誰袖花魁が、花雲助と名乗る田沼意知に、松前藩抜荷(密貿易)の証を探している件について話を持ちかけます。
間者の褒美を欲しているのか?
意知はそう察したものの、誰袖は別の望みがありました。
「花雲助さま……わっちを身請けしておくんなんし。主さんを一目お見かけしすぐに分かりんした。主さんは仏様がわっちのためにお遣わしになったお方と」
「よしておけ、女だてらに間者など。しくじればどうなるやもしれぬ危ない役目だ」
素っ気なく言い捨て、去っていこうとする相手の背中に、誰袖はこう語りかけます。
「わっちは松前に関わるお方に、あの日聞いたことをお知らせすることもできるのでありんすよ」
艶然と笑う誰袖に、意知は振り向き言い放ちます。
「座敷で見聞きしたものを漏らすなど、花魁は吉原の格を落とすような振る舞いをする女なのか? ではな」
そして去りゆく意知でした。
綺麗なお姉さんのいる店で、重大事を決めてはいけない
今年の大河は「歴史ものとは思わないで気軽に楽しめる!」という紹介を見て、あっしとしちゃァ、そもそも歴史ってどういうことでえ!と困惑しております。
むしろ今年の大河ドラマは歴史総合に対応していて、実世界を見て行く上での解像度をあげるのではないでしょうか?
ここまで勉強になるドラマはそうそうないと思うのです。
例えば「織田 信長が今川 義元に勝てたのはなぜだろう? その知識を実生活に活かそう」なんて局面はそうそうありません。
しかし本作の場合、第22話の冒頭だけで知識が得られます。
それは遊郭のような場所が、インテリジェンスにとっては気をつけるべき場所だということ。
女遊びをしながら重大な話をするんじゃねぇ!というわけですね。
そもそも大奥における将軍の夜伽ですら、会話の内容を聞かれる仕組みとなっています。閨でのおねだりが大問題になってしまった苦い経験があるため、そのような対処法がもたらされました。

『大奥』橋本(楊洲)周延画/Wikipediaより引用
こうした要素は幕末史を考える上でも大変重要でしょう。
京都で活動している志士たちは、芸者とのロマンスが定番。その芸者が新選組に捕縛され、脅されても黙秘を貫くことも美談扱いされがちです。
しかし、それでよいのか?という疑問も湧いてきませんか?
要するにテロの計画を練るときに、偽装として女遊びをしていたわけです。
明治政府の元勲はこの癖が抜けず、美女を侍らせた席でなんやかんやと話しあうことを定番としていました。
政治家なんて、そんなもんでは? というと、そんなことはありません。「英雄色を好む」という言葉が当然のように語られるのも日本特有の現象です。
日本の政治というと、美女といちゃつきながら何かを決める慣習とその印象が根強く残り続けました。それこそ昭和の時代ともなると、政治家と愛人ネタは週刊誌の定番でしたね。
しかしそんなものは当然でもなければ常識でもなく、理不尽に残った腐敗の温床といえる。
これは何も政治家だけの話でもないでしょう。
名だたる大企業にしたって、飲み会で綺麗なお姉さんがいる店に向かい、そこで物事を決めるような理不尽さ。まだ“接待”は、かなり減ってきたとはいえ、残っているのでは?
倫理に反するだけでなく、情報漏洩という重要な問題が起きてしまうリスクも大きい――そのことを学ぶことができる今年の大河ドラマは実に有用と言えるかもしれません。
抜荷の証を手に入れよ
田沼意知はこのことを土山宗次郎に話しました。
なかなか知恵が回ると認めつつ、女を引き込むことを嫌がる意知。土山はきつく叱っておくと頭を下げます。
「抜荷の証となる絵図はどうなっている?」
田沼が土山に確認しています。
湊源左衛門によれば、絵図漏洩が起きたのは上方とのことで、ただいま平秩東作が幕府秘密エージェントとして捜査に向かっています。なんでも絵図のみならず、松前の抜荷告発者も探すのだとか。
さらに意知は、『赤蝦夷風説考』を著した工藤平助と引き合わせて欲しいと三浦庄司に頼むのでした。

