インターネットの普及は、ある動物が世界制覇をした契機になったとされます。
それは猫――。
思わず抱きしめたくなる愛くるしさは人々の心を虜にし、数多ある動物コンテンツの中でもその人気は群を抜いている。
これと同じような現象が、実は江戸時代にも起きていました。
江戸っ子たちが猫コンテンツを買い漁り、浮世絵の中でも売れ筋の定番とされてきたのです。
とりわけ有名なのが歌川国芳でしょう。
自身の肖像画だけでなく美人画にもたびたび猫を登場させるほど愛し、歌川一派の門人たちもこぞって描いてきた。
それこそ浮世絵がクローズアップされる大河ドラマ『べらぼう』とも多いに関わってくる「大江戸猫ミーム」を振り返ってみましょう。
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猫と日本人 その関係を振り返る
江戸時代の後期、江戸の街は猫だらけでした。
なんせ江戸っ子定番のペットNo.1とされており、幕末に来日した外国人も驚いたと言います。
日本の猫は何なんだ?
何をするわけでもなく、ゴロゴロと寝ているだけで、なぜここまで愛されているのか???
首輪をつけ、可愛がられる猫が不思議だったようですが、いま私達が目にしても納得するような代物も残っています。
猫の浮世絵です。
猫が江戸っ子に文字通り「猫可愛がり」されるようになるまでには、歴史がありました。
日本人と猫といえば、古くは宇多天皇が日記に愛猫のことを記して以来、長く愛されてきたとされます。
『枕草子』にも一条天皇の愛猫についての記載があり、2024年の大河ドラマ『光る君へ』でも源倫子の愛猫である小麻呂が話題をさらいましたね。
ただし、平安期当時、猫を飼育できたのはごく一部の貴人に限られます。
中国大陸からもたらされた猫はセレブの証であり、放し飼いもなされず、紐につながれて大事にされてきました。
当時のペット事情は以下の記事に譲りまして、
『光る君へ』倫子の猫・小麻呂で注目~平安時代のペット事情って?
続きを見る
江戸時代に目を向けますと、ようやくこのころ猫の放し飼いが推奨されるようになります。
自由を手にした猫は増え、北へ北へと生息範囲を広げていったのです。
中国文化の中の猫 日本にも伝えられる
猫と人間の関係をもう少し深堀りさせていただきます。
猫は、世界各地の文化において重視されてきました。
ヨーロッパでは魔女のお供とされ、迫害された不幸な歴史があったものです。
一方、東アジアでは、書物や蚕をネズミから守るため、益獣扱いされてきました。
書物を守るため、中国では文人のお供ともされ、彼の国では詩のジャンルに「乞猫」があるほど。書物を守りたいから、猫を譲って欲しいと頼み込む内容です。
活躍の場は詩だけでなく、絵にも描かれました。
中国史上に燦然と輝く画家の沈周にも『猫』という作品があります。戯れに描いたというこの作品は台湾故宮博物院に所蔵され、今は人気グッズの上位定番。
そんな東アジアの絵画で忘れてならないモチーフといえば「猫と蝶」があります。
ただ愛くるしいだけでなく、長寿祈願の縁起物とされ、親や年長者への贈り物の定番でした。
中国語では、それぞれの音が長寿を意味する字と通じています。
猫=耄(もう・70歳)
蝶=耋(てつ・80歳)
70を超えて、80を超えても生きて欲しい――そんな願いを込めた画題なんですね。
享保年間(1716-1736)、長崎に清から画家の沈南蘋(ちんなんぴん)が訪れました。
彼の絵画の影響を受けた【南蘋派】(なんぴんは)は、この猫と蝶を画題にした作品を描きました。
そして停滞しつつあった【狩野派】とは一線を画す斬新なものとして受け入れられてゆきます。
猫、浮世絵の名脇役へ
江戸の鈴木春信も「猫と蝶」の作品を手掛けています。
浮世絵師は海外の影響も取り入れ、画風を洗練させてゆくものであり、春信は中国趣味の一環として猫と蝶モチーフを取り入れたのです。
結果、浮世絵にも猫が入り込んでゆきます。
定番の脇役と化して、美人に抱かれる。
すまし顔の美女が紐で猫と遊ぶ。
『源氏物語』に出てくる女三の宮が、猫により御簾を巻き上げられてしまう場面の見立て絵が描かれる。
いわば【美人画】のマスコットの定番となったのです。
「猫と美人かぁ。まあいいんじゃない、よくあるよね」
そんな感想も出てきそうではあります。
西洋画でも、美人や子どもが猫と戯れるモチーフはあるものでした。
無邪気とか、かわいらしさとか、そういったイメージを強めるにはぴったりだからです。
しかし浮世絵は、更なる猫ジャンルの拡大が続きます。
現代の猫ミームにも通じる、じわじわと笑いがこみあげてきて、社会諷刺すら感じさせる。そんな作品を世に送り出す絵師が登場したのです。
歌川国芳――彼こそ江戸の猫ブームを牽引した絵師でした。
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