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【『べらぼう』感想あらすじレビュー第22回小生、酒上不埒にて】
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誰袖の間者あそび
蔦重を呼び出したのは誰袖でした。
大文字屋に用件を確認すると、身請けのことしかないと推察されています。
「いや、勘弁してくだせえ……」
そう弱っている蔦重。初代より弱い二代目カボチャは、話相手になってくれと言うのです。なるほどな、もし先代が健在となりゃ、誰袖も危ねえこたしなかっただろうよ。
その毒を持つ花のような花魁は、蔦重の背中に迫り、要件を切り出します。
「兄さんが抜荷の証というのを立てるならどうしんす?」
「抜荷?」
蔦重が驚くと、あわてて口を塞ぐ誰袖。そして誤魔化します。
「ちょいと手すさびに青本を書いておりんして」
スラスラと嘘が出てくることはうまいにせよ、どこか詰めが甘い。ここで志げが差し紙が入ったと市兵衛に報告しています。
なんでも松前藩のご家老で、藩主の弟なのだとか。そこで格のある花魁を希望しているとのことです。
誰袖は目を見開き「思いつきんした!」と言い出します。
「それ、わっちが参りんす!」
そう軽やかに志げのもとへ向かう誰袖。なんだか嫌な予感がするぜ。出てくるたんびに禍々しくなってらぁ。

地獄太夫図/wikipediaより引用
松前廣年の登場です。
隣には誰袖花魁。凛然として近寄りがたかった瀬川の気品とは異なりますね。
無言で煙管を吸っていたのに、しなだれかかって、その煙管を廣年に勧めます。
驚く廣年。
「よいのか? 花魁が初会で口をきいて」
それも掟破りなのですが、誰袖はあまりに奔放です。意知が釘を刺していたような吉原の品格ってモンにあまりに無頓着なんですよ。
誰袖は「松前のご家老ならば別でありんす」と微笑み、常は松前にいるのかと尋ねます。
と、廣年は幼少期から江戸に出されてそのままずっとこちらにいるのだとか。
江戸時代であれば至極当然のことで、前回出てきた島津重豪もそうでした。

島津重豪/wikipediaより引用
松前藩士といえば新選組の永倉新八もおりますが、彼も江戸生まれの江戸育ち、アイデンティティはすっかり江戸っ子でした。

永倉新八/wikipediaより引用
そういう松前廣年のような御曹司となれば時間もあり、絵を学んでいるのだとか。
史実における彼の画号は蠣崎波響(かきざきはきょう)と言い、画家としての方が有名かもしれません。
彼の作品で最も目にする機会が多いジャンルは、「アイヌ絵」(かつては「蝦夷絵」)でしょう。
アイヌの風俗を描いたもので『夷酋列像(いしゅうれつぞう)』がよく知られています。

蠣崎波響の『夷酋列像』よりツキノエの図/wikipediaより引用
誰袖はニッコリと微笑みつつ、探りを入れます。
瀬川の笑みはそれだけでも珍しく、高嶺の花といった趣がありました。よく笑う誰袖は童女のようにあどけないようで、どこかへ引き摺り込むような魔性を感じさせます。
吉原にはよく来るのかと尋ねられると、廣年はこうきました。
「それが俺が使える金はさしてなくてなぁ。今日も出入りのあちらの年に一度のおごりでな」
「またまた……かように美しい石をおつけになっておられんすお方が」
釣り狐で座敷が盛り上がるなか、誰袖は廣年の手を執り、手首に巻かれた腕輪にそっと白い指を重ねます。
「これは……何という石でありんす? んふ」
どんな宝石よりも美しい、黒い瞳に覗き込まれ、廣年は妖狐に魅入られたような顔になってしまうのでした。

2003年に再建されたサンクトペテルブルク・エカテリーナ宮殿の「琥珀の間」/wikipediaより引用

月岡芳年『新形三十六怪撰』より「葛の葉きつね童子にわかるるの図」/wikipediaより引用
将軍家治も絵画を手がけたこの時代、クリエイターを目指す上級武士も出てきます。
その代表格が松前廣年であり、酒井抱一でした。
食べることに困らないうえに、次男以下で部屋住みともなると、モヤモヤを芸術活動で発散したくなる人物が出てくるということですね。
歌麿と喜三二、春町を励ましに向かう
蔦重が歌麿に、誰袖のことを話しています。
青本なんて書けるのか?と、やはり疑念であるようですが、歌麿は当然のように布団のあげおろしをして、隣同士で二人が寝ていることがわかりますね。
蔦重と歌麿が同居していたことは知ってはいたものの、それをここまで膨らませるとは凄い。なんてことはない場面でも感服させられます。
すると歌麿が「明日、出てきてもいい?」と確認してきます。
ちょっと緊張気味ですかね? 行き先を蔦重が確認しようとすると、歌麿は「まぁさんと挿絵の打ち合わせだ」と返してきます。
ここでまぁさんのラフスケッチが出てきますが、これまた江戸の出版を考える上で興味深いことでして。
江戸時代の、作家と挿絵のゴールデンコンビといやァ、曲亭馬琴と葛飾北斎でやんすね。