工藤平助が著した『赤蝦夷風説考』/wikipediaより引用
蝦夷と取引している商人は近江の者が多いのだとか。
それだけじゃなく島津重豪も怪しいと思いやすぜ。
沖縄を代表する郷土料理に「クーブイリチー」があります。
昆布の炒め物で、祝い事には欠かせない。本土からすると、昆布をそんな特別な時に食べるということが興味深いものでしょう。
それもそのはず、沖縄では昆布は採れません。珍しいとっておきの食材だったのですが、流通経路は確保できていた。
江戸時代、この昆布ルートは、蝦夷地から薩摩を経由する南北密貿易に頼っていたということになります。面白ぇ話っすよね。
かくして、意知は工藤平助と接触します。
意知は湊源左衛門も『赤蝦夷風説考』に情報を流しているはずだと確認します。
工藤はあくまで「内々で楽しむためのもの」だと言い訳します。
なら出版するなよ!
そう突っ込みたくなりますが、こうして不可解な情報が漏れて広まり続けるのが江戸時代なんですな。
意知は責めるつもりはないと安心させつつ、湊の考えに対する見解を聞いております。
春町先生は断筆してしまうのか?
耕書堂では蔦屋重三郎が唐来三和と戯作の打ち合わせ中です。
しかし、歌麿が浮かない様子なのに気づき、どうしたのかと声を掛けています。目線の先には春町がへし折った筆がありました。
三和先生もよいけれども、筆を折った春町先生をどうするのか?と歌麿は気に病んでいるんですね。なんでもあの「屁!屁!……」と踊り狂ってから十日経過しているのだとか。
あの夜が忘れられないのか。部屋に閉じこもって「屁」と書き続ける春町。
これは中々の重症だわ……と、そこへ蔦重が訪れるのでした。
蔦重は喜三二の新作を持参して、挿画を依頼しつつ、戯作の新作も頼んでおります。
断筆宣言をしたとキッパリ反論する春町に対し、あのときのことを気にすることはない、誰も気にしてないと答える蔦重。
確かに、みんな、異様なテンションでしたもんね。
蔦重は「また春町とパーティーしたいと言っている」とまで言います。まぁ、鎌倉時代の坂東武者みてえに宴席で殺し合うこたしねえしな。
「……あいにく拙者の方があのような者らと席を共にしたくないのでな。お引き取りを、ではな!」
春町がその場を去ろうとすると、蔦重が反論しながら追いかけます。
「春町先生、お待ちくだせえ。あのような者ってなさすがにねえんじゃねえですか」
確かに陽キャの北尾政演は酔っ払っていたものの、歌を詠んでくれと頼んだだけです。
それなのに食ってかかったのは春町の方。食ってかかった理由にしても「元ネタを引っ張ってくる」という、青本では当たり前のこと。それで盗人呼ばわりはひどいと突っ込んでいるワケです。
春町だって「邯鄲の夢」をネタ元にしていますよね。
日本では、中国文学からネタを引っ張ってくることは教養の範囲内であり、ノーカウントとされます。
これが現在に至るまで続いていて、たとえば『ドラゴンボール』の主人公の名前が『西遊記』由来であっても、今更そこを指摘したらただの野暮ですよね?
コーエーテクモゲームスの『三国志』シリーズに「中国の歴史で遊ぶな!」とケチをつける人は日中双方でおりません。
そういうものなので、中国史モチーフの浮世絵などはむしろ喜ばれます。
てなわけで、北京では今度、月岡芳年の『月百姿』展をやるってよ。宣伝メインビジュアルは孫悟空ですぜ。

月岡芳年『月百姿 玉兎 孫悟空』/wikipediaより引用
春町先生も、自分でも理不尽だったとはわかっているようですね。
だんだんと萎れたようになってゆきます。
大田南畝にせよ『評判記』はお遊びで始めたって断り入れているし、遊びにマジレスすんなってことで。
腕組みした春町先生も、ただの遊びにカッカきているのは拙者一人だとバツの悪そうな顔をしています。
蔦重はここで、俺だって悔しいと気持ちに寄り添います。
鶴屋、政演、こんちくしょう! だからこそ見返すぞ!
そう思っちまう健全なライバル精神を披露するのです。
春町は心を開きながらも、こう続けます。
「向いておらぬのだ……俺は戯けることに向いておらぬのだ!」
主語も“拙者”でなくなり“俺”になって、ズンズン歩き去って行ってしまう春町……これはさすがに蔦重も打つ手なしか。
耕書堂に戻った蔦重も落ち込んでしまいます。
言い方が悪かったのかなぁ……春町先生は考えすぎなんだよなぁ……と呟くと、隣にいた歌麿が「そこが春町先生のよいところだ」とフォローします。
蔦重は、春町に断わられた喜三二の本『長生見度記(ながいきみたいき)』への挿絵付けを歌麿に依頼します。
「春町風で頼む」とのことで歌麿が戸惑っていると、大文字屋市兵衛が「入(へえ)るよ〜」とやってきました。
蔦重が煙管の灰を落とし、立ち上がって出ていきます。
作品を読み始める歌麿。
喜三二が春町の作品を元ネタとして引っ張りつつ展開してゆきます。それを読んで何か考え込んでいる歌麿。このひらめき、考える歌麿の表情が実に雄弁ですね。
誰袖の間者あそび
蔦重を呼び出したのは誰袖でした。
大文字屋に用件を確認すると、身請けのことしかないと推察されています。
「いや、勘弁してくだせえ……」
そう弱っている蔦重。初代より弱い二代目カボチャは、話相手になってくれと言うのです。なるほどな、もし先代が健在となりゃ、誰袖も危ねえこたしなかっただろうよ。
その毒を持つ花のような花魁は、蔦重の背中に迫り、要件を切り出します。
「兄さんが抜荷の証というのを立てるならどうしんす?」
「抜荷?」
蔦重が驚くと、あわてて口を塞ぐ誰袖。そして誤魔化します。
「ちょいと手すさびに青本を書いておりんして」
スラスラと嘘が出てくることはうまいにせよ、どこか詰めが甘い。ここで志げが差し紙が入ったと市兵衛に報告しています。
なんでも松前藩のご家老で、藩主の弟なのだとか。そこで格のある花魁を希望しているとのことです。
誰袖は目を見開き「思いつきんした!」と言い出します。
「それ、わっちが参りんす!」
そう軽やかに志げのもとへ向かう誰袖。なんだか嫌な予感がするぜ。出てくるたんびに禍々しくなってらぁ。

