べらぼう感想あらすじレビュー

背景は喜多川歌麿『ポッピンを吹く娘』/wikipediaより引用

べらぼう感想あらすじ

『べらぼう』感想あらすじレビュー第43回裏切りの恋歌

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『べらぼう』感想あらすじレビュー第43回裏切りの恋歌
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裏切られた定信

松平定信が手を打ち祈りを捧げ、さわやかな顔をしております。

恭しく大老就任だろうと語りかける水野為長。

将軍を出すことが田安家の念願だったと語り、大老は将軍ではないとしつつも、国の舵取りを任されたと嬉しそうな定信。

いささか不敬であると前置きした上で、将軍になったつもりで政を行うと語ります。

為長も、大権現も殿こそがふさわしいと認めたのだろうと、明るい見通しの二人です。定信はその為長の肩に手を置き、登城を告げるのでした。

徳川家斉の前に向かうと、将軍は定信の「早く下城したい」という願いについて心変わりがないか確認。

さらに、なぜ下城が遅くなるのか、理由を尋ねます。

将軍補佐と老中兼任ゆえだと語り、今の上様ならば補佐役などいらぬと続ける定信。

老中も頼もしい役目が揃ったからにはと役目御免を志願するのです。

家斉はそれをあっさりと受け入れ、将軍補佐と老中解任を許すと言いました。

しかし、その後に続く言葉に定信は愕然とするしかありません。

「では越中守、これよりは政には関わらずゆるりと休むがよい。これよりは余も、将軍として励むとしよう」

いったい何が起きているのか……。途中までは定信の望み通りでした。

宗睦が難しき形勢を乗り切るためにも定信の留任を進言するも、松平信明が「難しき形勢とは?」と反論。

朝廷とロシアだと宗睦が返すと、それも定信が片付けたと信明は言い募ります。

さらに定信の倹約のおかげで、金蔵は十万両も増えたとも。

一橋治済がこう良い添えます。

「越中……上様のため、徳川のため、まこと、我が息子のため、ご苦労であった。ささ、下城されよ。心置きなく、願いを叶えよ」

定信が去っていくと、残された連中は嘲り笑います。家斉も大笑い。なんと醜悪なことか。

「私ではないか……」

定信が苦渋の顔で呟きながら去ってゆきますが、実際その通りでしょう。

財政再建への足掛かり、外交、朝廷政策。中心になって担ってきたのは定信です。

彼は布団に身を投げ出し、怒りのあまり拳を打ちつけるしかありません。

「やるべきことをやり遂げたのは私ではないか……クズどもが! 地獄へ……地獄へ落ちるがよい!」

 


地獄へ落ちるのは誰か?

しかし地獄の思いを味わうのは、なんとも切ないことに後進の幕臣たちです。

2027年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』がまさにその舞台であり、財政難、外交、朝廷対策など、放置していたからこそより厳しくなってしまった難題が山積み。

外道の一橋である慶喜に引き摺り回され、小栗忠順以下の幕臣はまさに地獄のような日々を送ることになります。

ゆっくり下城もできない。退任してもすぐ再任される。小栗がそうして駆けずり回るとき、家斉や治済らが高笑いしていた声が思い出されるかもしれません。

定信失脚劇の一報に歓喜する江戸っ子も覚えておくのもありですね。お忍びで定信失脚の瓦版を受け取る治済も、ほんとうに憎たらしいこと。

ここで小栗忠順の言葉でも。

「“どうにかなろう”。この一言が幕府を滅ぼしたのだ」

小栗忠順
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ついでに「大老」についても少々。

幕末の13代将軍・徳川家定のもとで井伊家から大老に抜擢されたのが井伊直弼です。

無気力な家定を後目に、井伊直弼が強引な政治を進めた結果が、安政の大獄とされています。

しかし家定はそこまで意思薄弱でもなく、紛糾した問題を解決できる剛腕の持ち主として井伊直弼を抜擢し、大任を担うに相応しいと信頼していたとされます。

『逆賊の幕臣』では、この井伊直弼が小栗忠順の才知を見抜く。大老によって見込まれたことが、小栗の幕僚としての転機となるわけです。

それにしても『べらぼう』は実に巧みに描き出しているのではないでしょうか。

徳川家斉は日本史の授業でそこまでじっくり習わない。ましてや幕閣にも入らず、御三卿止まりである一橋治済は知名度そのものが低い。

そんな人物が幕政に回復できないほどの大打撃を与え、おざなりにした国防が祟ってくる。

問題は定信失脚だけにとどまりません。

治済は己の成功を子沢山ゆえと考え、我が子にもそれを勧めます。

家斉はただの好色というわけでもなく、父の勧めに従って子作りを続けました。こうしてできた将軍の子を放置するわけにもいかず、幕僚たちは男子の養子先、女子の嫁ぎ先探しに労力を使う羽目に陥ります。

