一寸子花里作『文学ばんだいの宝』

寺子屋の筆子と女性教師を描いた一寸子花里作『文学ばんだいの宝』/wikipediaより引用

べらぼう感想あらすじ

寺子屋のシステム|江戸時代に庶民の識字率を高めた画期的な教育方法

2025/10/03

大河ドラマ『べらぼう』というドラマが成立するために、最も必要だった要素とは?

江戸っ子たちの「読み書き」能力でしょう。

「火事と喧嘩は江戸の花」なんて言葉から連想される姿は、粋でいなせなお祭り好きですが、蔦屋重三郎が出す黄表紙や狂歌本などが次々にヒットしたのも、全ては江戸っ子たちが文字を読めて、洒落や風刺まで理解できたから。

当時の諸外国と比べても、日本の識字率が高かったことはよく指摘されるところです。

ではなぜ江戸っ子はじめ多くの庶民が読み書きをできたのか?

歴史の授業でもお馴染み「寺子屋」が支えていたからです。

大まかに西日本では寺子屋、東日本では手習所と呼んでいたようで、そこでは実際にどんなカリキュラムや授業料で教育は進められていたのか。

当時を振り返ってみましょう。

寺子屋の筆子と女性教師を描いた一寸子花里作『文学ばんだいの宝』/wikipediaより引用

🏯 江戸時代|徳川幕府の政治・文化・社会を総合的に解説

 


各々に委ねられていた教育

義務教育が定められたのは明治時代からのこと。

江戸時代には当然ありません。

ならば寺子屋はどういう経緯で生まれたのか?

というと、自然発生的なものだったと考えられています。

もともと鎌倉時代あたりから僧侶が近隣の子どもたちに読み書きを教えるという習慣があり、”寺”子屋という名前もそこから来ているようです。

「手習所」の他に「手跡指南」といった呼び名もあり、読み書きが重視されていたことがわかりますね。

寺子屋の授業時間は、朝五つ(午前8時頃)~昼八つ(午後2時ごろ)で、昼九つ(正午ごろ)には昼食時間がありました。

現代の小学校低学年と同じくらいですね。

寺子屋の筆子と女性教師を描いた一寸子花里作『文学ばんだいの宝』/wikipediaより引用

農村部では、農繁期の夏~秋は寺子屋が休みになりました。子供も貴重な働き手としてみなされていたためです。

明治時代に小学校が義務化された際、農村部の反発が大きかったのも、寺子屋と違って農繁期に休めなかったというのが影響したのでしょう。

明治十四年(1881年)には日本の尋常小学校で夏休みが導入されましたが、明治二十年代まで農村県での反発は強かったようです。

となると、家業のことを最初から考慮した上で休みにしてくれる寺子屋への印象が良かったのは、当然といえば当然なのかもしれません。

 


何を学んだ?

公的機関ではないので、教える内容は個々の寺子屋によって異なりました。

江戸のような都市部で商人の子が多ければ、商慣習に関する内容があったり、女子には裁縫を教えるところもありました。

当時の庶民にとって衣類は貴重なものです。

大人物を子供用に仕立て直したり、綿を入れて防寒着にするくらいの技術は誰にでも必要でした。

また寺子屋は、現代の学校のように年齢別で分けられていなかったので、一人一人の年齢や性別に合わせて師匠が教える形でした。

いずれの地域でも

・師匠と客人への礼儀

・同窓生同士は互いに思いやること

など道徳的なことは共通して重んじられていたようです。

戦がなく、人口が増加した江戸時代ならではかもしれませんね。

道徳を蔑ろにした系統の犯罪はかなり厳しい罰が与えられていましたし、逆に孝養を尽くせば表彰されることもあったので、そうした世相もあるでしょう。

 

授業料は?

入学金や月謝はその家の経済状況に合わせられました。

貧しい家の子でも最低限の教育が受けられる、なかなか優れたシステムですね。

代わりに、お酒やお菓子、餅、小麦粉など、お金以外の贈り物が、年始や年中行事の際に生徒の家から師匠へ送られています。

生徒の数は寺子屋によって異なります。

江戸では特に学びの需要が高まり、天保十五年(1844年)には私塾・寺子屋の番付が作られるほど乱立していたそうです。

一寸子花里作『文学ばんだいの宝』

寺子屋の筆子と女性教師を描いた一寸子花里作『文学ばんだいの宝』/wikipediaより引用

今の受験制度と似ていますね。

我が子に学をつけさせたいと思うのは、現代も江戸時代も変わらなかったのでしょう。

では実際にどんなカリキュラムで授業が進められたのか?

