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【『べらぼう』感想あらすじレビュー第4回『雛形若菜』の甘い罠】
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搾取、中抜き……日本の国民性がもつ暗部
吉原の仕組みは、日本の宿痾ではないか?という気持ちにさせられます。
当人たちは、往々にしてそのことに気づいていないのかもしれない。
今でもこういう酷い労働の仕組みは見かけますし、私たちも後世、「どうしてこんな酷い仕組みを残していたの?」と思われるのでしょう。
江戸時代には、良くも悪くも、日本人と社会の仕組みができてきたのかと、今年の大河を見ていると思います。
このころの日本の隣国である清は、世界の総GDPの3割を占めております。
人口も増えてゆくけれど、日本から見れば景気が常に良いような状態であり、そういう豪快な経済状態を展開できる清に対し、江戸時代は半ばともなると停滞しました。
こうした分岐点での対応の仕方が、実は日本人と中国人の国民性の違いに関係するのではないか?と思うことがあります。
中国の伝統行事やモチーフを見ていくと、「元宝」という明清時代の貨幣をかたどったものが実に多い。死者の弔いにも紙で作った銭を燃やす。
お金にがめついようで、それだけ経済が活発であった歴史ゆえのこととも言えるでしょう。中国が貧しくなったのは西洋列強の進出後、長い歴史からすれば、せいぜい近代以降のことに過ぎないのです。
あの関羽も、商人が崇めることで広まったそうです。
華僑は街を作ったら真っ先に関帝廟を建てる。
中国は共産党が支配するから金儲けを蔑むのかと思われるかもしれませんが、むしろ本質的に金の流れに聡いのではないか?と、歴史や伝統を見ていると思えてきます。
んじゃ、日本人の本質は何なのか?ってぇことですけど。
部屋ん中見回しても、そんなに小判モチーフはないですよね。
神棚や仏壇にせよ、露骨に財神をお祀りするわけでもない。このヒントは江戸時代にあると感じるのです。
余談ですが、江戸時代に関羽は神様として日本に取り入れられ、関帝のおみくじが寺社仏閣でも引けました。ただ、日本での捉え方はあくまで武神であり、財神の性格は薄かったようです。
そんな日本では、財政再建というと「倹約」という考えが染み付いていったのが江戸時代だと思えてきます。
①幕政初期は黒字だった。
②それが大火災やら何やらで、赤字になってゆく。
③そこで吉宗時代に質素倹約をしたら持ち直したように見えなくもなかった。
この「一見、持ち直したように見えたこと」が果たしてよかったのかどうか……。
倹約という名目で、我慢を強いる。儒教らしい上に逆らえない理屈を振り回し、立場の弱い者から搾取する。恩を着せつつ中抜きしたりする。
世の中に出回るお金の総量を増やすのではなく、なんだかよくわからない仕掛けで搾取するようになっていく――そういう日本人の宿痾は、実はこのあたりにあるのではないか?と。
田沼意次はそこを変えようとするも頓挫し、ケチくさいしみったれた金銭感覚は、日本人の骨髄にまで入り込んでしまったんじゃねえか?と。
今年の大河ドラマ、えれぇ苦い良薬かもしれませんぜ。こりゃてぇしたもんだ。回を追うごとに業が深くなる。
そう、そして、ここで食べている蕎麦です!