男子は官位を与えるために朝廷に頭を下げる羽目になる。男子の養子先、女子の嫁ぎ先となる大名にも頭を下げねばならない。

かくして幕府・朝廷・藩で成立していた政治体制のパワーバランスが歪んでいくのは、家斉治世でのことでした。

そんな状態では外交と国防がおざなりになってしまうため、幕府は内憂外患が極まるばかり。

治済と家斉という父子は幕府を骨抜きにしたのです。

そんな説明が面倒な因果関係を大河ドラマで描いたのは画期的なことだと思います。

再来年は御三家の水戸親子である徳川斉昭・慶喜父子が、幕府を決定的倒壊へ導く様が描かれることを期待したいものです。

御三卿が幕府に斧を打ち込み、御三家がそれをさらに深く抉るというのも、なんとも因果なものですな。

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ただし、どん底はここまで。

松平定信のもとへ高岳が訪れ、徳川家基の毒殺事件に用いられた手袋が差し出されます。

そして一人の男が江戸に現れます。

旅姿で背中に凧を背負った、謎の人物。

無精髭でやつれきった蔦重が心配ですが、今週のどん底から後は這い上がってくるしかないでしょう。

 

MVP:蔦屋重三郎

蔦屋重三郎に厳しすぎる。あまりに辛い展開です。

大河ドラマ主人公なのに、人気がない(もっと人気がない主人公はいましたが、十年前の『花燃ゆ』とか)――なんてことまで言われておりやすが、あっしには今週、ちぃと手綱もとい、制作側が鞭を打つ手を緩めたと思っておりやして。

本当に血も涙もねえ外道なら、もっと徹頭徹尾追い詰めると思いやす。

まず、最初で最後の子であっただろうに、それが死産であったことで蔦重を責める気が削がれますよね。

相手が元気な時でないと、糾弾する気は起きませんからね。見ている側も、蔦重を殴る手を加減するでしょう。

世の中には、勝海舟が一人息子を亡くしたばかりだというのに、『痩我慢の説』で論争をふっかけた福沢諭吉のように、血も涙もない人間もいないわけではありませんが、それはあくまで例外。

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冷静に考えてみれば、蔦重は妻子ある既婚者です。

横浜流星さんが魅力的なので忘れそうになりますが、立ち上がったり座る時に「よいしょ」と声をかけるようなおじさんなのです。

江戸時代ならば不惑を過ぎたら「翁」――そんな翁である自分が、誰かに惚れられるなんて思いもよらないのでしょう。

瀬川の思いにも気づかないほど鈍感ということもありますが、歌麿の思いに気付けないのはもう仕方ない。

あきらめましょう!

彼には悪意がありません。一橋治済のように、わざと相手を苦しめたり、貶めてやろうという意識はない。もう諦めるしかない。そんな境地に至りました。

要するに蔦重は、熟慮がない人物なのだと思います。

いったん物事を受け止め、考え、相手がどう思うのか想像する。そういう能力が欠如している。

その場しのぎの楽しいことや愉快なこと、地口のようなことならお得意です。しかし若い頃はそれでよくとも、歳をとってからそれではまずい。蔦重はそう示していると思えます。

そしてインプット不足。吉原育ちでじっくり何かを学ぶ機会がなかった青少年期は仕方ない。それでも日本橋進出以降は時間も機会もあったことでしょう。

それこそ才女おていさんを妻としているのでもあるし、彼女の知識に頼り切るだけでなく、何か学んで向き合う時間があってもよかったと思ってしまうんですね。そうでなく、何にするにせよ吉原頼りが抜けきっていない。若い頃のインプットを使い回していると。

そこを批判的に描いているところが、本作のよいところではないでしょうか。

 

