駿河屋の親父に階段から蹴り落とされた鶴屋喜右衛門。
彼はこう返します。
「では、私ども市中の地本問屋は吉原と一切関わらぬということで」
そら、そうなりますわな。絶望する蔦屋重三郎を睨みつけるのは鱗形屋――因果の蔓がますます絡んでゆきやす。
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忘八親父どもは起こった後始末なんて考えちゃいねえ
地本問屋を追い出した忘八たちは短気な江戸っ子揃いです。
これからどうするのか?
そんな算段は特にねえんだな!
蔦重がもういっぺん話し合いましょうと訴えるも、親父どもは「だめだ〜! だめだ、だめだ!」と怒鳴るばかり。それじゃあやってけねえ!と蔦重が嘆くと、駿河屋はこうだ。
「そこをやってけるようにすんのが、てめえの仕事じゃねえのか! あァ、耕書堂!」
ほんと、どうしようもねえよな。
おとなしい日本人なんて言われますが、いやいや、歴史的にはそんなことないのでは?という指摘はあります。
たとえば戦国末に来日した宣教師や明人、朝鮮人たちは「なんでこの人ら、こんなにキレやすいの?」と驚いています。
幕末も「やたらとキレやすい日本のサムライに殺されるかもしれない」と覚悟を決めていた欧米人もいましたし、実際、テロが頻発していたことは以下の参照記事をご覧いただければと存じます。
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幕末の外国人は侍にガクブル~銃でも勝てない日本刀がヤバけりゃ切腹も恐ろしや
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日本人とは何か?ってことを、大河を見ながら考えるうえで今年は画期的な年になりました。
蔦重は無理を承知してか、バカボンの義兄・次郎兵衛に聞いています。
んで、出てきたのは一年中「玉菊燈籠」をやるとか、次から次に瀬川を出すとか、やっぱり発想がアホなんです。そういうのはレアだから価値があるわけでしょ。
他ならぬ蔦重が「聞いた俺がバカだった」という顔をしている横で、賢い留四郎は客をテキパキと捌いています。
そこにやってきたのは、新さんこと小田新之助でした。
嗚呼、甲斐性のない男たち
二人は外で話しています。
蔦重は「うつせみが自分で花を買った」ことに驚く。自己負担をしてまで新之助を呼び寄せたということですね。
己の甲斐性のなさがつくづく情けないと嘆く新之助ですが、この「甲斐性」ってヤツも、当時と現代では違う面もあると思うんですよね。
男として、稼ぎ手として、女を救い出すという点ではあっています。
しかし、江戸時代は生まれで将来は大方決まるものであり、御家人の三男坊である新之助はその時点で負け組確定でした。
家も継げねえし、かといって、他に食い扶持を稼ぐあてもない。真面目だし賢い新之助ですら、こんな調子なわけです。
どんな生まれでも努力をすれば妻帯もでき、家の大黒柱になれる――。
それが明治時代のよいところのようで、逆に落伍者ともなれば「お前がダメなのは、お前がダメだから」という過剰な自己責任が押し付けられる。そんな「通俗道徳」についても頭を巡らせてしまいます。
江戸時代から明治時代へ。本作を見ていると、つくづく日本人の変遷が浮かび上がってきて脳内が刺激されますね。
それだけに新之助が切ねぇよ……もう、この時点で切なくて感情が渋滞事故を起こしそうです。VFXで作られた江戸の夕空がいつも以上に目に染みるぜ。
それに対し、蔦重はこう言います。
「まあ、マブがいなきゃ、女郎は地獄っすからね。すまなく思うことでもねえっすよ」
金銭的には負担でも、心理的には生きる力を与えているということです。
あー、なんなんでしょ!
結婚なんて生まれた時点で遠い夢。そんな御家人の三男坊が、あいくるしい花魁と相思相愛になってしまう。まばゆい奇跡のようで、先が見えないんです。残酷すぎる。
それにしても、この「マブ」とは何か?
漢字だと「間夫」でもあります。婚姻関係にある妻がもつ恋人のことで、要は不倫相手となりますね。
女郎は客と擬似夫婦関係なので、こう呼びます。漢字で書くと意味が限定的で狭まることもあってか、本作ではカタカナで「マブ」としています。
「マブダチ」や「マブい」などなど、諸説ある言葉の語源の一つとされることもあるとか。
するとここでざわめきが起きます。
「瀬川だ〜!」
「おお〜!」
瀬川の花魁道中が見えてきます。
フィギュュアスケーターとしてオリンピックを目指していたこともあるという小芝風花さんだけに、高下駄の扱いにも長けているとか。
まるで天上の女神が降りてきたような、神秘的な美しさ。
そんな花魁の向かう先に待つのは、鳥山検校なのでした。
「お待たせいたしんした」
「遅かりし由良之助」
「御生害には間に合いんしたようで」
これは『仮名手本忠臣蔵』由来ですな。大星由良之助が、主君の切腹に間に合わなかった時の台詞です。
口をポカンと開け、羽衣を落とした天女を見るような顔をしているのが、蔦重なのでした。

