安永3年(1774年)、田安治察が急死――その弟・賢丸(まさまる)も、母の宝蓮院も、すっかり動揺しております。
追悼の意を示す松平武元(たけちか)は「このような老骨でよろしければ」と、謙遜しながら力になると宣言。
すると賢丸が
「では爺、早速だが頼みがある」
と言い出しました。いったい何でしょうか。
松平武元『べらぼう』で石坂浩二演じる幕府の重鎮は頭の堅い老害武士なのか?
続きを見る
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
大奥工作を行う武元
松平武元は、大奥の頂点に立つ高岳の前にやってきました。
「このような訴えがある」
武元が書状を差し出すと、長い打ち掛けを翻し、それを受け取って広げる――冨永愛さんの動きがまさに眼福ものです。
しかし、彼女もすんなりとは受け入れるわけでもないようで、渋い表情をしています。
と、武元が包みを開ける。
取り出したのは美しい翡翠の香炉でした。
一体どれほどの価値があるのか。これには高岳の目が、鰹節を見つけた猫のように光っております。
江戸時代の武士は、中国由来の品を持つことがステータスシンボルとなりました。
さらに遡って室町幕府のころは、武士のマナーとして中国輸入品をおもてなしに使うことが制定されておりました。
3代将軍・足利義満は「日本国王」として、日明貿易を支配しております。つまり中国渡来品を愛でることは、足利幕府への忠誠にも繋がったのです。
その慣習が武士、ひいては上流のマナーとステータスとして根付いてゆきました。そのため現在の博物館にも、大名家由来の中国製品が並んでいます。
江戸時代も中期ともなれば、武士以外の層でも中国風のモノが欲しくなってくる。その形跡も本作であれば見られることでしょう。
傀儡を抱きながら、ことの経緯を聞いているのが一橋治済(はるさだ)。
ニヤニヤとして一体なんなのでしょう。
「賢丸に睨まれ、意次には災難になるだろう」と余裕の笑みを浮かべています。
彼はなぜ、そんな確信を持って言えるのか?
忘八、猫を愛でる
『一目千本』で賑わいを取り戻した吉原では、忘八たちも「さらなる一手が欲しい」と考えているようです。
しかし、これは一体どうしたものか。
なぜか各人が、猫を抱いている……どうやら猫自慢大会のようで、猫の名前を書いた半紙を広げる者がいました。
大文字屋の猫は「蘭丸」、りつの猫は「半助」という名前のようです。
『光る君へ』の小麻呂と小毱も、それぞれ利休と半助と名を変えて再登場。
今年の大河ドラマは戦がないだのなんだの言われておりますが、江戸時代中期を扱うメリットをふんだんに取り入れていますね。
こんなに猫ちゃんが溢れ出すのは、この時代だからこそ!
戦国時代までじゃァ、こうはいかねえんです。
『光る君へ』の平安時代、猫はセレブだけが愛することのできる高級ペットでした。
この状況は戦国時代まで続きまして、戦国大名が「うちの猫こそ最高だ!」と自慢するのは、ステータスシンボルを誇る心理もあったことでしょう。
それが江戸時代初頭に「放し飼いにせよ」と命令が出されます。
すると猫はどんどん増え、人について日本全国へと急速に広がってゆきます。
かくして江戸のペットナンバーワンといえば、なんといっても猫となりました。
遊郭と猫といえば、元禄時代にこんな伝説があります。
薄雲太夫という伝説の花魁は、猫を可愛がりすぎて、仕事中でも猫を手放さない。
あれは猫に取り憑かれたのではないか?
そう言われ、ついには猫接近禁止令が出されます。すると薄雲太夫は仕事ができないと引きこもってしまい忘八側が折れました。
かくして薄雲太夫は、猫と仕事を取り戻したのでした。
江戸時代となると儒教倫理も浸透しており、猫の逸話にも反映されています。
どういうことか?というと、猫の様子がおかしいと思ったら、主人を庇って蛇や妖怪の犠牲になるというものです。猫はすっかり江戸っ子のおなじみになったんですね。
国や文化によっては、男性が猫を愛することは異常とみなされることもあるとか。
アメリカのトランプ大統領周辺が猫を罵倒に混ぜるのは、そういう文化の名残です。
しかし、東アジア圏ではそんなことはねえ。
猫とおじさんの組み合わせは定番でぇ! 猫を愛するのはやめられねぇ! それが江戸っ子ってもんさ!
