歌川国芳作『相馬の古内裏』/wikipediaより引用

歌川国芳作『相馬の古内裏』/wikipediaより引用

べらぼう感想あらすじ

傑作を駄作へ急落させた歌川派の不在と内輪ノリ『べらぼう』レビュー総評後編

こちらは3ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
大河ドラマ『べらぼう』レビュー総評後編
をクリックお願いします。

 

『麒麟』と『べらぼう』、どうして差がついたのか?

さて、そろそろ罵詈雑言から先に進みましょう。

ここでやっと失敗の本質が見えてくる。

本作は『麒麟がくる』と同じチームです。

あの作品は池端俊策先生の作風を重視していて、時にセオリーや考証から外れることもありました。

戦国ファンが「明智光秀があんなに平和主義なんてありえない!」と突っ込む声はさんざん耳にしました。

駒への罵倒も酷いものがありました。

光秀と信長の閉じた関係を重視しすぎたという指摘も、妥当だとは思います。

最終回で光秀の敗走が描かれないことも批判対象でしたね。

出演者も疑念があったそうです。前半は光秀が黙っている場面が多いのではないかと、長谷川博己さんが池端先生に申し出たとか。それでも耐えるように返されたそうです。

池端先生は頑固に己を貫き、綺麗に仕上げてきました。

思えば池端先生には思想なり哲学があった。

何かと言われてきた駒がその象徴でした。

人物紹介が「戦災孤児」だった彼女は、初回で「麒麟がくる」というタイトルを台詞の中で語ります。駒こそ作品を貫いていた「戦争のない太平の世を作る」という理想の指標でした。

池端先生が幼い頃は、まだ戦争の気配が残る時代でした。そんな時代を知ればこそ、太平の世を目指すことを終着点とする理想があったのだとわかります。

『麒麟がくる』のラストシーンは、死したはずの光秀が馬で駆け抜ける場面でした。あれは彼自身の生存説というよりも、戦なき世を目指す願いの普遍性を体現しているようだと思えたものです。

『光る君へ』の場合、制作チーム側に貫きたい思いがあり、それを実現させるためこその大石静先生の起用に思えたものです。

大石先生は良妻賢母を是とする時代に生き、そんな時代の象徴ともいえる『功名が辻』を手がけてもいます。

だからこそ敢えて、朝ドラ『スカーレット』に続けて、愛する人との愛よりも創作を選ぶ女性を描かせようとしたのではないかと私には思えるのです。

良妻賢母だけではない女性の生き方を貫く。そんな思いは背骨のようにあの作品には一本通っていました。

そういう背骨が『べらぼう』にはない。

いや、あるといえばある。でもその中身があまりに恥ずかしい。

あのラストシーンの屁踊りにせよ。その前の饅頭こわいにせよ。蔦重は終始舐め腐ったふざけた態度を取り続けました。

そういう斜に構えた逆張りを続けてもみんな認めてくれる。それが理想だ! 後のことなんざ知ったこっちゃねえ!

そういう逆張り・冷笑・無責任ムーブをガツンと貫きたい気持ちは伝わってきましたけどね。

だからそれって、大河ドラマで主張すべき内容だと思いますか?

いや、むろん反論はありますよね。

「書を以て世を耕す」ってヤツ。でも、言うほど耕してましたかね?