蕎麦はササッとかき込みます。蕎麦をつゆにたっぷりつけるのは江戸っ子らしくねえ!とも言われますね。ろくに噛まずに飲み込んでいるとかなんとか。
日本料理は実に変わったものでして、この蕎麦といい、寿司といい、天ぷらといい、鰻重といい、江戸っ子のファストフード由来です。
江戸は男性比率が高く、ササッとかきこめる食物の需要が大きかったのですが、それが代表格となっているところが面白い。
繰り返しますが、江戸中期の武士は倹約がモットーであり「喰わねど高楊枝」になります。
貴族はとうの昔に贅沢とは無縁。
歴史の流れで権力者が贅沢な料理を楽しめなくなり、一方で庶民がグルメに舌鼓を打つ――庶民の味が代表格となっているのがいいですよね。
例えばフランスならば王侯貴族の味が有名です。韓国料理であれば『チャングムの誓い』のような宮廷料理。中国料理も満漢全席が最高峰とされる。沖縄料理も宮廷料理が最高ですね。
一方、日本料理は、池波正太郎の作品でお馴染み、江戸の市井の味が代表になる。
実におもしろい特徴なんですよ。
それにしても、蕎麦が実に美味しそうで……江戸っ子風にすすりながら、長い台詞をきっちり話す演技も実に素晴らしいではありませんか。
「ズズッ!」とすする音が出なきゃね。これぞ江戸の粋でしょう!
田沼意次の陰謀
田沼意次が、将軍・徳川家治に「田安賢丸の白河藩へ養子に出す話について、断るのか?」と確認しています。
なんでも家治は治察とそう約束していたのだとか、で……。
「思いもかけぬお言葉……おそれながら上様のご真意をお聞かせ願えれば!」
田沼意次は美丈夫で、誠意を感じさせ、所作も端正です。この姿でこう迫られたら上様も語るしかないでしょう。
家治はとても優しい。もしも何かのことがあれば田安が断絶すると不安に思ったままでは、白河に行けぬだろうと気遣っているのです。
意次は上様の優しさ由来と確信。
さらに家治は大奥からも申し出があったことを明かしてしまいます。
かくして松平武元は、養子の件が取りやめになったことを賢丸に報告。賢丸は安堵しています。
武元が「亡き治察のおかげだ」と礼を言うと、「当主となったあかつきには、兄や吉宗公のように武家の範となる」と賢丸が返します。
田沼に気をつけるように……。そもそも白河へ養子の話を持ち出したのは田沼である。思うがままに事を動かそうとしている。
武元は、そう釘を刺すのでした。
田沼意次が眉間を押さえて考え込んでいます。
さすがに今回の件は諦めになった方がよいのではないか?と三浦庄司が具申すると、意次は、意知に田安家の石高を確認します。
10万石でした。
「無駄だ……」
たかが将軍のスペアのために、養うだけ無駄ではないか。田安を潰すという意次の真意を確認して、三浦が驚いています。
既に御三家があるのに、御三卿は無駄と言えばその通り。
意知はここで、倹約をしている幕府にとって、御三卿を潰そうとする父は忠義者の極みといえるかもしれぬと言葉を続けます。
「意知……やるか」
そう声をかけると、意知はかすかに頷きます。
結果的に、幕末になると、一橋家からは「幕府は潰れるべきだった」と明治になってから言い出す渋沢栄一のような連中まで出てきます。
一橋慶喜のやらかしは倒幕につながりますので、そうした方がよかったかもしない――慶喜のことを「豚一」と呼んでいた幕臣ならそう思うところでしょう。
まぁ、御三卿どころか、御三家の水戸家からは、幕府を最も震撼させた大名と言える徳川斉昭を輩出しちゃっておりますけど……。
田沼意次の野望
意次の野望も感じます。
彼は確かに正しい。御三卿は無駄です。どうして御三家もあるのに立てたのか?というと、御三家の紀州由来の吉宗が8代将軍になったことは関係があると思えてきます。
吉宗から見ると、御三家には家康の血は入っていても自分の血は入るわけではない。
己の血を引く将軍を確実に継いでゆくために作られた仕組みのように思えてきます。
しかし、神君家康の再来ともされる吉宗、ましてや倹約を進めていた吉宗が、そんなエゴ剥き出しで無駄を生み出したとは批判できない。
