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【大河ドラマ『べらぼう』レビュー総評後編】
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鹿を指して馬と為す
鹿を指して馬と為(な)す――。
これまたていなら知っているであろう『史記』の引用です。まさかこれと同じ気分を『べらぼう』を見ていて味わうこととなるとはね!
44話以降、写楽パートともいえる最終章が、見ていて愕然とするするほどの考証ミスの連発がありました。
まず、平賀源内の蘭画。あの絵そのものが有名なうえに誤解が広まっていて、取扱注意です。

平賀源内『西洋夫人図』/wikipediaより引用
確かに有名ではある。ただし、源内が描いたかどうか要注意です。
そしてこの絵の目にご注目ください。ハイライトが入れられております。
この絵が大々的に出てきて(蔦重はどこで入手したんでしょうね? 浮世絵は版画だから入手しやすいとはいえ、これは肉筆画でしょうに)、この蘭画を取り入れて写楽にするという展開になります。
ここが浮世絵に喧嘩を売っているとしか思えないほど、酷い展開でした。
浮世絵とは、中国画や西洋画から技術を取り込むことで進化してゆきます。ただ、そうはいってもジャンルと、絵師ごとにその取り入れ方は異なります。
人物画における西洋画法についていえば勝川派が、画面に複数名人物画いる武者絵に西洋画法を取り入れたともされております。
そういう工夫を、絵師が本業でもない平賀源内がかっさらったように思えるのです。勝川派をそれなりに丁寧に描いておいて、どういうことですか?
まあ、当時は自分の葛飾派を立ち上げていない、春朗が遠近法の説明をしたからよいとでも?
いや、それもどうでしょう。この説明だって、オノマトペまみれでわけがわかりませんでしたから。
それがどういうわけか、感想を巡ってみると「そっか、遠近法だね!『神奈川沖浪裏』もあるもんね!」とかなんとか言われていて、私はなんともいえない気持ちになりました。まさに「鹿を指して馬と為す」。
風景画と人物画ではまた別物でしょう。
要するに、短縮法になるわけです。
西洋画を明確に取り入れた浮世絵人物画はあるのか?
はい、ここで歌川派の出番です。
武者絵を得意とし、好奇心旺盛で意欲に満ちた歌川国芳は、葛飾北斎に私淑しておりました。彼の自慢は、膨大な西洋画コレクションだったとか。
そんな国芳はもっと大胆に寄せてきます。
国芳の無茶ぶりも入った作品例をあげましょう。
『唐土二十四孝(文化遺産オンライン)』です。中国の故事を西洋画に引き寄せて描くという、いくらなんでも強引すぎる作品です。
このあたりの国芳を知っていると、「写楽のどこが蘭画風でぇ!」と毒づきたくなったものでして。
国芳の果敢な挑戦はなおも続きます。
もうちょっと、うまく東洋画題材とハイブリッドできないか?その挑戦が『誠忠義士肖像』です。

歌川国芳『誠忠義士肖像』/wikipediaより引用
目に入れたハイライト。大胆な短縮法。この作品は現在再評価されているもののひとつ。浮世絵を超えた斬新さがあり、実に格好いい。
しかし、当時は当たらず打ち切りとなり、国芳は大いに荒れたとのこと。
なぜこれが売れなかったのか!
写楽については「ま、豊国の方がいいもんな」と実物を見て比較した上で私は思いますが、国芳の本作については悔しさを覚えてしまいます。
さて、そんな師匠の仇討ちを成し遂げたとされるのが、国芳の弟子である月岡芳年『魁題百撰相』です。
江戸から明治へ移る時代の中、65作目で途絶えてしまったようですが、それでも評価された作品です。
この歌川師弟による『誠忠義士肖像』と『魁題百撰相』には、伝平賀源内作の画と共通点があります。
目にハイライトが入っていることです。
浮世絵は黒目にハイライトは入れないことが一般的。あえてそれをすることで、絵師の果敢な挑戦が伺えます。
さて、ここで思い出してください。
東洲斎写楽の絵の目には、ハイライトがあるか?
ありません。
それ以外にも、蘭画と思える箇所はない。要するに、劇中の蘭画に関する説明は、一から十まで間違っているのです。
どうして風景画と人物画を混同しながら、腑に落ちているんだろう?
人間とはこうして騙されていくのか。ここのくだりはそう思ったものです。
後日、読売新聞に考証担当者の記事がありました。
やはり写楽は蘭画とは無関係とのこと。この記事を読んで安堵するとともに、どうしてあんな嘘八百をやらかしたのかと不思議に思ったものです。
さらにショックを受けたといえば、この無茶苦茶な説明に突っ込む意見があまりに少なかったこと。
日本の宝である浮世絵に対する思いが、結局はその程度なのか。
ここでさきほどの「歌川」答え合わせじゃ!
あの板額御前の顔には西洋画技法が取り入れてある。
浮世絵美人画定番を思い出して欲しい。凹凸があまりない顔。すっと通った鼻筋。瓜実顔であろう。
ところがこの顔は凹凸のある顔、くっきりとした鼻筋、豊かな頬が特徴的だ。
首から下は伝統的な武者絵で、顔には西洋画法を取り入れる。円熟期を迎えた芳年の力量が存分に発揮された一枚である。
そしてここで十枚目の「歌川」じゃ。