もう私には「ウォッシング」にしか思えません。大義名分を掲げておけば、世の中に貢献したように錯覚できるってヤツ。

話を『麒麟がくる』との比較にまで戻しまして。

同じチームだけに、脚本家の方向性に任せたことが、『麒麟がくる』の魅力であり、『べらぼう』の失敗であったと私は思います。

写楽複数人説は、春ごろ決まっていたそうです。

その時点で「先生のアイデアは面白い。しかし……」と止めていたら、ここまで考証が歪まなかったと思います。

誰か指摘できなかったのでしょうか。

そもそも、写楽は斎藤十郎兵衛以外もはやありえないこと。

そんな写楽の正体で引っ張ることはとてつもなく古臭く、くだらないこと。

写楽に完全勝利を収めた歌川豊国とその歌川派こそが、再評価絵師が多いということを。

『麒麟がくる』の池端先生は大ベテランで、大変生真面目な性格の方です。

光秀と彼自身は似ているという。そんな池端先生はいわばチームにとっては「引率の先生」です。堕落しきらないし、時間通り生徒を目的地に送り届ける責任感があった。

しかし『べらぼう』の場合、歯止めが効かなかった。馴れ合いになった。チームのノリが、昭和平成大学生サークルのノリになった。ここには止める引率教員はいない。

結果として、合宿での馬鹿騒ぎのようになって終わってしまった。

その堕落のせいで『麒麟がくる』にはあった大金星を、本作は逃しました。

それは古臭く、メディアが金儲けのためにでっちあげた日本史陰謀論との決裂です。

『麒麟がくる』が本能寺黒幕説を否定したからには、今回も写楽の正体なんてくだらないことを見どころにするとは全く思わなかったことでしたよ。

大金星を逸したといえば、『光る君へ』と対比してもそうなります。

前述したように、あのドラマは紫式部本人の人生からの逸脱は多い。

しかし武士となる双寿丸を描き、その姿をまひろが目撃することで、武士の世の到来へつなげました。

『べらぼう』はその逆。

一橋治済とその子である徳川家斉が幕政崩壊の契機となったと聞いても、大抵の人はピンと来なかったと思います。

松平定信・徳川家斉・一橋治済の肖像画
一橋治済が将軍家斉の父で幕政に悪影響はなかったのか?いいえ幕府崩壊の始まりです

続きを見る

家斉は「覚える必要が薄い将軍」枠。

その父である治済は将軍の父とはいえ御三家当主であり、老中でもない。

それがどっこいそうではないと示したことは『べらぼう』の功績といえる。

それなのに、くだらない替え玉説を使ったことで、歴史のリンクをぶつ切りにしました。

リンクを切ったといえば、ロシア政策ではなく恋川春町のことを悔やんでいた松平定信も酷い。

これがどれだけ酷いことか。再来年の『逆賊の幕臣』において、アメリカから帰国したばかりの小栗忠順は、対馬におけるロシア対応に直面することになります。

そうなったら前述したように、

私たち日本人は、アメリカばかりが幕末の脅威と思いがちだ。しかし、本作ではロシアを描く。そこがこれまでの大河ドラマにはなかった、『逆賊の幕臣』の斬新なところだ。

とかなんとか言い出すんでしょうねえ。ハァ〜、虚しい。

ここで『麒麟がくる』つながりである二十枚目の「歌川」じゃ。

月岡芳年『芳年武者牙類:弾正忠松永久秀』

月岡芳年『芳年武者牙類:弾正忠松永久秀』/wikipediaより引用

月岡芳年『芳年武者无類』より「松永久秀」。

久秀には肖像画があるにもかかわらず、書籍でもしばしば用いられるほどの作品です。

天野忠幸先生『松永久秀と下剋上』表紙がその一例でしょう。

天野忠幸『松永久秀と下剋上(中世から近世へ)』

天野忠幸『松永久秀と下剋上(中世から近世へ)』/amazonより引用

それはなぜか?

絵から迸るのは久秀最期の無念である。

『麒麟がくる』では久秀の最期にもこの情念があった。

浮世絵が我々の時代劇認識にどれほど影響を与えてきたか。ここまでくれば理解できてきたのではなかろうか?

 