ましてや彼を神格化する田安賢丸からすれば、とんでもない不敬に思えます。
田沼意次も紀州藩人脈であり、吉宗には大きな恩があります。
しかしだからこそ、気づいてしまったら許せないのか。吉宗のエゴである御三卿にナタを振るいたいように思えます。
それが意次の使命でもある。
金を使うことに罪悪感を覚え、何かといえば吉宗を持ち出されるとなっては、その偉大な吉宗のカリスマを破壊しながら前に進むしかないのです。
田沼意次は意欲的な改革者であり、悪辣な陰謀家でもある。なんとも魅力的ではないですか。
そしてここで思い出したいのは、一橋治済の笑みです。
御三卿でも、田安と違って一橋には田沼との縁があります。意次の弟が家老なのです。
意次が振るうナタは一橋には向かってはこない。ならば利用するだけ利用して、邪魔な連中を始末させればよろしいと。
鱗形屋に相談だ
重三郎は鱗形屋を訪れています。
孫兵衛は『一目千本』を褒めちぎっております。なんでも「見上げたもんだよ、屋根屋の褌!」だそうで。
これはちょっとわかりにくいかもしれません。
褌は下を向いて見るものなのに、屋根を葺いている屋根屋のものとなれば見上げねばならない――。
つまり、自分より本来下のヤツが、見上げるようなすごいことをしたという意味です。ほめてんだか貶してんだか、わかんねぇなおい。
重三郎は裏表がないので、吉原にもちっと客も戻ったと笑顔を浮かべます。
自分の功績にしないで、吉原のことばかり考えている。それにしても素直に思ったこと話しちまうんだね。
鱗形屋は話してくれても良かったとチクリ。重三郎は吉原内々の摺物だから、鱗の旦那様に相談するまでもなかっただろうと答えます。
はい、ここは重要ですね。
吉原の内と外では、流通ルートやルールが何やら違う様子。
狡猾な鱗形屋が「遠慮しねえで相談してくれ」と言うもんだから、重三郎は身を乗り出して、錦絵をタダで作る方法について尋ねます。
蔦重はご丁寧に、吉原で女郎の錦絵を作る話になっているとまで明かしてしまう。鱗形屋が、女郎に入銀させればいいというと、それは避けたいと重三郎が言葉を濁しています。
「……となると俺がおめえにやれるのは、てめえの金玉ぐれえだね」
そうふざける鱗形屋。江戸っ子は下ネタが好きだねぇ。
困惑する重三郎のもとに、手代の藤八が浄瑠璃本を持ってきました。
去り際、鱗形屋は何か不穏な目で重三郎を見ているのでした――。
何気ないようで情報量は豊かな場面です。
まず毎回見惚れてしまう鱗形屋の美しい着物。葡萄色と黒が混ざり合って、動くだけでその濃淡が揺れてなんとも優美です。
そして足袋。当たり前のようで、江戸時代にならないと民衆まで普及しません。
「浄瑠璃本」――この頃は上方の浄瑠璃の脚本などが読み物の中心です。
『光る君へ』の時代からこれだけ時間が経っても、まだ上方上等という気風は残っていたんですね。
「下りもの」という言葉があります。上方から江戸まで降ってきた高級品という意味です。
最高級の酒は灘のもの。
女郎につける名前も『源氏物語』に由来するもの。
物語の類だって、このころはまだ上方の浄瑠璃のノベライズだったというわけで、何もかもが上方が上だという意識は根強い。
それが変わっていくのがまさしく『べらぼう』の時代でした。
様々なもののタイトルに「あずま」と入ることが増えてゆく、自分たちにも誇るべき文化がある――そう確信できるようになっていく時代ですね。
東国意識のあらわれは鎌倉時代をモチーフとしたフィクションにも関わっております。
例えば歌舞伎では、鎌倉時代に関する人物のものが多い。
歌舞伎ならまだしも、平賀源内も手がけていた春本、要するにエロパロの類でも鎌倉の人物はお馴染み。
江戸のカカアを彷彿とさせる北条政子は大人気でした。
実にしょうもないエロ話のネタにされるようになってゆきます。
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