蔦屋重三郎の依頼を受け、喜多川歌麿が吉原女郎の大首絵を描いています。
「間夫(まぶ)を待って歌を詠んでいるように」
と、具体的な注文を出す歌麿。
理想化された様式美の中にいる美女から、生々しい恋心を抱く美女へ――浮世絵の歴史が変わってゆきます。
女郎たちも、歌麿先生は美人に描いてくださると嬉しそう。
一方で蔦重は、「花魁がどこか地味になった」と話しかけておりました。

『雛形若菜の初模様 松葉屋瀬川・さゝの・竹の』鳥居清長画/wikipediaより引用
地味になった吉原に咲く花
蔦重を前に、忘八親父たちがぼやいています。
昔のように着物を作ってくれるお大尽はもういない。呼出ですらそう。身請けの上限も五百両になった。見栄を張り合う客もいない。何もかも倹約倹約。
これじゃただの岡場所だとりつが嘆きます。
これはただの商売の話なのでしょうか?
序盤では、吉原は将軍様公認ということが何度も言われておりました。
それが「ただの岡場所と変わらなくなった」ということは、将軍様の権威が低下している兆しがあると言えなくもない。
浮世絵にせよ、歌舞伎にせよ、そういうところはあります。
狩野派の絵や能楽など、将軍の権威が背後にあるものよりも、そうでないものが上になってゆく。そんな社会変化の兆しも見てとれるのではないでしょうか。
蔦重が「呼出は別格と触れ回らなければいけねえ」と気合いを入れ直すのは、吉原育ちの人間ならばそう発想するだろうという話で、果たして世の流れに合っているのかどうか。
続く扇屋の言葉も象徴的です。
「てっぺんを持ち直さねえことにゃ、下を引き上げることもできねえ。沈んでいくばっかりでよ」
これも吉原だけに当てはまることなのかどうか。
そして、ここで補足でも。
忘八たちが話題にしている問題とは「倹約思考は人の心根まで変えちまう」ってことでもありまさぁね。
蔦重世代は吉原往年の輝きを知っておりやす。しかし、その下の世代からすれば、瀬川の花魁道中の煌めきも「古臭ェなァ」となりかねない。
思えば『べらぼう』初回の段階で、吉原の型式ばったところが飽きられかけていたものです。
となりゃ、そんなもんがないサッパリした岡場所をはなから目指すようになっても不思議はないでしょう。
吉原のゴージャスな女らしさとは違い、サッパリしたボーイッシュな雰囲気で人気を集める岡場所もできてゆきます。
代表格が深川の辰巳芸者です。
今でこそ和装女性が羽織をつけても問題はありません。しかし、本来羽織とは「陣羽織」由来とされ、本来は男性のみが身につけるものでした。それを女だてらに颯爽と着こなし始めたのが、この辰巳芸者とされておりやす。
そしてこの深川芸者の美人画も、歌麿が手がけておりまして。頭の隅にチラッとでも入れておくと良さそうです。

辰巳芸者を描いた喜多川歌麿『深川の雪』/wikipediaより引用
蔦重、己の人生の意義を振り返る
蔦重は歌麿のもとへ向かいます。
彼も吉原の苦境は聞いている。なんせ、いま流行するのは河岸ばかり。
河岸見世、岸見世、鉄砲見世……要するにお歯黒どぶ沿いの最下層ということであり、この「鉄砲」とは「当たると死ぬ」という意味で、梅毒の隠語でもあります。
抱いたら梅毒罹患の可能性も高いという底辺女郎のいる場所とも解釈できます。

「鉄砲女郎」を描いた『北国五色墨 てっぽう』喜多川歌麿画/wikipediaより引用
「俺がやってきたことは一体なんなんだろうなぁ……」
そうぼやく蔦重ですが、なかなか危険な兆候に思えます。
本作の蔦重は、作劇上の都合もあり、田沼意次や平賀源内と知り合っていました。
ああした大粒の、世を変えかねない星の煌めきを知ってしまうと、自分もそこに並べるはずだという自信がつきます。それがうまくいけばよいのですが、間違えると呪縛となりかねません。
蔦重が呼ばれて立ち上がってゆく一方、歌麿は遣手の女のつぶやきを聞きます。
歌麿の三つ目は恋心を見るが、蔦重は気付かない
「うちの人も昔はあんなふうでさ。いい男だったのに……」
歌麿の「三つ目」は女の散った花のような恋心を見つめています。
かつては咲き誇っていて今はかすかに残るだけだけれども、そこには美しい花びらの断片が残っていました。
女を眺める歌麿と、蔦重の目線が異なります。歌麿には何かが見えているのでしょう。
場面が変わり、難波屋で蔦重と歌麿が打ち合わせしています。店の主人によると、看板娘のお茶も今は一杯四文に戻したとか。
歌麿は盆を手にしてつぶやく給仕女に気づきました。
茶柱が立っていない。来ないかな、来ないかしら……そう気を揉んでいる彼女の目線の先に、若侍がとまりました。侍を見た給仕娘は、花がほころぶように微笑む。つられて歌麿にも笑みが浮かびます。
蔦重と難波屋は、歌麿の目当てか?と勘違いしているようです。
このあと蔦重は、おていさんになんとも残酷な推察を語っています。なんでも歌麿が新しいおきよさんを探していると思っているのだとか。
歌麿の三つ目が恋心そのものを捉えて、まるでそっと蛍を手のひらに閉じ込めるように追う様が、女の尻を追い回しているように思われているわけです。なんてこってえ!