『べらぼう』は神殿を踏み潰した

長い前置きになりましたが、ここからが本番です。

私が『べらぼう』について最もゆるせないこと。

それは歌川豊国を出さなかったことです。

歌川豊国の肖像画

歌川豊国像(歌川国貞作)/wikipediaより引用

彼の弟子には歌川国芳がいます。武者絵の達人です。

確かに、同時代の葛飾北斎や歌川広重と比較すると知名度は劣ります。

しかし、彼とその弟子である月岡芳年は、こと時代劇表現にとっては大先輩にあたります。

思えば『べらぼう』では、武者絵はろくな扱いを受けておりませんでした。

まぁさんこと朋誠堂喜三二が、すっかり野郎だらけでむさ苦しくなったと嘆いていたジャンルこそ、武者絵なのですね。

こういうところが『べらぼう』のセンスの、個人的に腹立たしく不愉快なところではありましたね。

文武奨励を貶すあまり、武者絵はむさ苦しいと言うわ、馬琴の『南総里見八犬伝』への道筋もろくにやらないわ。

それがどう言うことなのか?というと、エンタメの話をする時、やたらとパンチララブコメ漫画についてばかり語られるようなものだと思ってください。

まぁさんは悪い人じゃないといえばそう。

でも現代にいたら、SNSで二次元エロ画像だの、グラドルの水着画像をやたらとリポストしているおっさんみたいなタイプですよね。

私は女子高生の下着が股に食い込むことがエロいなんて話、正直目にも入れたくないですよ。でもこういうおっさんは、若者に親しみを示すためだと勘違いしてやらかすんだよな。

そういう悪人ではないけれど、決して好きにもなれないタイプ。エロネタを話すことが「やんちゃ」だと思っている痛々しさですね。

ま、私怨はこのへんでやめておきましょう。話を武者絵に戻します。

武者絵は『べらぼう』の時系列当時は勝川派が手掛けていて、本格的なブレイク、大手ジャンルとして確立したのは歌川国芳というわけです。

だったら『べらぼう』で扱わなくていいって?

ま、それはそうですが、問題はこれが大河ドラマ枠ってことですよ。

ここで『鎌倉殿の13人』つながりである二十一枚目の「歌川」でも。

月岡芳年『芳年武者无類』「畠山重忠」/wikipediaより引用)

月岡芳年『芳年武者无類』より「畠山重忠」。

重忠は浮世絵題材としても人気があります。しかし、死を目の前にしたこの作品が最も劇的で有名かもしれぬのぅ。

絵からは理不尽な追い詰められ方をし、絶望する思いが伝わってくる。『鎌倉殿の13人』での彼の最期を連想し、思わず涙ぐんでしまった人もいるのではないか?

歴史を描くとは、そういうことなのだ。

二十二枚目の「歌川」も『鎌倉殿の13人』つながりじゃぞ。

月岡芳年『月百姿 山木館の月 景廉』

月岡芳年『月百姿』「山木館の月 景廉」/wikipediaより引用

『月百姿』より「山木館の月 景廉」。北条義時にとって初陣であった山木館襲撃を題材にしておる。

二十三枚めの「歌川」もそうじゃぞ。

月岡芳年『芳年武者无類』より「平相国清盛」。

月岡芳年

月岡芳年『芳年武者无類』「平相国清盛」/wikipediaより引用

歌川国芳は玄冶店に居を構えておりました。そのことから彼の弟子は「玄冶店派(げんやだなは)」と呼ばれます。

『べらぼう』の定信はうっとりとした顔でこう言いましたね。

「書肆(しょしん)は神々の集う神殿」

それを言うなら、玄冶店こそ、神の如き絵師の集う神殿だったんですよ。

「玄冶店で筆を執っていた」といえば、それが何を意味するか、江戸っ子ならピンときた。

いわばそういう神殿を、生まれる前からぶっ潰したのが『べらぼう』なんですよ。

どうしてサブカルなりオタクって、自分の推しは神の如く崇めるよう強制しておいて、他者の崇拝対象は平然と踏んづけるのか?

あっしが言いたいのは、まさにここでさ!

これはそちらが先に始めた戦なんですよ。

平然と、自分たちの都合のために、玄治店を潰したのはお前らが先にしたことなのな。

サブカルだのオタクだの自認するなら、こっちに文句垂れんじゃねえぞ。始めたのは、あくまでそっちだ、「直江状」を送ってきたのはそっちだぞ。

こう書きますと、私が推しを否定されてカッカしている歌川玄冶店強火担に思えますよね。どっこいそう単純な話じゃねえんだな。

 

