大河ドラマ『べらぼう』ガイドブック/amazonより引用

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直前予想!大河ドラマ『べらぼう』は傑作となるか?タイトルから滲む矜持に期待

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2025年、吉原を描くリスクと意義

ここ数年、意識の変化と、それに追いついていないために燻ることがありました。

2020年の『麒麟がくる』放映中、ドラマにも出演している芸能人のラジオでの発言が、問題視されました。

「コロナが明けたら美人さんが風俗嬢やります」

女性が貧困に陥る状態を喜ぶとは、あまりに酷いとみなされました。

2021年に子どもに人気のアニメ『鬼滅の刃』で遊郭が舞台となるシリーズ放映が決まると、これも悪影響や誤解を与えないかと不安視されました。

2024年は「大吉原展 江戸アメイヂング」が開催前から炎上しました。吉原の持つ暗部を軽視したような軽薄さが悪目立ちしたのです。

ショッキングピンクの派手なビジュアル。

「お大尽ナイト」といった軽薄さも感じる有料企画名などなど。

どうしてこれが通ると思ったのか、首を捻った方もいたことでしょう。

こうした炎上事例をみていくと、『べらぼう』は鴨を背負ったネギを超越し、ガソリンタンクを背負って火山へ猛然と駆け抜けていくほどの無謀さを感じさせなくもありません。

蔦重は吉原生まれの吉原育ち。そこにいる遊女をネタにして一儲けし、江戸の出版界へ殴り込みをかけるのです。

遊女の生き血を燃料にして爆走する、外道中の外道とみなされかねないではないですか。

いくらなんでも、ましてや『麒麟がくる』チームが、そんな無謀行為をするとは思いません。

大奥』に引き続き、インフィマシーコーディネーターを、大河ドラマでは初めて採用してもいます。対策をしていないわけがありません。

2023年にジャニーズ問題を無視して突き進み、大失敗をした悪しき前例とは異なると思いたい。

ここでまず考えたいのは、なぜ、吉原はじめ性風俗関連は炎上するのかということです。

私の意見としては、企画する側の意図も理解できるし、問題視する側の言うことも正しいというところです。

 


歴史修正にさらされてきた吉原

吉原遊女をテーマにした映像作品は、多くあります。

作り手が戦争体験者の世代ですと、陰惨な側面は欠かせないものでした。

彼らには青線赤線といった性風俗街の記憶があります。戦後の混乱の中、米兵相手に身を売ることでしか生きられない女性たちの姿も見てきました。

彼女たちは追い詰められてそうしている。それを茶化してよいものか?

そんな倫理観は作り手にも、見る側にも共通していました。

それが変わってゆくのが、日本が十分に経済成長を遂げ、かつ戦争を知る世代が一線を引いていくようになった1990年代後半あたりからでしょう。

同時代の代表作として、漫画および映像化もされた『さくらん』があります。

それまで吉原を舞台にした映像化作品といえば、映画『吉原炎上』が定番でした。

何度もテレビで放映されたこの作品は、あまりの苦しさに吉原に放火する遊女の凄惨な姿を描いたもの。お色気以前にあまりに酷い。トラウマになった。そんな人もいたことでしょう。

『さくらん』の、蜷川実花さんが手がけたビジュアルは、ビビッドで明るいものでした。

陰気なイメージは吹き飛ばされ、ポップでオシャレな世界だと憧れすら感じさせるものです。

「花魁風」と銘打った着物コーディネートが現在でもしばしばみられ、物議を醸しています。それも『さくらん』後の価値観ではないかと私は推察しています。

これは何もフィクションの中の話でもありません。

1990年代後半ともなると、女性が性を売り物とすることも、極めて軽くなっていました。

1990年代前半には「ブルセラブーム」があります。女子学生が制服や体操着を売り、小遣い稼ぎをしていた現象です。

1990年代後半になると、ルーズソックスにミニスカートの女子高生たちが、遊ぶ金欲しさに「援助交際」をするものだとマスメディアは誘導するようになりました。

成人向けビデオ女優が堂々とテレビで取り上げられるようになっていくのも、ちょうどこの時代のことです。

かつて女が身を売るとなれば、貧しさから泣く泣くそうしたのに、イマドキの女はそうじゃない。遊ぶために気軽にそうする。女が身を売ることを大仰に深刻ぶって、受け止めなくてもいいんじゃない?――そうした空気が日本を覆っていました。