なにせ蔦重は、身重の妻と子が気になって仕方ない。男か女か? そして名前を何にするか熱心に考えているようですよ。ていが「つよ吉」を提案すると、「強蔵」じみていると蔦重は返しておりやすが。
ていが、蔦重の幼名にしたらどうか?と提案します。
蔦重は昔店にいたガキに「柯理」(からまる)とつけたと言い出します。唐丸、つまりは歌麿のことですね。それで、てめえの名をてめえで呼ぶのは落ち着かないと思ったのだとか。
やはり蔦重にとって歌麿は、もう一人の自分のようなところがある。それでも随分と違ってきてしまったのですが。
蔦重は、もう二十年前かと遠い目になっています。
その歌麿が、蔦重から離れていく覚悟を決めたことに全く気づいていません。
歌麿は、最後の依頼を黙々とこなしてゆくのでした。
松平定信は大老になれるのか?
松平定信が、11代将軍・徳川家斉に江戸近辺の海防計画を見せています。
しかし家斉は、定信の計画を遮り、父から定信に頼ることをやめるように言われていると明かす。
そろそろ自分で政治をしろ……と言われても家斉に難しいことはわからない。政治に興味もないとのことで、このさき定信が将軍補佐を外れても、ずっと永続的に補佐をし続ける仕組みが欲しいのだそうです。
これは何も個人の能力的な限界だけでもなく、この頃から幕府は内憂外患が積もりに積もってゆく状態ですので、仕方ないところではあります。家斉が現実逃避して無責任であることは確かなのですが。

徳川家斉/wikipediaより引用
このあと定信は徳川宗睦に、将軍補佐の後もその役目を続けられないかどうか相談しています。
そこで考えたのが「大老」就任です。
大老は、井伊・酒井・土井・堀田の四家からしか出せないしきたりがある。そこで定信は過去を調べ、柳沢吉保が大老「格」になった前例を持ち出し、その上で宗睦の後押しを依頼します。
ただ、ここで上様が暗にそれを望んでいると想定するのは危険でしょう。宗睦も訝しみ、上様は定信を煙たがっているはずでは?と返してきます。
しかし定信の推察では、オロシャの脅威を目にして、定信が必要になったと変わったとのこと。どこか純情なこの思い。危機に際して人は改心すると考えたいのかもしれません。
問題は、家斉がその国防計画すらろくに目を通していないと思われることですね。
定信は人の感情に寄り添えないという欠点があります。
己がなまじ理論派で勉強熱心だから、どんな相手も理論を突きつければ変わると信じている。君子豹変というわけですな。
そういう生真面目さが根底にあるのが定信なので、まさか相手が、渾身の防衛計画書を読まずにすっ飛ばしているなんて、想像だにできないのだと思います。
家斉が相手であれば、噛み砕いた言葉で、もっと優しく諭さねばなりません。
相手は君子でもなく、オセロでもないのだから、そんなにころっと変わるわけもない。チラッとでも興味を持ってくれるだけでもありがた山だとしなければいけないのですが、事態が切迫していて、定信にはそんな余裕がないのでしょう。
むしろ、やっと大願成就とばかりに、東照大権現に祈りを捧げています。定信は命を捧げてまで、国を守りたいと願っているのでした。
歴史総合時代の大河ドラマとして
当時の対ロシア海防計画は極めて重要な話です。
実際の幕府はそうした状況を先延ばしにしつつ、幕末期には、限界はあっても沿岸防衛力はある程度は構築しました。
そういう前段階があったからこそ、黒船の来航から短期間で海軍を設立するという結果も残せたのでしょう。
日露戦争の日本海海戦のあと、東郷平八郎が「小栗忠順あればこその勝利だ」と礼賛した背景には、そうした流れがあるわけです。
そうしたことを現代の日本人はどれだけ把握しているのか。

小栗忠順/wikipediaより引用
『べらぼう』という作品に対して、幕政パート不要論も聞こえてくることがあります。トークショーで聞いたところによれば、そうすると知らない人物しか出せないため、足がかりとして出した措置とのこと。
それだけでない重要な意図があると私は考えています。
中高年向けの「歴史総合」です。
高校において新たに導入された歴史総合は『べらぼう』と同じく18世紀から始まります。劇中で描かれてきた通り、日本とロシアの外交が始まる時期です。
日本の近代化というと、黒船来航の印象があまりに強い。
序盤で田沼意次と平賀源内が話す場面でも、黒船来航を予見するものだという感想が多いものでした。
しかし実際はそうではありません。
日本が国民国家としての意識に目覚めるのは、ロシアとの接触以降です。
それがどうにも、日本では意識されてこなかった。
明治以降に広がった、西南偏重の薩長史観が影響しているのでしょう。
第二次世界大戦後はそれが払拭される契機があり、大河ドラマも第一作は薩長史観では悪役であった井伊直弼が主役です。それが薩長史観をエンタメに昇華した司馬遼太郎ブームでまたも巻き戻されてしまった。
その弊害除去に役立つのが歴史総合です。
しかし、歴史総合の授業を受ける機会がなく、司馬遼太郎を引きずった中高年はどうすればよいのか?
