2025年大河ドラマ『べらぼう』の主人公・蔦屋重三郎。
寛延3年(1750年)に生まれ、寛政9年(1797年)に亡くなった、江戸の版元であり、昨年の『光る君へ』に続き大河ドラマの主役としてはあまり見慣れないタイプの人物かもしれません。
だからこそ、NHKからは特別な意欲も感じます。
そもそも『べらぼう』という感嘆詞がタイトルになっている時点で、なにやら野心を感じさせるじゃないですか。
パッと見では何やら意味がわからない、しかし力強さも感じさせるこの音の響きからして作り手の気合いを感じますが、現時点でなぜそこまで言い切れるのか。
今年の大河ドラマはどこがどう期待できるのか?
これまで公式発表されてきた状況や素材などから、毎年恒例の直前予想をお送りしたいと思います!
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大河ドラマ『べらぼう』ガイドブック(→amazon)
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実は見た瞬間から、我々は問われていることがある
実際にドラマが始まる前に、徐々に公開されてきた『べらぼう』の映像を見て、皆さんはどう思われましたか?
実はこの時点で、何か試されている気がします。
「なんか“昔見た時代劇”ぽいなぁ」
ある程度年齢層が上であれば、こういう反応は想像できます。
今ではほぼNHKでしか放送しない時代劇ですが、かつては民放の定番枠。
こうした番組は時代考証が雑であり、フルカラー浮世絵が残る江戸中後期の風俗で再現されます。そうしたテレビ時代劇の記憶を思い出すわけです。
「歴史総合で習う時代だ」
一方、2022年以降の高等学校新科目「歴史総合」を習い、かつ時代劇のイメージは薄い世代は、こう思ってもおかしくはありません。
「歴史総合」は18世紀以降の近代史を中心に扱います。
この反応からは、歴史そのものの捉え方も見えてきます。
ここでいう「時代劇」のイメージとは、古臭く、停滞していて、明治時代以降の文明の光を浴びていないという印象が付きまといます。
一方で「歴史総合」でみていく18世紀とは、近代へ向けて歴史が変わりゆくタイミングということになる。
このことは、こんな問いかけにもつながります。
「幕末とは、いつから始まるのだろうか?」
この問いかけに対し、そんなものは簡単だ、「ペリーの黒船来航」と答えられるのであればある意味シンプル極まりない話といえます。
それこそ「歴史総合」目線で考えると、難しくなってきます。
実は史上初となる「歴史総合」対応大河ドラマ
幕府もそろそろ、こういうことは起きるだろうと思い、消極的とはいえ対策はとっていた。
では幕府は海外列強の脅威をいつから感じていたか?
その線引きが難しい。
そんなにきっぱりと言い切れるものなのかどうか?
遡ってゆけば、【田沼時代】にはその兆しがあったのではないか? そう考えることもできなくはありません。
『べらぼう』とは、そんな「歴史総合」導入以降に作られた、その学習にも使える記念すべき大河ドラマといえます。
現役高校生ではない世代こそ、むしろここから理解を深め、近代史認識を改めたい――近年でも随一の教育的意義が高い題材といえます。
戦国幕末ではないからつまらない?
そんなことはありません。むしろどうして今までやらなかったのか、不思議なくらい興味深い時代といえる。
思えば2018年新春時代劇『風雲児たち』を見た後、満足感と共にこの時代の大河ドラマはいつになれば実現できるのかと思ったものです。
あれから十年待たずに実現したのは、実に嬉しい限りです。
ほんとうにビジネスに役立つ大河ドラマ
かつて大河ドラマは、ビジネスに役立つという触れ込みがありました。
「戦国武将に学ぶビジネスの知恵」
「維新志士に学ぶ決断力」
定番の戦国幕末ものと絡めて、こんな本や記事のタイトルはよく見かけたものです。プロフィールの尊敬する人物の欄に「織田信長」と書く人も多いものですね。
「令和の坂本龍馬を目指します!」
こんなフレーズもみかけます。
しかし冷静に考えてみましょう。
大河ドラマって、そんなにビジネスに役立ちますか?
現代人はいくら取引先に怒ろうと、その社長を追い詰めて、その骸骨で酒を飲むような真似はできません。薩摩ジゲン流で脳天を叩き割ることも、もちろんできないのです。
『鎌倉殿の13人』のように、レジャー中に不適切な部下を始末することもできない。
『光る君へ』のように、娘を有力者に次から次へと嫁がせることもできない。
少し考えてみれば当たり前ですが、時代が異なれば、成功のセオリーも違ってきます。
それでも大河ドラマがビジネスにおいて役立つとすれば、接待時に外さない話題のテーマに使えたあたりということです。
そうはいっても、令和となっては皆大河ドラマを見ているわけでもない。悩ましいところですね。
しかし、2025年大河ドラマはちがう。
蔦屋重三郎とその仲間たちのビジネスセンスは、今の世の中にも本当に通じるものもあります。
異業種とのコラボレーション。
ネットワークで頭角を表すことの重要性。コミュ力なしでは通用しない。
口コミによる評価で浸透を狙う。
事件があればすぐに飛びつく。
プロデュースしたクリエイターを売り出す。
炎上後のリカバリはどうする?
