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【『べらぼう』感想あらすじレビュー第4回『雛形若菜』の甘い罠】
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唐丸の正体は?
唐丸とは一体何者なのか?
正体論争がSNSなどでも盛り上がっていますが、答えはこの一択でしょう。
○ 喜多川歌麿
SNSやその投稿を取り上げたニュースでは、以下の名前も出ております。
× 葛飾北斎
× 東洲斎写楽
どうして北斎や写楽ではなく、歌麿だと言い切れるのか?
まず、北斎は勝川派出身です。重三郎プロデュースで売り出すのとは違うでしょう。
写楽は売り出し失敗枠ですし、年齢差的にも厳しい。
状況証拠としては、序盤に出番がない喜多川歌麿の本役である染谷将太さんが初期にキャスト発表されています。
「浮世絵ミステリー」の歌麿回のナビゲーターも染谷さん。もう、これは確定でしょう。
むしろ気になるのは、重三郎がこれからどう名を上げていくか?
大事な唐丸を大々的に売り出す。師匠にはついていない。そうなれば重三郎がいかにして盛り立てていくか、という戦略が大事になってきます。
そこまでして掌中の珠のように育て上げていく唐丸との関係がどうなっていくのか。
これが『べらぼう』の大きな見どころになるでしょう。
東京国立博物館で開催されるた特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」では、横浜流星さんと染谷将太さんがそれぞれ音声ガイドナビゲーターと、広報アンバサダーに就任するとか。
蔦屋重三郎と喜多川歌麿――もう、このコンビは重すぎる関係になることは確定でしょう! 期待大ですね。
こうして唐丸の覚醒により下絵を板木に彫り、試し摺りまで進みました。
湖龍斎本人にもバレていないようで、仕上がりに満足しています。
安堵する重三郎に、西村屋が「板元印は決まったか?」と声をかけてきます。
恭しく差し出す重三郎でした。
目的のためならば公文書偽造をする田沼意次
重三郎が板元印を差し出すタイミングで、源内が何やらあやしげな成果物を田沼意次に提出していました。
「覚 両家処置之事」
頁をめくりながら、「はなからここに書かれてあったようだ!」と満足する意次。
なんでも源内による匠の技だそうで、使う文字を文書から拾い出し、墨の色を合わせ、紙に圧を掛け、抑え、馴染むようにする。
そこには吉宗の署名と花押がありました。
花押とは偽造防止のようで、実は細工次第でできるのでは?と思えてきます。
この時代は印章文化への切り替わりでもあります。花押ではなく、篆刻で作られた印鑑を押すことが文人のトレンドとなっていった。
中国明代後期に生まれた篆刻文化が日本でも花開くのです。
印章文化は古代からあり、日本にも中国から伝わり、その象徴が「漢委奴国王印」ですね。
『光る君へ』でも朝廷からの文書に大きな印が押されていました。
それがいったんは廃れながら、再浮上するのがこの時代。板元印は押すのではなく彫りますが、印章文化のあらわれとも言えます。
さて、この偽造文書を前に、三浦庄司が懸念を表明します。
もしも賢丸がこの文書を先に読んでいたら気づかれるのでは?というわけですね。
しかし意次は自信たっぷりに、書庫から取り出してきた吉宗公文書は分厚く埃を被っていたと返します。つまり、誰も読んでいない。
「吉宗公、吉宗公と崇め奉るが、お手ずからの文書にすら目を通しておらぬということよ、皆も、あの小僧もな」
こう語る意次からの口ぶりには軽蔑も滲んでいますね。
血筋を盾に取り、吉宗を掲げてくるものの、実はその志も何も理解していないではないか――そうした軽蔑が含まれているように思えます。
田安賢丸、田沼意次を深く恨む
田沼意次に差し出された源内の偽造文書――賢丸が該当箇所を読んでいます。
田安、一橋両家の後継者がいなければ、当主を置かずお家断絶にする。御三卿のうち清水家は家重の子なので、吉宗の時代にはまだありません。
・吉宗は家重の体がすぐれないことを危惧して家を設けた
・それを面白くないと家重が機嫌を損ねた
・そこで吉宗自らが一時の措置と家重に弁明した
吉宗はそういう意向であったと田沼意次が説明すると、吉宗の代から仕える松平武元は「記憶にない」と反論します。
本丸での出来事だったため、西の丸にいた武元の耳には届かなかった。
そうしらを切り、立て板に水で偽造文書を示し、さらに賢丸に「これを手に取ったことがあるか?」と尋ねる意次。
「近々見ねばと思っておった……」
そう返すしかない賢丸です。
上様もご存じなかったとフォローのようでそうでないことを言う意次。そのうえで「知らぬは己の落ち度」と認め、賢丸が田安に戻るのであれば、約束は戻ると言います。
しかし意次はわかっている。何事も原理原則と言いたいこの手合いは、そうしない、できないと。
「あとは賢丸様次第」
「私、次第……」
意次は賢丸様が敬服してやまない吉宗公のお定めを蔑ろにしてまでも、田安に戻りたいのかと問いかけます。
項垂れるしかない賢丸。
意次はその側で「お返事は急ぎません、今一度、お考えください」と促し、立ち去るのでした。
武元は、意次の言葉など気にせず、上様もお構いないと仰られるのだから、堂々とお戻りになればよいと促します。
「然様なことをすれば後ろ指をさされよう! なぜ足軽上がりにあそこまで愚弄されねばならぬ!」
そう怒り狂います。
「今に見ておれ、田沼……」
そう悔しげに声を絞るのでした。
いよっ、耕書堂!
できあがった錦絵をみて、重三郎はうれしそうに「耕書堂」の印に触れています。
唐丸がその意味を尋ねると――書を以て世を耕す――板元として、日の本を豊かにして欲しいという、源内の壮大な意図が込められた名前でした。
それだけでなく「唐様」でもあるのです。
江戸時代にはこんな川柳がありまして。
売り家と 唐様で 書く三代目
日本風のお手本である御家流ではなく、あえて中国風の文徴明や董其昌といった唐様で書く。
日本語の語順なら「家を売る」となるのに、漢文の順序である「売家」とする。
つまりは中国風の文化にかまけて本業をしなかったせいで、家を潰したボンボンを皮肉った川柳です。
そういう外国風の学問ど真ん中にいて風を吹かしているのが、平賀源内でした。
蘭学もやるし、漢学も得意というのが最新トレンドの源内先生。
彼の思いつきがなければ、こんな洒落た名前にはおさまりませんぜ。いいものをもらいましたね。
次郎兵衛も唐丸も、感心して「耕書堂!」と呼び、重三郎を送り出します。
「よっしゃ〜!」
そう気合を入れながら重三郎が向かう先は……。
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