関連書籍やEテレもよいとは思いますが、ハードルが高いでしょう。となれば大河ドラマが手っ取り早い。
それが『べらぼう』であり、『逆賊の幕臣』です。どうにもこの革新性が理解されていないのか、『逆賊の幕臣』にはこんな意見もあります。
薩長以外に会津や渋沢栄一も扱われているからには、負け組視点の幕末ものなんて何も斬新ではないと。
しかし、ここで重要なのは勝敗ではなく、薩長史観の打破路線ということ。『逆賊の幕臣』は歴史観においては、大河ドラマ第一作『花の生涯』後継路線ではないかと私は考えております。
『勝海舟』は、勝海舟が負け組幕臣の中ではほぼ唯一の勝ち組枠なので除外します。
『獅子の時代』や『八重の桜』は、京都にいた会津目線なのでこれも除外。
『青天を衝け』の渋沢栄一は、一橋家にいた頃から水戸学を信奉する“隠れ倒幕派”なので論外。明治以降は倒幕仲間であった長州人脈ありきで大成功しております。そもそも彼は実質的に一橋家枠なので、幕臣代表扱いされるのは強烈な違和感がある。
結局のところ、どうしてこうなっちまうか?というと、幕末ものをキャラクターありきで楽しんできた弊害もあるんでしょうね。
再来年の土方歳三キャスト予想を見た時、申し訳ねえけどがっかりしちまいました。
小栗と土方は、接点がほとんどないからには、土方が目立ったら何のドラマかわからなくなります。そこは栗本鋤雲を予想しようぜ。
ただし、これには幕末オールスターバトルのような大河ドラマを作ってきたNHKの責任も軽くはないでしょう。
渋沢栄一が主役の大河ドラマで、なぜ土方を目立たせたのか? それだけならまだしも、近藤勇に言及すらされなかったのはなぜか?
そもそも近藤勇抜きの土方歳三単体なんて、シャリがないのに寿司と言い張るようなモンでさぁ。そりゃ寿司じゃねえ、ただの刺身だ。
ともあれ、今年と再来年の大河は実に画期的かつ、歴史総合を履修できない世代こそ必要な作品だと思いやすぜ。
ロシアを追い払うにはどうすればよいのか?
定信が幕僚と話し合っています。
なんでもラクスマンは、大黒屋光太夫らを引き渡したあとも、引き揚げようとしないとのこと。むしろ八ヶ月も拘留されて苛立っているとか。
ついには「開国と通商が行われぬのであれば考えがある」と焚き付けてきているとのこと。
幕僚からは妥協案が提案されるも、定信は頑固に拒んでしまいます。
江戸には近づけず、打ち払いたいと言い出し、ラクスマンの身分を確認。
彼は王(エカテリーナ2世)の使節であり、手柄を見せることが重要だと見抜いた定信は「信牌(しんぱい・長崎入港許可証)」の利用を思い付きます。
貿易のできる長崎に目を向けさせ、それをラクスマンの手柄として追い返す目論見ですね。
かくして定信は公式文書を作成し、目付に託したのでした。
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田沼時代から幕末にかけて幕府の「蝦夷地ロシア対策」は機能していたのか
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このときはまだこうした時間稼ぎができました。まだナポレオン戦争激化前夜です。
しかしその後、イギリスのフェートン号が長崎に来襲し、ロシアとイギリスを相手にする羽目に陥ります。このとき、ナポレオン戦争でフランス支配下にあったオランダは情報を幕府に流さなくなりました。
ここでオランダ一辺倒でなく、ロシア経由の情報網を構築できればよかったのに、そうはならない。
さらに時代が降ると、国力が安定し、捕鯨ビジネスに乗り出したアメリカまで加わってくる。気を揉んだオランダが何度も開国と通商を勧めてくるのに、受け入れない。そうして先延ばしにすればするほど重荷が増えていく蟻地獄へと幕府は陥ってゆく。
そんな余裕がまったくない中で、対ロシア交渉に挑むのが再来年の小栗忠順となります。
吉原を立て直すのは歌麿大明神しかいない
吉原の忘八たちが、歌麿の美人画をうっとり眺めている。
蔦重からは、歌麿の美人画の特色も語られます。着物の色をキリリと鮮やかにしたいという要望を、柔らかい色合いが持ち味だと断るのです。
現存する歌麿の作品はどうしたって褪色がある。それを踏まえても、残されている色合いが柔らかいことも魅力の一つ。今年になって再発見された「ポッピンを吹く娘」なんて、そりゃあ繊細な色合いで可愛らしいものでさ。
ただし、歌麿の作品への言及はそれまで。忘八たちは五十枚描いてもらうからにゃあ、と儲ける話ばかりが気になるようで。
蔦重は『錦之裏』を絵でやるのはどうか?と提案しました。
蔦重に声をかけられ、どこか気が抜けていた歌麿はやっと返事をする。
北尾政演が挿絵を手がけた洒落本ですね。吉原の裏事情、普段の花魁を描く作品です。
ただし、それは手鎖(てじょう)になった危険な本であり、忘八たちも「大事(でぇじ)ねえのか?」と気にしています。
