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【直前予想!大河ドラマ『べらぼう』は傑作となるか?】
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推し活を扱う大河ドラマ
推し活に夢中な層も、既視感にあっと驚くことになるかもしれませんよ。
推し活に欠かせない、推しを示す色やモチーフは、実は江戸時代からあります。
歌舞伎役者に夢中になった江戸の女たちは、推しが好む色やパターンを身につけて主張したものです。
推しうちわの歴史にしてもそうで、当時から役者絵を貼り付けた団扇は定番商品です。
なんだ、私たちの大先輩は江戸時代からいたんだ! そう腑に落ちることでしょう。
考えてみれば当然と言えばそうなのですが、江戸時代中期の町人は、平安貴族や戦国武士より、ずっと私たちに近いんです。
そこに気付けば、沼に落ちます。
2025年はきっと、特性層にとってかつてない没入感のある大河ドラマになりますよ!
既婚女性が眉を落とした大河ドラマ
没入感だけではなく、オタクならではのディテールの細やかさも魅力です。
登場人物の髪型にせよ、着物にせよ、浮世絵でしか見られない。細やかな点まで再現されています。
既婚女性に眉を剃らせるこだわりも、江戸オタクならではといえる。
見栄えや役者のファンを選ぶならば、眉を落とすなんてしないはず。あえてそれをするあたりに、オタクらしいこだわりがみえてきます。
2024年を経て、2025年の大河ドラマも進歩する
いかがでしょうか。『べらぼう』とはこんなにも斬新なのです。
2025年の予想がこんなにも心が弾むのは、2024年のおかげでもあります。
2024年は大河ドラマにとってターニングポイントとなるでしょう。
女性視聴者獲得の意義が理解されたこと。
視聴率でなく、視聴回数による評価が重要だと認識されたこと。
おもしろさだけでなく、作品が投げかける問いかけや意義も重視されること。
朝の連続テレビ小説が『虎に翼』であり、大河ドラマが『光る君へ』であった2024年は画期的であったのです。
そうはいっても、そのあとの作品が引き継げなければよろしくない。
朝ドラについて言えば、2024年は前半期と後半期の乖離があまりに激しい年でした。
『虎に翼』の長所を自作は引き継ぐことなく苦戦。朝ドラをご覧になられていない方は、『光る君へ』のあとに『どうする家康』が放映されているような状況だとご想像ください。
大河ドラマは、そんな朝ドラの轍を踏まずともよいでしょう。
大河ドラマにも多様性は必要だからこそ
この点は安心材料があります。
大々的に扱われている平賀源内です。
特定層に刺さると前段で指摘しつつ、そこに「いわゆる腐女子」はあえて外しました。2020年代半ばには古い概念と思えます。
それを言い換えまして「ブロマンスファン」としましょう。そうした層は平賀源内に着目すると思います。
まだ明かされていないものの、相関図で源内の隣にいる井之脇海さんが演じる浪人の新之助は、平賀源内にとっては特別な関係か、そうでなくとも源内が好感を抱いている人物であってもおかしくはないと思えます。
これはただの妄想というわけではありません。
平賀源内は近代史へ向かう人類の意識を考えるうえで、非常に重要な人物です。
それは何か?
彼は自分のセクシュアリティを自覚し、妥協することなく、そのことを発信した人物といえる。彼は同性愛者なのです。
彼のどこが近代的か。
歴史上には、性のバリエーションとして同性を愛した人もいれば、同性愛傾向が強くとも家名存続のために妻帯している人物もいます。
源内はそのどちらにも属せず、同性愛者としての己を貫き、その上での不利益も受け止めて生きる決意を固めています。文才もあるため、その思いを記すこともできたのです。
そうした史実を踏まえ、一捻りするであろうことも、PR映像から見えてくる。
源内はどこかおもしろそうに、俺の好みの女を連れてくるよう、蔦重に話しています。
しかし、源内好みの女なんて「いねぇ」のが正解でしょう。そんな、女に興味のない源内が、女好きの心を掴む仕掛けを考えるという捻り。
源内と何かありそうな新之助が、うつせみという遊女と運命的な出会いを果たすという波乱。
この時点でこれをどう転がしていくのか、気になるところです。
江戸を生きる一人のゲイとして、彼がどんなアイデンティティを見出してゆくのか。その姿から勇気づけられる人もいれば、多様性について学ぶ人もいることでしょう。
源内役が安田顕さんで、新之助役が井之脇海さんというのも、素晴らしいではないですか。
これで源内が内野聖陽さんか西島秀俊さんあたりだったら、あざとさが勝る。安田さんであればこそ、知性で人も相手も推しはかる、そんな人物であることが伝わってきます。
東洲斎写楽の謎に挑む大河ドラマ
源内とその周辺は、多様性について考える極めて真面目な描写を規定しています。
一方で、あえて捻れてドロドロしてきそうなブロマンスもあると思えます。
それは蔦重、歌麿、写楽の三角関係です。
いったい何を言い出すのか?と困惑する方もおられるかもしれません。かいつまんで説明いたします。
喜多川歌麿という絵師は、蔦重が渾身のプロデュースをした結果、頂点にのぼりつめたといえる。さして名も売れていないころから文人ネットワークに売り込み、斬新なアイデアをひっさげて登場させました。
その二人目にしようとして、失速し、消えてしまったのが東洲斎写楽です。
写楽についていえば、後世からすれば不思議に思えるほど、当時の絵師すら語り伝えていません。その例外が歌麿で、嫉妬がこもった「それみたことか!」と言いたげなコメントが残されています。
歌麿は、蔦重がどうして役者絵も任せてくれなかったのかと恨みを抱いていたのでは?
自分を華々しくプロデュースしてくれるのは、蔦重だけだと思っていたのでは?
あれほど売れっ子になってからもそう思っていたのだとすれば、なんて重たい愛憎なのでしょう。
写楽についての正体と、デビュー後失速した原因については、歴史ミステリでもなんでもなく、実はもう決着はついています。
『麒麟がくる』においても、今日では否定されて決着済である歴史ミステリの定番「本能寺黒幕説」には触れなかったチームです。今さら正体は深掘りしないでしょう。
蔦重がどうして失敗してしまったのか? 江戸っ子のニーズを読み違えたのか?
焦点は、ここになることでしょう。ましてや蔦重はこの失敗からほどなく生涯を終えるのですから。
となると『麒麟がくる』チームだけに、何かが見えてきます。
そこにどんな理由があろうと、歌麿は「俺を起用しねえからだ!」と口を尖らせるのでは?
なにせ、演じるのは『麒麟がくる』では織田信長役であった染谷将太さんです。
大河関連番組で「信長はもうずっと十兵衛(光秀のこと)ラブ!」と語っていた彼の理解力と演技力です。
凄まじい愛憎の嵐が待ち受ける年末になる。そう期待を込めておきます。
視聴者としては「写楽が偉大かどうかよりも、愛憎劇が印象に残っている……」となるかもしれませんが、それもきっと魅力的なことでしょう。
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