誰袖花魁が、花雲助と名乗る田沼意知に、松前藩抜荷(密貿易)の証を探している件について話を持ちかけます。
間者の褒美を欲しているの?
意知はそう察したものの、誰袖は別の望みがありました。
「花雲助さま……わっちを身請けしておくんなんし。主さんを一目お見かけしすぐに分かりんした。主さんは仏様がわっちのためにお遣わしになったお方と」
「よしておけ、女だてらに間者など。しくじればどうなるやもしれぬ危ない役目だ」
素っ気なく言い捨て、去っていこうとする相手の背中に、誰袖はこう語りかけます。
「わっちは松前に関わるお方に、あの日聞いたことをお知らせすることもできるのでありんすよ」
艶然と笑う誰袖に、意知は振り向き言い放ちます。
「座敷で見聞きしたものを漏らすなど、花魁は吉原の格を落とすような振る舞いをする女なのか? ではな」
そして去りゆく意知でした。
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綺麗なお姉さんのいる店で、重大事を決めてはいけない
今年の大河は「歴史ものとは思わないで気軽に楽しめる!」という紹介を見て、あっしとしちゃァ、そもそも歴史ってどういうことでえ!と困惑しております。
むしろ今年の大河ドラマは歴史総合に対応していて、実世界を見て行く上での解像度をあげるのではないでしょうか?
ここまで勉強になるドラマはそうそうないと思うのです。
例えば「織田信長が今川義元に勝てたのはなぜだろう? その知識を実生活に活かそう」なんて局面はそうそうありません。
しかし本作の場合、第22話の冒頭だけで知識が得られます。
それは遊郭のような場所が、インテリジェンスにとっては気をつけるべき場所だということ。
女遊びをしながら重大な話をするんじゃねぇ!というわけですね。
そもそも大奥における将軍の夜伽ですら、会話の内容を聞かれる仕組みとなっています。閨でのおねだりが大問題になってしまった苦い経験があるため、そのような対処法がもたらされました。

『大奥』橋本(楊洲)周延画/Wikipediaより引用
こうした要素は幕末史を考える上でも大変重要でしょう。
京都で活動している志士たちは、芸者とのロマンスが定番。その芸者が新選組に捕縛され、脅されても黙秘を貫くことも美談扱いされがちです。
しかし、それでよいのか?という疑問も湧いてきませんか?
要するにテロの計画を練るときに、偽装として女遊びをしていたわけです。
明治政府の元勲はこの癖が抜けず、美女を侍らせた席でなんやかんやと話しあうことを定番としていました。
政治家なんて、そんなもんでは? というと、そんなことはありません。「英雄色を好む」という言葉が当然のように語られるのも日本特有の現象です。
日本の政治というと、美女といちゃつきながら何かを決める慣習とその印象が根強く残り続けました。それこそ昭和の時代ともなると、政治家と愛人ネタは週刊誌の定番でしたね。
しかしそんなものは当然でもなければ常識でもなく、理不尽に残った腐敗の温床といえる。
これは何も政治家だけの話でもないでしょう。
名だたる大企業にしたって、飲み会で綺麗なお姉さんがいる店に向かい、そこで物事を決めるような理不尽さはかなり減ってきたとはいえ、まだ“接待”は残っているのでは?
倫理に反するだけでなく、情報漏洩という重要な問題が起きてしまうリスクも大きい――そのことを学ぶことができる今年の大河ドラマは実に有用と言えるかもしれません。
抜荷の証を手に入れよ
田沼意知はこのことを土山宗次郎に話しました。
なかなか知恵が回ると認めつつ、女を引き込むことを嫌がる意知。土山はきつく叱っておくと頭を下げます。
「抜荷の証となる絵図はどうなっている?」
田沼が土山に確認しています。
湊源左衛門によれば、絵図漏洩が起きたのは上方とのことで、ただいま平秩東作が幕府秘密エージェントとして捜査に向かっています。なんでも絵図のみならず、松前の抜荷告発者も探すのだとか。
さらに意知は、『赤蝦夷風説考』を著した工藤平助と引き合わせて欲しいと三浦庄司に頼むのでした。