葛飾北斎(左)/wikipediaより引用と曲亭馬琴(右)/国立国会図書館蔵
『椿説弓張月』で成立したものの、『南総里見八犬伝』ではこのコンビは解散されていて、「惜しまれることだ」「なぜなのか」と言われています。
一説によれば、北斎が馬琴の指示を守らず好き勝手に描いて決裂したんだとか。
あるいは両者のギャラ高騰説もありますね。
二人の仲が悪かったかどうかは、はっきりしておりません。
『八犬伝』執筆時にも会って話していたという設定のもとで書かれた小説が山田風太郎『八犬伝』。
映画版では馬琴を役所広司さん、北斎を内野聖陽さんが演じており、非常に面白い作品でオススメです。
と、こうした出版の裏側が見えてくるのも、本作のよいところじゃねえですかねぇ。

葛飾北斎の挿絵が入った曲亭馬琴『椿説弓張月』( 大弓を引く源為朝)/wikipediaより引用
打ち合わせではいったい何を話すのか?
翌日、歌麿と喜三二が春町の家に来ております。歌麿が誘い、春町を気にしている喜三二が乗っかってきたようですね。
喜三二は春町が書いている不思議な文字を目にします。
二つの漢字を並べて一つの漢字にしたような不可解なものです。
そこへ春町がフラッと出てきた。
「調子はどうだい!」
喜三二がそう声を掛けても「何しにきたんです?」と塩対応ですぜ。
すると喜三二が、許しを得たい話があると言い出しました。
喜三二の新作は春町『無題記』のおっかぶせだから、許しを得にきたんだと。歌麿も春町風の絵をつけろと言われたので、断りを入れます。
「そんなもの勝手にすればよかろう」
歌麿はおずおずと、絵だけでもつけてもらえないかと言い出します。青本ファンとして、喜三二作、春町挿絵の新作を待ち望んでいると伝えるのです。しかし……。
「勝手にすればよい」
相変わらずの塩対応で、熱心なファンの言葉も届きません。
勝手に真似させてもらうと返す歌麿は、めげずに春町の前に座り込み、春町先生ならどんな絵にするかと聞き出そうとするのです。
「だから勝手にせよと……」
「そうはいきませんよ! 春町そっくり!……が蔦重の指図ですから」
「そなたも嫌にならぬのか? 蔦重の都合で人真似ばかりさせられ。もっと己の色を出した絵をとは思わぬのか?」
そう言われ、歌麿は暗い目になって言います。幼い頃の、母との出来事を思い出すのでした。
「己の内から出てくる色って……あまりいいものになる気もしねえんですよね。俺に限っちゃ」
「そういうお前さんはどうなんだよ。筆折っちまったら己の絵もへったくれもなくなっちまうだろ」
喜三二がそういうと、春町はこう返します。
「世はもう……俺のことなど求めておらぬではないか。“盗人”などと言ったが、あれは負け惜しみだ。『御存(ごぞんじ)』は『辞闘戦(ことばたたかい)』の百倍面白い。政演に比べると俺は絵は下手だし、書き入れも重い。あれを読んだ時、引導を渡された気がしたんだ」
そこで喜三二は『無題記』だって書けたと励ますのですが、あれは「案思(あんじ/プロット)」のおかげだといい、政演が手掛けたら倍も面白くなっただろうと拗ねたままです。
「春町先生の絵が好きなんすよ」
歌麿がストレートに言い切りました。どこか童の絵のような味が残っていて、うまい下手でなく、好きなんだと。
喜三二も同意し、みんな春町のやることが好きなんだ、面白えから真似したがるとに励まします。
「な? 鶴屋さんだって、政演だって、だからこそおっかぶせたんだと思うよ。筆を折るなんて言うなよ。俺ゃ寂しくてなんねえんだよ」
「わかります! 何か寂しいんですよ、正月の新作の中に“恋川春町”の名が見えねえと!」
そう言い、『御存』には地口の化け物が出てこねえと訴える歌麿。喜三二もあれが寂しいと同意する。
あいつらがよかったのに、「小刀」や「天井見たかのしかめっ面」が好きだとキャラ語りを始めます。
「俺のような辛気臭い男がいてよいのか……明るく戯けることこそ上々な笑いの場に……」
そう絞り出す春町先生。