歌川国芳『みかけハこハゐが とんだいゝ人だ』/wikipediaより引用
国芳作『みかけハこハゐが とんだいゝ人だ』。
国芳は西洋画コレクションが自慢じゃ。これもアルチンボルドから影響を受けた可能性がなきにしもあらず。
そういう国芳を知っていると、あんな雑な蘭画云々をされても、バカにしてんのかと火鉢をひっくり返したくなるのよな。ま、幸か不幸か、うちに火鉢はないのじゃが。
絵師のこだわりを理解しない主役たち
考証ミスがプロットを台無しにする弊害はまだまだ続き、ドラマそのものを侵食してゆきます。
歌麿が下絵だけを描いた『歌撰恋之部』を、蔦重とていが出版する展開がありました。
43回では歌麿はそれを破り捨てたものの、44話でていが説得すると、一転して喜ぶという流れとなりました。
43回までならば、理解できます。
しかし44回以降の流れは、浮世絵を舐めるなと言いたい。
くどいようですが、絵師は下絵を描いて終わりではありません。
彫師や色などなど、打ち合わせた上で仕上げてゆきます。そういう製作過程の軽視としか思えません。
蔦重が綿密な打ち合わせをするなり、ていが職人リストでも持ち出すなり、そうしたフォローがあれば腑に落ちます。
しかし蔦重はただはしゃいでヘラヘラしていただけに思えるのです。説得力があまりにない。
この浮世絵製作過程に無頓着な主役というのは、43回までは欠点として描かれていました。それが44話以降は投げっぱなし。
絵師に描かせたものをモンタージュにする「プロジェクト写楽」もどうしたものでしょうね。
浮世絵師は江戸っ子ですので、そう簡単にいくわけがないと思います。あれだけ盛り上げておいて、第二期以降失敗したからあっさり終わりにするのも、絵師のプライドが全く感じられません。
浮世絵という日本の宝を、製作チームのおもちゃにされたようで、本当に不愉快極まりないものがあります。
十一枚目の「歌川」いってみよ!

歌川国芳『猫飼好五十三疋』/wikipediaより引用
国芳の猫絵はみんなきっと大好きであろ?
『猫飼好五十三疋』は、『べらぼう』でお馴染み「地口」が炸裂しておるぞ。
ニーズを理解せず、エコーチェンバーで盛り上がる主人公たち
「プロジェクト写楽」についていえば、全てが罵詈雑言になる自覚はあります。
まず、ともかくノリが気持ち悪い。売れるわけのないものをドヤ顔で作り続けるあたりも腹立たしい。
たまたま立ち寄った居酒屋で、おっさん団体客がセクハラ全開で女性店員に絡み出すのを見てしまったような不快感があったものです。
まず、欠点を強調することを面白がるセンスが最低ですね。
現代を生きる私たちが、往年のコント番組を見るとショックを受けることがあります。
一例として、相手の容姿を茶化したり、馬鹿にしたりすることで、笑いをとること。
「お前んとこの女房、ブスだよなぁ〜」
「むふふ、ボインちゃんだねぇ〜」
「このハゲー!」
こういうノリを見ていると薄寒く、こんな連中と関わりたくない、今を生きていて良かったとしみじみ思えるもの。
「プロジェクト写楽」って、要するにそういうことでしたね。
役者が血相を変えるほど不快な欠点を強調し、相手が怒るとヘラヘラ面白がるって、いつの時代の悪ノリなんでしょう?
史実の蔦重は、リアル重視が当たると狙って外したのでしょう。
劇中のセンスもそうであるようで、蘭画だの言い出すわ、怒る役者を見てウケるわ、迷走していて全くもって意味がわからない。
おまけにそのプロットのせいで、蔦重周りが最低最悪のおっさん集団に思えて本当に気持ち悪くなりました。
記憶ごと焼き消したいほどのハラスメント集団。それが「プロジェクト写楽」ですね。ノリが寛政でなく、昭和後期から平成前期あたりなんですよ。
十二枚目の「歌川」だ。