地獄太夫図/wikipediaより引用
松前廣年の登場です。
隣には誰袖花魁。凛然として近寄りがたかった瀬川の気品とは異なりますね。
無言で煙管を吸っていたのに、しなだれかかって、その煙管を廣年に勧めます。
驚く廣年。
「よいのか? 花魁が初会で口をきいて」
それも掟破りなのですが、誰袖はあまりに奔放です。意知が釘を刺していたような吉原の品格ってモンにあまりに無頓着なんですよ。
誰袖は「松前のご家老ならば別でありんす」と微笑み、常は松前にいるのかと尋ねます。
と、廣年は幼少期から江戸に出されてそのままずっとこちらにいるのだとか。
江戸時代であれば至極当然のことで、前回出てきた島津重豪もそうでした。

島津重豪/wikipediaより引用
松前藩士といえば新選組の永倉新八もおりますが、彼も江戸生まれの江戸育ち、アイデンティティはすっかり江戸っ子でした。

永倉新八/wikipediaより引用
そういう松前廣年のような御曹司となれば時間もあり、絵を学んでいるのだとか。
史実における彼の画号は蠣崎波響(かきざきはきょう)と言い、画家としての方が有名かもしれません。
彼の作品で最も目にする機会が多いジャンルは、「アイヌ絵」(かつては「蝦夷絵」)でしょう。
アイヌの風俗を描いたもので『夷酋列像(いしゅうれつぞう)』がよく知られています。

蠣崎波響の『夷酋列像』よりツキノエの図/wikipediaより引用
誰袖はニッコリと微笑みつつ、探りを入れます。
瀬川の笑みはそれだけでも珍しく、高嶺の花といった趣がありました。よく笑う誰袖は童女のようにあどけないようで、どこかへ引き摺り込むような魔性を感じさせます。
吉原にはよく来るのかと尋ねられると、廣年はこうきました。
「それが俺が使える金はさしてなくてなぁ。今日も出入りのあちらの年に一度のおごりでな」
「またまた……かように美しい石をおつけになっておられんすお方が」
釣り狐で座敷が盛り上がるなか、誰袖は廣年の手を執り、手首に巻かれた腕輪にそっと白い指を重ねます。
「これは……何という石でありんす? んふ」
どんな宝石よりも美しい、黒い瞳に覗き込まれ、廣年は妖狐に魅入られたような顔になってしまうのでした。

2003年に再建されたサンクトペテルブルク・エカテリーナ宮殿の「琥珀の間」/wikipediaより引用

月岡芳年『新形三十六怪撰』より「葛の葉きつね童子にわかるるの図」/wikipediaより引用
将軍家治も絵画を手がけたこの時代、クリエイターを目指す上級武士も出てきます。
その代表格が松前廣年であり、酒井抱一でした。
食べることに困らないうえに、次男以下で部屋住みともなると、モヤモヤを芸術活動で発散したくなる人物が出てくるということですね。
歌麿と喜三二、春町を励ましに向かう
蔦重が歌麿に、誰袖のことを話しています。
青本なんて書けるのか?と、やはり疑念であるようですが、歌麿は当然のように布団のあげおろしをして、隣同士で二人が寝ていることがわかりますね。
蔦重と歌麿が同居していたことは知ってはいたものの、それをここまで膨らませるとは凄い。なんてことはない場面でも感服させられます。
すると歌麿が「明日、出てきてもいい?」と確認してきます。
ちょっと緊張気味ですかね? 行き先を蔦重が確認しようとすると、歌麿は「まぁさんと挿絵の打ち合わせだ」と返してきます。
ここでまぁさんのラフスケッチが出てきますが、これまた江戸の出版を考える上で興味深いことでして。
江戸時代の、作家と挿絵のゴールデンコンビといやァ、曲亭馬琴と葛飾北斎でやんすね。

葛飾北斎(左)/wikipediaより引用と曲亭馬琴(右)/国立国会図書館蔵
『椿説弓張月』で成立したものの、『南総里見八犬伝』ではこのコンビは解散されていて、「惜しまれることだ」「なぜなのか」と言われています。
一説によれば、北斎が馬琴の指示を守らず好き勝手に描いて決裂したんだとか。
あるいは両者のギャラ高騰説もありますね。
二人の仲が悪かったかどうかは、はっきりしておりません。
『八犬伝』執筆時にも会って話していたという設定のもとで書かれた小説が山田風太郎『八犬伝』。
映画版では馬琴を役所広司さん、北斎を内野聖陽さんが演じており、非常に面白い作品でオススメです。
と、こうした出版の裏側が見えてくるのも、本作のよいところじゃねえですかねぇ。