『仮名手本忠臣蔵 三段目』歌川国芳/wikipediaより引用
瀬川に身請け話が
「鳥山玉一さま」
部屋に上がった瀬川は、何かを差し出してきました。
専用の箸です。
「検校」とは盲人の属する当道座の位で、買うことでのぼってゆきます。本名は鳥山玉一で、鳥山検校とは位での呼び方です。
そして、ここまで上り詰めるとなると、当然、相応の金がかかります。
検校という時点で大富豪。
鳥山玉一という一個人の話ではなく、当時は「検校」という存在だけで忌み嫌われかねないものでした。理由は追って説明します。
市原隼人さん演じる鳥山検校は、瀬川の声音が少し萎れていることに気づきます。
彼女が差し出した箸は、吉原花魁のもとへ三度通うことで用意されるものでした。
大河ドラマ『光る君へ』の平安時代は、男君が女君の元に通った三日目で、三日夜(みかよ)の餅を食べて婚姻が成立します。
そうした婚礼の形式は既に廃れていましたが、吉原では残っていたのですね。
要は、上方の王朝貴族を真似ていた。雛人形も江戸時代には広まり、東にも上方文化がそれとなく伝わっています。
晴れて擬似夫婦となった二人。それなのに声音が萎れていてはおかしい。
瀬川が「少し面白うないことを思い出しんして」と取り繕うと、鳥山検校は「ひとつおもしろいものをお目にかけよう」と言い、女郎たちに自分の周りをめぐらせます。
そして一人ずつ誰かを言い当ててゆく。
彼は洞察力と思いやりがあり、見た目もよろしい。なかなかの男に思えます。こういう盲人の感覚の鋭さを生かした時代劇が「座頭市」ってことですなぁ。
瀬川が、女将のいねに「鳥山検校はいい男だ」と言います。すると立ち止まり、こう聞き返してきました。
「その言葉に裏はないかい?」
「あい」
なんと鳥山検校は、身請けの話を持ち出してきたとか。
驚く瀬川。その気はあるのか?と確認され、戸惑っています。
そのころ蔦重は「紋日」の一覧を確認していました。
年中行事が行われる日で、料金も上乗せされる書き入れ時ですな。吉原は朝廷やら大奥を模倣するところがあり、こうした行事は欠かせぬものでした。
しかし今はもう、心が千々に乱れるようになっちまった。
瀬川への気持ちに気づいちまった。

『新吉原の桜』歌川広重(1835年3月頃)/wikipediaより引用
この「マブ」は花魁をなんとか救いたい
新之助はうつせみに「あの二人は恋仲だ」と話したようです。今回はここで二組の男女が重なり合う。
瀬川と蔦重。
うつせみと新之助。
新之助はそう言うものの、吉原内でのマブは御法度だし、気持ちの上でも今更だとうつせみが返します。
前回、蔦重が「そういう心は折れる」と語った通り、吉原の内側で働く男は恋心に重たい蓋をするよう躾けられるわけですね。
新之助は愛しさが込み上げ、うつせみに覆いかぶさろうとする……と、灯りを消していないとうつせみ。
彼女の不自然な態度になにかを気づいた新之助が袖をまくり上げると
「長サマ命」
腕に文字が彫られていました。
「マブ」の語源に驚いた方もおられるかもしれませんが、この「[推し]様命」も、実はこのころからありました。吉原女郎の「手練手管」のひとつです。
元を辿れば男色同士のもので、自分の体を傷つけて誓うというものでした。
現代ならば相手を思い合いながらリストカットをしたら気持ち悪がられますが、かつてはそれが愛の証だったのです。
伊達政宗も若い頃はカレピを思いつつ、小刀で腕やら腿やら突いていたと本人が書状に記しております。

伊達政宗/wikipediaより引用
この手の刺青は、専門の職人ではなく素人がやるものですので、灸や煙管を押し付けると消えます。
これを「火葬」と呼び、その跡がいくつもある女郎を見て「ふてぇアマだな」と笑い飛ばすのが江戸っ子の粋てなもんですが……何だか様子がおかしいようです。
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