時を見ると言葉を濁す蔦重。だからそういう博打打ちじみた思考はやめましょうぜ。歌麿だって巻き込んじまいかねないんだからよ。
すると蔦重が『青楼美人合姿鏡』のことを皆に思い出させます。
あのときは北尾重政(山東京伝)と勝川春章が作画を担当し、歌麿に描かせませんでした。蔦重は、今こそ歌麿でリメイクしようという心づもり。
これは実際に作品として残されています。
◆青樓十二時 續・亥ノ刻(文化遺産オンライン)
当時の一件を蔦重が覚えていることに蔦重が驚くと、忘れるわけがないと返します。人たらしですな。りつがさらに、あのあと蔦重が歌麿を熱心に売り込もうとしていたと付け加えます。
「うた麿大明神の会」の思い出話で盛り上がりだし、次郎兵衛の屁、恋川春町の錯乱などなど、思い出してひとしきり笑い合うのでした。
思えばあのころは楽しかった。店は小さくてぎゅうぎゅう詰めでも、愉快な客もたくさんいた。みんなよく笑っていた。
「大事(でぇじ)ねぇ、歌麿の絵が、吉原を立て直しますんで!」
蔦重はそう断言します。自分にできるのかと戸惑っている歌麿に対し、それを察知した蔦重がおだてます。
「お前ならできる!」
「歌麿先生にならできる!」
「歌麿先生ができなくて、誰にできんだよ」
「頼んだよ。もう、先生だけが頼りさ!」
そして蔦重は歌麿の肩を抱きつつこう言い切ります。
「おまかせくだせえ、駿河屋兄弟が、吉原をもっぺんあの頃に建て直しますんで!」
しかし、歌麿はどこか浮かない顔をしています。肩を抱き寄せる蔦重から逃げるような様子もある。
そこへふじが赤ん坊のための道具を持ってきました。次郎兵衛の妻である“とく”もついてきています。駿河屋兄弟の長兄にあたる次郎兵衛の子が使ったものですね。
次郎兵衛の子供達のことを思い出しつつ、皆が嬉しそうに語り合っている。
しかし、歌麿はどこか冴えない顔色のままなのでした。
吉原から離れて得た幸せも蔦重にはあるだろう
蔦重は歌麿と一緒に耕書堂へ戻ります。そこには身重のていがいました。
あの頃じゃなくてよかったこともあると言い出す歌麿。身重のていがいる幸せということでしょう。歌麿が手にすることのできなかった、愛妻とその間の子との暮らしです。
それを認める蔦重。あの日々から抜け出し、蔦重が得て、歌麿が得られなかったものの対比があります。
歌麿はていに体を大事にするよう労わって出てゆきます。
ていはかえって歌麿の変化を感じたようで、蔦重にそのことを伝えます。帰り道の途中でもないのに、荷物を運んでわざわざ来たことに不審感じているようです。
あっけらかんとした蔦重は、ていと自分の子は歌麿にとっても甥っ子だからだろうと答える。身寄りもないから喜んでいるのだろうと、いつもの軽い調子です。
場面変わり、蝉の声が鳴り響く中、一橋治済がズラリと並んだ能面を眺めています。
定信はロシアが去ったことを家斉に報告。従来通り、オランダと清以外との交易はしないことになっていると説明しつつ、そこにロシアも入港を許す信牌を与えたところ、戻って行ったのだと伝えています。
家斉は実に見事だと褒め、定信はさらに三方に載せた何かを恭しく差し出す。
家斉もその内容は察知している。
将軍補佐の辞任願でしょう。
世は全て事もなく――穏やかな日々。
九郎助稲荷がそう語るなか、不穏な音楽が重なってゆきます。
蔦重とていは神棚に祈り、歌麿は美人画を描く。蔦重はていのお腹に向けて黄表紙を読む。胎教ですかね。
そして九郎助稲荷が続ける――それは突然やって来たのでございます。
歌麿から聞かされていなかった別れの決意
訪問者は鱗形屋孫兵衛の長男である長兵衛でした。
なんでも『金々先生栄花夢』の板を蔦重に譲ることにしたのだとか。
名作黄表紙の一角に加えて貰えばいいと、鱗の旦那が決めたようです。
これにはあの滝沢瑣吉(曲亭馬琴)も、大はしゃぎ。黄表紙名作シリーズもぐっと引き締まって値打ちが上がるとさ。ったく、暑苦しくてうるせえ手代だぜ。
すると、礼を言われた長兵衛が思わぬことを返答します。
「まァ、うちは十年擦ってないし、万次郎のこともあるし」
万次郎について興味を持つ瑣吉に対し、西村屋へ養子に行った長兵衛の弟だと蔦重が説明する。その様子から蔦重が万次郎に対して、特にどうこう思っているわけではないというのが伝わってきます。
しかし、なんとも妙な長兵衛の態度であるし、因縁ある西村屋ということも気にかかったのか、どこか不穏な声でこう続けます。
「万次郎さんのことってナァ……」
「お前、歌麿抱え込むのやめたんだろ?」
「へ?」
青天の霹靂ですな。
長兵衛は、万次郎がこれでやっと歌麿と仕事ができると喜んでいたと語ります。
兄弟で酒を飲んだ時の会話だそうですが、蔦重はそんな話は聞いていないと焦り、長兵衛も戸惑いながら「そのあと断られたのだろうか」と返します。
気まずい雰囲気になりました。
恋心を描いて、別れの挨拶として渡す歌麿
歌麿は絵を描きあげ、呟きます。
「これで終わるか……」
と、そこへ蔦重が入ってくる。
「歌、邪魔するぞ!」
