明の時代に描かれた麒麟/wikipediaより引用

麒麟がくる感想あらすじ

『麒麟がくる』で「来ない」と話題になった――そもそも「麒麟」とは何か問題

初回視聴率が19.1%を記録。第2回放送も17.9%と好調なスタートである『麒麟がくる』で、光秀が「麒麟が来ない!」と言ったことが、ギャグ扱いされていました。

「ちょw 主人公が麒麟が来ないって言っちゃったよw」
とか
「主人公がテーマを全否定するとかめっちゃウケるw」
といった揶揄のみならず、【#麒麟が来ない】というハッシュタグまで登場しているようです。

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これはギャグでも何でもありません。

結論から言うと「麒麟は永遠に来ない」のです。そしてそのことそのものが、本作のテーマでもありましょう。

麒麟の到来を待ち望むこと。
麒麟がくるためには、どうすればよいか考えること。

その意味について、考察してみたいと思います。

 


「麒麟」とは聖なる獣である

麒麟とは、現存するキリンのことではありません。

動物のキリンが認識されたとき。元々あった伝説上の麒麟から名前が採用されたという順になります。

では、伝説上の麒麟とは?

特徴としては、こういうものだとされております。

・身体は鹿
・尻尾は牛
・顔は狼
・蹄は馬に似て、五色に輝いている
・一本の角が生えているが、相手を傷つけることはない
・背丈は二丈

 

麒は雄、麟は雌を指します(異説あり)。

誰も傷つけることはない、聖なる獣――それが麒麟なのです。

 


万人が望む麒麟の到来

麒麟の名を持つ歴史上の人物としては、勝海舟がおります。
幼名と通称が麟太郎なのです。

我が子が麒麟児=天才児であって欲しい、そんな父の願いを感じる名です。それだけ当時の日本では「麒麟」という概念が理解されていたということでもあります。

劇中で中国古典に造詣が深いとされている光秀は、駒の口から「麒麟」と聞いた時点で瞬時にしてその意味を理解し「来ない!」と言い切ったのです。彼は苛立ち、悲しみすら滲ませておりました。

なぜ、光秀はああも悩んでいるのか?
その理由を考えてみると、色々と面白い仕掛けが浮かんできます。

まず麒麟がくる条件とは?

・聖人が君子である
・王道が行われている
・世の中が大平であり、戦乱がない

つまり光秀が「麒麟がこない!」と絶望したのは、次のような意図が表されているのでしょう。

・聖人が君子である国が存在していない!
・王道が行われていない!
・世の中が大平でなく、戦乱で溢れている!!

では「麒麟がこない。世を変えなければ!」という嘆きは?

・聖人を君子とする!
・王道が行われるようにする!
・世の中が大平にして、戦乱を失くさねばならない!

そんな決意を表しているのですね。

「麒麟がこない!」という嘆きを単なるボヤきとして把握していますと、本作のテーマが理解できません。

最終回までに、光秀が理想の世界をどうやって実現するべきか、悩むことそのものに意義があるのです。

歴史上、麒麟は、宮殿など支配者に関わるものに好んで使われておりました。

支配者が聖なる統治を行なっているのだ――そんな理想を掲げ、アピールするためのものだったのです。

言い換えれば、麒麟とは、理想の政治の象徴でもあります。

世界のどこを見ても、それぞれの神があり、宗教があり、理想郷があるとされてきました。麒麟にも、そうした理想を示す思想が反映されているのです。

麒麟の到来を待ち望む光秀とは、中国の古典を理解し、かつ太平の世を待ち望む人物であるということです。
UMAハンターでもありませんし、主人公なのにテーマを理解していないわけでもありません。
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