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【『べらぼう』感想あらすじレビュー第13回お江戸揺るがす座頭金】
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本は人にツキをもたらす
蔦重が街を歩いていくと、大文字屋が声をかけてきます。
なんでも神田に空いた屋敷があるそうで、借金で首が回らなくなった人が手放したものだそうです。
やっぱり江戸市中、経済がどうにもおかしい。んで、そういう時代は吉原が有利なこともあるんですね。
蔦重が向かう先は源内の家でした。
弥七という飲み込みが早く器用な男が、新之助の後釜に据えられたようです。
エレキテルもなかなか売れているようで、源内はしょうもねえことを言い出します。
「エレキテル、ウレテ〜ル! ウレテ〜ル! ゲンナイツイテ〜ル、オオバンコバンワイテデ〜ル! テンカイチオモイシ〜ル!」
調子こきすぎてねえか……。

平賀源内/wikipediaより引用
それを受けて蔦重は、皆がつきまくるようになれねえか?と言い出します。
誰かのつまずきの上のツキが成り立ってくるのは性に合わない。鱗の旦那のツキを奪ったと悔やんでいるのです。
源内はそれが申し訳ないなら、世の人をつきまくらせりゃいいと言い出します。できるわけねえ、お稲荷さんじゃあるめえしとこぼす蔦重。
「何言ってんだい。本ってなぁ、人を笑わせたり、泣かせたりできるじゃねえか」
源内はそう勇気づけます。そんな一冊に出会えたら、今日はツイていたと思える。本屋とは随分と人にツキを与えられる商いだと源内は語ります。
蔦重だって、本が運んでくれる幸せのことは十分わかっています。
幼い彼に朝顔が教えてくれました。
それにこれをドラマの中で言われると、作り手もそこを承知なのかと思えて、なんとも清々しいものがありますね。
所詮女郎と客なのか?
朝顔から、幼い頃に本の喜びを押しられたのは彼一人ではありません。
瀬以もそうでした。
そんな彼女に、鳥山検校はたくさんの本を送ります。
書庫を見せられ驚く瀬以。退屈する暇がなさそうだと彼女ははしゃいでいます。
それからあわてて「旦那様がおられぬ時のことにございます」と付け加えると、検校は「もっとそなたといることにしよう」と返します。それでは本を読む暇もなくなると笑う瀬以。
思えばこの二人をより強く結びつけたのも、本でした。
初めて花魁と会うしきたりを破り、本を音読したのが瀬川でした。

本を読む瀬川『青楼美人合姿鏡』/国立国会図書館蔵
検校は、本の話をして笑う妻の声を聞き、吉原から来客が来た時のことを思い出しています。あのときのような明るい弾むような笑い声を、妻は夫の前では立てません。
それを思い出したのか。妻の手をとり、こう言います。
「そなたは吉原に戻りたいのか?」
「まさか! そんな女子(おなご)がどこにおりましょう!」
「ではなぜ吉原の者たちとおる時のように声が弾まぬ? なぜじゃ……わしはそなたが望むことを全て叶えておるではないか」
「……吉原の者と話す声が弾んでおるとすれば、親兄弟に似た親しみがあるからかと。それは旦那様を押したいする気持ちとは別のものにございます」
妻の頬を手で挟み、検校は言います。
「所詮わしは客ということか? どこまで行こうと女郎と客……そういうことだな」
怯えたようにこう返す瀬以。
「旦那様、それは違います!」
「もうよい、嘘ばかりの女郎声など聞きとうない!」
そう言いながら倒れてしまう検校。よろめきつつ本棚に手をついて立ち上がり「お内儀様は当分ここで過ごされる」と告げ、鍵をかけて閉じ込めてしまいます。
そして検校は妻の私物を調べさせました。
文はない。しかし、吉原から大量の本を持ち込んでいる。古い赤本に、蔦重が手がけた本の数々があります。
検校は蔦重のことを思い出しながら「蔦屋重三郎が関わったものか?」と確認します。
嗚呼、思えば『光る君へ』と今年、二年連続で作品を通して愛が育まれ、そしてそれがこうも苦い形になるとは。
『光る君へ』のまひろは、籠から飛び立つ鳥でした。
一方でこの瀬以は吉原という籠から出られても、別の籠に入れられたうえに、弾む声を失ってしまいました。愛くるしい鳥の声に惚れ込み、それを慰めに生きたいと願っていた鳥山検校は、そのことが許せるわけもなく……。
座頭金はまさに悪逆無道
田沼意次は座頭金に手出しした者の一覧を見ながら、検校の蓄財に驚いていおります。
まともな稼ぎ方ではない。無法の証だと確信を得ています。
