安永6年(1777年)秋――朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)が煙管を燻らせながら、蔦屋重三郎と打ち合わせをしています。
吉原を国に見立てると喜三二がいえば、女郎屋を「郡」にすると蔦重が返し。
松葉郡には瀬川という美しい川が流れていると喜三二が続ける。

朋誠堂喜三二(平沢常富)/wikipediaより引用450
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道陀楼麻阿(どうだろうまあ)先生の新刊に乞うご期待
その具合だと喜ぶ蔦重。
すると次郎兵衛がやって来て、若松郡にはのぞくと怖い鶴の井という井戸があると言い出します。
笑い転げる喜三二と蔦重。
次郎兵衛は江戸っ子センスど真ん中を知っているので、彼のフィードバックがあれば百人力なんでさ。
ここでもポッピンを咥えていて流行に敏感だとわかりますね。

『ポッピンを吹く娘』喜多川歌麿/wikipediaより引用
喜三二はどうせなら『日本書紀』で遊んじゃおう!と言い出しました。
教養あるねぇ。そしてその教養をバカみたいな使い方するねぇ。江戸だねぇ。
思えば『光る君へ』の平安貴族は、秀才の藤原公任や藤原実資はじめ、理論を通す時や漢詩や和歌のために教養を用いていました。
江戸中期は、武士が教養の担い手です。
江戸では彼らがエンタメを通して教養を噛み砕き、読ませることで町人層にも落ちてゆく。
金のトリクルダウン理論は眉唾もんですけど、教養のトリクルダウンてえのはあると思うんすよ。ここ、重要な!
かくして「道陀楼麻阿」(どうだろうまあ)こと朋誠堂喜三二。本名・平沢常富と共に蔦重は吉原案内本の構成を練り上げていくのでした。
うつせみの身代金にエレキテルを
すると喜三二が、ふと思い出したかのように「例の足抜けの件」について蔦重に尋ねます。
俄に紛れて消えていったうつせみと新之助はどうなったのか?
場面変わって、平賀源内の家に松葉屋の女将いねが乗り込んでいました。
女郎をどこにやったのか?と問い詰めるいね。
んなもん知らねぇ!とシラを切る源内。
まぁ、源内も仕事のデキる新さんがいなくなってつれぇですね。
いねは源内の前で仁王立ちになると、即座にエレキテルを持ち上げ、ついてきた若い衆に渡してしまいます。身代金ということで、うつせみが捕まったら返すんだってよ。

平賀源内作とされるエレキテル(複製)/wikipediaより引用
ったく、眉を剃り落とした彼女の迫力よ。眉を落とした美人画はそう多くはないものの、そういう絵を連想させまさ。
実はこの現場には蔦重も同行していて、源内にこっそり新之助の居場所を聞くと「知ったか尻クソだぁ そんなもん!」だそうです。
二人がどうにも見つからないから、松葉屋にしても「神隠し」にあったことにすると言い出されたと次郎兵衛は喜三二に告げる。
それに対して、ややあってから同意する蔦重。
鋭い喜三二は即座に「間があったね!」と指摘しますが、蔦重は本当に何も知らないようでして。
「知ったか尻クソでさそんなもん!」
なおも不信そうな喜三二に対してそう言い切っていると、留四郎が入ってきます。
「どうやら捕まったみたいですよ!」
「新さんが?」
「鱗の旦那が」
おっと、なんてこったい。青本がどっさどっさと売れている割には何だか苦しそうな様子だったけど、一体何をしたってんだ?
聞けば、罪状は偽板だったそうで、しかも同じ版元、前と同じ本だそうです。
性懲りもなく同じ犯行を繰り返すとは……これは庇い立てできない状況ですね。
鱗形屋が捕まった
忘八親父どもは俄(にわか)の楽しさが忘れられぬようで、大文字屋と若木屋を中心にしてまた踊ってはしゃいでいます。和解成立だねえ。