葛飾北斎の挿絵が入った曲亭馬琴『椿説弓張月』( 大弓を引く源為朝)/wikipediaより引用
打ち合わせではいったい何を話すのか?
翌日、歌麿と喜三二が春町の家に来ております。歌麿が誘い、春町を気にしている喜三二が乗っかってきたようですね。
喜三二は春町が書いている不思議な文字を目にします。
二つの漢字を並べて一つの漢字にしたような不可解なものです。
そこへ春町がフラッと出てきた。
「調子はどうだい!」
喜三二がそう声を掛けても「何しにきたんです?」と塩対応ですぜ。
すると喜三二が、許しを得たい話があると言い出しました。
喜三二の新作は春町『無題記』のおっかぶせだから、許しを得にきたんだと。歌麿も春町風の絵をつけろと言われたので、断りを入れます。
「そんなもの勝手にすればよかろう」
歌麿はおずおずと、絵だけでもつけてもらえないかと言い出します。青本ファンとして、喜三二作、春町挿絵の新作を待ち望んでいると伝えるのです。しかし……。
「勝手にすればよい」
相変わらずの塩対応で、熱心なファンの言葉も届きません。
勝手に真似させてもらうと返す歌麿は、めげずに春町の前に座り込み、春町先生ならどんな絵にするかと聞き出そうとするのです。
「だから勝手にせよと……」
「そうはいきませんよ! 春町そっくり!……が蔦重の指図ですから」
「そなたも嫌にならぬのか? 蔦重の都合で人真似ばかりさせられ。もっと己の色を出した絵をとは思わぬのか?」
そう言われ、歌麿は暗い目になって言います。幼い頃の、母との出来事を思い出すのでした。
「己の内から出てくる色って……あまりいいものになる気もしねえんですよね。俺に限っちゃ」
「そういうお前さんはどうなんだよ。筆折っちまったら己の絵もへったくれもなくなっちまうだろ」
喜三二がそういうと、春町はこう返します。
「世はもう……俺のことなど求めておらぬではないか。“盗人”などと言ったが、あれは負け惜しみだ。『御存(ごぞんじ)』は『辞闘戦(ことばたたかい)』の百倍面白い。政演に比べると俺は絵は下手だし、書き入れも重い。あれを読んだ時、引導を渡された気がしたんだ」
そこで喜三二は『無題記』だって書けたと励ますのですが、あれは「案思(あんじ/プロット)」のおかげだといい、政演が手掛けたら倍も面白くなっただろうと拗ねたままです。
「春町先生の絵が好きなんすよ」
歌麿がストレートに言い切りました。どこか童の絵のような味が残っていて、うまい下手でなく、好きなんだと。
喜三二も同意し、みんな春町のやることが好きなんだ、面白えから真似したがるとに励まします。
「な? 鶴屋さんだって、政演だって、だからこそおっかぶせたんだと思うよ。筆を折るなんて言うなよ。俺ゃ寂しくてなんねえんだよ」
「わかります! 何か寂しいんですよ、正月の新作の中に“恋川春町”の名が見えねえと!」
そう言い、『御存』には地口の化け物が出てこねえと訴える歌麿。喜三二もあれが寂しいと同意する。
あいつらがよかったのに、「小刀」や「天井見たかのしかめっ面」が好きだとキャラ語りを始めます。
「俺のような辛気臭い男がいてよいのか……明るく戯けることこそ上々な笑いの場に……」
そう絞り出す春町先生。

『吾妻曲狂歌文庫』に描かれた恋川春町/wikipediaより引用
コミュニケーションが苦手だったんですね。そんな春町を、喜三二と歌麿は優しく見守っています。
あのきつい態度は焦りと表裏一体である――そのことがわかりました。
素晴らしい名場面ですが、ちっと気になるっちゃそうですよ。
蔦重について曲亭馬琴は「教養は不足しているが、ともかく人柄がいい」とコミュ力を褒めており、ドラマでもそういう性格ですよね。
しかし、今回の春町先生のリカバリについては歌麿がフォローに回っている。
蔦重、何か鈍っていないか?とも思っちまいます。
そしてもうひとつ、歌麿のデビュー戦略ですね。技量は申し分ない。あとは心の傷を癒す過程が重要になりそうです。
皮肉屋の恋川春町でいこう
蔦重が耕書堂で朱楽菅江はじめ狂歌師たちと話しています。
朱楽菅江も春町の断筆宣言には驚いているようで、元木網が「あの会のせいじゃないか?」と笑い飛ばします。

