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【『べらぼう』感想あらすじレビュー第23回我こそは江戸一利者なり】
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今も昔もインフルエンサーの評価は大事だ
そんな大スターと飲み会ができる蔦重は、狂歌の指南書も青本も絶好調です。
このころから「青本」は「黄表紙」と呼ばれるようになったとか。表紙が色褪せて黄色になるからそう呼ばれるんだってよ。
かくして蔦重は江戸一の目利き、「利者(ききもの)」と呼ばれるようになりました。
本人が創作するのではなく、見抜く力があるということですな。
ちなみに『光る君へ』ですと藤原公任にあたりますかね。

藤原公任(月岡芳年『月百姿』)/wikipediaより引用
彼は、歌はじめ作品評が注目されていました。ドラマでも描かれたように、藤原彰子の女房たちに戯れながらについて「このあたりに若紫はおいでかな」と言ったことがあります。『源氏物語』について言及したわけです。
それに対して紫式部は「光源氏も実在しないのに若紫がいるわけないでしょう」と思ったことを書き記しました。
ドラマではズバリそのことを口にしておりましたね。
あれは紫式部が圧巻の塩対応をしているようで、公任が目利きであることを踏まえると、「一流インフルエンサーも認めた!」という記録として読めなくもない。
平安中期ではあくまで宮廷内で完結していた、そんなインフルエンサーの影響が、江戸時代中期は百万人が住まう江戸で展開されるようになっていたってことでやんす。
そんなわけで蔦重は、相撲見物に富本本の打ち合わせ、さらには土山様との宴会と予定が立て込んでいました。
売れっ子の呼び出し女郎並の忙しさ――ふじはそんな蔦重を風雲児だと言うものの、夫である駿河屋の親父殿は面白くなさそうな表情です。
おもしれえな。嫉妬って気がするぜ。
かわいい蔦重をとられて焼き餅焼いてねえか。女同士はドロドロなんて言うけど、男同士だってそういうもんだぜ。
駿河屋は「吉原におんぶに抱っこで何が風雲児だ!」と吐き捨てており、子離れできねえという印象ですね。
接待狂歌に励む武士たち
さて、本物の風雲児――ではなく「風雲爺がいる」と稲荷が語るのは田沼意次です。
意次は要職を田沼派で固め、息子の意知を奏者番に抜擢。
その無双ぶりを佐野政言が見つめており、一人の武士がこう詠みました。
願わくば 田沼様とは 思へども
せめてなりたや 公方様には
これは当時の定番の喩えですね。
「飛ぶ鳥を落とす勢いの“誰か”になるのは無理でも、将軍や大名にならなってみてえモンだ」と願望を詠むわけですな。

田沼意次/wikipediaより引用
長谷川平蔵が「さすがに公方様はやり過ぎだろ」とコメントすると、政言は何をしているのかと困惑しています。
平蔵が、ドヤ顔で何やら本を差し出します。
なんでも田沼派のビッグウェーブに乗り損ねた武士たちは、狂歌を嗜み、土山様にコネを作りに行っているんだそうで。昭和のサラリーマンが上司や取引先相手に接待ゴルフをしたみてえなモンだな。
そして場面は、接待狂歌へ。
会場となる土山邸は「酔月楼」という洒落た名前がつけられていました。カネが唸っているのでしょう。完全に調子こいてますね。
そこへ、長谷川平蔵が、佐野政言らと共にやってきました。
屋敷の中では、芸者が音楽を奏で踊り、大層賑わっています。現代で言えばDJブースで音楽をガンガン鳴らし、テキーラショットをあおりながら、踊り狂っているという感じでしょうか。
華やかな場面に面食らった政言は「これは……350俵の組頭屋敷ではなかろう」と当惑するしかない。
すると土山の声が響いてきました。
わが庵は 都のたつみ(南東)……
「わが庵は……」とは、いかにも気取ったことを詠んでいるわけで、実にこの時代らしい話でもあります。
以前も何度か触れましたが、北東アジア圏が近世に到達した結果、大都市が誕生し、そこで文芸活動する者が現れました。
中国ですと魏晋時代の「竹林の七賢」あたり。彼らは別にユニットを結成して竹林で寝起きしていたわけでもありませんが、一応は俗世の喧騒から離れていたということにはされているわけです。
それが明代ともなると、街中に暮らしつつ、文人活動ばかりを行い、官吏にならない「市隠」が登場してきます。
そうした生き方は、近世以降でないと成立できません。
なぜなら一定数の人が居る都市だからこそ、創作活動でカネを稼ぐことができ、衣食住が足るというわけです。
日本は戦国時代を経ているため、明よりも数世紀遅れました。
しかし太平の世で江戸が百万都市となり、識字率も上がって印刷技術が向上したため、出版文化も花を咲かすことができた。
土山が「わが庵」だのなんだの言っていますが、あくまで風流を気取っているだけで……こんな豪勢な屋敷のどこが庵なんだ?という話です。
そんな江戸でも「竹林の七賢」モチーフは定番人気。

