礒田湖龍斎

『雛形若菜の初模様 金屋内うきふね』礒田湖龍斎/wikipediaより引用

江戸時代

礒田湖龍斎はどんな絵師で得意ジャンルの「柱絵」とは?『べらぼう』鉄拳

2025/01/26

大河ドラマ『べらぼう』で、最もサプライズだった配役は、やはり鉄拳氏でしょう。

普段は覆面をかぶり、絶妙に味のある絵を描くのが売りの鉄拳氏が、素顔になって江戸時代に登場――彼が演じるのは礒田湖龍斎(いそだ こりゅうさい)です。

これまでは知る人ぞ知る絵師であり、まさか脚光を浴びることになるとは思いも寄らなかったというのが本音。

では、礒田湖龍斎とはどんな絵師だったのか?

その生涯を振り返ってみましょう。

 


鈴木春信の美人画 江戸っ子を魅了する

大河ドラマ『べらぼう』の舞台は、江戸の文化が花開いてゆく時代。

いざ絵画を学ぼうとなれば、唐(中国)や上方の画風を模倣したり、新興都市である江戸の風俗を描き出すところから始まりました。

菱川師宣『見返り美人図』/wikipediaより引用

そこに革命的な絵師が登場します。

鈴木春信(1725?−1790)です。

浮世絵の大家として知られる春信は、その画風だけに留まらず、画期的な新技術も生み出します。正確には彼の協力者が、【多色刷り】の【錦絵】を開発したのです。

その協力者、いったい何者?と思われるかもしれませんが、名前を聞けばご理解いただけるはず。

平賀源内です。

裕福な商家の出である春信の実家は、大家として店子に住居を提供しており、その住人の一人が平賀源内でした。

平賀源内/wikipediaより引用

大河ドラマ『べらぼう』では作家としての能力が注目されましたが、この源内、史実では文系も理系も関係なく多方面で才能を発揮。

彼は大家である鈴木春信のためカラフルな浮世絵(錦絵)を生み出しました。

文字にすると簡単なことですが、その効果は絶大。

なんせ、それまでの【浮世絵】と言えば、限られた色数で刷られた地味な作品か、色数制限がない代わりに枚数が限定されてしまう【肉筆画】か、とにかく活躍の場が限定されていました。

しかし【錦絵】により、可能性は一気に拡大。

春信の絵にはどんどん色が増え、作品は進化していったのです。

鈴木春信は、裕福な商家の出とされています。

その手助けをする平賀源内は武士。

武士と町人の垣根も薄くなった時代ならではの、大きな一歩でした。

 


鈴木春信フォロワー絵師の一人として

江戸中期は、武士も創意工夫を凝らし、食っていくための副業を模索せねばならない時代でした。

なんせ武士は基本的に昇給がありません。

江戸時代は世襲ですので、親から受け継ぐ石高だけで食ってゆかねばならなかった。

これがどれだけキツいことか。

物価が上がっていくのに給料は上がらない。かといって、ホイホイと転職するわけにもいかない。

そこで平賀源内のようにアイデア溢れる武士は、才能を金にしようと考えました。

礒田湖龍斎もまた、江戸小川町土屋家の浪人でした。

本名は礒田正勝、庄兵衛と呼ばれていました。

磯田は己の画才を自覚していたのか、「湖龍春広」または「春広」名義で【美人画】を描き始め、ほどなくして「湖龍斎」となりました。

「湖龍」とは霞ヶ浦を指し、土屋家がおさめていた土浦藩ゆかりの名であるとされます。

はじめは「春」を名乗っていたように、その画風も当初は鈴木春信とさして違いはありませんでした。売れ筋の定番であり、周囲の需要もあったのでしょう。

鈴木春信「雨夜の宮詣 笠森おせん」/wikipediaより引用

それが明和7年(1790年)に春信が没する前後から、磯田は独自路線を模索するようになります。

湖龍斎が春信風のみの作品を手がけていたら、ただのフォロワーとして歴史の中に埋没していったことでしょう。

 

柱絵:細長レイアウトへの開眼

浮世絵とは、江戸の人々の日常生活に密着したものです。

貴族や大名にはない発想の作品も出てきます。

その一つが【柱絵】――文字通り、柱に貼り付けて楽しむものです。

柱絵/wikipediaより引用

傷を隠すような使い方や、【屏風絵】とは一味違う縦長の絵を楽しむこともできる。

磯田湖龍斎はこの【柱絵】に美人を描くことを見出しました。

しかし、レイアウトを生かすには、春信風からの脱却が求められます。

華奢で控えめな美少女ではなく、のびやかな肢体を持つ、成熟した美女こそ細長いレイアウトでは映える――礒田湖龍斎は、そう見出しました。

 


蔦屋重三郎の目にとまる湖龍斎の描く美女

のびやかな肢体を見せる湖龍斎の【美人画】。

そこに、大きな可能性を見い出す人物が出てきます。

これでぇ、これだよ!