落合芳幾『真写月華之姿絵』/wikipediaより引用
落合芳幾。国芳の弟子のうちで成功した部類に入るも、幕末明治絵師らしく埋没気味であった再評価枠。
彼の絵を見たことのない日本人はむしろ少ないと思う。署名がないので特定できないのだが、安政の大地震を描いた絵で芳幾はブレイクした。あの絵は日本史教材としておなじみじゃからの。
このシルエットを用いた絵も実に味がある。当たらなかったようだけれども、国芳の弟子らしいチャレンジ精神が実によいではないか!
ジェンダー面でも『光る君へ』に及ばない
吉原が舞台であることから、ジェンダー面で疑問視がつきまとっていた『べらぼう』。
ジェンダー面からみてどうか?
文化大河としての出来という点では、『光る君へ』に及ばないのではないか。そう指摘しました。
これはジェンダー観点から見てもあてはまることを後半証明してきました。
前半はよかった。忘八の中にいるりつは、特に考え抜かれた秀逸なキャラクターだったと思います。ふじ、いね、ふく、そして忘れちゃいけない瀬川もよいものでした。
前半は吉原舞台ということもあり、この面で絶対に失敗できないという緊迫感もあったのでしょう。
しかし、後半の女性像を代表するていが弱い。そのせいで、ジェンダー面が台無しになった感すらあります。
ていは途中までは素晴らしい。大河ドラマにおける橋本愛さんが扮したキャラクターの中でも、際立って秀逸に思えたものです。
しかし、43話での死産以降は台無しになったと思えます。
ていの人物像として、地本問屋の一人娘であるということが重要でした。
彼女の書物好きを理解し、眼鏡を買い与えてくれた父。そんな父から受け継いだ店を残し、書物の魅力を広めたい。そんな願いがあったものです。
店はもともとは己のものであり、婿入りした蔦重がそれを台無しにしないかという懸念もありました。
そのため、時に夫に対して諫言も辞さない強さもあったものです。
柴野栗山と朱子学問答を繰り広げ、白洲にいる夫を平手打ちにする場面は素晴らしいものでした。
そんな43話までの彼女と、44話からは別人のよう。
あれほど父から引き継いだ店を大事に思っていたてい。
これに関しては、思えば蔦重がていのものでなく、自分の暖簾を掲げても揉めていないあたりで、おかしかったとは思いますが……。
ともかく、かつては夫に反論することもあった。
それが店の破滅につながりかねず、奉公人まで危険に晒すようなことを夫がやらかしても、何の反論もなくうなずくばかり。この態度には、奉公人のたかですら呆れたほどでしたね。
44話からのていは、結局のところ寛政の江戸地女ではなく、昭和平成の腐女子になったのだと私には思えました。
44話以降は、推しカプである蔦重と歌麿がくっつく様子を見守ることしか考えていないように思えます。
そうやって生身の推しを推すことには邁進する一方、空気を読むのはともかくうまくて、うなずき人形のようにしているだけ。
会社では空気を読んで大人しく振る舞い、帰宅後、推しカプの同人誌を読んで楽しむ。そういう女性像に思えたのです。
蔦重が投げっぱなしにした耕書堂の経営も、彼女が黙ってフォローしていたことがしばしばありましたね。
江戸の地女ならば、そういうとき夫を罵倒してもよいのですよ。
でも、昭和平成のできる女だったら、そんなことはできなかったのですかね。
そういう女性像を追い求めることそのものは否定しませんが、どうしてそれを大河ドラマでやりますか?
ていが寛政女性として物足りない点はまだあります。
ていは漢籍を読みこなしている。暗唱できる箇所もあれば、陶朱公のことも知っている。そうして知識をストックすることだけは長けていて、テストがあればよい点数を取れるタイプ。
しかしその知識を吟味し、噛み締め、理解することはあまり向いていないとみた。
儒教、特に『女大学』が生まれた江戸時代ともなれば、男尊女卑が強いもの。
漢籍を読めば読むほど、女性は自分たちは劣っていて、貶められているというジレンマに陥ります。
この時代を代表する只野真葛がその典型例です。大河ドラマに出てきた女性では『八重の桜』の八重。『青天を衝け』の千代も、そうした悩みを抱いたとされます。
しかし、ていはどうにもそういう悩みが出てこない。
これは森下先生が漢籍が得意でないと公式サイトで語っていたので、そういうことなのでしょう。
そしてこれが日本の歴史劇やフェミニズムの限界でもあります。
同じ儒教圏の韓国や中国のジェンダーを扱う作品では、儒教批判に立脚した展開が定番です。
しかし、日本の場合はこの土台の時点ですでに弱い。西洋のフェミニズムを取り入れて展開するものの、どうにも脆いところがあると思えます。
『光る君へ』はその克服に挑んでいたことがわかります。スタッフは韓流や華流ドラマを意識していることが伝わってきたものです。
まひろが男ならば良かったと嘆いていた父・為時。史実準拠でもあります。
それが劇中では、まひろが女でよかったと、彼女の人生を全肯定する場面があります。
ドラマならではの脚色でしょう。しかし、あの場面はなまじ漢籍に浸かっているだけに、自虐的になりかねないまひろを救った大きな意味がありました。
まひろだけでなく、視聴者も救う意義を感じたものです。
そういうジェンダーとして痛快な展開があったかというと、どうだろう、まぁ……吉原がらみは合格点としても、全体的に見ると及第点に及んでいないと評せざるを得ないのです。
ともかくこれについてもセンスが古い。『虎に翼』チームが大河を作るまで待つしかありませんかね。
十三枚目の「歌川」じゃ。