そうした時代を生きてきた世代からすれば、吉原の暗部を真面目ぶって取り上げるなんて、「ダサい」。

「大吉原展」を『さくらん』を思わせなくもないショッキングピンクで飾り立て、「アメイヂング」と呼ぶのは当然のことといえます。

しかし、そうした広告担当者は時代に追いつけていない。

私はそのことも指摘しなければなりません。

どの時代だろうと、そもそも気軽に身を売る女なんて、どれほどいたのでしょうか。

時代の空気がそうするように強いてきただけ。ヘラヘラと笑って、なんでもないフリをしていただけ。それが実態ではありませんか?

国がどれだけ豊かになろうが、一定数の貧困層はいます。

女性が経済的に自立できないことは、いつの時代にもあてはまるのです。

吉原の遊女にせよ。ルーズソックスのギャル女子高生にせよ。

彼女たちが楽しそうに、何も考えていないように見えたとすれば、目が曇っていたか。はたまた気づかないふりをしていただけか。そのあたりではないですか?――という問いを突きつけてくるのが、『べらぼう』であると予測します。

むしろ最低限でもそこまでやらねば、失敗確定でしょう。

もはや先送りできない問題に、大河ドラマは挑むこととなります。

 


2020年代に「吉原」を描く意義

2000年前後、せいぜいが稲光程度のはかない幻惑でしかなかった手法が、2020年代にもなって通じるわけがない。

それが今、直面している現象です。

『鬼滅の刃』「遊郭編」は、これを理解している良心的な作風です。

あの作品では吉原がいかに非人間的で、そこに生きる人々の心を蝕み、不幸に陥れるか。プロットの根底にありました。

子どもですら吉原の非道を、妓夫太郎と堕姫の兄妹から学んでいるのです。大人がそうできないのはあまりに恥ずかしい話でしょう。

とはいえあの時代、1990年代後半からの歴史修正はタチが悪いものだと、私は舌打ちしながら江戸文化の本をめくったものです。

近年の言動を見れば、キッパリと吉原文化の負の側面をあげている先生でも、当時の書籍、ましてや一般書となると明るい吉原のことしか語っていなかったりする。

男女の話者による対談があると、男性側が女性側に平然とセクハラじみた言葉を投げかけている。

「吉原について語れる女なんて、どうせエロいんだろw」

こんな偏見が滲んでいて、ため息をつかずにはいられません。

吉原の遊女の中には成功して幸せになる人もいた。そんな少数例外を取り上げる歴史修正の定番技法も堂々と用いられています。

こうしたここ二十年余りの、歴史修正と女性蔑視の垢は、もういい加減洗い落とさねばなりません。

大河ドラマをその掃除道具として使うのであれば、これほどの妙手はそうそない。なにせ関連企画や関連書籍もある程度の売り上げは見込めます。

二十年前は黙らされてきたあの先生たちも、きっとしっかりと吉原の暗部を語ってくれることでしょう。

こうした時代の要請に応じるべく、『べらぼう』は罠を十重二十重と巡らせ、視聴者が精神的打撃を受けて立ち直れないほどの展開を用意せねばなりません。

 

吉原生まれ、吉原育ちの蔦重は、吉原を救うのか?