上方の ぜいろく共が やって来て

今の心情はこれよ。

上方の ぜいろく共が やって来て

東京などと 江戸をなしけり

要するに、西日本からろくでもねえ連中がやってきて、江戸を潰して東京だなんだと言い出したってことよな。

明治の江戸っ子の落首です。

上方出身が悪いわけではない。

本作で一番江戸っ子らしい巻き舌を再現できていたのは上方歌舞伎の至宝・片岡愛之助丈でしたから。

出身地云々でなく、『べらぼう』はデリカシーのない人らが江戸をおもちゃにして遊んだだけに思えます。

九郎助稲荷がスマホで江戸案内をして、現代人に近づこうとした工夫は悪くない。

でも、江戸っ子のノリよりもサブカルを重視したうえに、歌川豊国を出さないというのは一線を超えましたね。

江戸の文化。噺家。歌舞伎役者。刺青師。そういった伝統の継承者は、歌川国芳の画集は所有しているものとされます。

私が観測している範囲ですと、そういう伝統文化系の方は推し絵師として国芳をあげていることが多い。もはや当たり前の感覚です。

歌川派を無視するというのは、江戸文化の基礎となる系列をそうしたということになります。

えらそうに江戸の文化を伝えると大上段から言っておいて、いったい何をしているんですかね?

まさかのまさか、NHKが国芳を知らねえわけがねえんだな。『浮世絵EDO LIFE』常連だからよ。『べらぼう』連動企画最終回には国芳がバッチリ出てきたし。

でもどうにも、あのプロットにゴーサインを出しちまったどこぞの誰かは、知識として知っていても、本質は把握していなかったんじゃねえか?

猫の絵が可愛い。風刺画も手がけた。そういう上っ面じゃねえもっと奥深い意義ってやつをだよ!

知ってて無視したならそれはそれでふてぇ話だが、知らなかったからこそやっちまんたんじゃねえの?

 

江戸っ子アートのラスボス・国芳は隠しダンジョンにいるのか?

私は『べらぼう』最終回放映後、国芳画集を改めてじっくり眺めまして。岩下哲典先生の国芳関連の研究を思い出していまして。江戸の風刺に関する本も読んでおりまして。

それで思ったんですよ。

ふざけ方にせよ、技術にせよ、売れるものを作るセンスにせよ、そして幕府のおちょくり方にせよ、国芳とその仲間たちの方がはるかに高ぇんだなと。

むろん、先人・蔦重あってのことだという意見はあるでしょう。

そういう失敗しても残していく道を繋げたら、要するに歌川豊国を出していたら、そういう言い訳も通りますよ。

でも豊国を出しませんでしたからね。

国芳と比較されたらまずいから消したとか?

結果的に国芳は、私の中では「江戸っ子アートのラスボス」だと証明されましたね。

これは大阪中之島美術館で開催された国芳展のキャッチコピーです。ちょっと軽薄というか、こういうフレーズはあまり好きになれないことが多いのですが、まさか『べらぼう』のおかげでそれがしっくりくるとは思いもよらぬことでした。

サブカルオタクにわかりやすくたとえてみますか。

あの屁踊りのあと、エンディングロールで隠しコマンドを入れると玄冶店ダンジョンに繋がる。

そこには、屁踊りどころじゃねえ、最初のターンでこちらを葬りかねない、そんな最強最凶・国芳という隠しラスボスが出てくるんです。

国芳単体でも異常なまでにえげつないのに、お供として出てくる芳年・芳幾コンビもやたらと強い! しかも芳年は「月岡」形態を倒すと、第二形態の「大蘇」形態になる。これがえらい強い! そういう状況ですな。なんで国芳が隠しボスになっちまってんだよ!

で、問題は、その隠しコマンドを見つけて興奮しているのが、自分だけじゃないかと思えてきたこと。

「やばいよ、玄冶店の国芳やばいって! 倒せない、えげつない!」

そう同じゲームで遊んでいた相手に興奮して話しかけても、全然通じないんだな。

お前らあのゲーム無茶苦茶ハマってて褒めてたじゃん! なんでこっちの話聞かないんだよ。そういう虚しい気分と言いますか……。

そうそう、そんな国芳ですが、2026年京都市京セラ美術館にて、2026年7月18日から9月23日まで展覧会があります。

キャッチコピーは「浮世絵スーパークリエイター」。いいんじゃねえの。スーパーとか、ウルトラとか、ギガンティックとか、アメイジングとか、アストニッシングとか、なんでもつけちまいなよ。国芳師匠はその価値があるお人だよ。

ここでラスボス感のある二十四枚目の「歌川」でも。

歌川国芳『相馬の古内裏』/wikipediaより引用

国芳作品代表。グッズ化定番。アパレルでも人気。『相馬の古内裏』。「がしゃどくろ」のモデルとも。どうでぇ、このラスボス感はよ!