元木網/国立国会図書館蔵
蔦重が気にしすぎだと同調すると、大田南畝は苦い口調で「あの暴言狂歌が忘れられない」と付け加えます。
怒っているのではなく、あの毒舌、皮肉屋ぶりが意外で忘れられないんだそうです。
それまでの作品から皮肉屋の面は伺えなかったのに、あまりにキレキレだったため印象に残ったんですね。
すると蔦重が何か閃いたようですぜ。
蔦重の脳内に、熊吉と八五郎が、皮肉屋春町の青本を話題にする場面が出てきました。
「そうきたか! 皮肉屋の恋川春町! そりゃそうきたか、って話ですよ」
目をキラキラさせながら語る蔦重。
この場面は教科書だったらラインを引っ張りてえくらい、画期的なところだと思いやすぜ。吉凶混合運っちゃそうだけども。
するとそこへ春町と喜三二、歌麿がやってきました。
気を利かせたのか、狂歌師たちは帰ると言ってすれ違いで出てきます。歌会もあるようですぜ。
蔦重は折れた筆を春町に見せながら「皮肉屋の春町」路線を提案しました。
喜三二がきょとんとしていると、南畝が指摘した物事を皮肉る才を蔦重は指摘。
蔦重は自分から思いつくというよりも、何かの刺激を受けて発展させて結びつけるタイプなんですね。
北尾政演の戯作者としてのポテンシャルは鶴屋が引き出しましたからね。
春町は「皮肉かどうかはよくわからんのだが」と書き付けを出してきます。己を見つめ直して書いたんだってよ。
「恋を失う」と書いて「みれん」と読むといった、漢字を作っていたそうです。
川+失=枯れる
春+失=はずす
町+失=不人気
「恋川春町とはそういう男だ」
そう言い切る春町。
蔦重は多数の「屁」に囲まれた「屍」という紙の意味を尋ねます。
「一人……」
あの屁の舞の中で、春町先生はそんなに寂しかったんですか。蔦重は大笑いしながら、どうやったらこんなおもしれぇこと思いつくのか!と喜んでいます。
春町は、このような作り文字の体裁でやってはどうかと提案してきます。
春つばき 夏はえのきに 秋ひさぎ 冬はひらぎに 同じくはきり……
『小野篁歌字尽』という往来物の一種のようにするとのこと。
同じ部首を持つ漢字を並べ、それを調子良く覚えられるようにしたものだそうです。

『小野篁歌字尽』(東京書籍株式会社付設教科書図書館東書文庫所蔵)/出典: 国書データベース(→link)
そこで蔦重は、吉原を舞台にしたパロディを作ってはどうか?と提案。
吉原がらみのあるあるネタを、毒の利いた春町文字にするんだってよ。
門+絵本=大門の本屋である蔦屋
門+前+本+問屋=ほんとんや、調子がよくてほんといやっ!
この調子で作るんだってよ。
ちなみにこの企画をなす上で、重要な技術があることにお気づきになりましたか?
それは木版印刷でやんす。
活版印刷は文字数の多い漢字圏では向いておらず、普及までに長い時間がかかりました。
かわりにレイアウトの自由がきく木版印刷が主流となります。
挿絵入りで自由度の高い本が出版されたのも、木版印刷があればこそとなります。
春町文字は現在のように限られたフォントを使う時代となると、まず出てこない発想でしょう。今なら絵文字に通じる発想かもしれませんね。
春町先生、吉原で新作執筆
かくして、春町の執筆開始となりました。
女+男=みたて。男が女を見立てる
女(反転)+男=振る。女が男に背を向ける
男+女=後朝(きぬぎぬ)。男と女が一晩過ごした朝のこと
吐+周囲を取り囲む漢字=大一座。盛り上がっている宴
客+男と女が取り囲む=大いざ。男と女を巡る喧嘩。イケメン陽キャの北尾政演が、女を巡って他の客と喧嘩になっておりやす。こいつの家はゆるい教育方針なんで、息子が吉原に入り浸ってもお咎めなしだったそうで
春町の足は、情念河岸の二文字屋へ向かいます。
朝顔が最期にいた店であり、女将のきくが切り回している最下層の店ですね。
ここで、きくや女郎のちどりたちに囲まれ構想を練る春町。
金+死=野暮。金のせいで死ぬということでなく、使い道が間違っていることか
金+生=通
金+無=金を無くすのは「息子」。北尾政演みてえなバカ息子だな
金+番=親父
かくして、なんともくだらねえアイデアが出てくる出てくる。
こうした作品は、時事ネタとあるあるネタだらけだから、後世となれば読まれにくいところもあるんでしょうね。
誰袖の手練手管に堕ちる意知
同時進行で誰袖の間者作戦も進行していて、田沼意知が琥珀の腕飾りを手にしています。
土山宗次郎が、誰袖が掴んだ抜荷の証拠として持ち込んだものです。
どうやら松前の弟君が身につけているオロシャ産の琥珀をうまくせしめたようですね。
しかし意知は誰袖に腕飾りを返し、「これでは証にならない」とにべもなく返答。
蝦夷と交易する商人を経由して受け取ったという言い訳が成立するとのことです。あるいは国内でも南部藩の久慈の名産品ですし、シラを切られる可能性はありますね。
江戸幕府初期の頃、徳川家康は、確かに松前藩と蝦夷(アイヌ)の交易を認めました。
この蝦夷を飛ばして直接オロシャと交易していなければ、セーフになるのです。
意知は誰袖のやる気がむしろ危ういと感じたのか、これ以上の間者ごっこはやめておけと釘を刺します。
しかし誰袖は止まるどころか、弟君をけしかけて抜荷をやらせてはどうかと言い出しました。
勝手に使える金がない、本当は吉原などでもっと遊びたいとこぼしていたことを伝えるのです。
そこで廣年に、儲かる抜荷扱いを提案し、話に乗せてしまえばよいのではないか?
確かに誰袖の手練手管で金を吐き出させるのはありかもしれませんが、長谷川平蔵とは話が違いますぜ。松前藩には、えなりかずきさん演じる松前道廣もおりますし……。
「身請けをしてくださるなら、この先を進めてもよろしうありんすが……」
そう覗き込んで迫る誰袖に、意知は困惑するばかり。
「何故、然様に私の身請けを望む? 吉原を出たいというなら、土山にねだった方がよほど早かろう」
「わっちは吉原一の二枚目好みにござんして」
そうしなだれかかり、意知の顔に愛おしそうに触れます。
「このお顔を、日がな一日眺めて過ごす身となりたいのでござりんす」
「花魁……これはそなたが思うよりずっと、きな臭い話で」
意知はそう返すしかない。
まるで巨大な白蛇に睨まれているようにも見えます。
「ここは日々が戦でござりんすよ? 騙し合い、駆け引き、修羅場。わっちの日々はきな臭いことだらけにござりんす」
蛇が相手を締め付けるように返す誰袖。
「それでもご案じなら、スサノヲがクシナダヒメを守るがごとく、主さんがわっちをお守りくださるというのは?」
「よし。田沼意知と申す。見事抜荷の証しを立てられた暁には、そなたを落籍いたそう」
この言葉を引き出し、誰袖はうっとりと嬉しそうな顔になりますが、どうにもおぞましい。恋が叶ったというよりも、蛇が相手の骨をへし折り、呑み込んでいくような……。