今はもう死語となった「盲滅法」という言葉があります。
目の見えない人が滅茶苦茶に振り回すような様を指しますが、この言葉には「法」が入る。法が滅んだかのようだというニュアンスがあります。
これには「座頭金が無法そのものの貸付と取り立てをしていた」という意味が含まれているのだとか。
問題はカネだけで済まないことで、その先には「家督の乗っ取り」まである。
これはさすがに由々しき事態。借金のかたにその家の嫡子を出家させ、代わりに別人を送り込み、跡を継がせるのだとか。
いわば旗本御家人の「売官」であり、それが横行しているのだとか。
意次は、西の丸の様子も尋ねます。長谷川の調べがあがってきています。
その長谷川がちょうど入ってきました。急ぎ耳に入れたいことがあるとかで、聞けばなんと小姓組の森が蓄電したそうです。
「なんと、あの森殿が!」
そう驚く意致。森殿と言えば、古参の真面目で名高い小姓で、西の丸様(家基)も気に入っているそうです。
それが数日登城せず、屋敷を見に行ったら無人だったとか。磯八と仙太が目をつけたあの屋敷ですね。
意次は松本秀持に命じると、秀持は平蔵ともども森捜索へ向かいます。
意知がここでその成り行きを尋ねると、意次は「使えるな」と手応えを感じていました。
弱き者を救うことが、上様の役目ではないのか
10代将軍・徳川家治の前に、松平武元をともない、息子の徳川家基がやって来ています。
意次の存在に気づいた家基は「なぜいるのか」と聞いてくる。家治は「彼が進言したいのだ」と告げます。

徳川家基/wikipediaより引用
意次は一礼をすると、剃髪した森と、その嫡子を呼び出しました。
父子揃って坊主頭の風体に驚く家基。
なぜそんなことになったのか? 森忠右衛門は顛末を語り出します。
地獄の始まりは座頭金と聞き、呆気に取られる家基。
事の発端は、息子の御番入りを願ったことでした。名誉だけでなく、禄が増える役職です。
森は20年間も小姓を務め、息子は育ち、部屋住みのまま妻子を持つ身となりました。
それなのに森自身は番替えもない。禄も変わらない。そこで収入を増やすために御番入りを考えたのだとか。
そうなると必要なのは賄(まいない)であり、その費用捻出のため座頭に借りたのが運の尽き。
大金でも御番入りが叶えば返せると思ったのに、それが叶わない。見込みは狂うわ、証文をみれば支払い期日が扶持米をいただく前、要するに給料日前でした。
返済はできない。借金は膨れ上がる。家財は売り払う。家人には暇(いとま)を出す。
倹約に倹約を重ねてきたけれども、それも限界に達したのです。
もはや食うものも食えず。あろうことか進物を盗み出そうとすらしました。田沼意致が責められた窃盗騒ぎですな。森は取り繕ったものの、そもそもが彼が盗んだものでした。
武士の誇りすら保てなくなり、家督を譲れと座頭に脅され、森はもはやこれまでと腹を切ろうとします。
そこを嫡子に止められました。
「もう家などよいではないですか!」
武士にこんなことを叫ばせるとは、なんという残酷さなのか……。
かくして家より命を選び、一家は逐電、剃髪出家したという話でした。
ここで意次は「森は遊興とは無縁、日頃から質素倹約に努めてきた」と庇います。長谷川平蔵とは違いますね。それでもここまで追い詰められるというのが、彼の主張の骨子ですな。
意次はさらに、西の丸で座頭金に手出しした者たちの一覧を差し出してきます。それを受け取り愕然とする家基。
「恐れながら、将軍家は、己の旗本すら養えておらぬのでございます」
恭しくそう語る意次と、蔦重が重なって見えてきます。
蔦重は、吉原はせめて女郎を養うべきだと主張していました。吉原も、将軍家も、養うべき者を取りこぼしてしまっている点では同じなのやもしれません。
「黙れ主殿!」
そう重々しく武元はたしなめますが、意次はさらに続けます。
「徳川家四百万石。されど米の値は下がるばかり。今のままのやり方で旗本八万騎を養うのは、土台無理な話!」
武元は止めようとするも、家治はじっと意次の訴えを聞いています。
武元は「上様方の耳に入れるな!」と言いますが、意次は「是非知っておいていただきたい」と一歩も引かない。
上に立つお方だからこそ、まことの姿をご理解していただかねばならない、この国の行き方を決めるのは上様なのだと。
わかるぜ! 言いてぇこたぁわかる。
こういう思いを江戸っ子だって抱いていたからこその『目黒のさんま』なんかだろ。えれぇ殿様は、民の実情を知らねえってことさね。
それに江戸中期ともなれば、旗本御家人や小藩は困窮してどうしようもなくなります。