大股で入ってくるなり、こう告げました。
「西村屋と仕事するって本当か? んなわけねえよな? お前、これ……」
蔦重は歌麿が描いている美人画に目を落としました。歌麿が絵を拾い集め、差し出します。
「これは、蔦重にだよ」
「ああ、そうか……そうだよな」
安堵して受け取る蔦重。そしてしげしげと眺め始めます。
そしてそのうちの一枚が、吉原で見た遣手の絵だと気づくと、もう一枚は水茶屋で見かけた娘だと歌麿が説明します。
「一体(いってぇ)何描いてんだこれ?」
そうきょとんとしている蔦重。
「恋心だよ」
「うん……いや、すげえいい絵だけど、こりゃ売り方が難しいな」
歌麿は渾身の恋心を描いた。しかし、蔦重はそれに値段をつけることを考え出す。歌麿は悔しそうに、売らなくてもいい、売って欲しくて描いたもんでもねえと、噛み締めるように言います。
「じゃあ、なんで描いたんだ?」
「俺が恋をしてたからさ」
ここで蔦重はハッとして歌麿に向き直ります。
届かない恋心
「おめぇ、おきよさんみたいな人見つけたのか! いやここんとこのおまえを見て、いい人を探してんじゃねえかって思ってたんだよ! 誰だよ? こん中にいんのか? んだよ? 言えねえような相手か?」
「いや」
「誰だ?」
「俺に女ができんのがそんなにうれしいのかって……」
「あたりめぇだろ! おきよさんと一緒になったときのお前、楽しそうでよ。できればまたそうなってくれねえかって思ってたんだよ。で、誰なんだよ?」
「……言えねえな。俺がお世話になっただけで、俺が好きなだけで、向こうにゃ脈がなさそうだし」
「じゃ、俺が橋渡ししてやるよ」
「いいよ」
「遠慮すんな」
「いいって」
「じゃあうまくいったら教えてくれよ」
「俺、蔦重には言わねえ」
「……は?」
「俺、もう蔦重とは組まねえ」
義兄弟は並んで座っているのに、心は隔たっているのが見てわかる。
歌麿は立ち上がり、看板娘の絵を差し出します。
「このような扱いは酷くねえか。常なら絵師の名前が上になる」
以前、初代西村屋与八が指摘したものでした。蔦屋名義が歌麿名義よりも上である。歌麿はそれに抗議しています。
蔦重はやっと気づき、看板娘はシリーズものだし、仕掛けを売り出したいからだと言い訳します。逆のものもあると。
しかし「それでよいか?」と確認しなかったことを突いてきます。
蔦重は頭を下げ、これからは歌麿名義を必ず上にすると言います。歌麿はさらに続けます。
「西村屋の息子が面白えんだよ」
企画をたくさん持ちこんできた彼の発想を褒める歌麿。
「そうきたか!」と言いたくなるような出来栄えで、面白い本屋は蔦重だけでないと気付かされたんだとか。
蔦重は歌麿に膝を寄せつつ、吉原はどうするのかと言い出します。
立て直すと期待している。歌麿だって恩を受けた。そう卑怯な迫り方をする蔦重。
いくらなんでも歌麿一人での立て直しはできないでしょうし、ここで歌麿に恩を着せるのは厚かましいとしか言いようがありません。
歌麿はそれなりに恩返しはする。よその本屋と女郎絵を出す事もできると返します。
何もかも与えたようで、何一つ与えてくれなかった
蔦重はもう理詰めで返せず、頭を下げて頼むしかありません。
「頼む! なんでもするから考え直してくれ!」
「じゃあ俺を、あの店(たな)の跡取りにしてくれよ。あの店俺にくれよ
「そりゃできねえよ。おていさんもいるし、ガキも生まれるし。だいたいなんでそんなこと……」
「なんでもって言ったくせに……蔦重はいつもそうなんだ。お前のため、お前のためって言って、俺の欲しいものなんて、何一つくんねぇんだ」
「……それ、どういうことだ?」
「おていさんと子、とびきり大事にしてやれよ」
歌麿はそう吐き捨て去ってゆきます。蔦重がその名を呼んでも、戻ってくることはありませんでした。
知らねえうちに、嫌な思いをたくさんさせちまってたんだな。
大事にしてたつもりが、いつの間にか、籠の鳥にしちまってた。
悪かった。あの日から二十年、俺についてきてくれて、ありがとな。
とびきりの夢を見させてもらった。ありがとよ。
体は大事にしろよ。お前は江戸っ子の自慢、当代一の絵師なんだから。
このあと蔦重は、手紙をしたため歌麿に残します。
歌麿の思いは、つよが懸念した通り、気づかれることはありませんでした。
歌麿としては渾身のぶつけ方をしたと思います。鏡の中に顔を映して、自分の中にある恋心を読み取ろうとした。それができないとなると、出会った女たちの顔にそれを見出し、映し取った。
それでも通じない。蔦重は、自分と別の女との恋を勝手に見出してゆく。
だから、おていさんとその腹の中の子をかけてみることにした。
あの店はおていさんのものだ。あの店を継ぐのはおていさんの腹の中にいる子だ。なんでもできるのならば、せめて愛の代わりに差し出して欲しい。そうギリギリの攻防をしても相手には通じはしない。
そしてこの当たり障りのないことしか言わない手紙。
二十年間は結局、なんだったのだろう?