これぞ、俺の欲しかった美人画なんだよォ!

礒田湖龍斎/wikipediaより引用

そうなるからこそ、磯田湖龍斎は『べらぼう』序盤で、鉄拳さんが扮する重要絵師として出てくるのでしょう。

湖龍斎の縦長レイアウトの美人画は、蔦屋重三郎の需要に一致したのでした。

蔦屋重三郎は、吉原の遊女が持つ魅力を、出版物を通して江戸に広めたいと考えていました。

背中を押してくれる吉原の人々もいます。

そうして売り出し始めた刊行物として、定番のカタログ『吉原細見』があり、勝川春章・北尾重政のコンビに競作させた『青楼美人合姿鏡』も売れ行き好調でした。

元文5年に発行された『吉原細見』/wikipediaより引用

しかし、複数の売れっ子絵師が競うように描くとなると、どうしてもスピード感のある発行はできません。

カタログ路線、レアなコレクターズアイテム路線は制覇した。

さて次はどうする?

もっとポンポンと出して、それでいて豪華なブランド価値を落とさないモノが欲しい。

次の一手は?

それが磯田湖龍斎を起用した『雛形若菜の初模様』となります。

 

ファッションカタログ『雛形若菜の初模様』

「雛形」とは、「小袖雛形本」の略称です。

意匠や図案をまとめた本であり、いわばカタログとして参考にできるものでした。

この『雛形若菜の初模様』は、吉原遊女の姿をまとめた本であり、いわば江戸のファッションカタログです。

『雛形若菜の初模様 金屋内うきふね』礒田湖龍斎/wikipediaより引用

吉原遊女の装いを参考にしたい、そんな需要に応じるものでした。

春信風の夢見る美少女とはちがう。

爛熟した女性美をみにつけ、天女のように豪奢な着物を身に纏った吉原遊女。

それを描くには、磯田湖龍斎の画風がピッタリだと見出されたわけです。

礒田湖龍斎/wikipediaより引用

禿(かむろ)を左右に侍らせた遊女は、堂々たる肢体を美しい衣装に包む。

それまでの中判(約27×19.5センチ)から大判(約39×27センチ)になったその絵は、見るものに迫るような、誘い込むような、圧倒的な迫力がありました。

今日まで私たちが思い浮かべる吉原遊女の華麗なる姿は、この作品の中に見られます。吉原こそ、ファッションの最先端だと、江戸っ子たちは感じたことでしょう。

時代の流れにも一致します。

経済重視の【田沼時代】は、江戸に豪華な気風をもたらしつつありました。

田沼意次/wikipediaより引用

そんな安永5年(1776年)から天明年間初期(1781−89)にかけて、『雛形若菜の初模様』は、時代の流れに合致した、新たな美人画です。

懐に余裕ができ、ファッションに敏感になっていく江戸っ子の需要にも一致していたのでした。

天明2年(1782年)、湖龍斎絵師として稀有な地位である「法橋」を得ました。

これは当時、医師や絵師といった特殊技能の持ち主が得られる高い位でした。

一介の浪人。本格的な狩野派の絵を学んだわけでもない。吉原遊女たちをはじめとする江戸の美女を描き続けて、ついにここまで上り詰めたのです。

これを契機に湖龍斎は版下絵から手を引き、肉筆画中心の絵を手がけ、江戸の出版界からは姿を消してゆくのでした。

 

モデル系か? アイドル系か? 選べる時代へ

『雛形若菜の初模様』を共に手がけた版元の西村屋与八と、蔦屋重三郎は止まりません。

やがて蔦屋重三郎は手を引き、このシリーズは西村屋与八のみが出すようになってうきます。

西村屋与八は、磯田湖龍斎が確立した路線を継続。

鳥居清長鳥文斎栄之らが描く、のびやかな肢体を持つ【美人画】を世に送り出し続けました。

一方でクリエイターの新規発掘に余念のない蔦屋重三郎は、新規路線を求めてゆきます。

そして世に送り出したのが、喜多川歌麿です。

歌麿の作風は、湖龍斎路線とは正反対といえるものでした。

吉原にいる天女のような遊女と違う、そのあたりにいそうな【地女】、江戸の女たちの姿を【大首絵】(バストアップ)で描いたのです。

かくして、江戸っ子は現実離れしたモデル系か。

庶民的なアイドル系か。

好みの二次元美女を選べるようになってゆくのでした。

🏯 江戸時代|徳川幕府の政治・文化・社会を総合的に解説

📘 『べらぼう』総合ガイド|登場人物・史実・浮世絵を網羅


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【参考文献】
小林忠『浮世絵師列伝』(→amazon
深光富士男『浮世絵入門』(→amazon
小林忠/大久保純一『浮世絵鑑賞の基礎知識』(→amazon
田辺昌子『浮世絵のことば案内』(→amazon

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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