月岡芳年『新形三十六怪撰 二十四孝狐火之図』/wikipediaより引用
誰袖は美しい。それなのに、いつもどこかおぞましい。浮世絵の美女の姿をした妖怪画を連想させます。
意知はその美しい顔に、既に死の翳が落ち始めているようにも思えます。
江戸版「出版社の忘年会」
年の暮れ、クールポコ。が餅をつく人、こねる人として登場。
「なぁ~にぃ〜!」
おなじみのセリフを言うのは、横を通りかかり、差し出された餅を手に取る北尾政演でした。
「つったじゅうさ〜ん!」
小走りをする政演が、なんとも軽薄でアホみてえな動きなんすけど、これが完璧な所作ですぜ。
着流し和装に草履で、足をチョコチョコと裾がはだけないように動かしていて、実にお見事。
蔦重は裾が割とはだけておりやすが、政演はそうではないのですね。
さて、蔦重は世話になった戯作者や絵師、職人たちを集めて宴会を開いております。フグ汁まで出され、今で言うところの出版社の忘年会なんだそうで。
今、耕書堂で取り組んでいるのは、四方赤良の戯作ですが、

大田南畝(四方赤良)/国立国会図書館蔵
元木網の狂歌指南書『浜のきさご』も大好評なんだとか。
細見、往来物、富本本、全部好調だってよ!
しっかり仕事してるじゃねえか。
「屋台骨が揺らがず過ごせてるのは皆様のおかげ」と持ち上げる蔦重。
「富士より高き、ありがた山です♪」
ポーズ付きで言うところが愛嬌があると同時に、実に江戸っ子らしいんですぜ。江戸からも見える富士山は心の拠り所でえ。

葛飾北斎『富嶽三十六景 礫川雪ノ且』/wikipediaより引用
驚かされるのは、小泉忠五郎がしれっと参加しているところでしょうか。
西村屋の手先となって吉原細見を手掛けていたのに……蔦重の細見改(あらため)を引き受けるとは節操ないようにも見えますよね。
しかし二人とも笑顔ですし、「俺も助かったよ」と忠五郎も言っているってこたぁ、そういうことかねえ。
北尾一門では、おなじみの重政だけでなく、重美も仕事を割り当てたそうですぜ。政演の錦絵も感謝されています。
ただ、その政演は「こっちがよかった」と春町先生の青本『廓費字盡』(さとのばかむらむだじづくし)を見ています。絵より戯作がいいってことかね。