蔦重がせめて怒りでもすればまだよかったのかもしれない。しかし、それもない。
あの初回冒頭の出会いが、こうも残酷な形で終わろうとしています。
予期せぬ陣痛がおていさんを襲う
耕書堂に戻ると滝沢が出迎えます。
蔦重はあえて明るく、もう歌麿はうちとはやらないと返します。
どういうことか?とみの吉が尋ねると、蔦重はこう言います。
「もう、うちでは描かねえってこった」
ていは歌麿が渡してきた絵を見せてもらいます。みの吉がどういった女絵か?と尋ねると蔦重は、恋心を描いたと返します。
「恋?」
ていは何かを察したのでしょうか。
しかし、そう呟いた瞬間、激しい痛みが彼女を襲います。事態を察知した周囲は慌てて産婆を連れてきました。
産むしかないと産婆が湯の用意を言いつけます。
かなりの早産……生まれてきた子は生きてはいけないようです。ていはなんとかして腹の中に留めたいと願うものの、そんな手はありません。
産婆とたかは素早く母体の保護を決断し、産むことにしました。それでも、ていはなんとしてもこの子を蔦重に残し、子を育てる喜びを与えたいと苦しみながら泣いています。
男たちが追い払われ、ていが泣き叫ぶ中、蔦重は産婆に頼んでその場を去るしかありません。
「どうか、おていをお助けくだせえ! 子も出てくる前に不思議に月が満ちて、竹取が三月で大人になったみてえに……」
蔦重が祈ります。
ていは気を失い、産婆とたかがその名を呼び続けるのでした。
裏切られた定信
松平定信が手を打ち祈りを捧げ、さわやかな顔をしております。
恭しく大老就任だろうと語りかける水野為長。
将軍を出すことが田安家の念願だったと語り、大老は将軍ではないとしつつも、国の舵取りを任されたと嬉しそうな定信。
いささか不敬であると前置きした上で、将軍になったつもりで政を行うと語ります。
為長も、大権現も殿こそがふさわしいと認めたのだろうと、明るい見通しの二人です。定信はその為長の肩に手を置き、登城を告げるのでした。
徳川家斉の前に向かうと、将軍は定信の「早く下城したい」という願いについて心変わりがないか確認。
さらに、なぜ下城が遅くなるのか、理由を尋ねます。
将軍補佐と老中兼任ゆえだと語り、今の上様ならば補佐役などいらぬと続ける定信。
老中も頼もしい役目が揃ったからにはと役目御免を志願するのです。
家斉はそれをあっさりと受け入れ、将軍補佐と老中解任を許すと言いました。
しかし、その後に続く言葉に定信は愕然とするしかありません。
「では越中守、これよりは政には関わらずゆるりと休むがよい。これよりは余も、将軍として励むとしよう」
いったい何が起きているのか……。途中までは定信の望み通りでした。
宗睦が難しき形勢を乗り切るためにも定信の留任を進言するも、松平信明が「難しき形勢とは?」と反論。
朝廷とロシアだと宗睦が返すと、それも定信が片付けたと信明は言い募ります。
さらに定信の倹約のおかげで、金蔵は十万両も増えたとも。
一橋治済がこう良い添えます。
「越中……上様のため、徳川のため、まこと、我が息子のため、ご苦労であった。ささ、下城されよ。心置きなく、願いを叶えよ」
定信が去っていくと、残された連中は嘲り笑います。家斉も大笑い。なんと醜悪なことか。
「私ではないか……」
定信が苦渋の顔で呟きながら去ってゆきますが、実際その通りでしょう。
財政再建への足掛かり、外交、朝廷政策。中心になって担ってきたのは定信です。
彼は布団に身を投げ出し、怒りのあまり拳を打ちつけるしかありません。
「やるべきことをやり遂げたのは私ではないか……クズどもが! 地獄へ……地獄へ落ちるがよい!」
地獄へ落ちるのは誰か?
しかし地獄の思いを味わうのは、なんとも切ないことに後進の幕臣たちです。
2027年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』がまさにその舞台であり、財政難、外交、朝廷対策など、放置していたからこそより厳しくなってしまった難題が山積み。
外道の一橋である慶喜に引き摺り回され、小栗忠順以下の幕臣はまさに地獄のような日々を送ることになります。
ゆっくり下城もできない。退任してもすぐ再任される。小栗がそうして駆けずり回るとき、家斉や治済らが高笑いしていた声が思い出されるかもしれません。
定信失脚劇の一報に歓喜する江戸っ子も覚えておくのもありですね。お忍びで定信失脚の瓦版を受け取る治済も、ほんとうに憎たらしいこと。
ここで小栗忠順の言葉でも。
「“どうにかなろう”。この一言が幕府を滅ぼしたのだ」
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2027年大河ドラマ『逆賊の幕臣』小栗忠順|なぜ近代化を推し進めた幕臣は殺された?
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ついでに「大老」についても少々。
幕末の13代将軍・徳川家定のもとで井伊家から大老に抜擢されたのが井伊直弼です。
無気力な家定を後目に、井伊直弼が強引な政治を進めた結果が、安政の大獄とされています。
しかし家定はそこまで意思薄弱でもなく、紛糾した問題を解決できる剛腕の持ち主として井伊直弼を抜擢し、大任を担うに相応しいと信頼していたとされます。
『逆賊の幕臣』では、この井伊直弼が小栗忠順の才知を見抜く。大老によって見込まれたことが、小栗の幕僚としての転機となるわけです。
それにしても『べらぼう』は実に巧みに描き出しているのではないでしょうか。
徳川家斉は日本史の授業でそこまでじっくり習わない。ましてや幕閣にも入らず、御三卿止まりである一橋治済は知名度そのものが低い。
そんな人物が幕政に回復できないほどの大打撃を与え、おざなりにした国防が祟ってくる。
問題は定信失脚だけにとどまりません。
治済は己の成功を子沢山ゆえと考え、我が子にもそれを勧めます。
家斉はただの好色というわけでもなく、父の勧めに従って子作りを続けました。こうしてできた将軍の子を放置するわけにもいかず、幕僚たちは男子の養子先、女子の嫁ぎ先探しに労力を使う羽目に陥ります。
男子は官位を与えるために朝廷に頭を下げる羽目になる。男子の養子先、女子の嫁ぎ先となる大名にも頭を下げねばならない。
かくして幕府・朝廷・藩で成立していた政治体制のパワーバランスが歪んでいくのは、家斉治世でのことでした。
そんな状態では外交と国防がおざなりになってしまうため、幕府は内憂外患が極まるばかり。
治済と家斉という父子は幕府を骨抜きにしたのです。
そんな説明が面倒な因果関係を大河ドラマで描いたのは画期的なことだと思います。
再来年は御三家の水戸親子である徳川斉昭・慶喜父子が、幕府を決定的倒壊へ導く様が描かれることを期待したいものです。
御三卿が幕府に斧を打ち込み、御三家がそれをさらに深く抉るというのも、なんとも因果なものですな。
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ただし、どん底はここまで。
松平定信のもとへ高岳が訪れ、徳川家基の毒殺事件に用いられた手袋が差し出されます。
そして一人の男が江戸に現れます。
旅姿で背中に凧を背負った、謎の人物。
無精髭でやつれきった蔦重が心配ですが、今週のどん底から後は這い上がってくるしかないでしょう。
MVP:蔦屋重三郎
蔦屋重三郎に厳しすぎる。あまりに辛い展開です。
大河ドラマ主人公なのに、人気がない(もっと人気がない主人公はいましたが、十年前の『花燃ゆ』とか)――なんてことまで言われておりやすが、あっしには今週、ちぃと手綱もとい、制作側が鞭を打つ手を緩めたと思っておりやして。
本当に血も涙もねえ外道なら、もっと徹頭徹尾追い詰めると思いやす。
まず、最初で最後の子であっただろうに、それが死産であったことで蔦重を責める気が削がれますよね。
相手が元気な時でないと、糾弾する気は起きませんからね。見ている側も、蔦重を殴る手を加減するでしょう。
世の中には、勝海舟が一人息子を亡くしたばかりだというのに、『痩我慢の説』で論争をふっかけた福沢諭吉のように、血も涙もない人間もいないわけではありませんが、それはあくまで例外。
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冷静に考えてみれば、蔦重は妻子ある既婚者です。
横浜流星さんが魅力的なので忘れそうになりますが、立ち上がったり座る時に「よいしょ」と声をかけるようなおじさんなのです。
江戸時代ならば不惑を過ぎたら「翁」――そんな翁である自分が、誰かに惚れられるなんて思いもよらないのでしょう。
瀬川の思いにも気づかないほど鈍感ということもありますが、歌麿の思いに気付けないのはもう仕方ない。
あきらめましょう!
