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【『べらぼう』感想あらすじレビュー第9回玉菊燈籠恋の地獄】
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頼むから、行かねえで
さて、そんな時代のしがらみから抜け出し、蔦重は裸の心を呟いてしまいます。
「行くなよ……頼むから行かねえで」
そう頭を下げる。
「好かないね。しまいには泣き落としって」
ありんす言葉をかなぐり捨て、江戸の女らしい荒々しい口調で返す瀬川。江戸の女は湿っぽいこたぁ、でぇ嫌いだよ。
「分かってる。いい話だってこたぁ。吉原にとっても、お前にとっても。けど……お前があいつんとこに行くのが嫌なんだよ。俺が、お前を幸せにしてえの! だから行かねえでくれ! 頼む……」
ここで幼い駄々っ子みたいに唇をへの字に一瞬歪ませて、蔦重はまたも頭を下げます。
「どうやってさ……どうやって幸せにしてくれるっていうのさ」
瀬川はそう返します。
「そりゃあ、どうにか……」
「どうにかってなんだい! べらぼうが!」
「年季明けには請け出す、必ず」
そりゃ何もしねえってことじゃねえのか?
そうは思うものの、瀬川はそれだけで胸いっぱいなのか。
下駄の音を響かせつつ、燃えるような瞳を輝かせ、蔦重に歩み寄り、襟を掴み上げます。
「心変わりなんてしないだろうね!」
「当たりめえだろうがよ! 俺ぁてめえの気持ちに気付くまでに二十年かかってんだぞ。心変わりなんてできっかよ」
「そ、そうか」
「そんなの無茶ってもんよ」
泣き笑うしかない瀬川。
やっと、やっと、思いが通じました。
しかし、これは新たな地獄の始まりでしかねえんですぜ。
吉原で恋に気づけば、地獄が始まる
瀬川は身請け話を断ることを、松葉屋夫妻に伝えます。
一応、建前としては拒否権があるようですが、女将のいねとしては「はい、そうですか」というわけにもいかない。
この前は話を受けると言っていたため、身請け証文作りまで進んでいるのに、今さら断るのはバツが悪い。
すると瀬川は微笑みながら「自分で鳥山様に断る」と返します。
松葉屋はすがるように「花魁からわけを聞かせて欲しい」というと、瀬川はスラスラと「断る方が値打ちが上がる」と言います。
ここでなまじ検校の話を引き受けたら、金に転ぶ者だと笑われると。逆に、千両でも振り付けることで、名跡と吉原の価値を高めるというわけですが……。
といっても、次にこんないい話があるとも限らないと嘆く松葉屋。
そんな夫の言葉を遮るように、いねは言います。
「分かったよ。じゃあ、あたしから断っとくよ。あんたの言うことはもっともだ。よ〜く分かったよ」
瀬川もホッとして、礼を言い、出ていきます。松葉屋がいいのか?と心配そうに尋ねると、いねが吐き捨てるように言う。
「ありゃ男だよ。間違いない。マブができたんだ」
松葉屋は今まで一人も作らなかったと驚いています。
「だから、作るとしたらあれしかいねぇだろ」
「今更?」
「とにかく、あれが相手なら正面切ってのお定め破りだ。尻尾つかんでバキバキに折檻すりゃ目ぇ覚ますさ」
そうふてぶてしく低い声で言うと、手をパンパンと打ちます。まさを呼び出し監視を命じる。一分の隙間もねえ、えげつなさがあるぜ。
かくして瀬川と重三が監視される日々が始まりやす。
二人のやりとりは貸本を通じてのもの。瀬川の文は「候文」で、お堅い文体ですな。
二人は稲荷での密会もなくなったとまさが報告し、松葉屋が驚いていると、「行かなくなったことが何よりの証拠だ」といねが断言。しかし確たるものは掴めていません。
するとそこへ、駿河屋から鳥山検校が来たという「差し紙」が届きました。
さて、瀬川はどうするのか。
いねは鳥山検校に、瀬川はひどい風邪っぴきだと詫びています。
鳥山検校は瀬川に振られたのか?と言い出します。
いねが誤魔化そうとしても、声音から焦りを聞き取られてしまうのです。
松葉屋は隠し事はできない、瀬川の熱を案じているからだとなおも誤魔化しますが……鳥山検校は小判をポンと出させ、滋養のあるものでも食べさせるよう命じます。これも高利貸しで毟り取った金なのか。
駿河屋も何か勘付いたようで、去り行く松葉屋に「うちのやつが何か……?」と声をかけています。
「うちに任せてくれ」と鷹揚に答える松葉屋。
さて、どうするのか?
松葉屋は仏心が湧いたのか、千両は惜しいが今回は見送ろうかといねに語りかけます。
「ないね。あの妓は次に誰が来たって、同じ理屈で断るよ。はぐらかし続けた挙句、年季が明けたらあれと一緒になる算段さ」
しかし、いねはせっかく蘇った瀬川を、そんなしょぼい結末で終わらせたくないようでして。
男も値踏みされるんですな。松葉屋も女房の理屈に納得、いねは次の手に移るようです。
吉原地獄の獄卒夫妻、二人を罠にかける
いねの一手とは?
