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【清須城が紫禁城のようだ?】
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日本もかつては中国の宮殿を見本にしていた
放送後のメディア記事には、日本の建造物に似ているという意見もあり、大極殿が言及されていました。
平城宮にあった第一次大極殿は奈良市(→link)で復元されていて、そこから発想されたのかもしれません。
ご存知の通り、日本が国づくりを始めたとき、手本としたのは中国です。
長い分裂時代も終わり、大陸では隋、そして唐と統一され、日本にはうってつけのロールモデルであり、遣隋使や遣唐使を派遣して、様々な技術を吸収しました。
その中には長安で目にした壮大な宮殿もありました。
ただし、徐々に日本流にアレンジされ、ある代表的な建物へ推移してゆきます。
京都御所です。
驚くべきことにそれは防御を全く考えていない構造でした。
御所だけでなく、日本の朝廷は、戦乱をあまり身近に捉えていなかった節があり、中国の都市は真似ても、高い城壁を築くことはありません。
天皇に弓を引く者などありえないから防衛など考える必要が無かったのだ――そんな指摘もあるかもしれませんが、朝廷は非常に重要なときに、その弱点と直面することになります。
【承久の乱】です。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも描かれましたが、朝廷と武家政権が本気でぶつかった合戦にしては、放送時間が短かったと思われませんか?
合戦の重要性から言うと『どうする家康』ならば【関ヶ原の戦い】や【大坂の陣】に匹敵するでしょう。
にもかかわらず、戦闘の見どころは宇治川で終わってしまった。
実は、あれで問題は無いと思います。
仮に、当時の京都に高い城壁があれば、鎌倉武士も簡単には陥落させられず、長く対峙することになったのでしょう。
しかし実際はそうじゃない。
京都には、確固たる防衛拠点がないのです。
自然の要害といえる宇治川を越えてしまえば、あとは丸裸の御所が待っていますので、ドラマでも、鎌倉武士が川を超えた時点で、後鳥羽院は慌てふためき、意気消沈していました。
後鳥羽院がどれだけ優れていようと、防御施設のない拠点に攻め込まれたらどうしようもありません。
承久の乱は宇治川の戦いに注目!鎌倉時代の合戦は実際どう行われた?
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実はこのことは鎌倉にもあてはまりました。
三方を山に囲まれ、もう一方は海――防御に向いた地形とされる鎌倉ですが、それは誇張であって、実は大して強くないのでは?という指摘もあります。
武家の屋敷にしたって、絵巻を見れば防衛に不向きなことがわかる。
『鎌倉殿の13人』でも、和田義盛が鎌倉で挙兵した際は、かなり危険な状態に陥っていました。
日本初の武家政権である鎌倉幕府でも、いや、だからこそなのか、都市防衛はそこまで追いついていなかったのです。
【承久の乱】では、京都にいた文官の大江広元と三善康信が京都進軍を進めました。
彼らは京都にいた月日が長いだけに、防衛がザルであることを理解していたのかもしれません。
日本の城は戦国時代にできてゆく
鎌倉幕府が滅び、室町時代となり、そして戦国乱世へ。
この時代に、おなじみの日本の城郭が極められてゆきました。
防衛に適した地形を選ぶと、堀を作り、石を切り出し、石垣を築く。
戦国時代も末になって出来た櫓や天守は、日本の城を象徴するものとなっています。
日本人が「お城」という言葉を耳にすると、天守のある戦国時代以降のものを思い浮かべ、それ以前のものはせいぜい「館」としか認識されません。
そうした意識の低さもあってか、主に昭和時代、考証を無視した「なんちゃって天守閣」付きの城跡が数多く整備されてしまいます。
他ならぬ清須城も鉄筋コンクリート造の模擬天守があるほどで、現在、全国各地でもなかなか悩ましい問題となっております。
大河ドラマと城
大河ドラマと城――もちろん両者には深い関係があります。
2016年『真田丸』のオープニングは、真田の六文銭から始まり、淡々と城を映してゆきました。
実景やスタジオ撮影にVFXを組み合わせ、実在しなかった真田幸村の持ち城を作りあげてゆくのです。
父や兄のように城主となることは叶わなかった幸村が、理想の城を持つとしたらどうなったか? そんなロマンがそこにはあります。
そして最後の場面では、真田の大軍勢がこちらへ向かってきます。
これも真田幸村が率いることはなかった、真田の大軍団です。
幸村が夢に見て叶わなかった光景をVFXで再現した、切なくロマン溢れるオープニングでした。
一方、信長らしい城作りをプロットに組み込んだのが、2020年『麒麟がくる』です。
妻の帰蝶は、織田家の鉄砲取引までもこなし、共に戦うことを選んでいました。
しかし信長の築いた城は暮らしにくいと、光秀相手に不平を漏らす。
あまりに高い場所にあって、登るのに骨が折れると語るのですが、彼女ほどの身分なら輿に乗って登ればよい。
つまりは、そういった体力的な問題ではなく、高いところに登る人々の苦労なぞものともしない、夫・信長の独善的な態度についていけないとこぼしていたのです。
これは光秀と信長との対話でも示されました。
光秀がなんとかして民衆の救済や内政の拡充に目を向けさせようとしても、信長は威圧的で、新しい城を築くことばかり口にします。
織田信長とは、天才であると同時に、民の痛みや苦しみを見ようとしない人物ではないか。
麒麟がもたらす“仁”の世の中を目指す光秀は、もはや信長のもとでは歩めない――築城術ひとつでそう描く、精緻なシナリオでした。
こうした事績を踏まえ、あらためて考えてみたい。
2023年大河『どうする家康』は今後どうなってしまうのか?
前述の『真田丸』では、オープニングのシーンをVFXではなく実写だと誤解するほどの声があり、そう見間違える程とは素晴らしいな……と驚かされましたが、一方で『どうする家康』に対しては中々辛辣です。
こちらの記事へ。
◆【どうする家康】CG多用&高速展開の“新しい大河”に賛否「試みは良かった」「乗馬シーンに違和感」(→link)
CGが安っぽい、あるいは乗馬シーンで違和感があると指摘されています。
しかし、実際にロケをして、乗馬シーンを取れば、その問題は解決されるのかどうか。
清須城の指摘と共に考えていますと、なぜ本作のVFX効果に対する評価が辛辣なのか見えてきました。
技術の問題でなく、現場スタッフの時代考証が足りていないのではないでしょうか。
NHK公式ガイドブックのあらすじを見ると、清須城の記述は
清冽なる城のたたずまいと、統制のとれた家臣たちを目の当たりにして息をのんだ
だけしかありません。
この脚本がどのようにして現場へ伝えられ、実際にどう作り上げられるのか。
私には作業工程はわかりませんが、今回の清須城は「誰も見たことのない斬新な城で行こう!」というようなコンセンサスの結果、残念なシーンになってしまったのではないでしょうか。
信長には他にも、小牧山城や岐阜城、そして安土城という重要な拠点があります。
それがどう描かれるか。改めて真価が問われるかもしれません。
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