明月余情/国立国会図書館蔵
これがこのドラマの本当によいところなのですが、江戸の挿絵にあるちょっと間の抜けた場面がそのまま再現されているんですね。
こういう呑気な人々が昔の江戸にいたのかと思うと、とてつもなく愛おしい。
蔦重が若木屋に、どうしてうちの『細見』を入れてくれるのか?と尋ねると、なんでも曰く付きの『細見』だと客が嫌がるんだとか。
鱗形屋の不幸は蔦重の幸運ときた。
駿河屋は「ここで乗り換えても角が立たなくなった」とまとめます。
なるほど、商品のクオリティとしては蔦重版の方がよい点も多い。薄い『細見』の需要はずっとあった。
それでも蔦重は慣習やら格式のせいで勝てない。敵が足を掬われたことで勝てるようになったというわけで、なんだかモヤモヤしますな。
かくして処罰を受けた鱗形屋は、実行犯の手代・徳兵衛が江戸十里四方から追放されることとなりました。
監督不行届として年が明けても店は開けられません。おまけに罰金は20貫文。踏んだり蹴ったりですな。
地本問屋の西村屋も鶴屋も、曰く付きで売れないものだから、青本をあまり仕入れられないようで、詫びております。
扱ってもらうだけで地獄に仏だと鱗形屋。
鶴屋も、青本の出来は頗るよい、地道に売るしかないと残念そうです。
これもねぇ。吉原の親父殿の前で、鶴屋は鱗形屋を盛り立てるために耕書堂を認めないと大見得切っちまったわけですよ。んで、階段落としと出禁までやられた。
その担ぎ上げた神輿の鱗形屋がこうもケチがついたんじゃァ、いろいろみっともねえ話ではあるんだよな。
だからといって水に落ちた犬を打つようなこたぁしたくもねえだろうしよ。
西村屋は『細見』は難しいと付け加えます。

初代西村屋与八/wikipediaより引用
鱗の旦那には、この商いしかない
「帰(けえ)れよ、疫病神! お前なんて死んでしまえ!」
三人が暗い顔をしていると、部屋の外から子どもの叫び声が聞こえてきました。万次郎です。蔦重にくってかかり、藤八に止められている。
万次郎と蔦重が同時に出てくるとゾクゾクすらぁ。
家が苦しいことと年齢やその聡明さを踏まえれば、万次郎は他家へ奉公に出されていてもおかしくないと思うんです。それなのにこうも目立つってぇなァ、因縁よな。
すると鱗形屋が駆けつけてきて、万次郎を奥に連れて行かせます。
蔦重が丁寧に一礼すると、鱗形屋はこうきました。
「ああ……これはこれは、蔦屋の旦那様。何か御用か九日十日」
「『細見』500冊、買わせてもらえねえかと思いまして」
「フッ、哀れな本屋に施しにございますか。だったら、店、畳んでくれませんか。そろそろ返(けえ)してくんねえですか。うちから盗んだ商いを!」
そうゆっくりと立ち上がりつつ、すごむ鱗形屋。
鱗形屋の声は低く、怒鳴るわけでもなく、しかも江戸っ子らしい巻き舌で凄みます。これは万次郎もそうなのですが、巻き舌が素晴らしい。これぞ江戸ですよ。
蔦重が「それはできない」と答えると、鱗形屋はますます憤ります。
「なんで、できねえんだよ。てめえは本屋じゃなくていいだろうが、あんな立派な茶屋があんだからよ! 俺にはこれしかねえんだよ、この商いしかねえんだよ! ええ!? 吉原もんはよ、女だけ売ってりゃそれでいいだろうが!」
そう突き飛ばし、頭を下げる蔦重の前から去ってく鱗形屋。

画像はイメージです(地本問屋の様子/国立国会図書館蔵)
吉原者の特権――今回はそんな構図が見えてきます。
弱い、差別されるはずの側だけれども、見方を変えればそれが特権にも見える――それが今回を貫くテーマですね。
鱗形屋の言い分にしても実に江戸らしいものでして、当時は世襲制度で家を継いでいきます。
「本屋が駄目なら魚屋にでもなるか!」なんてことは、そうおいそれとはできないのです。
蔦重は本屋が駄目ならいつでも吉原の茶屋に戻れる。しかし鱗形屋はそうはいかない。切実な悩みです。ただの僻みや嫉妬とも違うのですね。
だからこそ、蔦重も辛い。
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