総評

今回はまさしくどん底で、ここから先はあまりに厳しい史実を甘くしてゆく展開であるとも思えます。

まず、松平定信。

当初の彼は、徹底した悪役になるのではないかと思っておりました。

それがそうでもなく、田沼意次を批判しつつも、現実的に否定できないところは踏襲し、発展させてゆく人物として描かれた。

彼には密告政治奨励、猜疑心旺盛、独断専行といった欠点もあります。

そこを描きつつも、不器用で誤解されやすいけれども誠意があり、聡明で能力が高い政治家として描かれています。

彼の失脚が打撃となることも、紀行や関連番組も含めてきっちりと描いてきて、大変勉強になります。

そのうえで救いの手も伸ばしてきております。

徳川家基が急死することになった原因の手袋は、あくまでドラマ上の設定に過ぎません。

それを再登場させることで、一橋治済に報いが訪れる展開を示唆してきました。

史実での治済は、のうのうと生きてゆきますので、ドラマならではの因果応報が用意されるのではないでしょうか。

次に、蔦重の人生について。

蔦重と定信の対立は、思ったほど激しくはありませんでした。恋川春町も狙ってそうしたのではなく、結果的に死なせてしまい、定信自身が大打撃を受けています。

これは確かにその通りで、確かに蔦重も身上半減という大変な目に遭ってはおります。

ただし、幕府の思想統制という意味ではもっと厳しいことはあります。

定信にしても、娯楽出版とそこまで真剣には向き合っていられない。

優先順位としてはロシア問題のほうが上。劇中の人物であれば、蝦夷地のことを隠蔽する羽目になった平秩東作や工藤平助、あるいはロシアがらみで規制を受けた林子平と須原屋。

彼らの方が重大で深刻な影響を受けています。

さらに時代がくだると、蛮社の獄といった事件も起きます。

そうした事件と比較すると、蔦重はまだしも深刻な弾圧を受けたわけではありません。そうした歴史的な制限が反映されているのでしょう。それでもあえて蔦重と田沼意次、そして松平定信を近接させることには作劇上の意味があると思えます。

前述した通り、まず一つに「誰も知らない人物ばかりにすることを避ける」という意義があります。

もう一つは、蔦重の人生に世の中を変える「志」があったと示すこと。

昨年の『光る君へ』のまひろにも、世の中を見つめ、憂い、変えて欲しいという思いが加えられていました。

まひろこと紫式部は『源氏物語』という作品を残していますが、蔦重はクリエイターでもなく、プロデューサーでしかない。そんな立場から志を抜きにするとただの軽薄パリピになってしまう。

そこで「書を以て世を耕す」という意思を入れたのだろうと思えてきました。

十返舎一九を出し、彼が平賀源内を連れてくることで、その志を取り戻そうとするのでしょう。

そしてあとは最終イベントである東洲斎写楽が残ったわけですが、ここにそんな志をスパイスとして振り掛けるのではないか。そんな気がします。

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それというのも、定信との対峙がそこまで激しくなかったようで、そのぶん歌麿との対峙が厳しくなっているわけですね。

実際の歌麿は東洲斎写楽に大変厳しく、「俺と一緒にするんじゃねえ」と酷評を残しています。

ただでさえ決裂した二人の仲が、写楽が決定打となって断絶したらあまりに苦しい。ゆえに手心が加えられる気がしてきましたぜ。

あっしとしちゃ、もっと厳しくてもいいんですけどね。

でも、現時点でもう精神的石抱状態の視聴者もいるみてえだし、仕方ねえとは思いやす。

石抱のイラスト

石抱の様子/wikipediaより引用

しかし今年の制作チームは、やはり厳しいところがある。恐ろしいことをしていると思える点が出てきます。

蔦重は、中年の宿痾ともいえる「己の若い頃を懐かしむ病」に陥っています。

今週も吉原で、昔を思い出して笑っていましたよね。未来よりも過去の楽しさを思いだすようになるのは、老いた証拠でもありましょう。

源内を思い出す展開は、ずっと見てきた視聴者にとっては甘く懐かしく、楽しくワクワクすることですよね。

ただ、物語の中でも時代は変わっている。

歌麿が語った万次郎との差もそれで、蔦重は面白い案が枯れてきている一方で、万次郎は湧き出ていることを突きつけているわけです。

人間は誰しも、自分が若い頃に夢中になった何かに取り憑かれるものだと思います。そして中年以降、そこに戻ってくる。

人間だけでなくコンテンツもそうだと最近思えてきます。

リメイクやシリーズものだけになったジャンルって、どこか行き詰まり感を覚えるのですね。

これは大河ドラマもそうだと、先日『豊臣兄弟!』のビジュアルを見て思ってしまいました。

ものすごく不吉なことを書きますが、あのビジュアルからは『西郷どん』との共通点が見えてきます。

定番戦国もので視聴率は跳ねるし、固定層は盛り上がる。しかしドラマの出来としては『西郷どん』程度。よいところは2023年『どうする家康』ほど悪くはないことのみ。2022年『鎌倉殿の13人』、2024年『光る君へ』、2025年『べらぼう』で大河の魅力に目覚めた層は古臭さに早々と離脱。