この絵は山東京伝の黄表紙が元でもある。

さんざん書いてきましたがね。国芳とその弟子を無視! だって豊国いねえんだもん。弟子も孫弟子も滅びてるだろ?

このことが大河ドラマとしては恥ずかしい。

国芳の武者絵は、歴史劇を切り取って視覚情報として魅力的に表現する。その祖です。弟子の芳年がさらにこの路線を突き詰めてゆく。

ゆえにこの師弟の絵は、Wikipediaで用いられることがとても多い。

芳年は明治以降にも活躍したため、幕末明治の事件を扱う歴史画も多く手がけました。芳年は、教科書はじめとする教材。幕末史の展覧会図録に最も頻出する錦絵を手掛ける絵師です。

近年大河ドラマでも、この師弟以来の伝統を意識したと思える演出は多い。

『麒麟がくる』における松永久秀の最期。憤怒と共に腹を切る無念さが、芳年の絵から溢れ出す緊張感を彷彿とさせたものです。

『鎌倉殿の13人』における和田義盛や畠山重忠の死。矢が何本も突き刺さった義盛の立ち往生や、悲壮感あふれる重忠の闘死は、まさしく武者絵の伝統が息づいています。

『光る君へ』の出家する花山天皇。紫式部や藤原公任。こうした時代を描いた錦絵そのものが珍しく、菊池容斎の絵から学び、考証しつつ描いた芳年の業績はやはりたいしたものだと思わざるを得ないのです。

『べらぼう』についていえば、国芳や芳年に引きずられすぎると、服飾考証が間違えてしまいかねないところはあります。

劇中当時よりもどうしてもあとになってしまう。とはいえ、俄で男装する女性の晴れ姿を描いた美人画など、実に賑やかな姿を伝えているものです。

二十五枚目の「歌川」である!

月岡芳年『風俗三十二相 にあいさう』

月岡芳年『風俗三十二相 にあいさう』/wikipediaより引用

月岡芳年『風俗三十二相』より「にあいさう」。俄を楽しむ女郎の顔が実に良いのう。

このシリーズは毛が実に細かい。芳年は自分が描いた通りに彫るよう指示を出していたそうだ。

 


大河ドラマならば歴史を視覚した先人に敬意を払うべきでは?

わかってきましたかね?

ここであげてきた「歌川」、中でも国芳と芳年の絵。この絵こそ、時代を描く上で手本となる大いなる祖といえるのです。

そういう絵を生み出した玄冶店という神殿を潰しちゃったわけですよ。日本の歴史を描く、時代劇でも別格とされる、そんな大河ドラマが。

絶望しました。

まごうことなき絶望が『べらぼう』というパンドラの箱にはありました。

なんでサブカルノリで江戸文化を逆張り冷笑でおちょくられた挙句、皆屁踊りで満足し、歌川豊国削除を問題視しないのか?

救いは朝ドラ『ばけばけ』に、芳年の絵がしっかりと出てきて、NHK内部が芳年を知らないわけがないと思えたことでしょうか。そんなの、最低限の当然なんだけどな……。

大河ドラマより朝ドラが歴史劇として上等って、『花燃ゆ』と『あさがきた』以来、十年ぶりのことですかね。

どうしてこうなったんでしょう?

結局、浮世絵に対するより、自分たちが若い頃好きだったノリを再生産したかったんですかね?

津田健次郎さんと風間俊介さんが『遊戯王』の再現をする写真なんて、それはもう嬉しそうにSNSに投稿していましたもんね。

そういうことは、プライベートで参加するコミケででもやってください。

大人なら、ゾーニングは最低限しましょう。

何も悪いことはしていないって?

視聴率の低迷は、サブカルとオタクのノリに脱落した層の多さを反映していませんか?