月岡芳年『月百姿 石山月』/wikipediaより引用
月岡芳年『月百姿』より「石山月」。
月明かりの下、『源氏物語』の構図を練る紫式部を描いたもの。『光る君へ』の月光表現も美しかったものよのう。
歴史よりもサブカルを重んじる弊害
さて、そろそろそんな欠点の根元に迫ろうかと思います。
寛政というよりも昭和平成、吉川弘文館というよりもヴィレッジヴァンガード――これが結局のところ『べらぼう』のノリだったのだと思います。
要はサブカルに溺れた。私はそう分析します。
前半は抑制できていました。
吉原を扱うからには、慎重にならざるを得ない。そんな緊張感があった。
田沼政治とも噛み合う。田沼意次は悪評を払拭せねばならないし、演じるのは大河ドラマレジェンド級の渡辺謙さんです。手抜きは許されなかった。
しかし後半になると、日本橋に出て商売の規模が大きくなったはずなのに、むしろせせこましくなっていった気がしないでもない。
それでも、ふくと新之助が斃れる天明年間はまだ蔦重も世の中を見る目があったと申しましょうか。百万都市江戸を相手にしている気概はあったと思えます。
それがだんだんと、スケール感がみみっちくなり、内輪のノリが深まってゆきました。
その大きな要因が、蔦重と歌麿の関係性のように思えます。
ブロマンス要素の是非はさておき、歌麿はもっと他の版元はじめとする交友関係はありました。それがどうにも狭まってゆく。
百万都市江戸を相手に勝負するというよりも、大手カップリング担当者の同人サークルノリになってしまったような気がします。
「カップリングとしては最大手!」とか主張されても、そんなの一般人は知らんから。
てい周りは大手同人サークル。
蔦重周りは平成サブカルギョーカイ人ですかね。
世相と一致すると話題になった『べらぼう』。内輪ノリのせいで内部崩壊を起こしていた2025年テレビ業界とまで一致せずともよかったのではないでしょうか。
終盤のこのドラマのノリは、まさしくサブカルとオタクのノリ。
実際の蔦重も、曲亭馬琴曰く、知識があまり深くなかったとか。それはさておき、劇中の蔦重もそうだったとは思います。しかもそこに平成のサブカル要素を振りかけているからたちが悪い。
文化そのものよりも、そんな文化に乗っかる自分が大好き。
流行り物に乗っかっているくせに、そうではない一癖あるものを推しているという壮大な勘違い、そしてそんな己のセンスに陶酔している。
あらゆる事態に対し常に「書を以て世を耕す」だけで乗り切ろうとする。この言葉だって平賀源内が考えたものでしたね。
物事の理解が浅いくせに、自分のセンスを周囲にしつこく押し付ける。
『ポプピピテック』の世界観なら、真っ先に討伐へ向かう、そんな薄寒さ全開でした。
なんで江戸っ子でなく、サブカルの嫌なところを煮詰めたようなキャラクターになっているんですかね? 江戸文化に喧嘩売ってますか?
サブカルのノリでは、冷笑的で、逆張りであることがかっこいいとなっている。知識をひけらかしつつ、「他とは違う個性的な自分」に酔いしれてエコーチェンバーで泳ぎ回ることが正しいと思っている。
でもそんなのお仲間から一歩出れば、未熟で愚か、幼稚なノリなんですよ。
そんなものをよりにもよって、公共放送の大河ドラマでやってどうするんでしょう。まさか『どうする家康』の二年後、あれと同じ思いを抱くとは思いもよらないことでした。
ちょっとサブカルへの怒りが募ることポプ子の如しなので、十四枚目の「歌川」でも。