てなわけで、悪人ヅラの忘八どもが猫を愛しているこの場面には、江戸文化が凝縮されているのです。
ちなみにこの回放映中も、広島県立美術館では猫の浮世絵を集めた「もしも猫展」が開催中です。
『べらぼう』で注目される大江戸猫ミームと浮世絵~国芳一門の猫絵が止まらない
続きを見る
女郎の錦絵を出してぇんだにゃ
忘八が猫をかわいがりつつ、考えた次の一手とは?
女郎の錦絵を出すことでした。
しかも重三郎にぶん投げるつもりだそうで……これを聞かされた重三郎は、苦い顔をします。
「錦絵は墨摺と違って金がかかりやす……」
多色刷りの錦絵を発明したのは、あの平賀源内とされており、当時はまだ新技術。
カラー印刷となりますので、制作費はばかになりません。
蔦重は、旦那たちに「金を出せるのか?」と確認すると、ふざけた答えが猫語でかえってきました。
「んにゃもんは任せておけ」
「大船に乗ったつもりでいにゃ」
「猫に二言は、にゃあ!」
駄目じゃねえか、こいつら……猫で誤魔化すつもりだろうがよ……。
重三郎は駿河屋にこの話を進めてよいかと念押しすると、こうかえってきます。
「俺を頼るのか? こんにゃ時だけ」
あ、こりゃ駄目だ。
「分かりました、やらせてもらいにゃす!」
そう猫語で承知するしかない重三郎。
おいおい、大丈夫なのかよ……。
ちなみに駿河屋の白猫は金目銀目、オッドアイです。
こりゃてぇした上玉じゃねえか。カワイイなぁ! 名前は「かぐや」だそうですよ。
地獄のような女郎の金銭事情
蔦屋重三郎が外で女郎たちに問い詰められています。
また入銀させるつもりか!と怒りをぶつけられているのです。
どうやら新しく本の企画が立ち上がるたびに入銀させられると理解しているようで、重三郎はなんのことやらわからず、困惑するばかり。もうカモの長谷川平蔵もいないしね。
格子の中から見ていた花の井に、重三郎は話が見えないと訴えております。
聞けば、忘八の親父どもが女郎たちに5両出すよう通達したのだとか。
そんなにかからねぇ……。
重三郎がそうと困惑していると、中抜きする分も入っているんだろ、と花の井がつっこみます。
出たぜ、日本の悪しき伝統「中抜き」がよ!
松の井は凛然とこう言い放ちます。
「女郎たちは打ち出の小槌でありんせん。やるならやるで、わっちらにお鉢が回って来ないような工面の手を考えておくんなんし」
そりゃそうですわな。反論できるはずもない重三郎です。
半次郎の店の蕎麦をすすっているその横で、唐丸が、重三郎と次郎兵衛に女郎の金銭事情を尋ねています。
花魁は一日で十両以上は稼ぐのになぜお金を出せないんだ?と不思議そうな唐丸。
すると次郎兵衛が、そこから抜かれて花魁の手にはさして残らないというカラクリを語ります。
店に持っていかれるし、残った取り分は借金返済のために引かれる。さらには必要経費がかかる。
着物、小間物、布団、家具調度を旦那に頼めなかったら店に借金するしかない。
稼いでも稼いでも金が出ていくのが花魁、年期明けまで勤めても借金が残るなんてザラ――当事者だけに悪どい商売であることがよくわかっていますね。
「地獄のようだね、女郎屋の仕組みって」
そう唐丸がまとめる。確かにその通りですね。
※続きは【次のページへ】をclick!