大きな藩はマンパワーがあるので、特産品開発にはげむこともできる。
しかし、これも規模がある程度なければできない。倹約か、内職か、はたまた犯罪か。そういうどん詰まりになります。
ブラックバイトが世を騒がせておりますね。啓発にも限界があり、お金がなければ人は悪事に流されますから、今の世の中に通じるものがありますわな。
意次は「お考えいただきたいことがある」と告げます。
高利貸しを行う検校たちを一斉に取り締まるべき――。
検校の蓄財は凄まじいものがあり、なんでも名護屋検校は家財の他に有り金200両、貸金はなんと10万3千両余り。
こうも具体例をあげられたとき、お堅い奴はどうするか? 武元はわななきつつ、それでも意次に凄んでみせます。
「盲を厚く遇するは、神君家康様のご意向! うぬは何様のつもりじゃ!」
「私はただ、徳川の世を守りたいだけにござります! 神君家康公のお教えは従い、弱き盲は保護いたしましょう。されど、不法かつ巧妙な手口で蓄財を成し得た検校たちはもはや弱き者にあらず! 今や、真に徳川が守らなければならぬ弱き者は、どこのどなたにございましょうや」
いきおい武元は黙りこむしかない。
すると家治が口を開きました。

徳川家治/wikipediaより引用
「余は、徳川家臣および検校から金を借りておる民草を救うべきと考える。そなたは、どうじゃ?」
爪を噛み締め、家基は俯いています。
これはすごい。すさまじい問題提起です。日本の当道座の金貸しはかなり特殊な制度です。
連想したのは、ユダヤ人のこと。
キリスト教国ではユダヤ人は異教徒として職業選択が狭められ、賎業とされる金融業につくことがしばしばありました。賤しいとされても、実利はあるわけです。
その姿が憎らしく思われるせいか、シェイクスピア『ヴェニスの商人』のシャイロックのように悪役扱いをされることがあります。
実際のユダヤ人は豊かなわけでもなく、金融業で成功するものはほんの一握り。
それでも特権があるとみなされ、差別の根拠のひとつとされてしまいます。金融業が許されることで、差別の根が深くなる構図があるのです。
第二次世界大戦におけるナチスドイツのホロコーストにおいて、ユダヤ人は人類史上最悪といえる惨禍に苦しめられました。
この悲劇をうけ、ユダヤ人差別は明白に悪であり、間違っているという認識が戦後に根付いたわけです。
しかし、差別は悪としても、それをどう捉えるか。そこが難しい。
ヨーロッパでの差別に苦しんだユダヤ人は、新天地を目指すこともありました。
その行き先として選ばれたのが北アメリカ大陸と、イスラエルです。アメリカではユダヤ人は多く根付き、商業的に成功した資産家は政治家にも多額の献金を行い、政財の結びつきを確たるものとします。
となると、こうしたユダヤ系資産家や企業に政治は逆らうことができず、イスラエルのパレスチナに対する攻撃を正当化することとなるわけでして。
ユダヤ人差別は悪い。その歴史は実に悲劇的でもある。ホロコーストの悲劇を教訓とし、ユダヤ人差別には断固反対いたしましょう。
されど、巧妙な手口で蓄財を成し得て、政治に口を挟むユダヤ系資産家、シオニストはもはや弱き者にあらず! 今や、真に正義が守らなければならぬ弱き者は、どこのどなたにございましょうや? こう言えると思いました。
世の仕組みとは実に複雑なのでござる。強弱とは政治が決めるものなのでござる。そう痛感させられたのです。ほんと学びのあるドラマよな。
ユダヤ人差別との関連性をもう少し続けましょう。
江戸時代の盲人特権を描くことは、実に難しいと思える。吉原に続けてこういうことを入れるとなると、ともかく今年の大河は貶してこそ真っ当な良識人だとなりそうではありますよね。
でも、それではいけない。
『ヴェニスの商人』は差別的だから上演されないかというと、そうではありません。
ユダヤ人差別や境遇を考えるうえでの材料ともされ、注釈をつけるようにして封じられることはないのです。
黒人奴隷に差別的である『風と共に去りぬ』のような作品もそうです。
日本はどうもクレームを避けることばかりを重んじて、揉めそうなものは触れないことが正しいとされます。
それこそ『べらぼう』は打ち切りを求める署名すらありますよね。
それではいけない。差別とは何か?という根本問題を考えられなくなります。
今年の大河はそこに踏み込む覚悟がある。そういう志こそ、侠だと私は呼びたい。
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