工藤平助が著した『赤蝦夷風説考』/wikipediaより引用
蝦夷と取引している商人は近江の者が多いのだとか。
それだけじゃなく島津重豪も怪しいと思いやすぜ。
沖縄を代表する郷土料理に「クーブイリチー」があります。
昆布の炒め物で、祝い事には欠かせない。本土からすると、昆布をそんな特別な時に食べるということが興味深いものでしょう。
それもそのはず、沖縄では昆布は採れません。珍しいとっておきの食材だったのですが、流通経路は確保できていた。
江戸時代、この昆布ルートは、蝦夷地から薩摩を経由する南北密貿易に頼っていたということになります。面白ぇ話っすよね。
かくして、意知は工藤平助と接触します。
意知は湊源左衛門も『赤蝦夷風説考』に情報を流しているはずだと確認します。
工藤はあくまで「内々で楽しむためのもの」だと言い訳します。
なら出版するなよ!
そう突っ込みたくなりますが、こうして不可解な情報が漏れて広まり続けるのが江戸時代なんですな。
意知は責めるつもりはないと安心させつつ、湊の考えに対する見解を聞いております。
春町先生は断筆してしまうのか?
耕書堂では蔦屋重三郎が唐来三和と戯作の打ち合わせ中です。
しかし、歌麿が浮かない様子なのに気づき、どうしたのかと声を掛けています。目線の先には春町がへし折った筆がありました。
三和先生もよいけれども、筆を折った春町先生をどうするのか?と歌麿は気に病んでいるんですね。なんでもあの「屁!屁!……」と踊り狂ってから十日経過しているのだとか。
あの夜が忘れられないのか。部屋に閉じこもって「屁」と書き続ける春町。
これは中々の重症だわ……と、そこへ蔦重が訪れるのでした。
蔦重は喜三二の新作を持参して、挿画を依頼しつつ、戯作の新作も頼んでおります。
断筆宣言をしたとキッパリ反論する春町に対し、あのときのことを気にすることはない、誰も気にしてないと答える蔦重。
確かに、みんな、異様なテンションでしたもんね。
蔦重は「また春町とパーティーしたいと言っている」とまで言います。まぁ、鎌倉時代の坂東武者みてえに宴席で殺し合うこたしねえしな。
「……あいにく拙者の方があのような者らと席を共にしたくないのでな。お引き取りを、ではな!」
春町がその場を去ろうとすると、蔦重が反論しながら追いかけます。
「春町先生、お待ちくだせえ。あのような者ってなさすがにねえんじゃねえですか」
確かに陽キャの北尾政演は酔っ払っていたものの、歌を詠んでくれと頼んだだけです。
それなのに食ってかかったのは春町の方。食ってかかった理由にしても「元ネタを引っ張ってくる」という、青本では当たり前のこと。それで盗人呼ばわりはひどいと突っ込んでいるワケです。
春町だって「邯鄲の夢」をネタ元にしていますよね。
日本では、中国文学からネタを引っ張ってくることは教養の範囲内であり、ノーカウントとされます。
これが現在に至るまで続いていて、たとえば『ドラゴンボール』の主人公の名前が『西遊記』由来であっても、今更そこを指摘したらただの野暮ですよね?
コーエーテクモゲームスの『三国志』シリーズに「中国の歴史で遊ぶな!」とケチをつける人は日中双方でおりません。
そういうものなので、中国史モチーフの浮世絵などはむしろ喜ばれます。
てなわけで、北京では今度、月岡芳年の『月百姿』展をやるってよ。宣伝メインビジュアルは孫悟空ですぜ。

月岡芳年『月百姿 玉兎 孫悟空』/wikipediaより引用
春町先生も、自分でも理不尽だったとはわかっているようですね。
だんだんと萎れたようになってゆきます。
大田南畝にせよ『評判記』はお遊びで始めたって断り入れているし、遊びにマジレスすんなってことで。
腕組みした春町先生も、ただの遊びにカッカきているのは拙者一人だとバツの悪そうな顔をしています。
蔦重はここで、俺だって悔しいと気持ちに寄り添います。
鶴屋、政演、こんちくしょう! だからこそ見返すぞ!
そう思っちまう健全なライバル精神を披露するのです。
春町は心を開きながらも、こう続けます。
「向いておらぬのだ……俺は戯けることに向いておらぬのだ!」
主語も“拙者”でなくなり“俺”になって、ズンズン歩き去って行ってしまう春町……これはさすがに蔦重も打つ手なしか。
耕書堂に戻った蔦重も落ち込んでしまいます。
言い方が悪かったのかなぁ……春町先生は考えすぎなんだよなぁ……と呟くと、隣にいた歌麿が「そこが春町先生のよいところだ」とフォローします。
蔦重は、春町に断わられた喜三二の本『長生見度記(ながいきみたいき)』への挿絵付けを歌麿に依頼します。
「春町風で頼む」とのことで歌麿が戸惑っていると、大文字屋市兵衛が「入(へえ)るよ〜」とやってきました。
蔦重が煙管の灰を落とし、立ち上がって出ていきます。
作品を読み始める歌麿。
喜三二が春町の作品を元ネタとして引っ張りつつ展開してゆきます。それを読んで何か考え込んでいる歌麿。このひらめき、考える歌麿の表情が実に雄弁ですね。
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