竹林の七賢/wikipediaより引用
浮世絵では七賢を女体化した美人画なんてものもありました。
昔から日本人は女体化が好きだったんですね。
しかし、土山らのこのパリピっぶりは……こんなんでいいのでしょうか。
武士は本来、官僚として働くべきでは? そんな歪みも浮かんできます。
土山は蔦重が欲しい
その歪みを察しているのは、ここでは佐野政言だけでした。
他の武士たちは「田沼様の覚えがめでたければできる」と浮かれてワクワク。
平蔵も、どうやったら近づけるのかと考えています。
と、そこで見つけたのが、和泉屋の相手をしている蔦屋重三郎でした。
和泉屋は蔦重に「日本橋に出るつもりか?」と尋ねています。
笑いながら即座に否定する蔦重。
そこに平蔵がやってきて、例のシケ(垂れた一筋の髪の毛)をフッと吹いておりやす。
平蔵は懐から狂歌攻略本も取り出し、使っていることをアピール。この本は、判型がかなり小さいですね。
もしも「こういう本がうちにもありゃいいなあ」と思われた方には、芸艸堂の「和綴じ豆本シリーズ」がおすすめでやんす。
平蔵は、同僚武士たちに土山と接触する機会を作ってやりたいんだとか。
そこで蔦重は土山のもとへ彼らを引き連れていく。
と、大田南畝もいて、蔦重を狂名の「蔦唐丸!」と呼んできます。
「江戸一の“利者”は350俵の勘定組頭などもはや後回しか」
チクリと言う土山宗次郎に対し、蔦屋重三郎が即座に返す。
「んなわけねえじゃねえですか! 意地悪、言わねえでくだせえよ……」
ここで武士たちが紹介されるのですが、長谷川平蔵のあとに佐野政言が挨拶をしようとしたところで、大田南畝が「長谷川といえば!」と大声で話し始めました。
火付盗賊改方の息子で、かつ吉原で極めて豪気な振る舞いをなさった!
噂になってんだねえ。若気の至りと言いつつ、狂歌をこれから始めたいと切り出す平蔵。
「ひとつ、赤良先生に大いにモテそうな名をお願いしたく」
「では、稀代のモテ男、在原業平にちなんで、“あり金はなき平(ひら)”で」
ここでシケを吹き飛ばし、こう返す平蔵。
「金はなくてもモテると」
そう笑い飛ばしております。ったく、バカだな、こいつら。平蔵は江戸のモテ職業に入る与力でも目指してえとこかもしれんね。

月岡芳年の「在原業平と二条后」/Wikipediaより引用
平蔵に続いて、今度は横川と縦川と武士二人が名乗ります。
自己紹介の機を逸してしまった政言は唖然としている……。南畝はそんな相手に気づかず、横縦コンビに狂名を考えています。
蔦重が政言の存在に気づいて「どうかおそばに」と言っても彼はこう返します。
「よい、やはり拙者はかような場は慣れぬし……親の具合もようないので長居できぬしな。では」
ボソボソとそう答えると、出ていってしまうのでした。
土山が、雲助の話を断ったことについて、蔦重に話しかけてきます。
「この話の先にはあらゆる儲け話が転がっておる。一枚噛んでおけば、いずれは蝦夷地の本屋商いを取り仕切ることができるように」
「いやぁ、吉原のしがない本屋にゃあ話が大きすぎまさ」
蔦重が頑なな姿勢でいると、土山は思わぬ提案をしてきます。日本橋に店を買ってやるか。
そして「そのほうが赤良本ももっと売れる」とまで言い出すのです。
出来すぎた話で信じきれない、されど心が動かされている様子の蔦重。いったいどうなってしまうのか。
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