彼には悪意がありません。一橋治済のように、わざと相手を苦しめたり、貶めてやろうという意識はない。もう諦めるしかない。そんな境地に至りました。
要するに蔦重は、熟慮がない人物なのだと思います。
いったん物事を受け止め、考え、相手がどう思うのか想像する。そういう能力が欠如している。
その場しのぎの楽しいことや愉快なこと、地口のようなことならお得意です。しかし若い頃はそれでよくとも、歳をとってからそれではまずい。蔦重はそう示していると思えます。
そしてインプット不足。吉原育ちでじっくり何かを学ぶ機会がなかった青少年期は仕方ない。それでも日本橋進出以降は時間も機会もあったことでしょう。
それこそ才女おていさんを妻としているのでもあるし、彼女の知識に頼り切るだけでなく、何か学んで向き合う時間があってもよかったと思ってしまうんですね。そうでなく、何にするにせよ吉原頼りが抜けきっていない。若い頃のインプットを使い回していると。
そこを批判的に描いているところが、本作のよいところではないでしょうか。
総評
今回はまさしくどん底で、ここから先はあまりに厳しい史実を甘くしてゆく展開であるとも思えます。
まず、松平定信。
当初の彼は、徹底した悪役になるのではないかと思っておりました。
それがそうでもなく、田沼意次を批判しつつも、現実的に否定できないところは踏襲し、発展させてゆく人物として描かれた。
彼には密告政治奨励、猜疑心旺盛、独断専行といった欠点もあります。
そこを描きつつも、不器用で誤解されやすいけれども誠意があり、聡明で能力が高い政治家として描かれています。
彼の失脚が打撃となることも、紀行や関連番組も含めてきっちりと描いてきて、大変勉強になります。
そのうえで救いの手も伸ばしてきております。
徳川家基が急死することになった原因の手袋は、あくまでドラマ上の設定に過ぎません。
それを再登場させることで、一橋治済に報いが訪れる展開を示唆してきました。
史実での治済は、のうのうと生きてゆきますので、ドラマならではの因果応報が用意されるのではないでしょうか。
次に、蔦重の人生について。
蔦重と定信の対立は、思ったほど激しくはありませんでした。恋川春町も狙ってそうしたのではなく、結果的に死なせてしまい、定信自身が大打撃を受けています。
これは確かにその通りで、確かに蔦重も身上半減という大変な目に遭ってはおります。
ただし、幕府の思想統制という意味ではもっと厳しいことはあります。
定信にしても、娯楽出版とそこまで真剣には向き合っていられない。
優先順位としてはロシア問題のほうが上。劇中の人物であれば、蝦夷地のことを隠蔽する羽目になった平秩東作や工藤平助、あるいはロシアがらみで規制を受けた林子平と須原屋。
彼らの方が重大で深刻な影響を受けています。
さらに時代がくだると、蛮社の獄といった事件も起きます。
そうした事件と比較すると、蔦重はまだしも深刻な弾圧を受けたわけではありません。そうした歴史的な制限が反映されているのでしょう。それでもあえて蔦重と田沼意次、そして松平定信を近接させることには作劇上の意味があると思えます。
前述した通り、まず一つに「誰も知らない人物ばかりにすることを避ける」という意義があります。
もう一つは、蔦重の人生に世の中を変える「志」があったと示すこと。
昨年の『光る君へ』のまひろにも、世の中を見つめ、憂い、変えて欲しいという思いが加えられていました。
まひろこと紫式部は『源氏物語』という作品を残していますが、蔦重はクリエイターでもなく、プロデューサーでしかない。そんな立場から志を抜きにするとただの軽薄パリピになってしまう。
そこで「書を以て世を耕す」という意思を入れたのだろうと思えてきました。
十返舎一九を出し、彼が平賀源内を連れてくることで、その志を取り戻そうとするのでしょう。
そしてあとは最終イベントである東洲斎写楽が残ったわけですが、ここにそんな志をスパイスとして振り掛けるのではないか。そんな気がします。
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それというのも、定信との対峙がそこまで激しくなかったようで、そのぶん歌麿との対峙が厳しくなっているわけですね。
実際の歌麿は東洲斎写楽に大変厳しく、「俺と一緒にするんじゃねえ」と酷評を残しています。
ただでさえ決裂した二人の仲が、写楽が決定打となって断絶したらあまりに苦しい。ゆえに手心が加えられる気がしてきましたぜ。
あっしとしちゃ、もっと厳しくてもいいんですけどね。
でも、現時点でもう精神的石抱状態の視聴者もいるみてえだし、仕方ねえとは思いやす。

石抱の様子/wikipediaより引用
しかし今年の制作チームは、やはり厳しいところがある。恐ろしいことをしていると思える点が出てきます。
蔦重は、中年の宿痾ともいえる「己の若い頃を懐かしむ病」に陥っています。
