅れた恥ずかしい国にしてしまった。そんな徳川は許せない。当主を殺して生まれ変わったとしたいのだと。
勝がなお食い下がっても、西郷は世界の国々、西洋は男が元首であると告げます。
イギリス・ヴィクトリア女王を挙げても、あれは神輿であり、補佐をして政務を行なっているのは男だとして取り付く島もありません。
対するこの国では担ぎ手までが女。本来、政治を行う力のない女が国を取り仕切ってしまってきた。
赤面が流行していた時代は仕方ない。それなのに収束した後の13代、14代まで女が将軍だった。そのせいでこの国は、世界から遅れた恥ずかしい国にしてしまった。
代々女の当主であったと海外に知られたら、日本は未開の蛮族の国だと蔑まされる。
「よって、徳川にこの世から消えてもらうことで、この国は生まれ変わったと示さねばなりもはん」
滔々と語る西郷。
なかなか踏み込んできましたね。このやりとりからは、西郷にとっては帝もただの神輿とも取れます。
するとここで親子が隣の間から入ってきました。
「蔑まされたら誇り返したらええやろ! どれだけ我が国がすばらしいか言いくるめたらええやろ! 薩摩隼人はそんなこともできひんのか!」
「女?」
小柄な女に怒鳴られ驚く西郷。
なんてあっぱれなのだろう!
これぞこの作品の真骨頂でしょう。西郷は天璋院に気づき、かしこまります。
しかし天璋院は「久闊(きゅうかつ)を叙する暇はない」とキッパリ。「久しぶりの挨拶をする」という意味ですが、時代ものらしい言葉遣いが実によいですね。
親子は西郷に包みを突き出します。
先帝の御宸翰であると聞かされ、うやうやしく手にとる西郷。
捧げ持つ手つきの美しさが、彼の知性と礼儀正しさとしてあらわれています。この美を誰が否定できるというのか。
相手が和宮だと知り、西郷が丁寧な態度に改めると、親子はもう一通の御宸翰を見せました。
まず、本物であると確認させる。次に中を読ませる。
目が合う親子と西郷。
親子は先帝毒殺の噂を持ち出し、さらに反応をうかがいます。
その上で公表すれば、薩摩と岩倉が帝を弑したうえで王政復古を語っているとあかされてしまう。大義名分が失われます。
しかし西郷はぬけぬけと、先帝の真筆という証はないと言い、“文”を投げ捨てます。
それは親子の想定内でした。
誰も見たことのない錦の御旗で徳川を逆賊にして大勝ちしたのは誰なのか。人の心はそんなものだと知っているだろうと自信満々の親子。
「これは私らの錦の御旗や。どうする? こんなもん表に出たら、それこそが徳川に寝返る人間がなだれを打って出てくるんとちゃう? それともここで私らに毒でも盛るか?」
挑発する親子ですが、ここは薩摩藩邸です。隣室では刀を持った薩摩隼人が待ち構え、何かあればなだれ込むため、息を潜めている。
勝は焦り、親子をとどめようとする。そして勝はさらに、慶喜は恭順を崩さぬはず……と言いかけたところで、西郷が片手をあげ、押し留め、腕組みをする。
何か考えている西郷。
部屋の外には、解き放たれる時を待つ猟犬じみた薩摩隼人が潜んでいます。もしここで西郷が「斬れ」と一言合図したらどうなるのか?
「ほうじゃ。確か先代家茂公も男にございもしたな」
何かを思いついたかのように、淡々と語り始める西郷。
だからこそ和宮は皇女である。考えてみれば文書に記してある将軍も皆男名。だったら事実はきっとそうだった。
そう考えれば、徳川の歴史も恥ずべきことではない。ならば慶喜を殺すまでもない。
慶喜は備前ではなく、生家のある水戸へ預ける。軍艦や武器は一度預かったのち、徳川相当分を戻す。江戸城城内から速やかに家臣を立ち退かせたのち、明け渡しをする。
それでどうか?と西郷が提案します。
江戸の総攻めもせぬか?と天璋院が念押しすると、そうだと答える。
「西郷……これだけは忘れんといて欲しけどなぁ。この江戸は、列強の街にも劣らへんこの街は、あんたが恥ずかしい言うた女将軍のお膝元で、その町の女らが育ててきたんやで。日々の営みの中で、別に歴史なんてどうでもええわ。あんたらのええように歪めたらええ。けど江戸の町には傷ひとつつけんといて!」
最後まで力強い声で言い切る親子。
「しかとお約束いたしもす。御台様」
瀧山の目には涙が滲んでいます。
こうして江戸城の無血開城が決定しました。
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大奥よ、ありがとう、さようなら
大奥の明け渡しは4月11日。
前日の10日までに片付けをして退去すると瀧山が告げると、天璋院が「最後の宴を催す」と宣言します。
啜り泣く声が響く中、宴が始まります。
鶯の声、美しい花。大奥とはなんと美しい世界であったのか。改めてそう思えます。
瀧山はあの封印していた流水紋を身につけています。
天璋院も身につけたらどうかと中澤が言うと、あれは家定公に見せるものだと彼は返します。
瀧山が挨拶を済ませると、和宮から静寛院宮様と改めた親子がしずしずと京の装束で歩んできました。
家茂の死後、落飾後の名です。土御門も女房装束。能登も女の姿となっています。
みなの言い草になると思い、この姿だと告げる親子。
天璋院はそれがまことのあなた様なのかと感慨深げにしています。
「何言うてはんの。私はいつだって私です」
そう微笑む親子。
彼女はいつもきつい言い回しもずばりとして、思うままに振る舞っているようではありました。
そんな親子が皆に御礼を告げ、上さんもきっとお空の上で同じ思いであると付け加えます。
楽器を奏で、酒を飲み、最後の時を過ごす大奥の人びと。
楽器の音に重なる音楽も素敵です。この美しさをずっと見ていたいような、穏やかな時が過ぎてゆきます。
「これでよかった? 上さん」
そう空に語りかける親子。彼女にもようやく、綺麗な服を着て、茶を飲み、カステラを食べる日々が訪れたのでしょう。
宴の翌日からは、怒涛の大掃除が始まりました。
土足で踏み込むことをためらうほど念入りに仕上げられてゆく大奥。
大奥からも、武家屋敷からも、立派な調度品がかくして二束三文で手放され、流れに流れて今は博物館にあります。
今後こうした品を見る機会があれば、ぜひ何処のものか? にもご注目ください。
天璋院はここでの調度品は残していくと言いながら、懐中時計は懐にしまいます。
中澤が、今後はどうするのかと仲野に尋ねます。
なんでも養子に入った先で実子が生まれ、居場所をなくしての大奥入りだったとか。それが養子先が決まったようで。
夜、天璋院が書庫に向かうと、そこには『没日録』を記す瀧山がいました。係の者がいないため彼が書いているそうです。
「改めてお読みに?」
「せめて留めておきたいではないか。私たちの心の中に。これは我々のような男たちがここにいたという証なのだから」
そう読みだす天璋院。瀧山は天璋院が『没日録』を読了したと記します。
今日より大奥は、ここで過ごした各人の心を住処とす――。
それが最後の一行でした。
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