『廓費字盡』(東京都立中央図書館所蔵)出典:国書データベース(→link)
蔦重はおもしろそうにこう言います。
「お前でもそういうこと言うんだな」
遊んでばっかりのパリピ扱いされてっけど、地味に働いているとウダウダ言い出しました。
まあ、隣にはず〜っと女がしなだれかかっているのだろうと突っ込まれておりやすが。政演はそのモテモテ自慢も続けてますね。
このリア充自慢に対しては、ドラマ終盤に登場する曲亭馬琴が「爆発しろ」攻撃をするでしょうから、それまで堪えて見守りましょう……。
春町は突如立ち上がり、政演に向き合います。
悔しそうに春町の作品を褒める政演に、春町はこう言います。
「ではいつか、それのおっかぶせでも作ってくれ! 俺の書いた『廓』はきっと吉原の浅いところしか見てない。もっと深く、もっと穿った目で見たそなたの『費字盡』が俺は読みたい!……盗人呼ばわり、すまなかった!」
そう頭を下げますが、政演は無反応。あのときのことは全く覚えていないようで……蔦重も「だから言ったじゃないですか、誰も気にしてねえって」と言います。
かくして、珍しく文も絵も手がける作家同士が和解したのでした。
蔦重は源内の言葉を思い出しています。
「おめえさんはさ、これから版元として、書をもって世を耕し、この日の本をもっともっと豊かな国にすんだよ」
三味線の音が鳴り響き、次郎兵衛が登場します。だいぶ演奏の腕をあげてきてんじゃねえか。
「さぁさ皆様ご注目!」
すると、なんと褌姿の春町が二階から降りてきます。
「これよりお目にかけますのは、一世を風靡しかの名高きへっぴり芸、花咲男! 皆様にはせめて、年のしまいにお笑いいただきたく! いよぉ〜!」
なんてこったい!
源内先生の『放屁論』オマージュかよ!
「ぷぅ〜」と屁の音が響きます。
「これはいけんじゃねえか!」
大田南畝も大喜びだ!
思えばこいつら、みんな源内と屁で繋がってんだよな。
屁をこきつつ、三味線に合わせ、踊る春町。屁が出なくなると「プ」と声に出してなんとかしてます。
すると春町先生を中心にして、屁の踊りの輪ができあがってゆく。
今回は「プ!」「プップ〜!」「プ!」が掛け声だってよ。
烏帽子着る 人真似猿の尻笑い
赤恥歌の 腰も折り助!
そう狂歌を詠むと、狂名は「酒上不埒(さけのうえのふらち/酔ったうえに悪いことをするという意味か)」と発表します。
いや、もう、アホすぎねえか……。二週連続屁でフィニッシュなのかい?
あの男は田沼意次の跡取りだった
盛り上がる宴会をよそに、蔦重が店の外へ。
外は雪が舞う冬の夜です。
「三年か……」
そう呟きながら歩いていくと、店から出てきた男、花雲助に目がゆきます。
瞬時に、蔦重の脳裏に、田沼意次の屋敷で源内の獄死を告げてきた者の顔が浮かんできました。
「あの……以前、田沼様のお屋敷で、お会いしませんでしたか?」
そう声をかけ、二人は九郎助稲荷のもとへ。田沼意知はいつか思い出すのではないかと思っていたのだとか。
蔦重は、野暮なことと前置きしつつ、敵娼(あいかた)は誰かと探りを入れます。
「誰袖花魁だ。どうも顔が気に入られたようでな。どこがよいのやら、まったくわからぬが」
何言ってんだおめえさんよぉ。何がすごいって、宮沢氷魚さんは顔がいいだけでなく、江戸前の分意義があるってことすな。そりゃ誰袖も目をつけるわ。

歌川国貞『河原崎権十郎』/wikipediaより引用
しかし蔦重は気にしています。
誰袖の敵娼は土山宗次郎なので、いわば重婚状態。
土山とも話はつけているそうですが、上司と重婚状態の土山はどんな気持ちなんですかね。それに耐える誰袖もとんでもねえ女なんだけどよ。
蔦重は納得いったような、いかないような返事をしつつ、田沼屋敷の家老か何かか?と確認します。
「いや、跡取り息子だ」
「さよ……えっ! 田沼様の、ご子息……」
驚く蔦重に意知は続けます。
「実は我らは今、蝦夷地を上知(じょうち、幕府天領にすること)しようとしておる。蝦夷地を上知し、国を開き、鉱山を開き、幕府の御金蔵を立て直す。幕府を今以上に揺るぎなき中央の府とし、物の流れもより整え、諸国ももっと豊かな地に育て上げる。最期に源内殿も口にしておった試みだ。どうだ、そなたもひとつ、仲間に加わらぬか? 蔦屋重三郎」
何とも恐るべき提案がなされました。さぁ、どうなる?
MVP:恋川春町
人間らしい春町先生でした。
落ち込み、反省していたのは、自分でも暴言がひどいと自覚ができていたからでしょう。
合わせる顔がないモンだから拗ねてしまう。
そんな臍を曲げた彼のために、皆が励ます様にはあたたかいものがありました。