今週も吉原で、昔を思い出して笑っていましたよね。未来よりも過去の楽しさを思いだすようになるのは、老いた証拠でもありましょう。
源内を思い出す展開は、ずっと見てきた視聴者にとっては甘く懐かしく、楽しくワクワクすることですよね。
ただ、物語の中でも時代は変わっている。
歌麿が語った万次郎との差もそれで、蔦重は面白い案が枯れてきている一方で、万次郎は湧き出ていることを突きつけているわけです。
人間は誰しも、自分が若い頃に夢中になった何かに取り憑かれるものだと思います。そして中年以降、そこに戻ってくる。
人間だけでなくコンテンツもそうだと最近思えてきます。
リメイクやシリーズものだけになったジャンルって、どこか行き詰まり感を覚えるのですね。
これは大河ドラマもそうだと、先日『豊臣兄弟!』のビジュアルを見て思ってしまいました。
ものすごく不吉なことを書きますが、あのビジュアルからは『西郷どん』との共通点が見えてきます。
定番戦国もので視聴率は跳ねるし、固定層は盛り上がる。しかしドラマの出来としては『西郷どん』程度。よいところは2023年『どうする家康』ほど悪くはないことのみ。2022年『鎌倉殿の13人』、2024年『光る君へ』、2025年『べらぼう』で大河の魅力に目覚めた層は古臭さに早々と離脱。
そのあたりに落ち着くのではないかと思えるのです。
どちらも主役をやたらと明るい笑顔にしている。こういうビジュアルはスポーツドリンクの広告ならふさわしいと思います。
しかし、いわば偉人の伝記にあたるものなのに、こんなわざとらしい笑顔はふさわしいものでしょうか。ましてやこの二人は武士です。
そして、タイトル。末尾に「!」をつけるのはセンスとして相当古いと思います。
そもそもとして、この二人が「豊臣」姓を賜るのは天正13年(1585年)。両者ともに健在な豊臣兄弟が成立する期間は、十年にも及ばない。大河ドラマだったらせいぜいが秋以降のこと。
後世の人間にとってはわかりやすいとはいえ、秀長主役の作品にふさわしかったのか疑念を覚えます。
このタイトルへの疑義は『西郷どん』もそうで、西郷隆盛への愛着ありきの敬称としては「西郷さぁ」あたりではないかという意見もあったものでした。
なんとなく大雑把。なんとなく明るい。そんな1990年代風味がある。作り手は自分が若い頃にインプットしたものを再生産しているのではないか。
あのビジュアルを見た瞬間、そんな印象が脳裏を駆け巡ってしまい、私は落ち込んでしまったのでした。
次に、前述したような歴史総合目線でみてはどうか。田沼意次や松平定信を再評価することは、歴史総合目線でみて大きな意義があると記しました。
しかし、豊臣秀長はどうでしょうか。
そもそもとして、豊臣政権は短期間の上に歴史上の影響力は小さく、そこまで掘り下げる意義があるとは思えない。少なくとも田沼意次と松平定信、小栗忠順ほどではないでしょう。
秀長ブームの契機とされる堺屋太一氏の『豊臣秀長』は初出が1993年です。大河ドラマ『秀吉』もこうした流れで作られた作品であったともされます。
そんな昔のブームを今更蒸し返してどうするのか。そんな疑念を覚えてしまいます。
『豊臣兄弟』のキャストは決して悪くはない。むしろ豪華です。
ただ、目玉キャストは過去大河の主演経験者が多い。それ以外も大河や朝ドラ出演経験者が多い。目新しさはあまり感じません。
戦国三傑周辺、過去のブームをなぞり、お馴染みのキャストを揃える。新鮮味がないと疑念を感じてしまうのです。
近年最後の戦国大河『どうする家康』はあまりに酷い出来でした。あれを払拭し、まっとうな戦国物をまだ作れるという力量を示さねばならない気持ちはわかります。
しかし、心は既に再来年に飛んでゆくことを止められません。
再来年の場合、勝海舟は過去に何度かブームがあった一方、忘れられていた小栗忠順が主役。実力十分である松坂桃李さんが主演です。
大河ではハズレを引かされてしまった大沢たかおさんが、満を持して捲土重来を狙い、準主演である勝海舟を演じます。しかも、考証は岩下哲典先生です。脚本をつとめる安達奈緒子さんは、プロットにファクトを十分に取り込んできます。
現時点でも最新研究を踏まえつつ、練り上げていることがみてとれます。
堅実でありながら冒険性も十分に備えた、現状においてまるで隙のない布陣。
これには期待しかない。幕末錦絵も出るかもしれませんぜ!
そうそう、再来年か。
このドラマで悶絶する方にちっと言っておきてえことがあるんすけど。
今年でこうなら、再来年はどうなっちまうんでしょうね……再来年は今年以上のおそろしい展開になると思えるんですが。それはそれで楽しみですけれども。
史実からして手心を加えられないと思います。覚悟しておきましょう。
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【参考】
べらぼう公式サイト