藤原公任(月岡芳年『月百姿』)/wikipediaより引用
月岡芳年『月百姿』より藤原公任。公任の絵は大変珍しいためか、彼の伝記表紙を飾っていることもある。『光る君へ』を思い出すのう。
衣装の部分には「正面摺」が用いられており、大変美しい。展示機会も比較的多い作品なので、是非とも見ていただきたいものじゃ。
ついでに十五枚目の「歌川」。

月岡芳年『月百姿 原野月 保昌』/wikipediaより引用
『月百姿』から「保昌」。和泉式部の夫である藤原保昌が笛を吹いておるところを、盗賊が狙う場面。
そして十六枚目の「歌川」。

月岡芳年『月百姿 世尊寺の月 少将義孝』/wikipediaより引用
『月百姿』から「少将義孝」。あの字が上手な藤原行成の夭折した父。
十八枚目の「歌川」。

月岡芳年『月百姿 花山寺の月』/wikipediaより引用
『月百姿』から。「花山寺の月」。花山天皇の出家である。
このように『光る君へ』と関係のある作品が多数あるということだ。
そのためか昨年この絵を目にした記憶がある方もおられるであろうのう。
これのどこが江戸っ子なのか?
この薄寒いサブカル内輪ノリ全開なのが、あのくだらないラストです。
「屁!屁……」と踊っているわけですが、死にかけの病人の周りですることでしょうか? いくらなんでも非常識では?
蔦重はサブカル野郎で江戸っ子じゃない。思えばそういう要素は随所にありました。
江戸時代は不惑(四十歳)を過ぎれば「翁」と呼ばれてもおかしくない。しかし、蔦重はいつまでも若者のノリでしたね。
出世して名を上げたらば、悪ノリばかりで生きていないで、周りに人情や仁義ってものを見せてこそ江戸っ子です。
何かの行事や慶事があったら、餅やら酒やら金子やら、近所に配布するような気遣いですね。
蔦重は自分の売り物宣伝には熱心でしたが、そういう気遣いが終盤にまでありましたか?
翁と呼ばれて店を構えるとなれば、後進育成もすべきでしょう。
劇中の描写だと、ていやみの吉に投げっぱなしで、ここが大変江戸っ子らしくないんですな。
江戸っ子の強みは面倒見のよさなのに、蔦重は結局自分と悪ノリ仲間が可愛いだけなんですよ。
おまけに明日の錦絵を背負って立つことになる西村屋には塩対応。
若者に嫉妬するおじさんって『どうする家康』最終盤の家康といい、本当に見てられない。
こんな刹那的で「金だけ・今だけ・自分だけ」をやらかす、イーロン・マスクじみた浅ましい主人公を見せられてもどうすればよいのやら?
いつまでも俺らはふざけてる! 楽しい!
うるせえんだよ!
そうやってあなた方が踊り狂う足元で踏み潰される相手のことを考えたことがありますか?
ないと思いますね。毒饅頭騒動で日本橋を巻き込んで迷惑かけたこともさして反省していないくらいですから。
源内にせよ、新之助にせよ、田沼意次にせよ、そして瀬川にせよ、あの堕落し切ったサブカル野郎蔦重を見て、どう思うのやら。
吉原待遇云々も終盤はただのアリバイでしたね。
あれで盛り上がっている方に酷いことを言うと自覚した上で指摘しますが、後半の蔦重って性格が相当悪いですよ。
最終回でいかにも自分たちが最高で、別れて寂しいだろうと言いたげなノリを見せつけてきましたが、私としては三舎は避けたい手合いです。
下手に顔を合わせたら、サブカル野郎を目にしたポプ子になっちまうかもしれねぇや。
まだまだサブカルへの怒りが募ることポプ子の如しなので、十九枚目の「歌川」でも。

月岡芳年『月百姿 山城小栗栖月』/wikipediaより引用
月岡芳年『月百姿』より「山城小栗晒月」。
左手には悄然とした、敗走する明智光秀の姿が見えております。手前にいる竹槍を手にした男が、光秀を討ち取ることが伝わってくる。『麒麟がくる』最終回補完になるのう。
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