まず瀬川の前に出た彼女は、客の一覧を差し出します。
戸惑う瀬川に対し、襲名披露のご祝儀にいくらかかったかと迫るいね。
瀬川になってからの着物、簪、調度品……など、張り込んだ分、莫大な費用がかかっているようで。
身請けすればそれもチャラなのに、断ったら借金として重くのしかかってきます。年季明けもそれだけ伸びる。
瀬川が、これでは安売りだとやんわりと断ろうとしても、吉原の仕組みを熟知したいねには通じません。風邪引いたことにして離れで客を取らせるという手を使います。
「女将(おか)さんは、もう一度、四代目瀬川を作るおつもりで?」
瀬川は身請けしないための嫌がらせだと見抜き、四代目の話を持ち出します。
望まぬ身請けを飲まされたあげくに命を絶った――その悲劇を繰り返すつもりなのか。
「脅しのつもりかい? 悪いけど、私ゃ四代目がかわいそうだなんて毛筋ほども思っちゃいないんだよ。ありゃあ、松葉屋の大名跡を潰してくれた迷惑千万な馬鹿女さ。じゃあ、頼んだよ」
脅されるどころか、脅し返して女将が去ってゆきます。
瀬川は客の名が並ぶ紙を、汚らわしそうに横へ払うしかありません。
松葉屋に蔦重が本を貸しに来ると、瀬川はおりません。風邪で休みだとか。
するとそこへ松葉屋が入ってきました。
おいねを抜きにして瀬川と三人で話したいことがあるから、昼過ぎにもう一度来て欲しいと言います。これだけだと、なんだかいい話のように思えなくもないけれど、んなわけがない。
蔦重が松葉屋に連れて行かれたのは、離れでした。
男のうめき声がします。
「すまねえな。花魁を蔦屋に連れて行くわけにもいかなくて。花魁はちょいと長引いているようだな」
ここで蔦重も異常に気付いたようです。
「気持ちが入っちまうと聞こえ方が違うか?」
「何の話だか」
そうシラを切る蔦重の前で、松葉屋は無造作に障子を少し開きます。
その闇の奥に浮かぶようにして瀬川の白い顔と赤い着物が見えてきます。四つん這いになり、背後から突かれる姿でした。
目を逸らす蔦重。
障子を閉める松葉屋。
「どれだけ飾り立てたって、これが瀬川のつとめよ。年に二日の休みを除いて、ほぼ毎日がこれさ。この先どう考えてっか知らねえけど、お前さんはこれを瀬川に、年季明けまでずっとやらせるのかい? 客を取れば取るほど、命はすり減ってくもんだ。年季明けの前に逝っちまうこともザラさ」
肩をポンと叩く松葉屋。
「重三。今お前にできんのはな、何もしねえってことだけだ」
その手を払い、キッと相手を睨みながらも、黙って去ることしかできない蔦重でした。

『地獄草紙』「雨炎火石」/wikipediaより引用
この籠から鳥を逃すには?
蔦屋の前で、次郎兵衛が呑気に三味線を弾いています。
そこへ大股で帰ってくる蔦重。さらに新之助がやってきました。
背後には地味ななりの娘が一人います。
こういう町に住む普通の女は「地女」といいます。ひさという娘が、玉菊燈籠が見たいので、切手が欲しいのだとか。
「切手」というのは通行証のことです。
吉原大門から女が出ていくと困る。そこで逃亡防止のため、女性は「切手」を見せなければ外へ出て行けない仕組みになっておりました。
女性の見物客が増える玉菊燈籠の季節ともなると、切手発行が増えるそうで。
次郎兵衛はバカなので、ひさが新之助のアレかと何の疑いも抱いていないようです。
次郎兵衛を見てっとよ、なんで落語とか江戸の話にバカボンが欠かせねえのかストンと落ちるぜ。話を動かすにはこういう存在が便利だよな。
一方で頭も切れる蔦重は、何かピンときたようですが……。
ひさを見物に送り出し、新之助は何か秘めたように吉原へ歩いてゆきます。
蔦重は思いつきました。
切手に「女 しお」と書き、本に挟みます。
誰もが寝静まったあと、女は人目につかないところで一時身を潜め、朝一番に大門へ向かう。
男は裏茶屋にしけ込んでいたことにしておく。
そして女と男は手に手をとりあい、吉原という籠の中から飛び出す。夜明けとともに、自由へ、幸せへ向かって飛んでゆく――。
そんな計画を立てるのでした。
翌朝、松葉屋に貸本を持って向かう蔦重。
松の井がつまらなかったと本を返してきます。
瀬川はかすんだ目で蔦重をじっと見ている。
その手に本を渡す蔦重。中には切手がありました。一瞬で計画を悟り、驚く瀬川。読んでみろと念押しする蔦重。
するといねが二階から降りてきて「うつせみ!」と連呼しています。
そしてドスの効いた声でこう宣言。
「足抜けだ!」
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