江戸文化愛好者はそこそこいる。にもかかわらず、前年の『光る君へ』における王朝文学愛好者ほどの盛り上がりがない時点で、いろいろ察せられることはあります。

思い出すのは、オタクマーケティングの失敗例。

オタクである広報担当者が、自分自身の権力を試したいのか。ただの手癖か。一部にしか理解できない広報戦略を取ってしまい、炎上するやらかしですね。

エコーチェンバーに閉じこもって気持ちよくなりすぎた結果、世間の常識を読み違える。そんな失敗例です。

NHK大河ドラマでいえば、2019年『いだてん』。2023年『どうする家康』。そして2025年『べらぼう』がこの事例に該当することになりそうです。

しかし、このことを私が指摘したとしまして、本当にそのことに怒りを覚えるのかどうか。

サブカルにとって、マイナー嗜好はむしろ勲章。バカな連中にはわからない高尚な意味を読み取る自分が好き。そうなってくると、むしろ視聴率が振るわないドラマを好きな自分が愛おしくなると思うのです。

判官贔屓というか、でんでん現象というか。要するにサブカル、オタクのノリなんですな。

自分の感覚が正しいのかどうか、私なりに『べらぼう』レビューをざっと眺めていまして。

なんというか。振り落とされずに絶賛を続ける方は、自分のセンスに絶対的な自信があるんですね。これも日本らしい現象と言いますか。

日本人は謙虚というか卑屈というか、自分自身を誇ることがしにくい。でも褒められたい気持ちはある。自分の好きな作品を褒めちぎられることで、その隙間を埋めているのでしょう。

「日本スゴイ! 四季もあるし(最近は春と秋が消滅しつつありますが)、水道水も飲めるし(日本だけでもないけど)、トイレのウォシュレットサイコー!」

みたいなノリが好きな方って一定数おられますよね。

サブカルやオタクというのはそういうノリとは距離を置いていると思いつつ、この手の日本スゴイには弱いんです。

「日本の漫画はスゴイ! コミケ最高! こんなにおもしろいエンタメを作れる国は日本だけ、クールジャパン!」

これはおそらく世代なのでしょう。1990年代から2000年代にはそういう言説が流行していた。

若い頃に親しんでいた価値観は、歳をとっても抜けないものです。写楽ブームも若いころには流行っていたんでしょうね。

それが抜けずに、自分の好きなエンタメは熱狂的に崇め奉る。それを貶す私みたいな空気を読まないバカが出たら、ともかく脳天に何かぶち込みたいくらいムカつくんでしょう。

これは何も推察だけでもない。

無意識のうちにそうしてしまうのでしょう。己の学歴。学生時代の模試の成績。部活動での入賞経験。コミケでの売り上げ。カップリングが一致するファンの中で脚光を浴びたこと。SNSでドラマ通として知られている。

友達がいないことに定評のある私ですら、実はそういう方と話す機会があったりします。

大抵は悲惨な結果に終わるんです。

たとえば作品の考証ミスであるとか。特に責め立てるつもりもなくそういうことを語るだけで、顔に苛立ちが浮かび始め、「なんでお前如き私より下の人間が偉そうにマウンティングしてくるの?」という空気を醸し出してくる。

かつての私は「作品について語り合いたいんじゃないの? あなたはオタクを自称しているよね?」と戸惑っていました。

ただ今はもう、さすがに学びました。

こういうやりとりの後、自分がいかに傷ついたか、私がいかに無神経で極悪非道なことは曹操級か、そういうことを美文で書いてきて、絶交宣言して来ます。

一対一ならまだマシで、集団内で私の悪口をばら撒きだす。

自己愛についた傷を美文で語り、悲劇として集団で共有するからたちが悪い。

ですので私は、置き土産として来年のおすすめ浮世絵イベントや、再来年大河の予習に役立つ情報でも残したいようで、残してもおそらく無駄なんで、ただ去るだけにしています。

本気で歴史が好きで、学びたければ、予習復習はするものでしょう。

でも結局は、ドラマで語り合って特別な自分に酔いしれる。そういう屁踊りをしたい人が多いのだろうな、というのが私の結論です。

金輪際、私は『べらぼう』の話を人とはしません。

浮世絵好きや日本史好きと話していて『べらぼう』に疑念を抱いている気配を察したらば、さりげなく「そういえば豊国が……」を切り出して反応を伺う。

そういう対策はできました。

 

文化大河の今後

といいつつ、最後の最後に『べらぼう』が残していった大きな可能性は手にしましたよ!