規制をすり抜ける策とは?
このように、彼の戦略は現代でも十分に通用するセンスがあるのです。
蔦重のためになるところは、それが毎度成功しているとも限らない点でもあります。
彼がどうして失敗してしまうのか?
その原因を考えることも、きっと役に立つことでしょう。
ビジネスに役立つという意味において、2025年大河ドラマは新境地に到達し得ます。
古のオタク魂を感じさせる大河ドラマ
2020年代、オタクカルチャーは日本に根付いたとされます。
今日の「オタク」とは、童顔でセクシーな美少女キャラクターと結びつけられやすいものです。
それだけならばまだしも、ミソジニー(女性嫌悪)や冷笑気質との親和性。ネットやSNSの価値観を絶対視する傾向まで併せ持つこともしばしばみられます。
しかし、万人がこの状況に危機感を募らせていないかというと、さにあらず。
「オタクとは、本来こういうものではなかったと思うんですよ……」
そんなぼやきも、私の耳にはしばしば入ってきます。
ここの言葉は、風間俊介さんの声ででも再生してください。
そう嘆く彼らは、少しでも話が脱線すると、自分が属するオタク分野のトリビアを長々と語ってきたりします。
それが相手にとって興味深いかどうかは二の次で、スイッチが入ると語り出してしまうような、いわば癖ですね。感じが悪いものではありません。宮崎駿さんや富野由悠季さんも、このタイプでしょう。
こうした自分が好きで、かつ、メジャーでもないものにのめり込む。
そういう「オールドオタク」からすれば、今の「オタク」はいかがなものかと苦言を呈したくなるところもある。それが2020年代であると思えます。
大河ドラマと何の関係があるのか。
そう突っ込まれそうですが、実は『べらぼう』からそんな古きオタクの気配が漂ってきていると感じるのです。
『べらぼう』チームは『麒麟がくる』や『大奥』と共通のスタッフ・キャストが多く、特徴も引き継いでいます。
同チームにはこだわりが強い、古きオタク魂を感じさせます。
『麒麟がくる』には、ベテラン声優を配役するという特徴があります。重厚な声のみならず、演技も光る渋さが特徴です。やや古いタイプのオタク心を刺激する気配りといえます。
そして男女逆転『大奥』は、原作者も、原作ファンも、心から納得できる出来に収めることができました。
そういう古きオタク魂が、『べらぼう』は情報解禁とともに漂ってきます。
版元の一人である、風間俊介さん扮する鶴屋喜右衛門が苦笑を浮かべつつ、
「これは売れません」
とPR動画で言ったとき、何か既視感がありました。
西村まさ彦さんの、西村屋与八の不機嫌そうな顔もまた、然り。
記憶の糸をたどっていくと、思い当たるものがあります。
ドクターマシリトです。
日本漫画界を代表する故鳥山明さんの作品『Dr.スランプ』の悪役ですね。陰気な顔をしたこのキャラクターは、鳥山さんの編集者であった鳥嶋和彦さんがモデルとされています。
「ボツ」
そうむすっとした顔でダメ出しをする鳥嶋さんに怒りを覚えた鳥山さんが、作中で憂さ晴らしとして出したキャラクター。かつての漫画家はこのように編集者をおちょくったものでした。
今からすれば信じ難いかもしれませんが、昭和の頃はアクの強い編集者武勇伝も明かされたものです。
漫画家本人もすごいけれども、その背後にはもっと強烈な編集者がいると都市伝説めいて語られるのは、往年の業界でした。
『べらぼう』番宣を見ていると、こうした姿が思い出されます。
主人公周辺の版元仲間からは、時に暴露され、またおちょくられた、冷酷でありながら鋭い判断を下す。そんな編集者の顔が見えてきます。
『べらぼう』は大河ドラマで初めての時代を扱う。
版元主人公ということも、異例中の異例である。とはいえ、初めて見たとは思えない。どこか既視感のある話に引き込まれ、懐かしさすら覚えるのではないか。そんな予感がします。
オタクは古かろうが比較的新しかろうが、二次元美女を好むことでは一致します。
『べらぼう』の世界観もそうで、どんな版元であろうと、吉原の美女や彼女たちを描いた絵や小説を売らねば食っていけないわけです。
顔をつきあわせつつ、どの美女がいいか、どういうシチュエーションがそそられるのか、真剣に語り合う場面に、今までの大河にはなかった没入感を覚える視聴者もいるかと思います。
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