そのあたりに落ち着くのではないかと思えるのです。

どちらも主役をやたらと明るい笑顔にしている。こういうビジュアルはスポーツドリンクの広告ならふさわしいと思います。

しかし、いわば偉人の伝記にあたるものなのに、こんなわざとらしい笑顔はふさわしいものでしょうか。ましてやこの二人は武士です。

そして、タイトル。末尾に「!」をつけるのはセンスとして相当古いと思います。

そもそもとして、この二人が「豊臣」姓を賜るのは天正13年(1585年)。両者ともに健在な豊臣兄弟が成立する期間は、十年にも及ばない。大河ドラマだったらせいぜいが秋以降のこと。

後世の人間にとってはわかりやすいとはいえ、秀長主役の作品にふさわしかったのか疑念を覚えます。

このタイトルへの疑義は『西郷どん』もそうで、西郷隆盛への愛着ありきの敬称としては「西郷さぁ」あたりではないかという意見もあったものでした。

なんとなく大雑把。なんとなく明るい。そんな1990年代風味がある。作り手は自分が若い頃にインプットしたものを再生産しているのではないか。

あのビジュアルを見た瞬間、そんな印象が脳裏を駆け巡ってしまい、私は落ち込んでしまったのでした。

次に、前述したような歴史総合目線でみてはどうか。田沼意次や松平定信を再評価することは、歴史総合目線でみて大きな意義があると記しました。

しかし、豊臣秀長はどうでしょうか。

そもそもとして、豊臣政権は短期間の上に歴史上の影響力は小さく、そこまで掘り下げる意義があるとは思えない。少なくとも田沼意次と松平定信、小栗忠順ほどではないでしょう。

秀長ブームの契機とされる堺屋太一氏の『豊臣秀長』は初出が1993年です。大河ドラマ『秀吉』もこうした流れで作られた作品であったともされます。

そんな昔のブームを今更蒸し返してどうするのか。そんな疑念を覚えてしまいます。

『豊臣兄弟』のキャストは決して悪くはない。むしろ豪華です。

ただ、目玉キャストは過去大河の主演経験者が多い。それ以外も大河や朝ドラ出演経験者が多い。目新しさはあまり感じません。

戦国三傑周辺、過去のブームをなぞり、お馴染みのキャストを揃える。新鮮味がないと疑念を感じてしまうのです。

近年最後の戦国大河『どうする家康』はあまりに酷い出来でした。あれを払拭し、まっとうな戦国物をまだ作れるという力量を示さねばならない気持ちはわかります。

しかし、心は既に再来年に飛んでゆくことを止められません。

再来年の場合、勝海舟は過去に何度かブームがあった一方、忘れられていた小栗忠順が主役。実力十分である松坂桃李さんが主演です。

大河ではハズレを引かされてしまった大沢たかおさんが、満を持して捲土重来を狙い、準主演である勝海舟を演じます。しかも、考証は岩下哲典先生です。脚本をつとめる安達奈緒子さんは、プロットにファクトを十分に取り込んできます。

現時点でも最新研究を踏まえつつ、練り上げていることがみてとれます。

堅実でありながら冒険性も十分に備えた、現状においてまるで隙のない布陣。

これには期待しかない。幕末錦絵も出るかもしれませんぜ!

そうそう、再来年か。

このドラマで悶絶する方にちっと言っておきてえことがあるんすけど。

今年でこうなら、再来年はどうなっちまうんでしょうね……再来年は今年以上のおそろしい展開になると思えるんですが。それはそれで楽しみですけれども。

史実からして手心を加えられないと思います。覚悟しておきましょう。

📘 『べらぼう』総合ガイド|登場人物・史実・浮世絵を網羅


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【参考】
べらぼう公式サイト

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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