そうなんでぇ。蔦重が大河にできるなら、歌川玄冶店派だって大河にできるじゃあねえか!

何も俺の個人的な好みじゃねえよ。できんのよ! その理由をあげていくぜ!

・最大再評価枠の浮世絵師

歌川国芳は今ではかなりメジャーになったものの、ここまで活発になったのは2000年代以降でしょう。

最大再評価枠といえるのが、彼とその弟子たちです。

知名度も、大河の前は蔦屋重三郎よりも十分高い。蔦重ができて国芳ができないわけがない。

・版元との攻防は国芳が上

版元と絵師や戯作者が幕府と攻防を繰り広げるとなれば、もっとド派手で、すり抜けも巧妙なのが国芳です。

・有名イベントや有名人も出せる

『青天を衝け』の懸念材料として、幕末なのに主役が戊辰戦争に関与しないということがありました。

落合芳幾は前述したように安政の大地震を描いてブレイクします。

月岡芳年は上野戦争の最中を駆け巡り、絵筆を動かし続けます。

実は幕末明治の歴史を目撃した人材が数多くおります。

芳幾と芳年は明治ジャーナリズムにも関与します。この業界には『逆賊の幕臣』で存在感を見せる栗本鋤雲も加わります。

・海外展開において有望

国芳とその一門は海外評価が大変高い絵師。

日本の時代劇や漫画アニメのイメージの基礎を築いたとされております。

海外での評価を狙うなら、実は大いにアリです。

・猫を出せる

『べらぼう』では猫自慢の会だけしか猫がおらず、寂しい思いをしました。

国芳と芳年は猫が大好きですので、無理なく出せます。忠実に再現すると猫数が多すぎるため、現場は大変でしょうが。

『おんな城主 直虎』や『光る君へ』に続く、猫様大河を実現しませんか?

てなわけで、願わくば十年以内に国芳大河を実現してください。

国芳は幕末激化前に没しますので、夏までが国芳。秋以降は弟子世代でよろしくご検討くだせえ。

考証は岩下哲典先生と今作のみなさまが組めばバッチリですね。

浮世絵再現もできたわけだし、やらねえ理由はねえな!

やったぜ、『べらぼう』に感謝だな!

験担ぎにめでてぇ国芳師匠の絵を置いて、お別れといたしやす。

歌川国芳『七福神』

歌川国芳『七福神』/wikipediaより引用

みなさまそれではよいお年を。

あ、屁は勘弁してくんな。

📘 『べらぼう』総合ガイド|登場人物・史実・浮世絵を網羅


あわせて読みたい関連記事

大河ドラマ『べらぼう』ガイドブック前編
江戸の文化を描いた『べらぼう』がどれだけ有意義だったか 深堀り考察 大河レビュー総評前編

続きを見る

松平定信・徳川家斉・一橋治済の肖像画
一橋治済が将軍家斉の父で幕政に悪影響はなかったのか?いいえ幕府崩壊の始まりです

続きを見る

歌川豊国の肖像画/歌川派の隆盛を作った偉大な絵師。役者絵に参入した蔦屋重三郎と東洲斎写楽に勝ち、人気を誇る。その生涯とは?
写楽と蔦重に勝った浮世絵師・歌川豊国の生涯|この人なくして国芳も広重もなし!

続きを見る

歌川国芳
歌川国芳は粋でいなせな江戸っ子浮世絵師でぃ!庶民に愛された反骨気質とは

続きを見る

最後の浮世絵師・月岡芳年|「血みどろ絵」だけではない実力派にして劇画の祖

続きを見る

TOPページへ


 

リンクフリー 本サイトはリンク報告不要で大歓迎です。
記事やイラストの無断転載は固くお断りいたします。
引用・転載をご希望の際は お問い合わせ よりご一報ください。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

-べらぼう感想あらすじ

目次