『吾妻曲狂歌文庫』に描かれた恋川春町/wikipediaより引用
コミュニケーションが苦手だったんですね。そんな春町を、喜三二と歌麿は優しく見守っています。
あのきつい態度は焦りと表裏一体である――そのことがわかりました。
素晴らしい名場面ですが、ちっと気になるっちゃそうですよ。
蔦重について曲亭馬琴は「教養は不足しているが、ともかく人柄がいい」とコミュ力を褒めており、ドラマでもそういう性格ですよね。
しかし、今回の春町先生のリカバリについては歌麿がフォローに回っている。
蔦重、何か鈍っていないか?とも思っちまいます。
そしてもうひとつ、歌麿のデビュー戦略ですね。技量は申し分ない。あとは心の傷を癒す過程が重要になりそうです。
皮肉屋の恋川春町でいこう
蔦重が耕書堂で朱楽菅江はじめ狂歌師たちと話しています。
朱楽菅江も春町の断筆宣言には驚いているようで、元木網が「あの会のせいじゃないか?」と笑い飛ばします。

元木網/国立国会図書館蔵
蔦重が気にしすぎだと同調すると、大田南畝は苦い口調で「あの暴言狂歌が忘れられない」と付け加えます。
怒っているのではなく、あの毒舌、皮肉屋ぶりが意外で忘れられないんだそうです。
それまでの作品から皮肉屋の面は伺えなかったのに、あまりにキレキレだったため印象に残ったんですね。
すると蔦重が何か閃いたようですぜ。
蔦重の脳内に、熊吉と八五郎が、皮肉屋春町の青本を話題にする場面が出てきました。
「そうきたか! 皮肉屋の恋川春町! そりゃそうきたか、って話ですよ」
目をキラキラさせながら語る蔦重。
この場面は教科書だったらラインを引っ張りてえくらい、画期的なところだと思いやすぜ。吉凶混合運っちゃそうだけども。
するとそこへ春町と喜三二、歌麿がやってきました。
気を利かせたのか、狂歌師たちは帰ると言ってすれ違いで出てきます。歌会もあるようですぜ。
蔦重は折れた筆を春町に見せながら「皮肉屋の春町」路線を提案しました。
喜三二がきょとんとしていると、南畝が指摘した物事を皮肉る才を蔦重は指摘。
蔦重は自分から思いつくというよりも、何かの刺激を受けて発展させて結びつけるタイプなんですね。
北尾政演の戯作者としてのポテンシャルは鶴屋が引き出しましたからね。
春町は「皮肉かどうかはよくわからんのだが」と書き付けを出してきます。己を見つめ直して書いたんだってよ。
「恋を失う」と書いて「みれん」と読むといった、漢字を作っていたそうです。
川+失=枯れる
春+失=はずす
町+失=不人気
「恋川春町とはそういう男だ」
そう言い切る春町。
蔦重は多数の「屁」に囲まれた「屍」という紙の意味を尋ねます。
「一人……」
あの屁の舞の中で、春町先生はそんなに寂しかったんですか。蔦重は大笑いしながら、どうやったらこんなおもしれぇこと思いつくのか!と喜んでいます。
春町は、このような作り文字の体裁でやってはどうかと提案してきます。
春つばき 夏はえのきに 秋ひさぎ 冬はひらぎに 同じくはきり……
『小野篁歌字尽』という往来物の一種のようにするとのこと。
同じ部首を持つ漢字を並べ、それを調子良く覚えられるようにしたものだそうです。

『小野篁歌字尽』(東京書籍株式会社付設教科書図書館東書文庫所蔵)/出典: 国書データベース(→link)
そこで蔦重は、吉原を舞台にしたパロディを作ってはどうか?と提案。
吉原がらみのあるあるネタを、毒の利いた春町文字にするんだってよ。
門+絵本=大門の本屋である蔦屋
門+前+本+問屋=ほんとんや、調子がよくてほんといやっ!
この調子で作るんだってよ。
ちなみにこの企画をなす上で、重要な技術があることにお気づきになりましたか?
それは木版印刷でやんす。
活版印刷は文字数の多い漢字圏では向いておらず、普及までに長い時間がかかりました。
かわりにレイアウトの自由がきく木版印刷が主流となります。
挿絵入りで自由度の高い本が出版されたのも、木版印刷があればこそとなります。
春町文字は現在のように限られたフォントを使う時代となると、まず出てこない発想でしょう。今なら絵文字に通じる発想かもしれませんね。
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