もう、罠の片鱗はPR映像で見えてきています。

口元に血を滲ませ、病に苦しむ遊女たち。

それなのに全員悪人としか言いようのない女郎屋の主人たちは、己を「忘八者」だと定義して開き直っています。

「忘八」とは儒教倫理を全て持ち合わせない悪人という意味で、当時の遊郭関係者が実際にこう自虐的に称していたのです。

中にはぬけぬけと、女郎が早死にした方が客も楽しみだという者までいるようで。十分暗部が出てきています。

それを変えようとするのが蔦重……と、放送前PR動画では説明されますが、何かひっかかりませんか?

蔦重が吉原をプロデュースすべく知恵を絞ったことは確かです。

ただ、あくまでプロモーションの一環であり、遊女の労働環境改善につながったとは言い切れない。

さらには成功をめざして、吉原を出て日本橋に店を構えます。

吉原をダシにして躍進し、忘れていないかと首を捻ってしまうのでは?

蔦重の人生を辿ると、そう思えてきてしまう。

蔦重は「金なし、親なし、家なしのないない尽くし」と紹介されます。

そんな彼が成功し、金も、妻も、家も、店も、名声も手に入れていく。それがメインプロットとなるはずです。

ただ、その過程で失うものがあるとすればそれは何か?

彼も「忘八」になるのではないか?

あんなに嫌っていた連中と同じになってしまうのだとすれば?

想像するだけで暗澹とさせられます。なにせこのチームは『麒麟がくる』を手掛けています。

あの作品では「麒麟がやってくる大きな国」を目指していたはずの光秀と信長が、どうにもそれを忘れていくように思え、決裂する様が描かれました。

序盤で光秀と信長が、無邪気に「大きな国を作るのだ」と語り合う場面は最終盤になっても回想シーンで出てきたものです。

思えばその前の『軍師官兵衛』にせよ、最終盤ではあの好青年であった官兵衛が、毒々しい謀略家に変貌したものでした。

若い頃の原点を忘れ、奈落に落ちる。そんな人間が生きる上での理想と現実の落差を描く上で実績のあるチームです。

脚本の森下佳子先生の腕前は、もはや語るまでもありません。

泰平の世の江戸時代のはずなのに、なんでこんなに暗い気持ちになるんだ――年末、視聴者がそう呆然としていても、驚くことはない、これがやるべきことだったと私は思うこととします。

吉原関係でも憂鬱な展開があると思われる『べらぼう』。

それだけではありません。江戸時代を大きく転換させたかもしれない、田沼意次の諸政策も頓挫します。

【田沼時代】の崩壊は、スケールが大きく、ビジョンが明確なだけに、見ているだけで虚しくなることでしょう。

その【田沼時代】終焉をもたらす田沼意知殺害事件と、それにはしゃぐであろう主人公周辺についても想像するだに辛くなってきます。

そうしてはしゃいだあとで到来する松平定信の時代、江戸の版元たちはどんな顔をすることやら。

人間の持つあたたかさ、やさしさ、すばらしさ。それだけでなく、苛烈さや残酷さまで描く森下佳子先生は、幾度となく視聴者の脳天に痛撃を叩き込んでくることでしょう。

それができるからこそ、このチームに迎えられたであろうことも想像がつきます。

2025年大河ドラマは『べらぼう』――まさにこのタイトル通り、何度も何度も、視聴者が「ちくしょぉおぉ、このべらぼうめぇええ!」と叫びたくなる、奇妙奇天烈で無茶苦茶な作品になると思います。

相当な珍品で個性が強くなり、わからない人にはまったく受け付けない珍味になるとは思います。

視聴率はこの際忘れていい。低いことは近年の試聴傾向から確定しています。

しかし、何度も何度もリピをしてしまう中毒者も出すでしょうから、2024年に続いて試聴回数は高いと想像します。

関連の金が動く気配もバッチリあります。

関東各地で浮世絵展はじめ展覧会が開催され、関連書籍も好調になるでしょう。一年を通して紙媒体の雑誌にまで関連記事が掲載されるのではないかと期待をこめています。

『べらぼう』な一年を、心して待っています。


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文:武者震之助note

【参考】
べらぼう/公式サイト

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