『吾妻曲狂歌文庫』に描かれた恋川春町(狂名・酒上不埒で記されている)/wikipediaより引用
喜三二も歌麿も優しいですね。
毒舌を逆手にとり、皮肉屋として再出発させたのはお見事です。
そうしてスッキリ新境地に突入して吹っ切れたのか。あのお堅い春町先生が放屁芸をしちまうなんて、思いもよらねえことでした。
みなさん、エビス顔で微笑んでいるわけじゃねえですか。
でも、それはこの大河を甘く見ていやしねえですかね?
皮肉屋の恋川春町というのは、果たしてよいことなのかどうか?
その皮肉の向かう矛先が、まずい方向へ行かなきゃいいんですけど……もしも、そうなったとき蔦重はどうするのか。
もうひとつ、歌麿のことです。
蔦重よりも優しく、傷ついた心に寄り添える歌麿。
そんな人情の機微を読み解く歌麿が、蔦重の心に何かよろしくないものを読みとったら、どうなってしまうのか?
オープニングが禍々しくなったこのドラマは、ありとあらゆるところに不穏な何かが仕込まれているんですぜ。
罠っていうのはね、何も切った張っただけじゃねえ。
心情がズレただけで、この世は地獄になりやす。
心して見ていこうぜ。
総評
毎回毎回「この珍品大河がよぉ!」と頭を抱えておりやす。
ニュースでも「歴史のしがらみから自由になった」というものと「難解なのに好評」という趣旨のものがあり、珍品としか言いようがねえ!と思うのです。
今年の大河は「堅苦しくないし、歴史ものという感じがしない!」なんて感想もありますが、歴史も歴史、しかもニッチな分野ということですね。
たとえば徳川 家康やら豊臣 秀吉に関していえば、書店なり図書館なりで関連書籍はすんなり見つかると思います。
しかし、今年はどういう状況でしょう?
吉原をテーマとした本を見つけるのにせよ、そこまで難しくないかもしれません。しかし、ここにきて「江戸のインテリジェンスが大事だな!」という話となると、まず本を探すことからして難易度があがる。そこをどうやってカバーすればよいのか。
当たり前と言えばそうなんですが、諜報活動の記録がまるっと綺麗に出てくるとも限りません。
ましてや民間人まで用いているとなると、その傾向は強まります。
当時のそうした事情がありますので、蔦重周りを諜報戦の舞台にするのはありっちゃありですね。難易度がむちゃくちゃあがっけどな!
吉原は特殊でセキュリティ意識はそれなりは高いということになっているわけですし、そうはいっても誰袖も意知も脇が甘すぎて、この先悪い予感しかしません。
史実を見ても、江戸中期あたりからの出版業者と情報網はわけがわかりません。
幕府も放置せず規制をしているわけですが、潜り抜けるスキルがあがりすぎて「あいつら調子に乗りすぎているし、お上を恐れる気配すらねえ!」という嘆きすら残されているぐらいなのです。
なので、どこからどう情報が漏れて、どんな出版網に乗っかって出回るか。割と好きにできますわな。
こうした情報戦の傾向は、今後ますます強まってゆきます。
松平定信は猜疑心旺盛でして、間者や目付(監視役)を大量に用いた人物でした。

松平定信/wikipediaより引用
おまけに一橋治済が、島津重豪や松前道廣と親しくして何か怪しい動きをしておりますので、もう混沌の極みになってしまう。
それだけでなく、ロシア交易や蝦夷地も出てくるので、実は近年大河ドラマ随一の難易度と言われても腑に落ちます。関連番組も多いんですよ。
『浮世絵EDO-LIFE』(大河放映前から放映、現在はコラボ企画が多い)
『芋ヅル式に学ぼうNHKラーニング』(今年は昨年に続きコラボ企画が多い)
『3ヶ月でマスターする江戸時代』(今月14日から28日にかけてEテレ再放送、テキストあり)
特に『3ヶ月でマスターする江戸時代』は重要ですぜ。
この豪華な講師陣の本を、大河の時代に近い順番に片っ端から読んでいけば、江戸時代のインテリジェンスも掴めまさぁ。
それがなぜ今年放映し、再放送をするのか掴めてきやしたぜ。最低限これを見ておけば、理解度がグッとあがるってことよ。
25年と27年大河予習のために必須。よくこんな素晴らしい番組を放送するモンだと思いますぜ。関連番組にこれがあるだけでも、今年の大河はてぇしたもんだよ。
つくづくしみじみと、実は江戸中期から後期に向かう時代って、重要だと感じてしまいます。
そりゃ「歴史総合」が導入されるのも腑に落ちます。
戦国時代と同じくらい、この時代に入れ込んで、それこそ隔年は無理でも10年に一度ぐらいの頻度で大河にしていれば、日本人の歴史認識ももっと違ったんじゃないかと思う次第。
2027年『逆賊の幕臣』は、幕末といえども幕臣目線なので、ある意味今年の続編になりそうではあります。
しかし民放時代劇がほぼ放映されなくなり、知識が尽きたことの弊害も感じる次第です。
今年の大河が背負っているモノはとてつもなく重く重要だ。
それなのに、屁だのなんだので軽やかに仕上げるところが、まさしく職人芸と言える。
今週も笑って楽しんで感動して、見終えたあと、ますます学ばないとならんと気を引き締めることになる。こんなことそうそうねえ体験っすよ。
大河ドラマはやっぱり唯一無二の魅力があるもんだな。
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【参考】
べらぼう/公式サイト