 


読み書きは名字から

まずは人の名字を並べた「源平」の読み書きから始まります。

そして、その後に周辺地域の村の名を並べた「村尽(むらづくし)」あるいは「村名(むらな)」があり、それが終わると旧国六十六カ国を記した「国尽(くにづくし)」へ。

身近なところから少しずつ範囲を広げるような形で進められました。

次に、年中行事や、幕府の触れ書きをまとめた「五人組条目」などを学びます。

商業の基礎知識書「商売往来」「世話千字文」を学ぶと、農村部でも重宝されたようです。

『諸方通用諸商肝要万宝商売往来』/国立教育政策研究所教育図書館蔵

なぜなら江戸時代でも、お金をだまし取られたり、借金で揉めて刃傷沙汰になった事件は少なくなく、お金に関する知識は需要が増していったんですね。

「近道子宝」という、身の回りの自然現象や暦、地理、衣食住、皇室や幕府についてなどを子供にもわかりやすくまとめた本や、近隣の寺社へ詣でるまでの案内書なども使われました。

師匠の好みによっては、古今集などから一部の和歌を抜き出して教えたりすることもあったようです。

 

女今川

女子には女子向けの道徳書「女今川」も用いられました。

これは南北朝時代の武将・今川了俊が弟・仲秋へ訓戒として送った手紙を元にした書物で「女性はこんなことをやってはいけない」という戒めが書かれています。

※画像:国書データベース

時代が時代ですので男尊女卑的な部分も多いのですが、

「不機嫌なときに人に当たり散らす」

「人を悪く言う」

なども戒められており、半分ぐらいは男女問わず現代でも活用できそうです。

 

証文や手紙の書き方

人によっては借用証文や田地売買の証文、東海道の名所案内や手紙の書き方なども学んだようです。

これは、生徒の家の事情や親の意向などもありそうですね。

基本的に家を継げるのは長男だけなので、次男以降は寺子屋で学んだことをもとに稼ぐ手段を見つけなければなりませんでした。

女子も学があったほうが良い嫁ぎ先に行けたり、いったん良い家に奉公して格上げした後に結婚したり、選択肢が広がったでしょう。

中には師匠とは別に寺子屋を開く人もいたかもしれません。

限られた例ではありますが、いったん江戸で武家奉公や大奥務めをした後、故郷に戻って寺子屋の師匠になった女性もいます。

寺子屋の筆子と女性教師を描いた一寸子花里作『文学ばんだいの宝』/wikipediaより引用

 

往来本

他に教科書としてよく使われたのが「往来本(おうらいぼん)」という種類の本です。

手紙文を主体とするもので、平安時代から作られていました。

関ヶ原の戦いの前に上杉氏の家臣・直江兼続が徳川家康に出したとされる『直江状』は、往来本によって広まったとされています。

直江兼続と徳川家康(右)の肖像画

直江兼続と徳川家康(右)/wikipediaより引用

権現様にケンカを売った書面を教育に使うのは幕府的に問題なかったんですかね……。

ちなみにそういった物騒な往来本は他にもあります。

・大坂冬の陣の前に家康と豊臣秀頼がやりとりした手紙だとする『大坂状』

・一揆を起こした百姓が幕府に宛てて出したとされる手紙を元にした『白岩目安』

いずれも江戸初期には作られていたようで、よくぞ教科書にしたな……。

これは想像の域を出ませんが、江戸時代も序盤は幕府の目が農民や庶民より大名へ行きやすかったため見逃されていたのかもしれません。

実際、江戸初期には細川忠興松平信綱などが

「政治を四角四面にやろうとするとうまくいかない」

といった意味合いのことを言っていたとされますので、当時の幕閣もそのように捉えていたのか。

細川忠興の肖像画

細川忠興/wikipediaより引用

往来本は時代が下るごとに手紙文以外の内容のものも増えていったため、寺子屋関連の話題では往来本=教科書として使われていた本とみなしたほうが実情に合いそうです。

中には五・七・五・七・七でテンポよく地名を並べた『道中往来』など、遊び心が凝らされたものもありました。

数学で遊ぶ算額などもそうですが、どうも江戸時代の人々は学びと遊びの境目をあまり感じていなかったようです。

読本や絵草紙などが普及していくと、文字を読むことが実用だけでなく娯楽にも繋がるので、人々の学習意欲も高まったかもしれません。

この発想は現代でも取り入れるべきかもしれませんね。

現代でも、アニメや漫画がきっかけで日本語を勉強し始める外国の方や、歴史・文化に触れ始めた日本人も多いですし。

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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